(※「■■■」は聞き取り不可能の箇所)
今日は「宮澤賢治の文学と宗教」ということでお話しします。宮澤賢治は皆さんご存じだと思いますが、十七、八のころ、旧制の盛岡中学の最上級のころに妙法蓮華経という和漢対訳のお経を読み、それに感銘を受けてからあと死ぬまで法華経の信者でした。死ぬときには、臨終のときに南無妙法蓮華経という題目を唱えて死んでいます。そして法華経を千部刷って知り合いの人に分けてあげてくれと遺言しています。そういうふうに考えますと、宮澤賢治は思春期という言葉を使わないでアドレッセンスという言葉を使っていますが、その思春期に入ってから三十七で死ぬまで終始一貫法華経の信者でした。ですから宮澤賢治の文学、童話とか詩がありますが、それらを語る場合に法華経のことを考えないではちょっと理解できないところがあるのではないかと思われます。
法華経は、日本でいえば天台宗の最澄が法華経信仰を伝えています。そして日蓮が中世に入って最澄のあとを直接受け継ぐようなかたちで法華経信仰を維持していった教祖だということになっています。日蓮はほかの宗教家は全部否定しますが、最澄だけを否定しなかった。法華経はお経の中で最高のものだと考えたのは最澄だけであって、あとは空海から始まって親鸞に至るまで、みんなだめなやつだというのが日蓮の考え方です。宮澤賢治も十五、六歳あるいは七歳ころに短歌をつくり出しています。それは郷土の歌人である石川啄木の『一握の砂』が中学生のときにちょうど出ていて、それの影響を受けて短歌をつくり始めています。それから生涯文学のほうもやめていませんから、日蓮信仰あるいは法華経信仰の期間と文学のことを始めた期間はほぼ同じです。たぶん宮澤賢治の中では宗教と文学は大きな比重を占めた考え方としてあったと思います。
そこで法華経をどういうふうに読んだかということが問題になります。どういうふうに読んだかというのは人によってさまざま違います。日蓮というのは法華経の第十三章の勧持品を主体にして法華経を読みました。つまりどこを主体にして読んだかということは、その人の資質とか、宗教心とか、そのときの思想とか、さまざまなことに関係しますが、日蓮は勧持品を主体にして法華経を読んだ。そういうふうに考えますと宮澤賢治には宮澤賢治独特の法華経の読み方があったわけです。日本の文学者で法華経に打ち込んだ文学者はもう一人、これもすぐれた作家ですが、岡本かの子という作家は法華経信仰を生涯保っています。岡本かの子の読み方は二十五章にあたる観世音菩薩を讃える章を第一義として法華経を読んでいます。ですから法華経の読み方は、どこを主体にして読むかということでそれぞれ違ってくることが考えられます。
宮澤賢治の文学を理解するのに別に法華経を理解しなくてもいいのですが、よくよくたどっていきますと、宮澤賢治という人は法華経のどこを読んだのか、あるいはどういうふうに読んだのかが自ずからわかるように思われます。ですから私なりの考えですが、宮澤賢治が法華経をどういうふうに読み、それが彼の童話や詩の作品、あるいは文学、芸術についての考え方の中にどういうふうに出ているだろうかということを、今日はお話ししてみたいと思います。これはもっとたくさんのことを突っ込まなければいけませんが、その一つの突っ込み方として宮澤賢治における宗教と文学、そして宗教という場合の法華経というお経、および法華経を護持する信仰をどういうところで考えたかということが、宮澤賢治の文学作品の方法とか内容に大変大きな影を落としていると考えられますので、その問題をまず突っ込んでいきたいと思います。
ここに法華経を第一章から最後の二十八章まで大雑把に書いておきましたが、これはどういう読み方を皆さんがされてもいいわけで、これは銀河鉄道と同じです。こっちが出発点で、こっちが終点なんだ。途中でどういうことがあるのか。どういうことを法華経自体は注意しているのか。どういうふうなことを言おうとしているのか。そういうことは銀河鉄道の途中の駅と同じだという読み方をされてもいいわけです。また、法華経とはどういうふうにできているのかを見るかたちでこれをご覧になってもいいし、宮澤賢治が主として読んだのはどこを読んだのかということも申し上げますから、そこを主体にして皆さんそれぞれのお考えを展開していかれてもよろしいのではないかと思います。
法華経が最初のところでしきりに言っていることは、みんながいままで悟りを開いているとか、悟りだと思っているのは、本当は悟りでも何でもないんだということを、まずのっけから言っています。これから言うことが本当の悟りなのであって、いままで僧侶とか諸々の菩薩とか賢者がいますが、そういう人たちが、自分たちは悟っていると考えたのはみんな違う。それは本当の悟りではないので、これから言うことが本当の悟りなんだということを、法華経の始めのところで言っています。
つまり本当の悟りというのはこれから言うところなんだ、この内容に書いてあるんだと言っていますが、「本当の」という言葉の使い方は、宮澤賢治もよく童話の中でやっています。その場合の「本当」ということの宮澤賢治が使っている内容と、ここで言われている内容とは使い方が違いますが、宮澤賢治が本当の幸福とか、本当の道とか、まことの道とかいう言い方をしていますが、「本当」という言葉の本来的な出どころはたぶん法華経です。つまり法華経も、いままでみんなが持っている信仰は全部本当ではなくて、これから言うことが本当なんだと、まず言っています。それではこれから言おうとしている本当とは何かということになりますが、それはたぶん信仰の問題であり、人によって読み方が違うという問題だと思います。
僕は別に信仰はありませんし、特に法華経信仰は持っていませんから、信仰なしにこれを読んで、何を言おうとしているのかということを僕なりに感じるわけですが、それを一つ二つ言ってみたいと思います。いままでそれぞれの修行者、僧侶、それから賢人、菩薩たちが悟りを得ようとして修練して、修行して悟りを得たと思っていると、それは自分ひとりが修練し、自分ひとりが修練を深めていって悟りの境地に達したというだけのことだ。つまりそれは、それぞれの人が修練してそういうふうに悟ったと言っているので、本当の悟りはそういうのではないということをまず言おうとしていると思います。
そういうのではないとは何なんだということになりますが、これは信仰ある人は違うことを言うかもしれません。しかし僕なりの解釈ですから勘弁してください。そんなのは悟りではない。どういうのが悟りかというと、一つはそういうふうなことと同時に、人々を同じような悟りの道に連れて行く、伴っていく。他者に対する行為がそこで出てこない限りは、それは本当の悟りではない。自分の個人的悟りの完成ではあっても、本当の仏教の悟りはそうではない。本当の悟りはそういう悟りが万人のものになっていかなければいけない。あるいは万人のものになっていくという働きかけをし、それが可能になる道がつけられたときに始めて本当の完成された悟りと言えるということを、まず言いたいのだと思います。いまの言葉で言えば、個々の徳の高い僧侶が、個人が静かなところで結跏趺坐し、あるいは座禅を組んでだんだん高い境地にいった。その人はそれで立派な偉いお坊さんであるけれども、それだけだったら、それは本当の悟りではない。そういう悟りが万人の胸の中に響いていくことができなければ、あるいは響いていく道がつけられなかったら、それは悟りではないということをまず言おうとしていると思います。それは一般的に万人の問題なのだ。いまの言葉でいえば大衆一般の問題だということと同じだと思いますが、そういうふうに響いていかない限りは悟りとは言えないということをまず言おうとしていると思います。
それでは万人というけれど、それはどういうことを指しているのか、具体的に問題になりますが、そのことをめぐってたとえば最澄は徳一(得一)という会津で死んだすぐれたお坊さんと論争をしています。主として悟りは個人の完成なのか。それともその中に仏教用語で言えば修行でしょうけれど、万人に響く問題がそこにあり、万人がそこへ行ける道がつけられているかどうかということがいかに大切かという主張と、そんなものは要らない。自分一人の悟りの完成がすなわち万人の悟りの完成につながることだから、そんなことは要らないんだということが、徳一と最澄の論争の主題だったと思います。最澄自体もそういうふうに考え、大乗経の思想はそうだということを法華経をもとにして初めて中国からそれを伝えた人だ。日蓮はもちろん最澄だけを尊重しています。ほかの同時代あるいは前時代の高僧に対してはクソミソに言って、日蓮は最澄と自分だけだというふうに言っています。つまり本当の悟りという場合の一つの条件はそれだと思います。
それからいまの言い方の続き具合で言えば、それでは万人の胸に響き、しかも万人が完成された悟りへ行けるという道をつけることは、どういうようにやったら可能なのか。その場合に法華経が主張していることは、それぞれの人々はそれぞれの場所で、それぞれの段階でいるわけだから、それに対して少しずつ導いていくというやり方、つまり通路がつけられなければ本当の悟りではないということをもう一つ言おうとしていると思います。ですから本当の悟りということで言おうとしていることはその二つだと思います。
一つは自分だけの完成ではなく、万人に通じる悟りの完成でなければだめだ。それからそれに対して道を少しずつつけていける。どんな場所にいる人に対しても、どんな境遇にいる人に対しても、そこの場所からその道をたどっていけばちゃんと最高の悟りのところへ行ける。そういう道がどういう場所からもつけられていなければ、それは本当の悟りとは言えないということを言おうとしていると思います。つまりその二つのことが、いままでの悟りは本当の悟りではなく、法華経に説かれている悟りが本当の悟りなのだという場合の「本当」という意味は、その二つに帰するのではないかと、僕には思われます。
これはキリスト教の新約聖書や何かも同じですが、法華経というのは文学で言えば一種の比喩の文学、寓話の文学といっていいものだと思います。たびたび抽象的なことを具体的な比喩で語る、具体的な物語風にして語るみたいなことを繰り返しやっています。そんな高級なことではありませんが、比喩話、比喩の物語は法華経の持っている文学性だと思えばいいと思います。別に文学として高度ではありませんが、なかなか緻密な展開をしていると言えば言えると思います。
そのたとえ話はたくさんありますが、一例だけ申し上げると、いまの段階的にどこの場所にどういう境遇にいる人にとってもちゃんと通路がついていなければ本当の悟りとは言えない。そういう通路をつけていなければだめだということの比喩話ですが、それは一人の長者がいた。長者の子どもたちが夢中になって遊んでいた。そうしたら長者の家が火事になって炎に取り囲まれてしまった。そのときに長者が険しい声で、お前そこにいたら焼け死ぬから出てこい。逃げろというふうに言っても子どもは遊びのほうがおもしろいから夢中になってちっとも言うことを聞かない。炎がだんだん迫ってきている。しかしいくら大声で叫んでも、怒っても、叱っても、子どもたちは遊ぶほうがおもしろくて夢中になって遊んでいる。どうすることもできない。
そういう場合にその長者がどうしたかというと、かねてからそういうおもちゃがあったらいいなとか、遊び道具があったらいいなと子どもたちが言っていた車があります。牛に引かせる車とか、人に引かせる車とか、鹿に引かせる車とか、車があります。いま表にお前たちが欲しいと言っていた牛車や鹿車や引き車をちゃんと用意してあるから、すぐ遊びをやめてそっちのほうに来なさいと言うと、子どもたちはそのほうで遊ぶつもりになって、ひとりでに炎から脱することができ、焼け死ぬことを免れた。その場合に長者が叱っても、強引に連れていこうとしても子どもたちは全然言うことを聞かないで遊んでいて、炎が近づいたのも全然気がつかないみたいに夢中になっていた。けれどもお前たちが前から欲しいと言っていた車をちゃんと買ってきて置いてあるから、それで遊ばないかと静かに言ってやったら、子どもたちはそれじゃ行くと言って、子どもたちはひとりでに炎を脱出して死を免れた。そういう比喩話があります。
その比喩話で何を言おうとしているかといえば、さまざまな段階、さまざまな場所、あるいはさまざまな境遇にいる人たち、万人にそれぞれの場所においてちゃんと通路がつけてあり、だれがどういうふうにやってもその悟りの頂点に行ける。そういう通路をつけることがなされていなかったら本当の悟りではないということを言おうとしています。まずその段階的ということは「本当の」という意味の大きな眼目になっていて、段階的という意味も万人に通用する段階的な悟りへの道がつけられていなければならないということは重要なことだと、法華経は主張しています。
信仰のない人から言えばどうでもいいようなこともあります。その次に第六章から九章までは自分の主な弟子たちに対して、お前たちはいまのように修行を積んでいけば未来には必ず完全な悟りの境地に達した如来というか、仏というものに必ずなれるという保証を主な弟子たちに告げるところです。これは宗教に特有なことだと思います。これこれこういう修行があり、こういう考え方をすれば、必ずお前たちは未来において悟りの完成された姿にちゃんといけるようになると、お釈迦様が保証しています。そういう保証は、宗教としてはとても必要なことになります。しかしこうすれば未来に理想的な社会へいけるということは宗教だけではなく、一般的に理念というか、イデオロギーというものは全部そういうことを言うわけで、それは宗教や理念にとって大変必要なことなので、そういうことも書かれています。
それから日蓮の法華経の読み方に近づいていくわけですが、その中でだんだんと白熱してきています。かつ断定的になってきますが、法華経のお経を護持し、つまり守り育てて、これに従って生きる道、信仰の道をたどっていけば必ず救済される。もっと極端に言えば、法華経の一つの文句でもいいから、その文句に耳を傾け、心に喜びが湧いてくる。一度でも、一つの文句でもいいからそういう体験をしたことがあれば、必ず未来には完成された悟りの境地にいける。だから法華経を守り、育てなさいということを主張します。ほかのお経はそれほど読む必要はない。法華経だけを読み、それで喜びが湧くというような法華経の言葉の聞き方がもしできるようになったら、どんな人でも必ず未来においては最高の完成された悟りへ行けるということを断定しています。
もう一つ言っていることは、法華経は悟りを求める信仰者からいうと、とてつもないことを言っているものだから、これを守り育て、また他人に説いたりする人は必ず迫害を受けて苦難にさらされるだろうということを言っています。しかしそれを耐え忍ばなければいけない。あるいは耐え忍べばほかのどんなことも必要でないので、寺院を建てることも、僧侶になることも、僧坊をつくることも、供養することも何も要らない。そうすれば必ず未来は完成された悟りの境地にいける。だから苦難に耐えなさいということを説いています。このへんが、日蓮が一番真剣に読んだところだと思います。
つまり自分が法華経の信仰を説いたために、そして法華経の信仰に従わないから、当時は元寇の役がちょうどその時代ですから、元の国の軍勢が日本に攻めてくる。つまり法華経の信仰が薄いから、社会的にいえば国難に出会っているわけだし、内でいえばへんてこりんな宗教がはびこっている。へんてこりんな宗教という場合に日蓮が一番目の敵にしているのは法然や親鸞たちの浄土系統の思想ですが、いい加減な信仰者がはびこってでたらめなことを言っている。それはなぜかと言えば、法華経を信仰しないからだと、日蓮は説いています。
自分はそれを説いたために幕府に捕まり、たとえば龍の口で斬首刑に処せられようとしたり、何回も捕らえられたりしていますが、こういうふうに自分が苦難に遭っていることは法華経が予言していることを自分の身にいま実行していることを意味しているということが日蓮の考え方です。つまり自分が法華経を護持しているためにこういう苦難に出合い、同時に社会国家はこういう国難に出合っている。それはまさしく法華経に書かれているとおりになっている。書かれているとおりの苦難を受けているのが自分なのだと言っています。
これは勧持品の引文に書かれているわけで、そういう法華経を護持する人は苦難に遭い、切られようとしたり、迫害を受けたり、軽蔑されたり、悪口を言われたりすると書かれていますが、日蓮は、自分が体験していることは勧持品に書かれているとおりではないか。言い換えれば自分は法華経を体現している人間なのだ。法華経を体現している人間とはだれかというと、伝教大師(最澄)だけであり、最澄の前は中国の天台宗の宗祖である智顗がいますが、智顗と最澄と自分だけがそれをちゃんと護持している。なおかつこれを護持することで法華経の予言を読みえて、自分が本当にそういう境遇になって読んでわかったというふうにわかったのは自分だけだ。信仰とか知識から言えば天台大師も最澄も、自分に比べれば何千倍もすぐれた仏教者だけれど、その点に関してだけ言えば自分だけが法華経の勧持品を読めている人間だと言うことができるというのが日蓮の考え方の要です。それがまた日蓮の自負であり、日蓮が高揚している理由です。
宮澤賢治もそうですが、たとえば僕らが知っている岡本かの子もそうですし、政治家みたいなもので言えば北一輝みたいな人も法華経の信者ですが、そういう人たちは一種独特の高揚された、白熱した精神状態みたいなものに必ずなっています。そういう熱烈な信仰が熱烈な信仰の狂喜を生み、信仰の狂喜が熱烈な信念となって生涯を貫く。そういう法華経信仰者の例がありますが、その例は日蓮自体が体験している高揚した感じに信念とか信仰が同化したことがとても大きいことではないかと思われます。
僕はそう思いますけれど、日蓮は勧持品を中心にして法華経を読んだ人です。それからまたそれで自分の考え方の主張をした人です。それでは宮澤賢治の生涯はどういうふうに法華経を読んだのだろうかと考えてみると、十四章に安楽行品というのがあります。たぶん宮澤賢治はこの安楽行品を中心に法華経を読んだと思われます。安楽行品はどんなことが書かれているかというと、宮澤賢治にまず一番こたえただろうということは、要するに芸術文学はだめだから、ああいうものには近づくなということがはっきり言われています。芸術文学とか、娯楽とか、遊戯とか、賭博みたいなものもそうでしょうけれど、そういうものには近づいてはいけないということがのっけから書かれています。それから女の人に近づいてはいけないということものっけから書かれています。
そうすると先ほど言いましたように宮澤賢治にとって法華経に帰依した時期と、短歌をつくりだした時期、つまり文学文芸というものにのめり込んでいった時期とは同じです。ですからこの安楽行品は、宮澤賢治は自分の文学的な出発の始めから読んでいます。どの程度どういうふうに身にこたえて読んだかということは後年に至らないとなかなかわかりませんが、文学あるいは詩歌をつくり始めた初期からすでにこの安楽行品は読んでいるわけです。ですから極端に言うと、お前は法華経の信仰を取るのか、それとも文学芸術とか、娯楽とか、女の人に近づくとか、そういうことを取るのか、どちらか選ばなくてはいけないということは当初からちゃんと読んだはずです。
これはいろいろな解釈ができますが、少なくともこの中で女の人に近づくなというのだけは、たぶん生涯宮澤賢治は守ったわけです。その守ったのは安楽行品の言うとおりに従って守ったのか、あるいはそうではなくてさまざまな偶然が折り重なって守ったのか。あるいは資質的にあまり女の人に関心がないという資質だったのか、それはなかなかわかり難いことです。また、それはよくよく分析し、よくよく研究していかないとなかなかわからないことだと思います。
宮澤賢治にはその手の逸話はいくつかあります。逸話ですから嘘か本当かわかりませんが、生涯のうち精液を体外に一度ももらしたことがないのは、世界で三人しかいない。自分はその一人だと、友だちに言ったという逸話も伝わっています。その逸話を真実というならば、安楽行品に従って禁欲を生涯において守った。つまり法華経の信者あるいは行者として戒律を守ったということになるでしょう。しかしそれは逸話ですから本当かどうかはわかりません。そんなことを言わないで、女の人はもともと好きではなかったのかもしれませんし、それはわからないことです。しかしそれを守ったことは確かなことです。
ただ、文学芸術については生涯守りえていないわけです。これもまた逸話が伝わっています。つまり臨終に際して父親に遺言していわく、自分が書いた原稿や何かは全部自分の迷いの跡ですから、これは捨てるなり何なり自由に処分してくださいと、父親に言って死んだという逸話が伝えられています。その逸話を信じるならば、法華経の信仰、特に安楽行品の戒律に従い、最後には守ろうとしたのだということになると思います。しかしこれもまた逸話であって、本当かどうかわかりません。
もし客観的に見るならば、法華経信仰者としての宮澤賢治、つまり宗教家としての宮澤賢治と芸術家として、詩人あるいは童話作家としての宮澤賢治とどちらを偉大だと思うかといえば、僕などは詩人、童話作家、芸術家としての宮澤賢治のほうを偉大だと思いたいところです。しかし宮澤賢治自身がそう考えていたかどうか、またこれも研究、分析の余地がたくさんあるところです。文学が好きな人、あるいは文学者が宮澤賢治を論ずると詩とか童話のほうから論じますし、科学者が宮澤賢治を論じますと、宮澤賢治の科学的な素養のほうから宮澤賢治の世界に入ろうとします。それからまた仏教の信仰者あるいは仏教に関心の深い人が宮澤賢治を論じようとすると、やはり法華経と宮澤賢治とかいうようなかたちから宮澤賢治の世界に入ろうとします。
つまりいずれもさまざまな入り方があるわけですが、どれが宮澤賢治が本当に考えていたのかということとはあまり関係がないことのように思われます。ただ、漠然とした印象を言いますと、僕などの主観的な好みと少し違って、宮澤賢治は宗教家としての自分、法華経の行者あるいは信者としての自分というもの、あるいは宗教家としての自分というものを一番重要だと考えていたのではないかという感じがするような気がします。非常に曖昧な言い方をしますけれど、そういう感じがします。これはよくよく確かめてこれから研究がされていかないと、好みでしか論じられていませんからなかなか決められないことだと思いますけれど、どうもそうじゃないかと思えて仕方がないところがあります。そこはまだ確定できないことですが、宮澤賢治が一番引っ掛かって法華経の肝心なところでぶち当たったとすれば、安楽行品というところでぶち当たったということが言えるように思います。
そうするとここでは文学芸術、あるいは娯楽のたぐいもそうですが、そういうものを真っ向から否定しています。そんなものに近づくならば法華経の信者にはなれないと言っています。法華経とは非常に高度なもので、大変すぐれた人、菩薩にだけ説くべきお経だ。そういう高度なものだから文学芸術みたいに少しでも遊びの要素、あるいは快楽の要素が含まれているものに近づこうという心境にあっては絶対に法華経の信者にはなれないというのが、法華経が説いている、安楽行品が説いているところです。ですから宮澤賢治はここにぶつかっているわけです。しかし自分は思春期にこれを初めて読んだときにすでにぶつかり、まだ死ぬまで文学芸術をやめられなかったわけですから、そうならば何らかの意味でこれに対する解決とは言えないまでも、何らかの意味の考え方が宮澤賢治になくてはなりません。
それが一番はっきりと出てくるのは『マリヴロンと少女』という童話だと思います。『マリヴロンと少女』のどこにその問題が出てくるかというと、宗教と芸術と何が違うかということです。マリヴロンは童話の中では女のすぐれた声楽家です。少女は、近くアフリカへ行くという牧師の娘で、ただの娘です。それでマリヴロンのファンであるわけです。私も一緒に連れて行ってくれないかというふうに、マリヴロンに言うわけです。どうしてかというと、あなたは大変立派な人で、あなたは芸術で万人に対して慰めを与えたり、悲しみを癒したりという大変すぐれたことをしている人だ。自分は、あなたのそばにいつまでもついていきたいから、そばに置いてくれないかと言います。それに対してマリヴロンは、自分がそんなすばらしい仕事をしているというふうには、自分には思えない。自分が声を出して歌って人々を慰めるとしても、それは十分か十五分の間だけだ。つまり歌っている間だけが、自分が万人に対して慰安を与えられる時間なんだ。あとは何でもない。それに比べれば牧師の娘であるあなたはアフリカへ行き、父親と一緒にその土地の人たちに手助けできるというのだったら、そのほうがはるかに立派な仕事だと言います。しかし少女のほうは納得しない。自分はどこからも光の当たらないただの娘にすぎない。それに対してあなたは万人が仰ぎ見るような人で、あなたが歌えばその歌の光はみんなに当たり、みんなが悲しみを慰められる。だからあなたと私とは違う。
そこでマリヴロンが言うことですが、そうじゃないんだ。芸術とはそういうものではない。どんな人でもみんなが自分の生活してきたそのあとに、鳥がその跡を残すように、だれでもが芸術を残している。それは取り立てて言葉にするとか、音にするとかいうのではないけれど、生活それ自体でどんな人でも自分の通ってきた跡にはちゃんと芸術を残している。人々はそれを見ないだろうけれど、自分はそれを見ることができると、マリヴロンが言う。ですからあなたも自分の後ろにちゃんと自分の芸術を残してきている。生活それ自体において芸術を残してきている。だから私とあなたとはちっとも変わらないんだと言います。そういうように言いますが、少女のほうは納得しない。それはどうしてかということは非常に簡単と言ったら簡単なことで、政治家になりたい人が内閣総理大臣に対して憧れを持つのと同じで、あれは自分よりも偉い人で、自分よりも立派な人で、国を治めたり、人々を幸福にしたりすることに寄与している。人々の生活を改善することに寄与している。あれは自分より偉いんだと思うのと同じことで、芸術なら芸術に関心のある人にとってそういうふうに見えるということがあるわけですから、そう見えるのは間違いなんだと言われても、いい気なことを言うなと言われるとそれまでのことです。つまりお前には芸術家になりたいけれど、なれないでいる人間の苦しみなどはわかりっこないと言われてしまいます。
少女はそれと同じことを言うわけです。しかしマリヴロンの考え方によれば、そうじゃない。だれでも生活を通ってきたあとが芸術なので、それを残してきているんだ。こういう一種の芸術観ですが、それを語るわけです。しかしそんなことをいくら言っても、もちろん少女のほうは納得しない。やはりあなたと一緒に行きたいから連れていってくれと言います。そこは宮澤賢治の解決した考え方だと思いますが、それに対してマリヴロンは、あなたが何かを考えるとすれば何でもいい。私のことを考えるというのでもいいし、芸術のことを考えてもいいし、生活のことを考えてもいいけれど、あなたが立ち止まって何かを考えているときには、その考えているそこに私はいつでもいるんだと、マリヴロンは言います。
この言い方は安楽行品ないしは法華経から言うと、その言い方は宗教に属します。つまりちゃんと道はついている。その道は万人についているということを言っています。芸術にはそういう作用はないので、どこがないかといえば、芸術は芸術をつくる人がいて、それを受け取る人がいます。つくる人と受け取る人の間には無限の空間があります。また、無限の障害もありえます。つまり異なった環境、異なった生活の中にあるとすれば、ある人がつくった芸術がその人には全然通じないとか、受け取り方は全然違ってしまった。いい芸術だけれど、それはその人にとってはちっともいいと思えなかったという受け取り方になってしまった。芸術はそういうことを免れない。作者、芸術家はこういうふうにつくった。そのモチーフはこうなんだと考えてつくったとしても、それを読む人がそう受け取るかどうかはまったく自由であるし、まったく別のことになってしまう。その間には障壁もあるし、無限の空間もあります。それはちっともわからない。それをどう受け取るかということと、どうつくるかということとはまったく違うことに属します。
つまりそこにいつでも私はいるんですということは、芸術からは言えない。あなたは私の書いたもの、私のつくったものを読むことによってあなたなりの受け取り方がありうるだろう。それはもしかすると役に立つかもしれない、くらいのことは言えるかもしれないけれど、それ以上のことは芸術には言えない。俺の芸術を読んだら、お前は天国に行くぞとは言えない。またお前は必ず心が清められる、みたいなことも言えない。必ず救われるぞということも言えない。救われるか、堕落するかということは、芸術をつくった人からはまったくわからない。万人の受け取り方はすべて違うし、それを読む人と、それをつくる人との間には無限の障壁があります。
だから芸術の立場はいつでもそうですが、どう受け取られるか、あるいはどう受け取るかということについてまで干渉することができない。つまりこう受け取れと言うことができない。それは言ったらまた嘘になってしまいますから、そう言えない。それは芸術の立場なので、たぶん宮澤賢治はそこまでは解いた、解決したと思います。
芸術と宗教と何が違うかというと、宗教が本当に宗教であるならば、お前が何か考えたり、悩んだり、あるいは芸術のことを思ったりしたら、そのところにはいつでも私はいる。宗教はそう言えなければ宗教でないということになります。それ以外にまた宗教が人を教化することはできないので、あなたが悩んだり、考えたり、立ち止まったりしたとき、その場所に私はいつでもいる。現実の体を離れていたりしても、ちゃんといるんだ。そういうふうに考えてくれていいと言えるのは宗教の立場だと思います。宗教と芸術の違いはそこだけなんだというところまでは、宮澤賢治は追い詰めていったわけです。それが宮澤賢治の安楽行品の読み方だと思います。安楽行品はまったく芸術、文学を否定していますが、宮澤賢治は矛盾を持ちながら両方をずっと生涯やってきたわけです。どういうように解決したかというと、いま言いましたように、そこまで追い詰めて解決したと思います。
もう一回言えば、書く人だけが、あるいはつくる人だけが芸術家ではない。どんな人でも生活していることにおいて、その後ろにちゃんと芸術を残してきているという言い方で、特別芸術のつくり手の専門家というものと、そうでない人とのただの生活人、芸術家ももちろん生活していますが、生活に打ち込んでいる人、専念している人との違いは芸術にとって何もないということを理念として一つ言っています。それからもう一つは、芸術はつくるものと、それを受け取るものといつでも一緒にいることはできないけれど、受け取り方、つくり方はさまざまあって、それはどうすることもできないことだけれど、宗教だとしたら、受け取る人が考えているところにはいつでもそこにいる。あるいは悩んでいることがあれば、悩んでいるそこにいつもいる。それが宗教なんだという解決の仕方をしていると思います。
伝説によれば、偉い宗教家というのはみんなその手のことを言います。たとえば新約聖書の主人公であるイエス・キリストはどういう場面で言っているかというと、日蓮などとよく似ているのですが、お前たちがもし私の死を信ずることによって迫害を受けたりしたとしたら、二人で迫害を受けていたとすれば、私がそこに一緒にいると思えという言い方をしています。また一人で迫害を受けたりしているとしたら、私が必ずいるから二人と思え。私は必ずそこにいると思ってくれと新約聖書の中で言っています。
それからこれはまた伝説なので、僕はそんなことは言っていないだろうと思いますが、親鸞にも伝説があり、親鸞は遺言みたいなことの中で、「一人いて喜わば、二人と思うべし、二人いて喜わば、三人と思うべし、そのひとりは親鸞なり」と言ったという伝説があります。僕は親鸞というのは、日蓮と違ってそういうことは言わない人だと思います。徹底的に自分を普通の人、普通の人とした人ですから、信仰というのも普通の人のためにしか信仰はないと思っていた。煩悩あふれる人にしか信仰はない。そういう人のためにしかないのだからと言うから、そんなことは言わないだろうと思うけれど、そういう伝説はあります。
法華経は明らかにその問題を安楽行品で掲記していますし、また日蓮の眼目としては勧持品の中で、法華経を守ろうとしている行者は必ず迫害を受けたり、苦難を受けたり、あるいは刀で切られたり、そういうことがあるんだということを言っています。日蓮は、事実俺はそうなっているじゃないかと言っています。つまりそういうことを宗教は必ず言うものだと思います。そのへんが法華経の眼目なわけです。宮澤賢治が法華経をどう読んだか。一番矛盾が多いところとして読み、またそれをどういうふうに解いていったらいいか考えていったのは、そこだと思います。宮澤賢治に『農民芸術概論』という文章がありますが、それを読んでも『マリヴロンと少女』で追い詰めていった芸術観と同じところへ帰着していっています。そのへんが宮澤賢治の追い詰めた最後のところだと思います。
最後のところで宮澤賢治は、芸術の専門家、『マリヴロンと少女』で言えば声楽家ですが、これと普通の生活人、声楽家でもないし、芸術を志しているわけでもない、普通の生活人というものの違いに対して解決をしたかどうかということになります。宮澤賢治の考えの側から言えば、解決したように思われます。たとえば皆さんが芸術に志していない人だとしたら、やはりそれでは解決にならない。やはり何となく他人がちやほやしてくれたりしている。ちやほやしてくれたことに対して、お前はいい気持ちになったことがないか。ないと言ったら嘘だろうと言うだろうと思います。しかし俺はだれからもちやほやされたことはない。少なくとも芸術に関してそうされたことはない。しかしお前はそうじゃない。ちやほやされたことがあるじゃないか。いや、ちやほやされたというふうに他人には見えても、俺はちっともうれしくなったことはない。こういうようにいくら言っても、それは嘘だろう。無限にその打消しはできるわけです。そういう意味合いから言ったら、宮沢賢治が解いていった宗教と芸術の関わりあいの問題はちっとも解決したことになっていない、と言えると思います。依然としてそこのところは残っていると思います。ここにはたくさんの問題があります。なぜ、芸術が分業化された専門家の仕事になってしまったかということがひとつ。そして、専門家の芸術になってしまった芸術が、それによって金銭を得る――ぼくも得ているわけですが――ことになってしまったか、という問題があります。これは外側からも内側からもあります。外側からというのは、近代社会ないし、現代社会というのはなぜそういうふうに芸術を万人の創造という段階、昔の伝説とか民話は村の人たち一人ひとりがつくり手みたいなもので、それは一緒に語り継ぎながら一つの物語ができあがるというのは物語の始めですから、そのときには別に専門家というのはいなかったと考えていいわけですが、だんだん社会が近代社会、現代社会というふうに進んでいくに連れて、それが専門化してしまった。専門の修練みたいなものをした人が専門家になってしまった。専門家はそれだけでとどまり、それで慰めたり、苦悩を和らげたりということだけをしているのかというと、それでお金をもらったり、それで生活をしたりするということになっている。これはどうしてだろうかということは、社会的なさまざまな要因からも解いていかなければいけない問題です。それから専門家といってもそうは思っていないし、そんなことは他人が褒めたってけなしたってどうとも思っていないと、本人が言ってもだれも信じる人はいない。そんなことを言っても多少毛の先ぐらいはいい気持ちになったりすることがあるだろうと言われて、それはまたなかなか否定することはできません。
そこの問題は、宮澤賢治は解いていないと思います。そこは解けないので、それこそ法華経に違反する、大乗経に違反することですが、自分では解いたかもしれない。初期のころは童話作家として生活して食べようと思っていましたが、それはある段階から考え方それ自体をやめてしまったわけです。ですから自分一人では何となく解決したような生き方をやっとしたということは、宮澤賢治自身については言えそうな気がします。そして死ぬときに、これは迷いの跡だから捨ててしまってくれと言ったという伝説があるくらいですから、自分個人では解決したのでしょうけれど、だれにでも通用するほどには解決していないと思います。そのへんが宮澤賢治の追い詰めた最後のところのような気がします。
芸術あるいは文学と宗教というものとの同位性、同じということと違いというのはどこかについて宮澤賢治が追い詰めた最後の地点だと思います。しかしそれは少しも解決しているというふうには言えないと思います。このことは急速には解けないだろうと思います。僕の考え方で自分なりに一歩だけ解決に近づくことをしていると思うことを申し上げてみましょう。その問題はたとえば生活人のほうから言えば、他人から褒められたりけなされたことも含めて自分の名前を公にさらしたりしている。そういうことをしているのは内心では気持ちがいいだろう。俺はそんな気持ちのよさなんかちっとも味わったことがない。それは歴然と違うじゃないか。こういうように言われたとします。宮澤賢治と同じで、それは違うんだ。それは芸術というものを間違えている。そうではなく、どんな人だって生活の軌跡において芸術をみんな残してきている。それは目に見えないだけなんだという言い方がその次になされる。いや、そんなことを言っても『マリヴロンと少女』の少女と同じで、そんなことを言ってもそういうことをすっきりと言えないだろう。お前は多少でも他人の視線を感じていい気持ちになっているところがある。しかし私にはそれはない。いや、そんなことはない。この論議の仕方は無限に続き、解決はつかないだろうと思います。
僕が考えたことで言えば、その問題自体、芸術と生活ということ自体、あるいは芸術家と生活人ということの違いの問題も含めてそうですが、一つの問題は行きの目と帰りの目で見ると、それが違って見えるということがありうると思います。一つの事柄は行きがけで見る目と帰りがけで見るという見方をすると、同じものが同じように見えるとは限らないということが、その問題に対する僕なりの解決です。僕なりにわずかに解いているところはそのへんのところです。それ以上のことは解いていないわけで、そういう意味合いでは、僕は法華経というのはあまり好きでない。一種の自己絶対化というのがありまして、好きではない。やはり親鸞のほうが好きですね。要するに俺はそうだよと言ってしまう。そういうことはいい気持ちになっているだろうと言われて、親鸞はちゃんと言っているわけです。どういうことで言っているかというと、自分は名利が欲しくて自分は人師のふりをしている。人師とは人の先生です。人師を好んでいるのは名利が欲しくて人師を好んでいるのだという言い方を自分でしています。別にしたからと言って、それで親鸞は居直っているわけではないけれど、そういうふうに人間は相対的なものです。また自分もそうですという言い方をしていると思います。このほうが僕らみたいな凡夫にはピタリとくるような気がします。
しかし宮澤賢治がやろうとしたことも、法華経が要求していることも非常に高度なことです。法華経は菩薩に対してだけ説くお経であって、高度なものだからだれにでも説いたりすると誤解したりだめになったりするから、だれにでも説いてはいけない。これは菩薩に説くべきお経だといって、菩薩であることが前提だというふうになっています。ですから非常に高度なことを要求していると言えます。嘘がないということは前提になっていますが、嘘がないと言った瞬間にまたその裂け目を生じて、そこからまた嘘が発生するということになっていると思います。これが近代以降における人間の信仰とか芸術とか文学が当面した大きな問題です。つまり自己意識の裂け目というものがどうしても出てきてしまう。自分のほうも出てきてしまうし、外からの要因でも出てきてしまうけれど、それは文学芸術にとっても信仰にとっても非常に重要な問題だということだと思います。
そういう問題について宮澤賢治はあくまでも自分を聖人、菩薩にするという考え方、あるいは菩薩にするという精進、励み方とか、道の求め方をやめたことがない人です。生涯やめなかった人です。生涯自分は人間を超えられると考えた人です。それからこの現世を超えられる。つまり現世を超えて、仏教でいうとあの世、涅槃ですが、無常の道、最上の道ですが、現世を超えて最上の道のところへ行けるということを宮澤賢治はあきらめたことがなく、生涯にわたってその精進をやっている。ちっともあきらめていない。そして自分だけがそこに到達するのではなく、万人を連れてそこへ行きたいというのが宮澤賢治の最後まで残っていた願いであるし、またそれを実行した人です。自分が実現しようと思って精進潔斎を怠らなかった人です。ですから自分なりに道を遂げていった人ですが、それが宮澤賢治にとって法華経の読み方として一番重要なところだと言うことができると思います。
宮澤賢治の宗教的な意味合いを含めた童話作品はたくさんありますが、それは単に主題が宗教的だというのから、一種の教化、教訓を含んだ童話だというのもあります。『マリヴロンと少女』もそうだし、一番傑作だと思える『銀河鉄道の夜』みたいな、別に人を教化しよう、お説教しようということは何も含んでいないけれど、人々をどこかへ連れて行く力があるみたいな作品に至るまで、安楽行品の中で突き詰めた芸術についての考え方を自分なりに無意識のうちに実現しようとしたものだと思われます。特に『銀河鉄道の夜』みたいなすぐれた作品はたぶん意識的に人を教化し、万人を教化しようということは通用しないところで、無意識のうちにそれが自分のものとなってしまった作品だと思います。それが宮澤賢治の宗教と文学ということについての場所だと思えます。
ところで宮澤賢治にはもう一つ肝要なところがあります。それは倫理ということで、いじめられている者とか、弱い者とか、ひねり潰されてしまうような動物とか、それから残酷な扱いを受けている人間、動物に対する何とも言えない同情というと何となく薄っぺらな気がしますが、もっと複雑な一種の倫理観があります。それは宮澤賢治の大きな特徴だと思います。それはどんな作品でもそう言えそうに思いますが、たとえば『なめとこ山の熊』でもいいし、『烏の北斗七星』でもいいし、『双子の星』でもいいですが、あるいは『猫の事務所』でもいいのですが、一種の弱者に対するシンパシーがあります。それはどこから出てくるのかというと、法華経の第二十章のところに常不軽菩薩品があります。それが宮澤賢治には倫理観として大変引っ掛かったところではないかと思います。
これは常不軽菩薩という菩薩がいて、その菩薩はごく普通の人に会うと、必ず手を合わせて礼拝をして、あなたはやがて菩薩になられる方ですと、どんな人と会ってもその人を礼拝して言う。そういうことをして別に修行をするわけでもないし、法華経を読むわけでもないし、結跏趺坐するわけでもない。そういう人だけれど、人に会うとどんな人に会っても必ず礼拝し、あなたはやがて菩薩になられる立派な方ですと言うのが、不軽菩薩の日常の行い方です。そうすると僧侶仲間も、あいつはちっとも修行をしないで変なことばかり言っていると思いますし、あなたはやがて菩薩になられる人ですと拝まれた人も、気持ち悪いことを言う、「何言っているんだ、この坊主は」と軽蔑される。それで両方から軽蔑される存在だけれど、この常不軽菩薩はそれ以外のことは何もしないという菩薩です。しかし読みますと、それは私だと言っている。常不軽菩薩とは私だった。つまりお釈迦様、法華経の一人称ですが、私は常不軽菩薩だったんだと言っています。これがたぶん宮澤賢治の倫理観をものすごく大きく動かした基になっていると思います。
どういうところでその問題が一番高度な問題として発揮されているだろうかと考えてみると、高度でない場合もあります。たとえば『オツベルと象』みたいに、象が過酷に扱われて、農場でめちゃくちゃに使い込まれてくたびれてしまい、最後に象のほうが怒りを発してぶつかってきてしまう。そういう倫理の描き方もしています。つまりいじめられたり、さげすまれたり、過酷に扱われた人たちが我慢に我慢を重ねて耐え忍んでいるけれど、最後には我慢ができなくなって一挙にやってみんなぶち壊してしまう。そういう倫理の描き方も常不軽菩薩の最後のところまでそうだったということを抜かして、最後のところは怒りだしてしまったというところまで描いているということで言えば、常不軽菩薩も最後のところまでは行かなかったけれど、その手前ぐらいまでは倫理を生かしてそこに描いています。
さまざまな弱者の描き方をしていますが、一番高度な描き方は『銀河鉄道の夜』という作品で例を挙げると、お読みになった人はご存じだと思いますが、『銀河鉄道の夜』の中で鳥を捕る人が乗り込んできます。ジョバンニとカムパネルラのそばに寄ってきて、あなたたちはどこまで行くのですかと言って、切符をジョバンニが出して見せると、これはすごい切符だ。どこまでも行ける切符だ。すごいなと言います。そして自分が捕ってきた鳥はおいしいから食べてごらんなさいといって食べてみて、また降りていって、鳥を捕ってきてはまたやってくる。ジョバンニとカムパネルラのほうはちょっと迷惑そうな感じです。あまり気さくで人がよくて、自分勝手な話し方をしてくるので、ちょっと迷惑そうな感じをもってそれを受け止めていますが、振り返るといつの間にか鳥を捕る人は汽車の中からいなくなってしまう。
いなくなってからジョバンニは感じるところがあって、どうも自分はあの鳥を捕る人に対して気分の上で邪険なような扱い方をしたような気がする。本当はもっとちゃんと対応してあげるべきだったと思うのに、そうではなくてばかにしたわけではないけれど、何となく侮ったような、疎ましい感じで鳥を捕る人が、あんたはすごいとか言ってくれて、それを迷惑そうに感じたり、そういう感じ方で受け止めた。しかしこの感じ方はだめなので、自分はあのときにもっとちゃんと向き合って鳥を捕る人に対応してあげるべきだったと考えて、カムパネルラにそう言うところがあります。カムパネルラのほうも、自分もそういう感じがしたというふうに言うところがあります。それはだれでもがとてもよく日常体験していることです。
別段意識してばかにしたわけでもないし、侮ったわけでも何でもないけれど、何となくうるさいなと思って生返事して聞いていたりということは万人にあります。その万人にあるそれをもう一度内省的に振り返ってとらえ、やはりこういう対応の仕方はだめなのだ。本当の対応の仕方はきちっと鳥を捕る人とちゃんと対応をする。そういう対応の仕方をすべきだったとジョバンニが思うところがありますが、たぶんこれは常不軽品で描かれている倫理観を宮澤賢治が自分の身につけて、表現の中に持ち出したところだと思います。
これは一見何気ないように見えますけれど、さっきの宗教と芸術というところの問題にもつながっていくわけで、鳥を捕る人というのは本当に何でもない人です。別段信仰のある人でもないし、すぐれた人でも何でもない。つまりずるさも持っているし、人のよさも持っているし、機敏さも持っている。それから軽さも持っているし、一種の生活感情もちゃんと持っている。ごく普通の人ですが、こういう人にあるとき自分と合わない波長のところで何か積極的にかかわられたときに、うるさいなとか面倒だなと思う心境はだれでも日常体験するところですが、宮澤賢治の倫理観によれば、それはだめなんだということになる。
それは最後の一番高度な倫理観で、どこに源泉があるかと言えば、法華経の常不軽菩薩品の中の、だれに会っても礼拝をする。礼拝をすること自体を、他人に侮りを与えられても、軽蔑を与えられても変えないし、自分の仲間たちからも、信仰者としてもだめなんだと侮られても変えない。その常不軽菩薩の行い方というものの中から受け取った受け取り方が、何でもない人に対する鋭敏な倫理観というものとして一番よく現れていると思います。だれにでもわかるような差別に対する同情とか倫理観は宮澤賢治の作品の中にもありますが、最も高度にその倫理観が表れているのは、たぶん『銀河鉄道の夜』の中におけるジョバンニが鳥を捕る人に感じた倫理観です。やはり対応の仕方がいけなかったんだ、無意識にそう対応したこともいけなかったということです。そこまでこぐっていくのは、宮澤賢治の倫理観にとってたぶん最後の問題だったと言うことができると思います。それは宮澤賢治が法華経の二十章から受け取った問題だと思います。
たとえば良寛という近世江戸時代のお坊さんがいますが、良寛もこの常不軽菩薩品にはとても引っ掛かった。つまりとても重要なものだと考えています。これは宮澤賢治だけではありませんが、宮澤賢治はやはりこれをとても重要な眼目と考えたと思います。これと先ほど言いました安楽行品を主体にして法華経を読むというのが、宮澤賢治の法華経に対する独特の読み方だと言ったらいいのではないかと思います。
いまもありますが、当時すぐれた宗教者で田中智学という人が国柱会をつくって盛んに布教していました。日蓮宗の中から出てきて日蓮宗の改革みたいなことを考えた人ですが、田中智学の影響を受けて、宮澤賢治は若いときに国柱会に入ります。下足番でも何でもしようと考え、そういうふうにやりますが、僕の理解の仕方では、だんだん田中智学を離れていったと思います。
日蓮の法華経に対する独特の理解と、日蓮宗の宗祖としての大きな器があるし、すぐれた見識、考え方がありますが、宮澤賢治は初めは田中智学を介して、日蓮を介して法華経を読むという読み方をしましたが、だんだん直接日蓮を介してという読み方になっていき、たぶん一番あとのころは自分が法華経をどう読むかということについて、法華経と直接対面し、法華経に対する独自の理解の仕方を最後にはやったと思います。それがたぶん宗教家としての宮澤賢治の自負だったし、また宮澤賢治がやったことのように思います。宮澤賢治の考えたことは、一つはいま申しました安楽行品の問題と、実践的に言うと常不軽菩薩品の自分なりの理解の仕方で咀嚼したということがあります。
そして日蓮ともう一つ違うところがあるとすれば、科学と宗教ということがあります。科学と宗教はどういうところで合致することができるだろうか。迷信でもないし、単なる信仰でもない。つまり科学と対立する意味での非合理な、あるいは超合理的な意味での宗教でもないし、科学と折り合うことができる宗教はあるだろうかというのが、宮澤賢治の最終的に考えたところだと思います。それは法華経を離れるわけです。法華経には科学という概念は入ってきませんから、信仰という概念も神通力という概念も入ってきますが、つまり超能力的なことも入ってきますが、科学ということは入ってきません。宮澤賢治は文学と宗教、芸術と宗教、あるいは倫理と宗教ということでしたら、たぶん法華経の独自な受け取り方から自分なりに体得したものを持っていたわけですが、科学と宗教とはどうやって合致できるかという問題は、残念ながら法華経の中にはしかるべき解決の糸口も本当の意味ではありません。そこは宮澤賢治が考えに考え抜いたところだと思います。
それは皆さんが『銀河鉄道の夜』をご覧になれば、初期の遺稿の中で、つまり一等最初のかたちの中にブルカニロ博士という登場人物が出てきます。たぶん宮澤賢治の科学と宗教についての考え方の八割方を体現している人物だと思います。この人物は、賢治は後々『銀河鉄道の夜』の原稿を変えていきますが、変えていく中でいなくなってしまいます。つまり抜いてしまいます。抜いてしまうということはたくさんの意味があるでしょうから、またこれもきっと研究とか分析とかの対象になりうることでしょうけれど、ごく常識的なことで言えば、ブルカニロ博士の口から言う科学と宗教についての考え方に対して、最終的には納得がいかなかった。これが解決だとは思えなかったということが、僕はあるのではないかと思います。
そこのところで言っていることで僕が好きな言葉があります。それは本当の考えと嘘の考えを分けることができるならば、宗教も科学と同じになるんだという言い方をしています。どうしたらそれを分けることができるのかということに対して、宮澤賢治がブルカニロ博士に言わせているのは、実験によって本当の考えと嘘の考えを分けることができるならば、科学も宗教と同じになってしまうという言い方をしています。その博士にジョバンニが、どうやってそういう方法を見つけたらいいのかと尋ねますが、ブルカニロ博士は、いや、自分も見つけているところなんだ。ただ、言えることは一心に勉強しなければいけない。勉強しなさいということだけなんだと、ブルカニロ博士が言います。そこのところで途端に宮澤賢治の考え方は途絶えてしまいます。
本当の考えと嘘の考えを分ける実験とはどういう実験なのかということについては言うことができないし、まただれも言うことはできないでしょう。そういう問いの発し方をすると、たぶんだれにもそれを解くことができないのではないかと思います。しかしそういう宮澤賢治の問い方は、本当の考えと嘘の考えということについての考え方としては、普通の考え方よりも一歩だけは進めていると言うことはできると思います。一歩だけは進んでいる。とにかく実験の方法さえ決まればいい。
その実験の方法は何かということになります。それは皆さんも求めているように、僕も求めているわけです。それがあったらあらゆることが楽で、わかってしまいます。つまり主観的にそう思っているとか、あの人は違う考えを持っているということではなく、どんな人がどんな立場から考えたって疑問の余地がないという考えが本当の考え方とすれば、それがわかったらもう言うことはない。一遍であいつはだめとか、三割だめとか、五割だめ、あるいはいいとか、九割いいとか言える。あの国は四割しかよくないとか、あの国は七割いいとかいうのもスッと言えますから、その実験の方法さえわかればいい。
そういう言い方をなお進めていって、もう少し宮澤賢治流に言えば何かと言ったら、自分自身が一心に勉強して、本当の考えと嘘の考えを分けられる。自分自身がそういう実験装置になればいいということが一つあります。自分がそうなればいいのではないか。一心に勉強したらなれるかもしれない。なったらもうそれで文句ないだろう。自分を通過すれば嘘か本当か、全部わかってしまうというふうになるから、自分もそうしてしまえばいい。そういうふうになるか、そうでなければボタンを一つ押したら本当の考えと嘘の考えが七割とか三割とか、ちゃんと出てくる。そういう装置をつくればいいのではないかということになります。どちらかしかないと思います。差し当たって宮澤賢治流に考えていくと、それしかない。しかしそれは可能かといったら、宮澤賢治のときもそうでしょうけれど、いま考えたって、それは両方とも不可能なような気がします。ですからこの問い方は不可能な問い方には違いないのではないか。
僕などの考え方ではそうなります。つまりこの問い方は不可能な問い方なのだ。しかしたしかなことを言っているのは、それが不可能であるか、可能であるかは別として、本当の考えと嘘の考えを分けられる装置をつくるか、装置自体になってしまうかということができればいいのだろうということまでは、宮澤賢治はその問題を追い詰めていったと思います。この追い詰め方は大変真剣な追い詰め方のように思います。つまり僕らの追い詰め方はときどき休んだり、遊んだりして、思い出してはまたそこに行ってという追い詰め方しかしていないからいい加減ですが、宮澤賢治の場合はたぶんそれで一生を棒に振った。棒に振ってそこまで追い詰めていったと思います。それは宮澤賢治なりに最終のところまで追い詰めていったと思います。しかしその追い詰め方はどうも不可能な追い詰め方ではないかという感じがします。何か違う追い詰め方をしなければいけないみたいなことがあるような気がします。
それはだれもが意識的にも無意識的にも追い詰めているし、だれもがきっと求めているところに違いないように、僕は思います。宮澤賢治が宗教と文学ということ、それから本当とは倫理ということですが、倫理と宗教、芸術あるいは文学、その関連について宮澤賢治が追い詰めた核心のところは、たぶんいま申し上げたところで非常にはっきりしたかたちがつかまえられますし、またそこがたぶん宮澤賢治が追い詰めた限界のところではないかと思います。また、限界があるかないかということはどうでもいいことなので、それをそうしたかどうか。そのために自分がどこまで本気で自分の生涯を潰してきたか、取り換えていったかということのほうが重要なのかもしれません。そこのところはたくさんの問題がそこに含まれていると思いますけれど、宮澤賢治が追い詰めていったところが一番わかりやすい作品の上でも、それから何から追い詰めていったかということからも一番わかりやすい地点はたぶんそのへんではないかと思います。
あとは僕などが言うべきことに属さないので、皆さんが本当の考えと嘘の考えをどうやって分けていくのだろうかということを、あるときどうしてもそういう問題に意識的にぶつかったら追究されていかれるでしょうし、無意識にぶつかったら無意識にそれを解きながらされるでしょう。それは皆さんも僕のほうも同じで、そういう場面に当面したときはきっとそういうふうにやっていくだろうなと思います。
それはつくるほうの宮澤賢治の問題ではなく、受け取るほうの人間、その作品を読む人の側からそれぞれの受け取り方でそれぞれに解決していかなければならない。そういう問題のように思われますので、たぶん僕らがこういうところで言えるところは、限界はそのへんのところではないかと思われます。あとは本当に皆さんがやっていかれることですし、僕がやっていかなくてはいけないことのように思います。これで終わらせていただきます。(拍手)
(質問者)賢治は後になって国柱会を離れたかどうかと■■■、一度は家出をして上京して熱心にいろんなことを遣り(?)■■■その時期に沢山の童話作品が生まれたということも事実だと思います(?)。お訊きしたいのは、日蓮の宗派がいろいろ沢山あの当時あったが、なぜ一番攻撃的で、一番国粋的だと思われる国柱会に宮澤賢治が■■■、そして他の宗派では恐らく得られなかったものを国柱会から得たのであろうか。その辺、私非常に■■■、もし何かお考えがありましたなら。
(吉本さん)
あのー、僕ね、田中智学はね当時日蓮宗、様々なきっと宗派があって、本山もあったんでしょうけれども、田中智学もその中の一人なんでしょうけれども田中智学はその中でも宗派と言いましょうか、宗教―宗教に限らないのですけれども、組織化されていきますと、組織化されたある部分だけ機械的にって言いましょうか、習慣的に成ってしまう、そうすると習慣的になった部分が、真新しさ・純粋さというものが無くなっていくみたいなことは、どうしても避けがたいことだと思うんです。それに対して智学は多分魅力があって、宗門の維新ということを言い出している訳で、もっと唯お布施を取って、お葬式の時拝んで、何かの時間には名号を称えてそれいいというものではないんだ、とそんなことを習慣的に遣ってて、宗派成り立っている、おかしいじゃないかということを(という)意味では革新的な人だった。だから青年が・若い人が最初に宗教的なものに飛び込んでいく、そういう時にはやはり革新的で、習慣的な・機械的なって言いましょうか、怠惰なところを打破しようという考えを主張している国柱会の主張が一番魅力があったんだと思います。当時日蓮宗の中で一番魅力があったんだと思われます。だから地方でもそうであって、宮澤賢治がもし法華経に(から)衝撃を受ける程感銘を受けたとして、そういうふうに日蓮宗に引かれていったとすれば、国柱会に入るというふうに考えたのは、多分当然だと僕は思います。それからもう一つは、今最も国粋的と仰いましたけれど、国粋的といいますと日蓮自体が国粋的なんですよね。日蓮の中には天下国家というのを大乗教の世界に、つまり最高の悟りの世界と最高の平等の世界に持って行けなかったなら、ダメなんだ。万人を持っていくということと、別に国家天下ということはそうじゃなければいけないし、国家天下を司る者がそうでなければいけないという考え方を持っていましたから、国家主義的といったらおかしいですね、国家至上主義的なところは、多分日蓮にもあったと思いますね。だから日蓮にとっては親というものとか、親兄弟というものとか、国家とか、君主とか、そういうものに対する敬いとか恩とかというものは非常に重要なんだというのは、日蓮の大いに主張したところですから、日蓮宗自体が仰る様なことがあるとすれば、国家至上主義的なところがあったんじゃないでしょうか。それは宮澤賢治には多分あんまり― 一個(ひとり ?)の青年として言えば、当時の風潮としてあんまり違和感が無かったんだと思います。もっとトコトンまで突き詰めて、宮澤賢治の資質と言いましょうかね、人となりとか資質とか、それから言ってどうなんだって言ったら、多分宮澤賢治には国家至上的なところはないと思います。芸術にも作品にもありませんし。だから作品にも主人公とか、出てくる人物の名前・土地の名前は全部、インド・ヨーロッパ語系統ですよね。ヨーロッパ語系統の名前を付けていますよね。つまり、あんまり国粋的では無いですね。資質のところまでいえば宮澤賢治は国粋的ではないと思いますけども。一個(一人 ?)の青年としてどこにどう魅力を感じたかといえば、日蓮宗に感じたということ、日蓮に感じたということは、国家至上ということが入ってきますから、その問題じゃあ無いでしょうか。特に国家主義に引かれたとは言えない様な気がします。法華経に引かれれば国家主義的になるかも知れません。初めは王様だったのが修行して菩薩に成ったとか、如来に成ったとかいう話ばっかり書いてありますから、何か身分の高いものみたいな、或いは国家を司る者とか、王国を司る者みたいなのは、ちゃんと入っていますから、そういうところでは国家主義と言えるんでしょうけれども、資質までいけば人となりまでいけば、そうでなかったんじゃないでしょうか。そこの矛盾というものは多分、国柱会的な活動からいろんな個人的な事情―病気とかいろんなことがあったんですけれども―それ(を)含めなくても言っても、作品から見られる限り国柱会とどこまでも一緒というふうには成らないだろうということは、言えそうな気がしますね。これは例えば良寛と曹洞宗との関係みたいなもので、良寛もいい修行をして印可も取っていて、円通寺のしかんとして、円通寺の資質を師承する僧侶に成るはずだったんですけれど、本部から玄透即中という優れたお坊さんですけれども―近世のお坊さんですけれども―それがやって来て、良寛の後輩に当たると■■■思いますけど、良寛はそれを契機に寺を出てしまって、郷里へ帰ってしまいますね。良寛も禅僧・良寛で、曹洞宗の僧侶(と)言えば言えるのだけれども、本当は曹洞宗に収まる様な人ではなかったと言えば言えると思うんですよね。後から曹洞宗はおれんとこ(ろ)に良寛がいるぞというふうに盛んに言いますけれども、その時にそういうふうに対応すればいいので、その時はそのように対応してないのですよ。また良寛もそういうのが苦手な人で、人の上に立ってこうせいああせいみたいな、組織をあれして、ああせいこうせいとか、そういうのは苦手な人だからもあった点、お寺を出てしまいますよね。そういう意味合いの関係・微妙さというのはやはり宮澤賢治にもあったんじゃないでしょうか。
(質問者)すいません。日本人の画一性と■■■に流されやすいというのは、吉本先生、どう思われますか。
(吉本さん)
そうですね。あなたが言われ様なことも、僕も思っている部分があるんですよね。少しあるから、そういうことについて一生懸命考えたことは無いんですけど、多少は考えたことがあるんです。それは多分社会の共同体の組み方といいますか、共同性の組み方というのに独特の謂われがあって、歴史的な謂われがあって、その謂われからみるとなかなか、個々の人が共同体的な志向性(?)を取っ払って、もう単独者だっていうふうなところへ、個々の人が自分の内面の意識というものを持って行くことが大変難しい伝統的な社会。それは島国であったとか、人種的な混合の仕方の構造が壊れているとか、壊れているということもあると思うんです。だもんだから文化のもちかたというのも、沢山の層が重なって日本の文化というのは出来ていますけれども、どれ一つ取ってきたって心棒だというのは、なかなかないという、そういう文化の造り方というのを、地理的にもして来ましたし、人種的にも大変早くから壊れちゃって、壊れちゃっているものですから、何かどうしても曖昧なんです。つまり心棒なるものがなくて、層に成るものがあるんです。つまり重なってるものがあって、その重なり方は大変多様であって、バラエティに富んでいるんですけれども、心棒になってというのはちっとも無いみたいな、そういう共同体の組み方・文化の組み方をして来たんだと僕は考えていますけどね。だからそれはちょっと難しいことで、やっと共同体的なあれを離れて個たるべきだみたいなことは、明治以降始まって第二大戦の敗戦後にまたもう一度それが強調されてまた始まって、だけどまだまだそこのところは西欧並みにはいってないという■■■重なり合いで出来ている特色もあるんですけれども、なかなか独りぽっちだということに、なかなか耐えられない様なところが直らない、まだ直らないところがあるんじゃないでしょうか。それが動かれ易いとか直ぐに一致万歳になっちゃうということに大いに関係してる様に気がしますけどね。日本人というのは壊れてますからね。壊れてんですよ。本当はよく判らないですよ。日本人というのは。正体がよく判らないですよ。もっとも日本人とは何かみたいな本を書いている人がいますけどね、僕はここ4・5年来考えていることは日本人とは判らないという、人種的にも判らないし、文化的にも判らないし、わからないあれだ、言語的に言葉も判らないだ。いろんなところと似てるという、朝鮮語と似てるとか、本当に優れた専門の言語学者でも、なんかレプチャ語と似ているとかタミール語と似ているとか言ったりしている訳ですよ。冗談じゃないよって思うんだけど、だけどちゃんとした優れた専門家の言語学者でもそういうことを言うくらい、日本語というのは判らないのです。つまり判らないということは壊れているんですよ。つまりこれとこれとが混じったんだという構造は壊れてんですよ。だから判らないんです。似ている言葉は無いのですよ。無いしまた似てると思えばどことも似ているじゃないかということに成っているのですけれどね。そういうことじゃないでしょうかね。僕は少し考えたことはね・・・。
注:「■■■」は聞き取り不可能の箇所
テキスト化協力:(質疑応答部分)石川光男さま