1 日本社会のイメージ

 今日は「都市論としての福岡」というテーマをあたえられまして、このテーマでいくわけですけれど、都市論としてのという意味は、まず、都市としての福岡というのを、もしはっきりさせることができて、都市としての福岡というのを、一般的に都市論という論議の中に一般かすることができるかどうかということなので、そこまでいけまして、なおかつ、最後に都市というのはいったい何なんだということまでいければ、いちばんよろしいとおもいます。まずなんとしても、都市としての福岡というものをどこで捉まえたらいいかということから入っていきたいというふうにおもいます。
 まず、いろいろなやり方があるわけですけど、ぼくはじぶんのやり方といいますか、じぶんの方法がそうですから、大づかみに日本の社会というのはこういうふうになっているということ、それから、それと対比して福岡の社会がこういうふうになっているというところから入って、それを比べるところから入っていきたいとおもいます。
 日本の社会というのをどこでつかまえてもよろしいわけですけど、いちばん誰にでもなんとなく納得がいくような感じがするのは、経済的な構造というところから入るのがいちばん一般論としては納得しやすいですから、そこから入っていきたいというふうにおもいます。
 なぜこういうことが問題なのかといいますと、結局、ぼく自身がそうだったですけど、日本の社会、あるいは、一般的に社会というのをつかまえるときに、経済構造とか、産業構造というのは、つかまえる中枢なんだという考え方までは、だいたい誰でも一致するわけですけど。
 さて、その後なんですけど、ぼくは自分がそうだったから、そこがいちばん気になるところなんですけど、日本の社会というのを経済構造あるいは産業構造でつかまえる場合に、農業があって、それで製造業があって、あるいは工業があって、それで農業と工業とが対立している、あるいは、農村と都会とが対立しているというイメージでもって、日本の社会というのをつかまえるという考え方というのに、なんとしても習慣づけられていますので、そういう考え方を、ぼく自身もそうだったですけど、とられていると思うので、そこはちょっと違うんだということでちょっとびっくりしたなというところから入っていきたいとおもいます。
 日本の社会の産業構造というのを全体的に見てみますと、そこにありますけど、つまり、第一次産業と書いてありますけど、これは農業とか、漁業とか、ようするに、自然を相手にした産業です。自然を相手にした産業というのは、だいたいデータは対して正確じゃないかもしれないですけど、だいたいそんなものです。
 自然を相手にした産業というのは、だいたい、これは人口構成ですけど、それに従っている人間の数ですけど、それでいきますと、だいたい9.3%なんです。それで製造業、つまり、第二次産業と書いてありますけど、製造業、工業というものは、だいたい33.1%、そして、第三次産業、つまり、流通業とか、サービス業とか、それに従事している人口が、日本の現在の社会では、あそこに57.3%とありますが、5,60%だというふうにお考えくださるといちばんいいわけです。
 つまり、何を言いたいかといいますと、農業と工業とが対立して、あるいは、農村と都会とが対立して、あるいは、自然と人工とが対立しているみたいなふうにこの社会を描いたら、まるで違っちゃうということです。
 つまり、すでに、工業・製造業も、それから農業も、パーセンテージとしては半分以下になっております。半分以上になっているのは第三次産業、つまり、流通業、サービス業というような、そういうものが、だいたい半分以上を占めるようになっているわけです。つまり、この社会のイメージというのは、とても重要なことで、大づかみにして、だいたいそういうイメージで、日本の社会というのを思い浮かべられると、間違いが少ないんじゃないかというふうに思われます。
 それと対比する意味で、福岡社会というのを対比させてみますと、このデータもあまり正確じゃないですけど、でも、だいたいこうだとおもってくださればいいと思います。第一次産業、つまり、農業というのは、だいたい2%ぐらいです。第二次産業、つまり、工業、製造業、建設業みたいのを含めて、それはだいたい17%ぐらいです。福岡の社会というのは、だいたい70%か、80%が第三次産業、つまり、流通業とか、サービス業とか、消費主体のそういう人員構成がいちばん多くなっています。
 日本社会と福岡社会を比べますと、だいたい同じような形になるわけですけど、福岡社会のほうがより先端的なような気がします。つまり、福岡社会というのは日本社会全体よりも、やや進んでいるという言い方をすれば、第三次産業のほうが多いですから、やや進んでいるというイメージが与えられます。でも、だいたいにおいて同じで、これが福岡社会の全体のイメージだということを、まず申し上げておきたいとおもうわけです。
 そうしておきまして、ちなみに福岡の農業社会、今度は農村ですけど、農業社会というのを少しだけいってみますと、農村社会、あるいは農村ですけど、農村のうち専業の農家というのは、あそこにありますけど、19%ぐらいです。
 それで、第一種兼業農家、第一種兼業農家というのは、つまり、どこかで部分的には会社勤めしたり、働きながら農業も兼業しているというのが第一種兼業農家です。これがだいたい14%ぐらいです。
 それから、第二種兼業というのは、主なる農家の働き手が勤めにいってまして、サラリーマンしていまして、あるいは、職人さんをしていましてといいましょうか、そういうふうにやっていまして、その傍ら農業をやっているというのが第二種兼業農家ですけど。これがだいたい67%です。
 つまり、福岡社会の農村というのは、すでに半分以上が兼業農家、しかも、御主人とかなんとかは、つまり、主なる働き手がサラリーマンをやっている、どこかに正規に勤めていて、それでその傍ら農業をやっている、その農業のやり方もいろいろあります。つまり、人を雇ってきてもらうとか、臨時に雇うとか、いろんなやり方がありますけど。つまり兼業農家のうち、主人公は勤めに行っちゃっているという、そういう農家がだいたい67%、つまり、半分以上であるということ、つまり、70%にならんとしているのが、福岡における農業社会の実態だということ、これも皆さんが誤解のないように、つまり、いまでも農家というのは、ぜんぶ専業農家で、パーセンテージが専業のほうが多くてというふうにお考えだったら、まずそれは違うイメージなのであって、だから、そうじゃないんだと、すでに兼業農家が半分以上を占めちゃっているという、これが福岡における農業社会、つまり、農村の実態だということを、まずはっきりと頭に、イメージに入れておかれるというほうがよろしいんじゃないかと僕はおもいます。

2 福岡とは何か

 もうすこし、福岡の構造に分け入ってみたいとおもいます。つまり、二番目に「福岡とは何か」って書いてありますけど、その福岡というのを見ていく場合のいろんな指標があるわけですけど。それを見ていって、その指標もいろいろたくさんありますから、そのうち何が重要だと僕は考えるかというところだけを申し上げます。
 消費支出ということなんです。つまり、福岡社会では、消費にどれだけの支出をやっているか、その消費のうち、住宅費とか光熱費というような必ず消費するもの、これを言葉では必需消費といっていますけど、必需消費支出と、それから選択消費というのがそれに対してあります。
 これは、ようするに、使おうと思わなければ使わないし、使おうと思えば使うというような、そういう消費の仕方というのを選択消費といいますけど。それはたとえばなんでもいいわけです。テレビでも、電蓄でも、家具でもいいのですけど、つまり、買ってもいいし買わなくてもいい、あるいは、買おうと思えば買うし、買いたくないと思えば買わない、そういうことについて、買うか買わないか、あるいは、それにお金をどれくらい使うかということについては、まったく自在に選択することができるというような、その選択消費と、それから必需消費、どうしても毎月かかるんだという必需消費というのがありますけど。
 それが福岡の社会においてどういうふうになっているかというのをみてみますと、だいたい必需消費、つまり、食料とか、住居とか、光熱費とか、そういうようなもの、つまり、必ずいるというものです。必需消費がだいたい消費支出のうちの37%です。そして、それ以外の63%というのは選択消費です。つまり、選んで使っている。遊びにいきたいと思うから遊びに使ったとか、遊びをすこし我慢したとか、行きたくなかったから使わなかったというような、そういう自在に、各人あるいは各家庭が、所帯が選べる、そういう部分を選択消費といいますけど、その選択消費の部分が63%です。必需消費の部分が37%です。
 一般的に、消費社会というような言い方をよく、ジャーナリズムでも、それから経済関係の書籍・雑誌でも、消費社会、消費社会という言葉がいっぱいでてきますけど、消費社会というのは、いったい何のことを指すんだというふうにいいますと、人さまざまな定義の仕方があります。
 しかし、ぼくの定義の仕方でいえば、たとえば、必需消費が50%以下の社会というのが、つまり、消費支出のうちで、必需消費のパーセンテージが50%以下の社会というのが消費社会だというのが、ぼくの定義です。つまり、これは必ず消費して、家計費の中からいるんだというのが、だいたい50%以下であって、それで、選択して選ぶことができると、つまり、お金がなかったらいかないとか、使わないとか、お金がたくさんあるから、今日はレストランにいって食べようとか、あるいは、どこか旅行にいこうというふうに選択して使えるというような、そういう消費を選択消費といいますけど。そのパーセンテージは50%以上であるわけです、支出の。
 どういうことかといいますと、消費のために使うという、そういう予算のうちで、じぶんが選ぶわけにいかなくて、これは必ず使うんだというような部分が50%以下であって、選べば使わなくても使ってもいいんだって、自由になるお金といいますか、自由になる消費支出というのが50%を超えている、そういう社会というのが消費社会だというふうに定義することができるとおもいます。
 この定義に従えば、福岡社会というのは、歴然として典型的な現在型の消費社会だということになります。この必需消費が37%というのは、やはり、日本国全体が消費社会ですけど、日本国全体のパーセンテージよりも低いはずです。つまり、逆なことをいいますと、福岡社会というのは、日本国全体よりももうちょっと進んだ消費社会といいましょうか、やや高度な消費社会だというのが福岡市の実態だというふうにおもいます。
 だいたい福岡市のイメージを思い浮かべられる場合に、日本国全体よりも少しだけオーバーしている消費社会だなというふうにお考えくださると、だいたいにおいて福岡市の経済全体の経済的なイメージというのが思い描けるんじゃないかというふうにおもいます。
 なお、いくらか詳細に、福岡市のいろんなことに分け入ってみたいとおもいます。もうひとつここに、福岡市というのはようするに興隆期、これから伸びようとしているとか、いま伸びつつあるという、つまり、興隆期の都市だというふうにいうことができるとおもいます。
 つまり、興隆期の都市ということをどこで判断するかということになるわけですけど。いくつかあります。判断の基準を書いてきましたけど、ひとつは年齢別人口構成というのがあります。年齢別人口構成が、たとえば常識で考えまして、お年寄りの部分が非常に多い。それで、働き盛りとか、働ける人の部分が少ないというような人口構成だったら、その都市はあまり興隆しないんじゃないかというふうに常識的に判断できるとおもいます。そして、なおその常識的な判断というのは妥当だということができるとおもいます。
 福岡市というのは、年齢別の人口構成を見てみますと、だいたい働ける年齢範囲、これは15歳から55歳くらいまでのあいだですけど、そのあいだの人口構成が全体の61%です。この数字はだいたい日本国全体の数字とほぼ同じ、多少少ないかもしれません、ほぼ同じぐらいになります。ただ非常にあれなのは、人口構成のうちの平均年齢というのが33歳です。この33歳というのは、仙台と並んでですけど、日本でいちばん若いわけです、平均年齢が、福岡市の平均年齢はいちばん若いわけです。
 つまり、平均年齢が若いというのを非常にめでたく考えれば、福岡社会というのは若々しくて、これから伸びるんだぜということの象徴でもあります。お年寄りばかり集まっているような社会じゃなくて、平均年齢が日本で第1位です。ですから、たいへん若々しい、つまり、興隆期の、ようするに若い人がより多く集まっているというような、あるいは、集まってくるという要素をもった社会だというふうになるとおもいます。
 全国の平均はだいたい36歳となっています。つまり、3歳くらい、福岡市の年齢というのは若くなっています。そういうところから、たいへん興隆期の社会だというふうなことの一つの指標が得られるというふうに思われます。
 それから、また違う指標をもってきますと、福岡社会というのはどのくらい富んでいるのかということになります。つまり、どのくらい富んでいるというふうに言えるのかというふうにいいますと、これは富んでいるというのをどこで測るかといいますと、ひとつは所得の平均です。それから、もうひとつは預金です。郵便とか銀行の預金の額です。それからもうひとつの指標は、高額納税者がどれくらいいるかということです。つまり、これは、人口1万人あたりで、1000万円以上の税金を払っている人がどれくらいいるかという、そういうことなんですけど、福岡市はそれでは、数字は赤いあれで囲んだとおりですけど、ようするに全国で22番目の給与量をもっています。つまり、現在のところ、22番目の給与量というふうになっています。でもこの給与量というのは、興隆期にあるということを考えると、近々数年のうちにもうすこし、どんどん上昇してくるだろうということがだいたい予想されます。
 ここらへんのところが福岡市、あるいは福岡社会のイメージになってくるわけです。慨していえば、日本全国、つまり、日本社会よりも、やや悪いデータも少しありますけど、少数ありますけど、だいたいにおいていいデータになっているというのが、福岡市の非常に大きな特徴だというふうに言うことができるとおもいます。
 それじゃあ全体的にいいまして、若々しくて興隆期にある社会だということと、それから、典型的な消費社会だということと、その2つが福岡市というものの、あるいは、福岡社会というもののイメージを思い浮かべる場合に非常に重要なことなんじゃないかなというふうに思われます。また、その2つのイメージを間違いなくつかまえていると、いろんなことが非常にうまく判断できるんじゃないかなというふうにおもいます。

3 消費と生産は同じ

 ぼくらの考え方からしますけど、消費社会といいますけど、消費ということと、生産ということとは同じなわけです。ところで、なぜ生産は生産であり、消費は消費だということになるかといいますと、つまり、誰かは生産する時に必ず何かを消費しているわけです。
 たとえば、ぼくならぼくがどこかにいって働いた、ここでおしゃべりした、そうすると、ぼくは何かを生産しているというふうに考えるとすれば、何か知りませんけど、知識を生産して、それを伝達しているんだということになるのかもしれないですけど。そういうことは同時に、ぼく自身がエネルギーを消耗している、つまり、消費していることになります。つまり、一般的にいいまして、生産と消費というのは同じことなわけです。また、消費というのは、生産と同じことなわけです。
 ところで、消費社会というのはどういう社会かといいますと、生産と消費との間に時間的なずれと、それから空間的なずれというのが生じまして、ここで僕がエネルギーを消費していることと、これが何かを生産していることになるかということとは、時間的にずれたり、あるいは、空間的にずれたり、そういうことが甚だしくなってきますと、いわゆる生産社会と消費社会ということの区別を別々にしなきゃならないというふうに、あるいは、別々に考えなきゃならないような場面に立ち至るわけです。
 それが、非常に極度に進んでいきますと、消費が消費として一人歩きしているようにみえると、それから、生産は生産として一人歩きしているようにみえると、両者の間に関連なんて考えられそうもないというふうにまでなったときに、それは消費社会だということができるとおもいます。
 それが典型的にあらわれるのが第三次産業です。つまり、流通業とか、サービス業とかいうものは、どこでエネルギーを消費して、どこでそれが何かの生産に役立っているのかということに対して、中間に様々な段階を置かなければ関連づけることができないくらい空間的なずれと、それから、時間的なずれが甚だしくなっているということが、第三次産業の特徴ですけど。
 その第三次産業が主体として50%を超えてしまった社会、つまり、そこでは大部分の産業が生産していることと、それから、消費していることとは、あたかも何の関連もないかのように見える空間的なずれと、それから時間的なずれを生じちゃっている。
 あるいは、何かを消費していることは、必ず生産していることなんですけど。しかし、それも消費していることが、つまり、今日、レストランに行って何かうまいものを食べてお金を消費したということが何の生産につながっているのかという、それはもちろん、身体の生産につながっているということも、栄養を摂ることによって身体の生産につながっていると言うこともできますし、そしてまた、明日になったら働いて、職場でそれを生産に使うということでつながりもありますけど、その種のつながりということが、非常に空間的に隔たってしまったり、時間的に隔たってしまったりというのが第三次産業の特徴なわけですけど。また、これが消費社会の特徴であるわけです。
 ですけれども、本来的にいうならば、生産社会というのと、消費社会というのと、べつに区別することはないので、生産は即消費でありますし、消費は即生産でありますし、そういう意味合いでは、本質的にいっては、ちっとも変わりがないわけです。
 ただ、いま言いましたように、現象的にみますと、消費社会といわれる社会ほど、生産した場面と、その生産がどこかで消費につながっている、そのつながる場面とが、空間的にも時間的にもずれを生じて隔たってしまっているという、それが消費社会の特徴になって、ここでいえば第三次産業というようなことになってあらわれてきているわけです。
 この消費社会のイメージといいましょうか、つまり、第三次産業が50%以上になり、また、選択的な消費が消費者の側からいえば半分以上になった、こういう社会というのが、現在の福岡社会の実態であり、それからまた、日本国全体でいいましても、そういう社会になっています。
 こういう社会になっているイメージというのと、それから、資本主義自体が興隆期で、農村から都市に行き、都市に工場ができ、都市と農村が対立しというような形で、つまり、興隆期の資本主義、あるいは、近代社会というのはそうなんですけど、そういうイメージでもって、福岡社会というのを見てしまったり、あるいは、日本国の現在の社会というのを見てしまったりすると、たいへんイメージが狂うとおもいます。
 違ってくるとおもいますから、すでにそういう社会というのは過ぎてしまったということ、福岡社会でもそれは過ぎてしまったし、日本国全体でもそれは過ぎてしまった。問題はやっぱり第三次産業といいましょうか、サービス業、流通業のような第三次産業が半分以上になってしまった、そういう福岡社会、あるいは日本社会というのは、どういうふうにイメージを拵えていって、そして、どういうふうに考えていって、どういうふうになるというふうに考えていったらいいのかということが、多分に皆さんの課題でもありますし、それから、日本国全体の課題でもあるというような段階に入っているということが、とても大切なことだというふうにおもいます。
 ぼくらもずいぶんある期間、そういうずれというのを自分の中で体験していまして、ちょっとこれではおかしいんじゃないか、つまり、起こってくる社会現象というのが、どうもぼくらがイメージしている社会というのと、どうも違うじゃないかって、あるいは、違う新しい現象というのが生じているじゃないかというようなことを、どうしてなんだろうかというのがわからなくて、それがわかりたくて、すこし突っ込んでみようというふうなことになったわけですけど。
 そうしてみて驚いたことは、やっぱり僕らはひとりでにといいますか、無意識のうちに工業地帯、あるいは、工業・製造業というものと、それから、農村地帯というものが、対立し、相別れというような、それで相拮抗しているみたいな、そういう社会のイメージをどこか無意識のうちに持って育ってきたわけですけど。それはすでに存在しないんだよなということがわかったということがとても衝撃でした。
 つまり、そこの衝撃のところで、ぼくらが1960年から80年くらいの間に、大転換期があったはずだよというふうに思ってきたんですけど、その転換期を見ていくと、何が日本社会というのは変わってきて、何が新しい現象であり、そして、何が新しい感覚みたいなものをもった人たちが出てきたとか、新しい色んな感覚が出てきたとか、新しい文学が出てきたとか、そういうようなものというのは何なのかといいますと、基本的にいいますと、その60年から80年の間、厳密にいえば74,5年だとおもいますけど、3,4,5年ぐらいの間だとおもいますけど。そこらへんをピークとして、大転換を日本国の社会というのは遂げたわけですけど、そこらへんのところから目に見えない新しい現象が生じてきたんだというふうに、ぼくには思われます。
 福岡社会でも、ぼくはこれで福岡にいくのは3回かそこらなんですけど、ろくすっぽ街の実態を見たこともないのですけど、でも、こういうことから、ぼくらのイメージにのぼってくることでいえば、福岡社会というのは、感覚的にも、それから、いろんな産業構成の問題でも、ずいぶん変わってきているんじゃないかなというふうに思われます。
 その変わり方のところはどこで押さえるかといいますと、消費社会というふうに基本的に位置づけられること、それから、第三次産業というものが過半数を占めているというような、そういう社会構成になっているというところで押さえていけば非常に大雑把な押さえ方としては、間違いなくなっていくんじゃないかというふうに思われます。

4 都市論と国家論は同じ

 そこのところをまず申し上げておきまして、すこしそのことを敷衍してみます。九州全体というのは、国民総生産みたいなものでいうと、オランダ一国に匹敵するというふうに言われています。九州全体の総生産というのは、だいたいオランダ一国とイコールであるというふうにいえます。
 それから、ヨーロッパの社会で、九州一国よりも国民総生産みたいのが上だというのは5つか6つあります。つまり、西ドイツとか、イギリスとか、フランスとか、ベルギーは違ったか、とにかく、5つか6つあります。それ以外はだいたい九州全体でヨーロッパの一国に匹敵するという総生産額を持っております。
 つまり、何が問題かといいますと、日本もずいぶんお金持ちになったなとか、九州もお金持ちになったなとかいうことを言ってもいいわけですけど、そういうことを言ってもしょうがないので、いまのような比較ができるということは何を意味するかといいますと、たとえば、九州全体というのを考えるとしましょう。
 そうしますと、たとえば、九州全体で、福岡なら福岡市の社会というものと、たとえば、熊本市の社会とか、鹿児島市の社会というのを比較するとするでしょう、そうすると、福岡市あるいは福岡の社会というのは圧倒的な富裕度からいっても、それから、人口構成の若々しさからいっても、それから、経済的な能力からいっても、様々な意味で圧倒的に優位にあるわけなので、ところで、そのことは優位にあるからいいなというのもいいですけど、そうじゃなくて、そこで福岡市というのと、それから、鹿児島市とか、いちばん富裕性がない市だというふうに言われてきたところなんですけど、近年、1,2年は違いますけど、鹿児島市とか、熊本市とかいうのと、福岡市というのを、いろんな意味で比べるということは、ほんとうをいうと、現在の世界で、たとえば、日本国とフランス国とがどうなっているのかとか、日本国とタイ国とがどうなっているのかとか、日本国とカナダとはどうなっているのか、つまり、世界史における先進国、あるいは先進社会といわれているものと、それから後進社会といわれているもの、あるいは、中心的だといわれているそういう社会、あるいは国家でもいいのですけど、そういうものを比較することと、それから、福岡市と熊本市を九州の中で比較することとはパラレルだということです。つまり、同じなんだということなんです。
 何を言いたいかというと、都市論ということは、人さまざまな観点と、人さまざまな視点を持つでしょうけれど、ぼくらの視点からいえば、都市論というのは、もちろん国家論と同じことなんです。それから、九州一円の都市について論ずることは、ようするに世界全体について論ずることと、いっこうに変わりないわけです。それは同じことなわけです。つまり、都市論ということ自体は、国家論でもありますし、あるいは、都市と都市を比較するということは、先進国と後進国を比較するというのと同じような意味あいをもちます。
 これでもって所得の格差とか、その他、様々な格差があるとすれば、その格差というのは、世界における先進国と後進国における所得の格差でありますし、また、その格差というのはどうやったらなくなるのかという問題を考える場合に、モデルとしていうならば、たとえば、福岡市と鹿児島市の、あるいは、福岡市と熊本市のデータを比べまして、そこで様々な比較というのは可能ですけど、様々な観点から比較をやってのけますと、だいたい世界における先進国なら先進国と後進国、あるいは先進地域と後進地域とのどういうふうにしたら格差が縮まるかとか、いや、格差は縮まらないんだとか、そういうことについて判断する場合の、考える場合の、モデルになりうるということなんです。
 そういうことはちっとも都市論であろうと、国家論であろうと、それから九州論であろうと、それから世界論であろうと、それはいっこう変わりがないわけです。つまり、それは必ずパラレルにといいましょうか、つまり、対応して考えることができるようになっております。
 だから、必ずひとつの、福岡市なら福岡市を論ずるということは、ようするに日本国を論ずるということと同じことになるわけです。それで、福岡市の社会構成あるいは産業構成を論ずることは、やっぱり日本国の社会構成、産業構成を論ずることと同じことになります。同じモデルとして、つまり、共通性を抜き出すことができます。
 都市論というのは、単に都市論にとどまらないで、つまり、一種の全体論になりうるということ、それから、九州地方あるいは地域論ということは、それはそれだけにとどまらないで、やっぱりそれと世界史的な比較というのをやろうとすればできますし、共通の要因を取り出すこともできるということ、そういうふうな意味あいで、都市論ということは、伸縮自在でありますし、また、都市論を考えることと、国家論を考えることとは、けっして別の問題じゃないということ、そういうことを考えにいれまして、都市論というのを様々な視点から様々な形で、引き伸ばしたり、収縮したりというようなことをしてみることが、とてもおもしろいことじゃないか、あるいは、いいことじゃないかというふうに、ぼくなんかはそういうふうに考えます。

5 福岡は西欧型とアジア型とアフリカ型の混交

 だいたい今から10年とか15年とか、あるいは20年とか前の、日本がまだ高度成長期というふうに言われた時には、九州というのはだいたい一種の人口流出地域だったわけです。そこから出稼ぎにどこかへ、あるいは移住していっちゃうという、そういう場所だったわけです。
 ところが、高度成長期というのが終わりまして、いわゆる低成長期というふうにいわれる時期に転換してからは、九州は人口が外へいって働きにいっちゃうという、働きに出ちゃうというような、そういうイメージというのは通用しなくなりました。逆に入超といいましょうか、ようするに、他所から九州に入ってくるというようなことが出てきました。
 この低成長期というのは何を意味するかといいますと、ようするに日本の産業構成が工業・製造業あるいは重工業・重製造業中心から、いわゆる技術産業といわれるもの、ハイテク産業といわれるもの、あるいは技術産業といわれるものに、日本の社会が、産業構造が転換し始めるところが低成長期の始まりなわけです。
 そこで日本の産業構造は成長をやめまして、質的な転換というのを遂げていったわけです。その質的な転換を遂げていったことが、いってみれば、第三次産業が隆盛になっていく糸口になったわけです。その時期になりますと、九州というのは流出地域じゃなくなって、だいたい近畿地方からですと九州に人が入ってくるというようなふうに変わっていきました。
 それからまた、関東地域、つまり、東京を中心とした関東地域へ出ていって、それで、働くとか、そこに移住してしまうというような、そういうあれも、綿貫さんという人のデータによりますと、9分の1ぐらいに減っていきました。
 つまり、このあたりから九州地域というものが、後進地域から先進地域へ、あるいは中心地域へ大転換を遂げつつある徴候というのが、そこらへんに低成長期に始まったわけです。それからの九州というのはすでに以前のイメージというのが、だんだんとなくなっていきまして、そのなかでも特に福岡社会というのは、完全に以前のイメージから出てしまいまして、まったく日本でいえば先進的な消費社会型の社会に移っていったということがいえるとおもいます。ここらへんが戦後の九州地域というものの大転換の期間だったというふうに言うことができるとおもいます。
 いま、すこし福岡社会ということに触れてきたんですけど、福岡社会というのは、都市論というののなかにのってくるだろうか、つまり、都市としての福岡というのは、もちろん、いくらでもデータをあげることができますし、また、みなさんは現にそこで住んでおられるわけだから、都市としての福岡というのは、もちろん、ぼくらよりもずっと遥かによく実態を知っていたり、あるいは、現物を見ていたり、あるいは、それを体験していたりというようなことでいえば、問題なく皆さんのほうがよく福岡というのを知ってるわけですけど。
 都市論としての福岡というのは、都市としての福岡ということとは少し違います。つまり、福岡というのを都市論にのせていくといいますか、のせていくためには、どこかに典型的なところがなければいけないというふうになります。つまり、典型的な都市論の糧になるところがなければならないとおもいます。
 それはどこにあるだろうかというふうに考えてみますと、可能性も含めてそれはどこにあるかといいますと、ひとつはいま申し上げましたように、福岡というのは消費社会としてどこまでいくだろうか、あるいは、どういうふうにいくだろうかということが、ひとつ大きな問題になるとおもいます。
 それから、もうひとつ、あえていうとすれば、福岡というところは、ぼくらがいう都市を西欧型と、それからアジア型と、それからアフリカ型みたいに分けますと、福岡の社会というのは、これは主として場所性、それから、地勢といいましょうか、地形性によるわけですけど、多分にようするに、アジア型あるいはアフリカ型というようなタイプの地域、地勢というものを多分に残しているということが言えるわけです。多分に残しながらの高度な消費社会だというふうな特徴が、福岡市の特徴のひとつとしてあるようにおもいます。つまり、ここの問題がとても重要な問題のようにおもいます。
 つまり、どういうところかというのを申し上げてみますと、どこかで申し上げてみます。大雑把に申し上げますと、アジア的社会の特徴というのは何かといいますと、それは農地というのがべらぼうに多い、パーセンテージが多いということなんです。
 それから、アフリカ型の社会というのは、どこが特徴かといいますと、森林とそれから草原といいますか、ここでいえば原野なんですけど、森林と草原というのが膨大に、他のたとえばアジア型の社会、あるいはヨーロッパ型の社会に比べて、べらぼうに多いということがアフリカ型社会の特徴なわけです。
 福岡社会というのは、データを見てみますと、農地の面積というのも多いのですけど、原野というもの、それから森林というのが、たいへん多く残されているということがあります。これは福岡社会の大きな特徴であり、また福岡社会のいってみれば矛盾でもあるとおもいます。
 つまり、福岡社会の経済性ということと、地勢性といいましょうか、地形性といいましょうか、そういうこととの矛盾といえば矛盾なわけですけど、その二重性というのを福岡社会というのが、多分に持っているというのが非常に大きな特徴のようにおもいます。そこの特徴というのは福岡が高度な消費社会だということと一緒に、やはり都市論の中に一般的にのせられる場所だというふうに僕にはおもわれます。
 つまり、その2つの箇所というのは一般論としてといいましょうか、共通論として、あるいは普遍的な論議として、福岡社会を俎上にのせて論議することができるんじゃないかというような感じがします。つまり、アフリカ社会というのは、放っときますとといいますか、自然成長させますと、ようするにアジア型の社会に移っていきます。草原とか森林とか伐採されて、農地に転換していくみたいなことがやっぱりアフリカ社会の特徴になっていくと、自然成長した場合の移りゆきになっていくとおもいます。
 アジア的な社会というのは、農地が少なくなって、あるいは農地を潰して、都市化が進んでいくというのがアジア社会の特徴になっていくとおもいます。そこからヨーロッパ社会みたいなものが、ヨーロッパの近代以降の社会みたいなものが典型的に出てくるというのが自然成長に任したときの都市及び地域の成長の仕方といいますか、変化の仕方というのはそういうふうになっていくとおもいます。

6 理想的な都市とは何か

 ところで、アフリカ型の社会というのは、ぼくらの都市論の観点からいいますと、大変な可能性があるんです。その可能性は何かというと、森林とか草原とかというのを、黙っておけばきっと農地にしてしまうというふうになるわけですけど。そうじゃなくて、それは非常に計画的にといいますか、計画的にということは人工的にということですけど、人工都市的にということですけど。人工都市的に、第一次産業と第二次産業と第三次産業との割り振りを、非常に適切な割り振りにした人工的な都市というのをつくろうとすればできるところだ、それがやはりアフリカ的社会というのの特徴だというふうにおもいます。
 これは黙って放っておけば農業耕作地になってしまうというようなことでありましょうけど。つまり、自然成長させればそこのところにいっちゃうものですけど。そうじゃなくて、もし、計画的に人工都市化ということをやれば、非常に理想的な都市、つまり、いってみれば、超西欧型のといいましょうか、つまり、現在の世界史の段階でいえば、いちばん進んだ都市というのならば、アフリカの森林地帯と草原地帯ならば、作ろうと思えば作れるというふうにおもいます。つまり、そういう人工的な都市をつくれる可能性だけはあるというふうにおもいます。
 この人工的な都市がつくれる可能性があるのは、2つしかないので、それは、消費社会が更に進んでいった場合に、製造業の跡といいましょうか、工業地帯の跡といいましょうか、その跡地に人工的な、理想的な都市というのは作ろうと思えば作れるというのがあります。
 それから、もうひとつは、いま申し上げましたとおり、アフリカ型の社会で草原地帯と森林地帯というのを農地にしちゃわないで、非常にいい割り振りをもった農業地と工業地と、それから第三次産業との、いい割り振りをもった、そういう人工都市というのを作ろうと思うなら作れるとおもいます。
 そういう都市がつくれたら、それは現在の世界史の段階では最も進んだ都市になりますけど、それは、西欧社会ではまずまず、なかなか可能性がありませんし、アジア的な社会でもなかなか、西欧的な社会に、放っておけばだいたい移行していってしまいますから、なかなか作る可能性がないのですけど。アフリカ的社会というのと、それから、超消費社会といいましょうか、消費社会が更に進んだ段階のところでは、その可能性は大なり小なりあります。
 そういうふうに考えていきますと、福岡社会というのは、一種の二重性を持っているようにおもいます。つまり、非常に理想的な人工都市というようなものも考えて、非常に企画的にといいますか、計画的にやればそれはできるというような、そういう余地を持っているところのように思います。
 それから一方では、高度な消費社会としては、福岡社会は、これからの進路というのはなかなか占いと違いますから予測することはむずかしいですけど、しかし、これはそうとう先端的な、福岡社会というのは消費社会ですから、その面でたぶん、それがどういうふうにいくかという場合に、それがどういう軌道を通っていくかという場合に、それはやはり、世界史的な指標にはなかなかなりにくいけれども、日本列島的な指標にはなりうるようにおもいます。
 つまり、福岡社会というのは、その2つ、二重の可能性というものを非常に多く持っているようにおもわれます。それが慨していえば、福岡社会の大きな特徴だ。もし、都市論ということを福岡社会についてやろうとするならば、ぼくだったら、その2つを眼目にして一種の都市論といいましょうか、新しい都市論といったらいいのでしょうか、あるいは、適切な都市論といいましょうか、理想的な都市論はどうあるべきかとか、理想的な都市とはなんぞやという課題を、福岡という社会を土台にしてやるとおもいます。
 つまり、その2つの問題が、福岡社会のもっている大きな可能性であったり、可能性という意味あいはダメになる可能性ももちろんありますし、良くなる可能性もあるわけですけど。それはどちらでもいいわけで、つまり、どちらになってもいっこう構わないと思いますけど。しかし、とにかく、その可能性としては、その2つの可能性というのが、福岡というのは二重に持っているような気がします。つまり、そこの問題を追及されることが、福岡のこれからにとって大きな問題じゃないかなというふうにおもいます。
 もちろん、ぼくは為政者でもありませんし、皆さんも、たぶん為政者ではないわけです。ですから、おれはこう考えたらこうなった、あるいは、こうしちゃうんだということは、できないわけです。ただ、ようするに我々は、あくまでも大衆的基盤といいますか、基礎のところで、大衆的基準のところで、福岡という都市が消費都市としていかなる方向にいくだろうか、それから、ややアジア・アフリカ型の人工都市をつくる可能性がある場所として、あるいは、理想的な人工都市をつくる可能性のある場所として、どういうふうに考えたらいいかというのは、その2つのことは、我々は大衆的な基準でもって、いつでもイメージをつくっていくということが非常に重要なことのようにおもいます。
 なぜかといいますと、そういう大衆的な規模でもっているイメージというものを除外視して、為政者といえども勝手な都市をつくることができないし、資本家といえども、たぶん、地域に流入してきた場合に、それは勝手なあれを作ることがなかなかできないんじゃないかとおもいます。
 ですから、そのためにもやっぱり、欲を言えば一人一人が自分の消費都市としての未来像というのと、それから、人工都市の可能性があるところとしての未来像というもののイメージを一人一人が持っているということが、持つということ、それをしかも強固に持つということがとても重要なことなんじゃないかと思います。
 もちろん、こんなことは、必要性からだけ言わなくても、楽しみからといいましょうか、遊びからいっても、それはとても楽しい遊びになります。つまり、消費都市というのはこういったらいいぜというのとか、人工都市としては、この場所とこの場所のところでこういうふうに作ったらいいぜって、そのときの農業とか、漁業とかというのと、製造業とそれから第三次産業との割り合いはこのくらいにしたほうがいいぜとかということは、楽しみとしても、たいへんな楽しみだというふうに、ぼくにはおもわれます。
 つまり、それがいってみれば、都市論の課題になるわけです。つまり、その都市論の課題というのは、そういうふうにすることによって、だいたいにおいて現在の段階における世界の先進地域と後進地域とはどうあるべきかとか、どうやったら交換できるかとか、そういうこと、それから、片っぽが、先進地域が富めば、第三世界は貧しくなる一方だという経済学者はいますけど、そんなことは、ほんとかどうかすぐにわかります。
 そういう小さいモデルで、福岡が富めば熊本市が貧乏になるかどうかということを、皆さんが小さなモデルで、ちゃんとデータをあれして、様々な条件をあれして、研究してご覧になれば、あるいは遊んでご覧になれば、すぐに福岡が富むことは熊本が貧乏になることであるかどうかというのは、すぐにわかります。そんなことはないと僕はおもいます。つまり、そういう理論は間違いだと思っていますけど。
 しかし、そんなことは別に世界全体を歩く必要はないのであって、九州地方だけで比較されたって、そういうことはすぐにでて、はじき出すことができます。つまり、福岡市が富むことは熊本市も富むことであるか、あるいは、福岡市が富めば富むほど反比例して熊本市は貧乏になるかどうかということは、すぐにデータをはじいてあれしてみれば、すぐに出てきます。
 それは、必ずしも福岡と熊本だけに通用するのではなくて、世界全体に通用します。つまり、そういうふうに敷衍することができます。この課題というのは、福岡というのは、いってみれば、両端のなかなか興味深い課題のいわば典型的なたたき台になりうるんじゃないかというのが、ぼくらのおおよそ描いている福岡社会についてのイメージなわけなんです。

7 どんな要因で都市は大きくなったり小さくなったりするのか

 さて、すこし一般論といいましょうか、都市論の普遍的な課題といいましょうか、一般論的な課題というようなことを申し上げて、少しご参考に供したいというふうに思います。ほんとうをいいますと、最後までお聞きくださるとわかるとおもうのですけど、ほんとうをいいますと、都市というのはわからないです、よくわからないです。都市というのは、なんでこんなのができるんだろうかとか、できちゃったら大きくなっちゃったり、変なものができてしまったりとか、そういうのはどうしてなんだろうかとか、都市というのはいったい何なんだろうかというのは、ほんとうはよくわからないところがあるんです。でも、よくわからないところにいく前に、よくわかるところというところから掴んでいくということが重要ですから、よくわかるところというところから申し上げてみたいとおもいます。
 それは4番目に「都市化の要因」というふうに書いてきました。つまり、どういうふうなところで都市ができあがるか、あるいは、どういうような原因があれば、あるいは、要素があれば、都市というのはできあがって、かつなお、大きくなったりするか、どういう要因があると、都市というのはいつの間にか衰えちゃって、過疎地帯になっちゃったとか、いつの間にかなくなっちゃったとか、そういうことになるかとかということに、いくつかの誰にでも拾える要素があります。それをちょっとあげてみます。
 第一は、所得が多いところに人は集まるだろうか、つまり、人が集まるということは都市ができるということですけど、所得が多いところに人が集まるだろうかということが第一にあげています。
 そうすると、皆さんも僕もそうだとおもうのだけど。たしかにそうじゃないかな、つまり、じぶんがいるところよりも、福岡市にいったら8時間働いても所得が2倍くらいもらえるんだとか、フィリピンにいるよりも日本へきて働いたほうが、10日も働けば一月分くらいかかる費用をもらえるんだという、そうだったらフィリピンの人は日本に来るだろうか、あるいは、九州の他の地域の人は福岡市にやってくるだろうかというふうに考えますと、いちおうの答えは、誰でも思うようにイエスだとおもいます。そうじゃないかな、つまり、所得が高いところに人は集まってくるんじゃないかなというふうになります。
 これはその他の地域から福岡市に集まってくるとすれば、それはいま言いましたように世界史的に通用しますから、日本の所得格差が高いとすれば、格差の低いところから日本へ出稼ぎに来るだろうというふうに、他の国からやってくるだろうということがすぐに想像できるわけです。つまり、敷衍することができるわけです。
 たしかに常識的にいえば、所得が高いところに人は集まってくるだろう、集まってきて都市をつくるだろう、あるいは、都市がだんだん大きくなったりするだろうということが、だいたい常識的にイエスだということができます。それは都市が大きくなったり、都市ができあがるための、たいへんわかりやすいひとつの条件だとおもいます。
 ですから、これは所得の格差というのと、人口の増加率・減少率というのをグラフにとれば、これはあるカーブをもった直線になってきます。つまり、正比例的な直線になってくるということがすぐにわかります。だいたいこういうことが良いわけなんです。
 ところで、これは綿貫敏雄さんという人のデータによりますけど、たしかに所得格差が高いところに人が集まってくるというのは、確かに高ければ高いほど集まってくるとか、正比例ですけれども、ただ、正比例の係数は1じゃなくて、比例乗数といいますか、それが0.98いくらの比例係数で、だいたいにおいて所得が多いところに人は集まってきます。働く人は集まってきます。もちろん、だから都市はだんだん大きくなりますということがいえるわけです。
 ところで、もうひとつの条件がありまして、それは日本でいいますと高度成長期、つまり、第二次産業、つまり、工業・製造業がまだ隆盛だった時期においては、おおよそそういうことがいえたわけですけど、低成長期になりまして、それから高次産業といいますか、第三次産業がだんだん多くなった時期については、必ずしもそういうことが言えないということになっています。
 ひとつの要因としては確かに所得が高いところに人は集まってくるというのは、ひとつの要因でありますけど、それならば、逆に言いまして、所得を高くすれば人は集まってくるか、福岡市が労働賃金を高くしたら人はいっぱい集まってくるだろうかといいますと、確かにそうだと、集まってくることはまあまあ言えると、しかし、それだけで人は集まってくるとは限らない。
 つまり、どういうことかといいますと、第三次産業が大部分を占めてきてしまうような、いわば高次の産業が盛んな社会では、消費活動といいましょうか、消費運動といいましょうか、消費活動が盛んですので、消費に便利なところは動きたくないとか、いくら賃金が高くても動きたくないとか、あるいは、消費に都合がいいところ、たとえば、映画を見たり、遊んだり、演劇を見たりとか、劇場に行ったりとか、そういうことに便利なところだから、ここは動きたくないとか、あるいは、これも第三次産業ですけど、子どもが受験するのに学校に都合がいいと、あるいは、近くに教育施設があるために教育費があまりかからない、だからここは動きたくないというふうな、つまり、消費が多くなった社会では、他の要因が大きくなりますから、必ずしも賃金だけ多くすれば人は集まる、あるいは、賃金だけ高ければ人はそこに行くかといったら、決してそうじゃなくて、いってみれば、極端な場合には単身赴任になっちゃうわけです。それは高い賃金をもらう親父さんだけいけばいいじゃないかと、あとは、受験勉強はこっちでやって、学校もこっちへ入っていって、それで働いたお金を送ってくれればいいというような形で、出稼ぎといいますか、単身赴任という形になってしまうというのはなぜかといいますと、必ずしも人間は、高次産業社会に入っていくと、必ずしも所得が高いからそっちへ移住するとはかぎらないという要因が出てくるということを意味します。
 この場合の低成長期の比例乗数といいましょうか、相関関数といいましょうか、それはだいたい0.58だから、たしかに、所得が多ければ人が集まるよというふうに、半分以上ですから言えるのですけど、たいへん低い意味の関連しかないということがいえます。半分よりちょっとだけ関連はあるという、それだけのことになってしまうという、これは社会的な条件如何によって、必ずしも、所得が多いところに人は集まるということは、数学でいえば公理とか定理とかいうふうな具合にはいかない、だいたいにおいてそうであるけれど、それだけではなかなかいえない。したがって、所得が高いところに都市ができあがる、あるいは、所得が高いところでは都市が膨張するというようなことも、必ずしも第一義的には言えないということがあります。でも、ひとつのわかりやすい要因ではあるわけです。
 それから、いまのに関連してですけど、所得が高いということは、つまり、どういうふうになれば所得が高くなるのだろうかというようなことになるわけです。これはたぶん、わりあいに一種の定理に近いので、それはいくつかあります。
 つまり、技術革新というものに即応していけるというような要素が産業にある時には、その産業では所得はあがるということがいえます。
 それから、第二次産業と第三次産業とがうまくコンビネーションしているところでは、所得が高くなりうるということが言えます。
 それから、もちろん高次産業のうちの一つですけど、知識とか情報の量というのは、いながらにしてたくさん集まってくるという、非常に情報量とか知識量というのがいながらにして多いというところでは所得が高くなる可能性があります。それは知識量、それから情報量のところに人は集まってきますから、所得が高くなる可能性があります。
 そういう所得水準についての、この種の定理的なことなんですけど。この定理的なことというのは、たとえば、近々、日本でいえば20年くらい、それから、世界全体としていっても30年かそこらだと思いますけど。そのくらいの間にだんだんわかってきたことであるわけです。そういうことは定理に近いものだなということが、だんだんわかってきたわけです。
 つまり、以前の第一次産業と第二次産業が主たる産業であった資本主義の興隆期には、こういうことはあまりよくわかっていなかったんです。それから、技術の問題というのも、そこではあまり大きな問題にならなかったということもあるでしょうけど、なかなかうまくわかりにくかったんですけど、たぶん近々数十年の間にそのことがだんだん先進地域から始まって、だんだんわかってきたということのひとつのようにおもいます。つまり、そういうことが所得の問題に対して大きく寄与するということがいえるとおもいます。

8 適正規模の都市と産業構造

 それから、二番目に都市というのは膨張するため、あるいは成長するため、あるいは人が集まって都市ができあがるためには、都市というのには最も適当な規模というものがあるのだろうか、あるいは、それはないのだろうか、その適正規模の都市というものはないのだろうか、あるいは、それはあるのだろうかというようなことを考えてみます。
 これはなかなか常識でいいますと、そんなものはないんだ、つまり、都市というのは人口が膨張し始めると際限なく膨張してしまうんだというふうに考えるほうが、なんとなく常識にかなっているような気がするんです。だけども、ぼくなんかもそういう気が常識的にしていますけど、それはいったらほんとうに正しいのだろうか、それとも、そうじゃないんだろうかということがあります。
 これはいってみれば、綿貫敏雄さんという経済学者の経験則からきた定理みたいなものなので、あるいは、定理というとあれですから、経験則として、経験原則としてそうとう強固なものだというふうに言っていいとおもいます。大変いい仕事なんだと思います。
 それによりますと、東京、それから名古屋、大阪、あるいは、東京、東海、それから近畿といいましょうか、そういう三大都市圏というものがありますけど、三大都市圏では、人口が2万ないし3万未満の、そういう小さな都市でも、成長都市としての比率は56.9%、つまり57%、つまり、半分以上あるんだということが経験的なデータから出ています。
 ところで、地方の都市圏でいいますと、10万人以上の都市ではだいたい65%ぐらいが、都市として成長すると、それから、5万ないし10万人未満では22.6%が成長する。あとは成長しない、衰退したり、停滞したり、現状維持であったりということですけど、とにかく、5万ないし10万人未満では、地方の都市圏では成長する可能性がないというデータが出ております。
 それから、もっと低く3ないし5万人未満では13%ぐらいしか成長しない。つまり、だいたい成長する可能性はないというふうなことが経験則上でております。
 それから、2万ないし3万人、つまり、三大都市圏と同じところですけど。そこでは10%ぐらいしか成長する可能性がないというふうなデータが出ています。
 つまり、いってみますと、地方の都市圏では10万人以上の都市でなければ成長しないということが言えてしまうわけです。これが人口則から見た、ほとんど定理に近いものです。日本を土台にしていえば、動かしがたいデータということになります。
 それから、北海道では人口30万以上の都市でも、でもといったほうがいいとおもいますが、32.2%しか成長しません。つまり、北海道では30万人以上の人口の都市でもそうです。それから、20万から30万未満では6.6%しか成長しない。それから10ないし20万では8.9%しか成長しない。10万人未満では横ばい状態で成長しないということになっています。
 それから、東北地方と関東の内陸地方、海辺じゃないところですけど、そこへは10万人以上でないと、成長都市にならないというデータが出ています。
 それから、北陸・近畿の内陸と、それから山陽では、10万人以上でないと成長都市になりにくいというデータが出ています。
 それから、山陰地方ですけど、山陰地方では10万人以上でも成長都市にはなりにくいというデータが出ています。
 それから、九州では、まあ皆さんに関係があるわけでしょうけど、九州では30万以上の都市でないと、成長都市になりにくいというデータが出ています。
 ただ、これは近年、ここ数年の間に、著しく変貌しているから、あんまりあてにしないほうがいいとおもいます。これはたぶん3,4年前のデータだと思いますから、あてにしないほうがいいんじゃないかと思います。でもいちおうデータとしては、九州というのは、ずいぶん産業としては後進地帯というふうに、ごく数年前まで思われていたということは確かだとおもいます。
 それからもうひとつ、今度は産業構造が都市の盛衰に関係するだろうかということがあります。これも綿貫さんが経験則上、ほとんど定理に近いかたちで、非常に見事なデータを集めまして、見事な分析をしておられますけど。
 都市が成長するには第一次産業の就業者の人口、それが10%台以下でなければならないということです。つまり、あれでいいますと第一次産業です、農業、漁業、林業ですけど、農業、漁業、林業が10%以下でなければ都市は成長しないと思ったほうがよろしいというデータが出ています。
 今度は、それは逆にいうと出てくるわけですけど、都市の産業構造が高次化するということは、都市が成長するための必須条件だという経験則が出ています。つまり、都市が成長するには、産業の次元が高次化するということは必須条件であるということ、それから、第一次産業の就業比率が10%以下でなければならない。
 その2つが重要なことなんですけど、だから、農業の近代化とか、生産性を高めることでもって、第一次産業の就業比率を低下させていって、その逆に第二次、第三次産業の比率を大きくしていかなければ成長都市にならないという、そういう経験則上の定理というものがここに出てきています。
 たぶん経験則上の定理というふうにここで言うからには、これは動かしがたい法則なんだというふうに言っていいと思います。このことはとても重要なことですから、皆さんが都市というもの、あるいは、都市論というものを考える場合にいつでも頭に入れておかれた方がよろしいと思います。
 つまり、都市が成長するためには、どうしても第一次産業の比率の低下ということと、それから、第二次・第三次産業、あるいは、第二次産業より第三次産業というように、産業の次元が高次化していくということが必須の条件だということが、経験則上、まず間違いないものとして出てきます。
 このことは頭に入れておかれたほうがよろしいんじゃないかと思います。頭に入れておかれるという場合には、いろんな意味があります。いい意味でも、悪い意味でも、都市ないし都市化ということに対して反感を持つ場合にも、それから、これは大いに結構じゃないかというふうに言う場合でも、どちらの場合でもよろしいですから、いまのどうしても第一次産業の比率が低下し、それから第二次・第三次産業の比率が増大するということが、都市が大きくなっていくこと、それから、都市が発達していくということ、それのための必須の条件だということが、どうしても前提として入れておかれたほうが、都市化というのが嫌で嫌で仕方がないという場合でも、それから、都市化というのを大いにやれやれという場合でも、どちらの場合にも、とてもお役に立つんじゃないかというふうに思います。
 それはそういうことがもう定理に近いんだという、つまり、動かしがたい定理に近いんだということを知っていると知っていないでは、たいへん反対の仕方、賛成の仕方が違うだろうと思います。だから、それはとてもよく心得ておかれたほうがよろしいんじゃないかというふうに思います。

9 都市とは何か

 話がここまで来ましたら、それじゃあ都市というのはいったい何者なんだ、つまり、都市というのはいったい何なんだ、いま現在まで、人類が無意識的に自然成長的に、現在まで発達してきて、また、都市も発達させてきてしまっているわけです。このまま、無意識のまま過ぎていけば、必ずもっと発達することは非常に確実なわけです。
 それから、産業の高次化ということを申し上げましたけれど、これも黙って自然成長に任せておきませば、さらに高次化のパーセンテージが多くなり、さらに高次に発達していくということも、これもまた自然成長的に間違いないだろうというふうに、つまり、まず間違いないだろうと考えてよろしいだろうというふうに思います。これはいったい何を意味するのだろうかということを、皆さんが都市について考える場合の根本的な問題になってくるわけです。
 自然成長的に都市が大きくなってしまい、また、都市が高次の産業に移行してしまうということが、自然成長的に動かしがたいというふうに考えるならば、それはいったい何なんだろうかと、つまり、なぜそうなっちゃうんだろうかとか、なぜ人々は都市というものを便利であるとか、それから、住みよいとか、所得がたくさんできるとか、様々な理由をあげることができますけど、そういうことによって、都市というものをつくっちゃって、作っちゃった都市がどんどん大きくなっちゃうという、それはどういうことを意味しているのだろうかということをよくよく考えていきますと、ほんとうは、このモチーフというのはそんなにはっきりわかっているわけでもないのです。はっきりわかっているわけでもないのです。
 どうしてこういうことが言えるかといいますと、それはいってみれば、第一次産業といいますか、あるいは消費社会といってもいいのですけど、つまり、第三次産業が50%以上になったという、その変わり目のところから、ぼくらに見えてきた問題のひとつだ、微かに見えてきた問題のひとつだというふうに思えるわけですけど。
 すでにこの段階では都市というのは何なんだいったい、いままで無我夢中に人類は大自然の真っただ中から、それを農耕によって、それで自然採集でもって、獣を狩ったり、それから、山野に生えている木の実を食ったりして、大自然のなかで生きていたのに、それがいつのまにか平地を人工的に耕して、それで、畑や田んぼにして、そこに人工的に物を植えて、それを収穫して食べるというふうにだんだんなっていった。だんだんそれをやっていくうちに、収穫物に必要な道具とかなんかを作るということが必要になって、それがまた発達して、農村から離れていって、専門にそればっかり作るやつが都市に集まってきて、都会ができてしまったと、できてしまった都会と農村とは、様々な形で対立し始めると、人類はそういうふうにやってきて、現在まで無我夢中でやってきたら、かかる体たらくになってしまって、産業は第三次産業がいちばん多くなり、それから、自然産業が小さいパーセンテージになって、いつのまにかこういう社会を作ってしまった。これまで無我夢中に文明を発達させてきちゃったし、また、発達したほうがいいんだという観点からやってきましたけど、ここらへんでなんとなくどうも様々な形でいろんな疑いを生じているわけでしょう。
 それは、都市というのは何なんだと、これは無限にどんどん発達していって、産業もどんどん発達していったら、これはいいことなんだろうか、悪いことなんだろうかということは、だんだんひとつ問題として、皆さんの頭にも、ぼくの頭にも、そういうことは浮かんでくるようになってきて、エコロジストは極端に緑を守れとか、自然を保護せよと、こういうふうに言っているわけです。
 ぼくのようなアンチエコロジストといえども、都市というのはいったい何なんだということ、いったいどういうことになるんだということを、とにかく考えずにおられなくなったということは、たぶん、ぼくらが自然産業、つまり第一次産業、それから、それを原料品として加工する工業・製造業というのから離脱して、第三次産業、つまり、流通業・サービス業というものに大部分の人口が移っていったという、そのことが、たぶん、そういう内省といいましょうか、反省といいましょうか、内省というのを様々なかたちで強いている、ひとつの原因だというふうに、ぼくには思います。それはとても考えるに値することなんじゃないかというふうに思えるわけです。
 もうひとつは、それと同時に、前はそういうことを発想する術すらなかったんですけど、だいたい人工都市といいますか、都市というのは人工的に作れるぜという、しかも、やりようによっては、たいへん理想的な割り振りの産業配置と、地勢配置をもった理想都市というのはやろうと思えば作れるぜというようなことが、だんだんぼくらの頭の中のイメージの中に現実化してきたといいますか、前はイメージすら思い浮かべないで、無我夢中にやってきたんですけど、だいたい人類はそういうような人工都市というのは作れるぜという、理想的な人工都市というのは、やりようによっては作れるぜということが、だいたいイメージできるようになった段階まで人類はやってきたんだとおもいます。
 それから、いわゆる無我夢中でやってきた文明の発達史というのに対して、様々な意味あいでの内省というのが、生じてきたというのが現状だとおもいます。この現状は、我々が自然相手の産業と、それから、それを加工する製造業というようなものから、我々は徐々に離脱したことによって、初めて内省する気持ちというものが、あるいは、精神というものがでてきたんだというふうに思います。
 大なり小なり、現在の段階というのは都市論の段階もそうですし、文明史の段階もだいたいそういうようなところにやってきているというふうに、ぼくはそういうふうに考えています。

10 福岡がモデルになりうること

 ここで、今日は福岡社会にやってきたわけですから、福岡社会にサービスしなければなりませんですけど、福岡社会というのは、いま申し上げた消費社会の先端としての課題と、それから、いってみれば、アフリカ的段階、アジア的段階の場所も理想的に造成しようと思えば、理想的に造成する余地は残されているみたいな、そういう2つの問題を福岡という社会は持っているものですから、皆さんのやりよう、考えよう、それからイメージの浮かべようによっては、あるいは、遊びようによっては、相当大きな先端的な課題と役割というのを果たすことができるんじゃないでしょうか。
 先端的な課題というのは、もちろん即福岡を考えること、あるいは、九州における福岡を考えることによって、たぶん、世界における国と国との問題、あるいは、地域における文明格差の問題、あるいは、産業格差の問題までつなげることが可能だというふうに思います。
 つまり、産業格差の何が問題かというと、たしかに先進国から始まって、高次産業社会にどんどん移っていっちゃった場合に、農業のパーセンテージが福岡なら、まだ数パーセントありますけど、東京だったら、農業のパーセンテージは0.1か2なんです。これはもうすぐなくなっちゃうというか、いまだって0と言ってもいいくらいで、0.2ぐらいの、こういうふうになっちゃって、第三次産業と第二次産業ばかりの社会というのが、先進国の先進社会というのが、どんどんそういうふうに移行していく、そうするといちばん食べ物の役割をどうしても担わされちゃうのは第三世界、つまり、アフリカ的社会というのが森林草原というのを取っ払っちゃって、それで、それを農地にしちゃうというような、そういうことによって、世界の食糧倉庫といいましょうか、それをアフリカ社会が背負うということになるということは、自然成長させるとわりあいに自明の理のように僕には思えるのです。
 そうすると、経験的な定理によりまして、農業社会をたくさん持っている社会は、必ず貧乏だということになるわけで、そうだったらアフリカ社会だけ貧乏になって、貧乏であるにもかかわらず、食料を世界中に供給しちゃって、先進国がいい顔して高次産業の社会に移行しちゃって、食料はそっちから持ってくる。こういうことというのはわりあいに自然に思い浮かべられる世界史の構図なわけです。
 世界史はあと十年経ったら、世界史の段階というのは、どうしてもそういう方向にどうもいくように、ぼくには思えるんです、自然にやっていたら。そういう場合にはどうしたらいいんだという課題は世界史的な課題だ。
 これは、福岡市とどこかわかりませんけど。熊本市じゃ悪いですから、もうすこし小さい市と比べて、どんどん格差は大きくなっちゃって、そっちは食料ばかり作って、こっちは高次産業に移行しちゃって、これでどうするんだというのから類推することができます。そういうふうに世界的になっていくだろうということは、わりあいに自然成長的に確かなようにおもいます。
 これをどうするんだということがあります。どうするんだということがある場合に、ぼくはこうなってきたら唯一の可能性というのは、先進社会が第三世界あるいはアフリカ的段階の社会に対して贈与といいましょうか、無償贈与するという、そういうやり方をする以外にないんじゃないかということが言えるんじゃないか。つまり、そういうことが問題になる時は必ずくるんじゃないかというふうに、ぼくにはおもいます。
 それからもうひとつ言えることは、これは必ずしも悪い材料じゃないのですけど、我々の段階が、つまり、現在の世界史的な段階が、資本主義の興隆期、つまり、第一次産業と第二次産業しかなかった時代とどこが違うかといいますと、その時はいまと、製造業・重工業が発達したところが、帝国主義的に後進地域を植民地にしていってというような、そういう時代があったわけですけど。そういう時代と、いまの第三次産業が主体であって、第二次産業、第一次産業は少なくなっちゃった、先進地域では少なくともそうだという、そういう世界史的段階と何が違うかといいますと、いちばん違うところは、ぼくは交換可能性ということだと思います。
 現在、先進国として、たとえば、高次産業を発達させて、非常に富裕度も大きいというような、そういう社会と、それから、第三世界の飢餓にさらされているみたいな、そういう社会があるとします。そうすると、この社会というのは、即座ではないですけど、数十年あれば交換可能だということです。つまり、この飢餓にさらされている社会が数十年のうちに世界の先進的な社会になっちゃうということは可能だということです。
 つまり、この産業の高次性ということはそこにあるわけですけど。産業の高次性ということは何を意味するかといいますと、第三次産業というのは一見すると現象的には何も形がないので、こっちのものをあっちに移して金を儲けているというような、極端にいうとそういうのが第三次産業のイメージなわけですけど。
 ただ、それは非常に現象的なことなのであって、第三次産業のなかには、第一次産業と第二次産業はひとりでに包括されているというふうに考えられたほうがよろしいというふうに思います。ぼくが思うには第三世界と第一世界というのは、数十年あれば交換可能だということ、やりようによっては交換可能だということ、つまり、第三世界あるいはアフリカ的社会は、第一世界といいましょうか、世界の先進的な社会に、数十年あれば、やりようによっては移行することができるということ、その種の交換可能性というのが、世界経済の中で出てきたというのが、現在と資本主義興隆期、つまり、第一次産業と第二次産業がその二つしかなくて、二つが主体であって、二つが拮抗していたという時代と現在との大きな違いだというふうにおもいます。
 つまり、その違いと世界の高次産業に対する地域適応性ということの調節ということ、その二つの問題というのは世界史的な課題として、これから問題になるんだというふうに思います。
 その問題は二つともに、福岡社会というものは、その二つともに、それをどうやって解いたら解けるのか、どうやって解いたら平等に近いやり方ができるのかというようなことを解く課題というのは、二つとも福岡社会はモデルになりうるということだと思います。
 そういう意味ではとても重要な意味を持っているので、福岡社会を深く追及されることによって、やっぱり地域だけの問題じゃなくて、世界というのはどういうふうになったらいいのだって、どうやったらいいんだという問題を、やっぱりそういうことをやりながら、類推して、世界に対する人類のイメージというのを、やっぱり一人一人こしらえていく段階にきているんじゃないかと思われるんです。
 つまり、我々はじぶんを大衆的基準というふうに、先ほど申し上げましたけど、大衆的基準における第一の課題というのは、大衆的基準がすべての基準の前面に一等先に出てこなくちゃいけないということ、それが一等先に出てきたときが、我々が解放された時なんだということになるわけなので、そこからやっぱり福岡社会というのをより深く追及されることで、その課題は、世界史的な課題に、スウィッチをひねれば、すぐに適応することができますから、そういうことから世界史的な課題というのはどこにあるんだということもあわせて、そこから掴み取ることができるというところまで、皆さんにやってほしいわけです。これが福岡までやってきた、ぼくの最後に言いたいところで、それを言うことができれば、終わらせていいのだとおもいます。これでいちおう終わらせていただきます。(会場拍手)

11 司会

 ただいまから質疑討論といいましょうか、できれば質疑という形じゃなくて、積極的に論議を、せっかくのチャンスで吉本さんにふっかけてほしいと思います。いまから進行役を、私、先ほど自己紹介するのを忘れましたけど、パラダイス企画出版社編集長のトモノオと申します。よろしくお願いします。
 時間が遅くとも5時にはここの会場の都合上、終わらなくちゃいけないので、たっぷり時間をとっているつもりだったんだけど、そう時間はないので、いまから質問者を求めますけど、なるだけ簡単明瞭にじぶんの質問の意味が通るようなかたちで、発言なり、お願いしたいとおもいます。
 発言者は挙手していただいて、ワイヤレスマイクを持った人が二人いますので、挙手していただいて、私のほうで指名させていただきます。指名された方は名前を最初に言っていただいて、それから質問なり発言に移っていただきたいと思います。それではどなたかお願いいたします。

12 質疑応答1

(質問者)
 村越と申しますけど、どうもありがとうございました。都市に住んでいるということで、吉本さんは東京の上野のほうに住んでいらっしゃるということをお聞きしているのですけど。前に文章を読ませていただいた時に、散歩するところがあまりなくなったとか、いまのお話とはたぶん違うと思うのですけど、住んでいて好き嫌いということになるかと思うのですけど、お父さんのほうは、天草のほうから、吉本さんが東京に出てらっしゃって、ずっと長いこと東京にいらっしゃるのですけど、東京のほうでずっと暮らしとって、散歩するとか、路地で盆栽つくって栽培するとか、そういったところがあまりなくなってとか、そういうことが書いてらっしゃるのですけど、あまり住みやすいような街とも思えないのですけど、東京の上野とか谷中とかのほうが、それでなおかつ30年も40年も、もっとずっとかもしれないのですけど、いらっしゃっているのは、ぼくなんかはもっと地方とかどこかに転居というか、もっといいところに転居したほうがいいんじゃないかなんて思うのですけど、東京とか、上野とか、谷中にずっと住まわせているのは何なのかななんて、ちょっと思っているのですけど、いまのお話とまったく違うことなんですけど、そのへんちょっとお伺いさせてもらえないかなと思ったのですけど。

(吉本さん)
 いまの言われたことでいろんなことを言えるし、言いたいのだけど、いちばん言いたいことは、住居とか、地域といいましょうか、そういうものについての人間、動物もそうかもしれないですけど、人間の考え方とか、感じ方というのは、非常に合理的じゃないなと思うのです。
 非合理だなとおもって、ぼく自身もきっと非合理なので、あまりいいところじゃないし、便利なところじゃないとか、住みよくないのだけど、なんかそこを離れないというような、いまあなたの言われた具体的にいちばん極端な、そういうことであれだったのは、ぼくは東京の下町なんですけど、そういうところの路地をくぐっていって行き止まりみたいな、そういうところというのは、わりに好きなので、いまのぼくの家は人からからかわれるほど、柄にもなく普通の家なのですけど。学生時代とか、学生を終えてすこしの間というのは、ようするに路地裏のところの下宿家とか、間借りとかというところばかりいっていたんです。
 それは何でかといったとき、何でかと自分でも疑問に思うのだけど、結局、子どもの時、下町のそういう路地裏みたいなところで、ごちゃごちゃしたところで遊んだり、何かしていたというイメージがあって、それに執着しているんじゃないかと、別に意識しているわけじゃないのだけど、なんとなくそういうところが好きだとなっちゃって、そこへいくということなんです。
 それで、だから、そういうことについて、便利さ有効性ということと、どこに住むかということは、あまり関係ないくらい、住処については不合理だ、人間というのは非合理だなといつでも感じるんです。
 それこそ親父というのは九州から夜逃げみたいにして、東京の下町のごてごてしたところから、やっと住み着いてということをしたものだから、ぼくがそういうところで下宿したり、間借りしていたりすると、やってきて、なんでこんなところわざわざ、こんな汚ねえ隅みたいなところで、なんでこんなところに住むんだといつでも文句を言われていたんですけど。
 親父にしてみると逆であって、こういうところに住むというのは、親父にとっては嫌な思い出につながっているんだと思うんです。だから、そこは嫌だったと。ぼくは子どもの時の遊び場で面白くてしょうがないところでしたから、好きなものだからそこを固執しているというようなことだと思うのです。
 それで、もっと大きなことでいえば、ぼくは砂漠の砂埃がいっぱいあるようなところにテントなんか張っちゃって、顔を布で隠して、ラクダかなんか連れてあっちこっち移動して、食べるものといったら、ようするに砂埃がくっついた干し肉みたいなものをかじって、よくもまたこういうところにいて、もっといいところにいけばいいのになと、いつもそういうニュースとか、テレビを見ると、なんでこんなところに住んでるんだろうと思うのだけど。やっぱりあれは非合理なものじゃないでしょうか。そこに執着があるということは、どうしても一代二代では変えることができないくらいな、居住性についての不合理さというのを、人類はやっぱり持っているんじゃないかなと思うんです。
 それはそういうふうに言っておいて、また、さっきの話になるのだけど、だけどもそれは、たぶん現在は交換可能なんだよというふうに、ぼくは思いますから、いくらかは今でもそういう傾向に、ぼくは変わっていきましたけど、いまより、お金でももう少しあれしたら、もっと住みいいところにいくかもしれませんから、その節はよろしくお願いします。
 でも住居についてはものすごく不合理だとおもいます。いつでもそれを感じます。なぜこうなのかなって、人から見たら僕もそう見えるだろうし、砂漠の住民も文明社会から見たら、なんでこんなところに住んで、栄養失調になりそうな干し肉なんか食って、埃だらけのところに住んで、よくもいるものだと思うのだけれど、あれはちょっと急には変わらないんじゃないかと思う、それくらいやっぱり住居というのは不合理なんじゃないでしょうか。だから、だんだん合理的には僕もしたいと思うんだけど、ものすごい固執しています。東京でいうと下町に依然として固執していますけれども。決してそれほどいいというわけじゃないです。

13 質疑応答2

(質問者)
 松永といいます、中学校の社会科の教師をしていますけど、ずっと吉本さんを20年くらい読んできて、一人の人間にずっと色んなことを教わってきたのでありがたいというか、何回か講演会も出て、だいたい一回は質問するようにしているのですけど。
 今日は福岡のことということで、福岡という歴史と地理ということで、いま市も非常にアジアの中の拠点みたいな発想で福岡を開発しようみたいなところがあって、私自身は16年ぐらい関東におって、ここ10年ばかり福岡に来て住んでいるんですけど、非常に世界史的に見ても、可能性を非常に感じます。
 ひとつは何千年も昔から、おそらく大陸文化が福岡はかなり早く、日本に入る入口みたいな、玄関みたいなところだっただろうと思うんです。現実に、韓国とのフェリーとか深まってきているわけです、実際に。あるいは、高校生の修学旅行なんかも来ていますし、それから、修学旅行生が韓国に行ったり、そういう点で深まってきているし、現に私の中学校にも何人か韓国の中学生が来ているんです。
 そういう形で、福岡がこれからどういう役割とか、そういうことを考えているのですけど、ひとつは、私は色んな思想家に関心があるのですけど、柄谷行人さんと石原慎太郎氏が「すばる」の中で、結局、戦前のアジアの中で、戦前というか明治時代ですけど、福岡にあった自由民権組織の玄洋社が、非常に最初、民権論から国権論になっていきます。
 そういう感じで、日本がいまアジアの中にだんだん大国意識みたいな、そういう形でやっていくのはもちろん間違いだろうと思うのです。そうすると、そういう形でない福岡のあり方というか、あるいは、我々民衆のあり方というのでしょうか、そういうことが、これからもし私がずっと福岡に長く住むとすれば課題になっていくわけですけども。そこらへんを、歴史とか地理という点から、これからの福岡の可能性みたいなことをできれば少し話していただきたいなと思います。

(吉本さん)
 いまおっしゃられたようなことは、ぼくは、今日は全然お話していないんです。それはどうしてかというと、原則が僕は重要だと思っているからです。その原則というのは何かといいますと、ようするに、川崎徹さんのあれでいえば一般大衆なんですけど、一般大衆という基準というのを離さないで、そこからイメージしたい、福岡というのはこうなんだとか、産業構造はこうなっているんだという、そこから考えて福岡というののイメージを作っていって、理想のイメージも作っていってというような、そういう作り方をすべきだというふうに僕は考えているわけです。
 つまり、これは進歩政党とか、保守政党の政治家とか、知識人でもあれでもいいのですけど。そういう人たちの場所で福岡をイメージするということは意味がないことだと思っているわけです。
 つまり、一般大衆という場所の基準を離さないで、そこから福岡というのを、自分のイメージを作っていくということが重要なのであって、あなたの言われたようなことは、たとえば、あなたが、あるいは、ぼくが、そういうことは100%ありえないのですけど、ぼくが為政者だったら、やっぱり本気で考えると思うのです。
 だけど、ぼくはそういうことは、つまり、為政者の代わりに僕は考えてやる必要もないわけですし、それから、進歩政党のために考えてやる必要もないわけで、ようするに、一般大衆として、しかし、誰にも負けないし、誰にも依存しないところの福岡の理想のイメージというのを作って、いまの福岡はこうなんだと、こういう構造をもっているんだ、これからどういう理想のイメージを作れるかということ、一般大衆として作れるか、媒介なんか何もいらないので、誰がどう言おうとそんなことはいいので、そういうイメージを作っていくということが重要だというふうに言っているので、韓国とどういう交際の仕方をしたらいいかとか、そういうことというのは、いまは福岡市長はどこの人か、どういう政党の人か知らないですけど、政府は自民党なので、そういうのに任せておいたらいいんじゃないでしょうか。
 つまり、何を言いたいかといいますと、日本のインテリ、知識人というのは、こっちにあるのかどうか知りませんけど、よくいちばん典型的なのは金曜日の夜中に、「朝まで生テレビ」というのがあるんです。そうすると、あれは保守派のやつとか、保守派のインテリと進歩派のインテリとそれから保守派の政治家と進歩派の政治家みたいのがでてきて、盛んにやるんです。
 ところが、よく聞いていてご覧なさい。初めのうちは個性的な自分の意見を言っているんだけど、そのうちにだんだんだんだんひとりでに、みんな全部です、全員そうですけど、じぶんが進歩政治家代表とか、保守政治家代表という、いつのまにかそういう発言になっちゃっているんです。
 それはぼくは絶対にダメなんだと思っているわけ、だから、あなたのおっしゃることは、ぼくになんか政権でも担当させてくれるなら、いくらでもやってあげますけど、韓国とどうやって交際したら理想的かとかやってやるけど、そんなことはぜんぜん必要ないし可能性もないし、そういう気もないからそうじゃないです。
 ただ一般大衆である可能性はたくさんありますし、いまもありますし、だからそこから直接的にそこでできる逸脱しないようにして、しないで、そういう福岡のイメージを作れたら、また韓国との交際のイメージでもいいのです。あなたが一般大衆として、韓国の一般大衆とどのようにやったら、いちばん仲良くできるかなみたいなやり方をどう考えられるかなというような考え方だったら、かように発展してくださっていいわけだし、それがいつのまにか為政者の代わりとか、福岡市長の代わりに代弁しているんだみたいになっちゃったら、それはもうアウトなんです。
 ぼくがいちばんやってほしくないし、いちばん連中に対して批判的なのは、石原さんは為政者だし、政治家だし為政者だから、天下国家日本国のあれを言ったって悪くはないのでしょうけど、インテリがそんな、進歩インテリだろうと、保守インテリだろうと、為政者みたいなことを言うなって、つまり、そういうふうにインテリが発言したらもうアウトなのであって、ダメなんだという、つまり、そういうインテリの時代とか、そういう進歩派、保守派の時代というのは終わったよと思っているわけです。
 そうじゃなくて、一般大衆というところから何が言えて、韓国との交際について何が言えて、ここから以上は言っちゃったら政治家、為政者になっちゃうんだ、あるいは反体制為政者になっちゃうんだよ、それをきわめて厳密に排除しながら、一般大衆として、そのかわり誰がどう言おうと、そんなのはべつに影響は受けるかもしれないけど、従うわけじゃないよと、進歩政党の言うとおりにするわけでもないし、保守政党の代弁をするわけでもない自分のイメージを、韓国との交際についてこういうイメージなら作れるというのを、それでそこを逸脱したら、それはもうダメだから逸脱しないようにということを原則として守りながら、それがいまの現在の課題だというふうに、ぼくはおもっています。
 だから、あなたのおっしゃることはとてもよくわかるのだけど、ぼくは大衆の立場といいましょうか、あなたが誰に依存してもいないし、誰からも影響を受けていない、あなたの一大衆としてという、そういうところを固執しながらといいますか、原則を守りながら、基準を守りながら、韓国との交際というのは、あるいは韓国人とこういうふうにやったらいいんだと、韓国の一般民衆とはこういうふうに交際したらいいんだと、しようじゃないかみたいな、そういうイメージをぼくは作っていかれるということがいいんじゃないでしょうか。きついことを言うようですけど、けっしてそうじゃなくて、ひとつのあれでいうのですけど、ぼくの持っている大原則なんです。
 だから、ぼくの言いました福岡のイメージ、現状分析と、それから、何が重要なのかという問題は、ぼくは自ずからおっしゃったような、具体的な韓国との問題とか、こういう問題が起こったとか、そういうこととは自ずから違ってしまうので、それと同じことを言っちゃったら、ぼくはつまらないことを言っていることになっちゃうのです。
 ぼくの場所からはどうでもいいようなことを言っていることになっちゃうから、そうじゃなくて、その原則はあくまでも大衆という原則、あるいは自分が、あなたなら学校に行って毎日、生徒さんに教えていたり、じぶんが勉強されたりというような、そういうところ、それで韓国の留学生の人もおるし、在日の韓国人の生徒さんもいると、そういう人たちと、どういうふうに教えたら入りいいかとか、どういうふうにあれしたらいいんだという、具したらいいんだという問題を介して、やっぱりいまおっしゃったような問題に敷衍していくみたいな、そういう道をとってくださることが、ぼくはいいことのように思うのですけど。
 そこのことはいってみれば、重要なといいますか、いまの現在の思想問題であるわけなので、決して保守政党の代わりに進歩政党に代わったら国家がよくなるなんてことは、福岡がこう変わるなんてことはない、そんなことは考えもしないわけで、そんなところで変わる福岡なんか、いってみれば、どうでもいいので、一般大衆にとってどう変わるかということ、どう変えてくれるのがいいのかとか、そういうイメージを作ることのほうが重要なのだと僕は思うのだけど。だから、そこの問題じゃないかな。
 だから、それは石原さんは石原さんなりに為政者であるし、日本国の代表的な政治家の一人なのだから、それはそういう代表的な口ぶりをしてもいいんですけど、ぼくは少なくとも石原さんに否定もしないですけど、希望を託せることはひとつもないと、それは同じで柄谷に知識的に教えてもらうことなんか何もないわけです。
 だから、全然それはあまりないのです。だけど、あなたのおっしゃったことから教えてもらうことはたくさんあるわけです。どこからどこがようするに大衆的イメージを逸脱して、どこからどこまでが大衆的イメージに従って、あなたが無意識に発言しておられるなというのは、ぼくにはすぐに区別することができます。だから、そこのところをいま申し上げたわけです。そういうことだと思いますが。

(質問者)
 反論ではないですけど、そのとおりだとおもいます。やっぱり、知というか、知識というのが、どうしても飛躍してしまう、その情けなさをおもうのです、自分自身に。ですから、今日の話の結論というか、私自身はとにかく都市の持つ面白さというんですか、楽しさというんですか、そこらへんを十分、味わい尽くしてやっていくということが解放につながるというふうに受け止めました。

(吉本さん)
 ぼくも賛成です、そういうことに。

14 質疑応答3

(質問者)
 わたし、下関から来た西野というものですけど、話が前後してというか、ひとつ前の人のところの、谷中にこだわる吉本さんということで質問したいのですけど。生活域というか、そういう区域・空間としての、吉本さんは矛盾ということでおっしゃられましたけど。都市像として考えたときに、もうひとつ吉本さん自身で都市像のなかで展開されております高次の映像、これとの関係というのが、やっぱり積極性としての谷中、都市像としての、これが吉本さんがどう考えているのかなということが聞きたいのですけど。
 そのときに都市像のイメージ像の拡張として、将来そこまで取り込んでいくのか、わたしはできれば吉本さんにいろいろ教えていただいているので、じぶんもそういう方向で整理していきたいとおもうのですけど、そこは切り離して、そういうものは壊れていくものとして、像のイメージを将来的にも捉えているのか、そのへんについてお話を伺えれば。

(吉本さん)
 いまおっしゃられたことは、やっぱり自己矛盾のところなのですけど、ぼくが、たとえば、下町の谷中地区の町並みとか、住居のイメージというのはあるわけですけど。いわゆる庶民暮らしのイメージというのはあるわけですけど。それは好きなところなんですけど。それは、だんだん都市開発の波というのがひとつあるわけですけど、それを勘定に入れなくても、ぼくらが好きだなと思っている町並みとか家並みというのは、住んでいる人から見ると、先ほど最初の方のあれと同じで、言われたことのとおりで、住みいい住居じゃないんです。第一に暗いんです、つまり、採光はよくないし、それから、照明がよくないし、裏長屋みたいな続き具合になっているから、ものすごく暗くて、軒が低くて、それから上がり框も低くて、決して住みよくもないし、基本的によくないんです。
 そうすると、ひとりでにそんな人たちの家が、ぼくらは勝手にいいな、いいななんて思ったり、ぼくだけじゃなくて、わりに下町の住居、民家の情緒が好きだみたいな人たちが、探訪にいく下町というのは、みんな大なり小なりそうなんですけど。そういうのは、住んでいる人がぜんぶ、住み心地が悪くて暗くて機能的に悪くて、じぶんたちでもって、いってみればせっかくいいなというふうに思える格子戸をめちゃくちゃに壊しちゃって、半分モダンな扉に変えてしまうしというふうに、それから、採光は窓からはあまり可能じゃないので、照明をネオンに変えちゃってというようなことを、むちゃくちゃにやるものだから、いってみれば、下町の情緒なんていうのはどこにもないよみたいなふうに、少なくても谷中地区では、非常にうまく路地の裏のほうを探さないとないみたいになっちゃっているわけです。
 それでやっぱりおやおやって、なんてひでえことになっちゃったんだっていうふうに思いもするわけですけど、もう一方でいうと、やっぱり当然じゃないか、つまり、外から見て、これはいいよいいよって、いい情緒だよって言っている分には、いっこう差し支えないのだけど、住んでいる人にとっては、冗談言うなって、そんなことは言っちゃいられないんだと、もっと機能的に住みよくして、明るくしないといけないんだという、直すのは当然だというふうに、住んでいる人はそうなるとおもう、やっぱりあるとき、そういうことを一生懸命考えたことがあって、そういうところからみて、これは良い情緒だよとか、この街並みとか、家並みはいいよなんて言っているのも、ほどほどにしないと、どこかで勘が狂っちゃうぞみたいなことを、あるとき感じまして、それで、じぶんでは自己矛盾なんですけど、じぶんの好みというのと、それから、都市の中の住居というものの問題ということは、やっぱり別というか、別に切り離して考えないとダメなんじゃないかな、だから、わずかにそれを合致させることができる好みといいましょうか、情緒的好みと、それから都市としての、あるいは住居としての機能ということと、合致させることができるとすれば、じぶんの住居というのと、じぶんが住む地域というのだけは、もし金さえあれば、それはある程度は合致させることができるという、それ以外は合致させようとすること自体が無理であって、だから、切り離して考えなきゃいけないというふうに、あるときから僕はそういうふうに考えるようになったと思います。
 じぶんの家という時だけは、場所と銭のある範囲内で、できるだけそういう好みと、それから、情緒性を合致させようというふうには思っているんですけど、それもなかなか思うに任せないというのが現状だとおもいます。それと都市論としての住居地区ということとは、やっぱり、ぼくはじぶんの家以外は切り離そうというふうに、あるときから考えたわけなんです。そんなところなんですけど、どうでしょうか。

(質問者)
 私もいま質問したのは、じぶんの町というか、住んでいるところをどうやっていこうかとか、みんなと一緒に変えていこうかと考えた時に、そのへんのいままで培ってきた情緒性というか、そういうやつをどうやって扱っていくんだというのが、やっぱりイメージとしてなかなか湧きにくいわけです。
 それと一方では、都市機能みたいな空間的な、そういうやつを合体させていくということが、自分自身の個人的なものとしてもイメージしにくいわけです。そこで吉本さんがイメージ論を拡張していただいて、現在の都市に含まれる時間性みたいなやつを射程に入れてくれると、じぶんでしなくてもいいから助かります。よろしくお願いします。

15 質疑応答4

(質問者)
 サクライです。吉本先生の話はてめえでてめえのことの論理がわかるような、ぼくがぼくなりに都市論として考えていけるような統計とか、そういう考え方があるんだということに、ぼくは理解して、いま、前の先生がおっしゃったこととのずれですね、ぼくがちょっと感じるのは、ぼくも62歳で素人で何もしゃべることがないのですけど。
 ちょっとひっかかったのは、この先生は、ぼくが知るところでは、ある都市の建築課に勤めてあるわけです。だから、ぼくが家を建てるよりも、実際は東京都なら東京都、福岡市なら福岡市の建築課に勤めてある方もおられるわけです、現実に。ひとつは、先生がおっしゃって、ぜんぜん言っていなかったけど、もしかしたら、政治家じゃないけれど、政治家で下働きして、たとえば、県庁とかいろんな勤めてある方は、どうしたらいいんじゃないかと感じたものですから、ぼくは乞食みたいな男で、ぼくがいっても誰も聞きやしませんですけど。県の建築課長とか、知事は政治家で選ばれますけど、毎日、日常的に働いておられる方がおるでしょ、ぼくらよりも、建築課の課員のほうがよく考えて、ぼくは今日聞きましたから、いまから都市論を考えますけど、そういういちおう専門家といわれる方が組み込まれて、世の中にはおられるんです、現実に。
 ぼくが福岡市をこうしようというよりも、連中はまだ大きなところから、はっきりいえば政治的に、権力的に、福岡はこうあるべきだと、ぼくはぼくなりにいまから考えようと思っているわけですけど。すでに組織に入った方はどうしたらもう少し、ぼくは理想としては、一本のバラはどちらから見てもバラだというふうにとれるところがあるんじゃないかと、今日の話を聞いてそれがひっかかったんです。それが政治なんかでどこで分かれていくのか、もしあるとすれば。そしてまた入った人は、どうすればいいんだとか、開発局かしらないけど、建築課をやめないかんのかとか、そういう問題も起こってくるんじゃなかろうかと思いましたから、以上です。

(吉本さん)
 いまの言われたことは、ようするに、すでに県なら県、あるいは福岡市なら福岡市の建築課に勤めているとか、建築課の責任者であるとか、そういう人たちが、福岡市の建築はどうすべきかとか、ここはこうすべきだということについて、すでにその場所で専門に、また、職業としてやらざるをえなくなっていると、そういう人はどう考えたらいいかという質問でしょうか。

(質問者)
 それで結構です。そのなかに明快なる吉本先生の都市論として実行したいと思っておられる方がおられるわけです。それとどうぶつかるかという、ぼくの場合は全然ぶつかりはしませんけれど。ぶつかって、やりがいもあるんじゃなかろうかと、ぼくはおもいます、そういう方々は。それに対する言葉を。

(吉本さん)
 ぼくはそういう役所の組織というのはわかりませんけど、それはたぶん、たとえば、4割なら4割は、勤めておられるその人自身の見解とか、設計とか、やり方とかというのが、その場所で通る、あとの6割はしかし、上からの企画書で決まってしまうと、そういう場所であるかもしれないし、ある人にとっては1割も自分の持っている計画性、企画性というのは、そこでは通用しないといいますか、役所の中では通用しないで、設計も施工もなにから、上からやってくるものをただ受けて実現しているという、それだけのことだという人もいるわけだと思うのですけど。それぞれべつがあるのだと思うのですけど。
 それはたとえば、ぼくが言いたいこと、ぼくのおしゃべりしたことが通用するのは、たとえば、じぶんがその役所に勤めているけど、じぶんの考えているイメージとか、計画とかというのは、その役所の、その場所では、1割も通用しないと、そういう勤めておられる人でも、そういう人というのは、やっぱり自分の固有のイメージを役所の仕事とはかかわりなく、じぶんの固有のイメージを作ることが重要な、大切なんじゃないでしょうか。つくれば、どこかでいつか2割は採用してくれるとか、3割は採用してくれるという、場所の異動というのはできるかもしれないですから、まるで採用してくれない場所にいたら、やっぱり全部じぶんのイメージを作っておられるということが重要なんじゃないかと思うんです。それは、ぼくの今日のお話がそのまま通用する場所だとおもうんです。
 だけど、じぶんの設計したりしたイメージが、6割がそこで通るんだというのでしたら、つまり、5割以上通るのだというのでしたら、もうそれは、べつにぼくの話はいらないので、その6割を実現されると、実行されると、その6割実行されたものが良いもので悪いものであるかというのは別なのであって、それはかまわないと僕はおもいます。それがあまり、一般的に見て、民衆のほうから見て、あまりいいものだと思えないというのでも、ぼくはいいとおもいます。つまり、その場所の専門の、また職業がそうであって、そこで6割は少なくても、じぶんの考えが通っているわけですから、それはそれでやられたらいいんじゃないかと、こういうふうな感じになりますけど、どうでしょうか。
 つまり、半分以上がそこで通るんだった、その場所におられるわけだから、それをやられればいいとおもいます。やられた結果が、普通の一般、民衆から見て、大衆から見て、あれはダメだというのだったらダメだという文句もきましょうし、また、ダメだという批判もきましょうし、それはそれでいいとおもいますけど、批判がきても、それはそれでいいんじゃないかというふうに思いますけど。
 だから、5割以上、じぶんの考えが通る場所におられたらやれということだけじゃないでしょうか。それがいいと言われようが、悪いと言われようが、結果であって、やれということだと、5割も通らない、1割2割しか通らないというのでしたら、やっぱり、じぶんのイメージを作られて、それが5割以上通るときを待つとか、時期を待つとか、あるいは、時期がなかったら、それはじぶんのイメージとしてこしらえてしまうという、それがいいんじゃないかと思いますけど。そのくらいのことしかないですけど。

16 質疑応答5

(司会)
 5割以下のほうが、吉本さんの都市論のイメージとしてはそうみたいですけど。せっかくそういうところに議論が集まったので、ほかに行政でそういうのを担当してらっしゃって、5割以下の方、もしいらっしゃったら、いや5割以上でも構いませんけど。誰かいらっしゃったら、関連質問でお受けしたいのですが、いらっしゃいますでしょうか。

(質問者)
 木下と申します。私は福岡市のほうではないのですけど、住まいは宗像のほうで北九州のほうに職場をもっておりまして、遊びには福岡のほうに来ると、そういう生活をしております。先生の話のなかで、消費型社会であるという点と、自然環境に恵まれたという2つの点から福岡市の発展性ということについてお話がありましたけど。
 都市の発展が、どういうところがゴールなのかということが、いまひとつ、先生のお話の中から、これは福岡市民の皆さんで考えていくということだと思うのですけど。ここがひとつ大きな問題であるように思いますのは、いまも都市間競争がそうとう進んでまして、熊本で発展するか、大分で発展するかという問題もありますが、たとえば、福岡と北九州をとってみましても、福岡と北九州を一つの都市圏として発展させていくという考え方がございますけど、そのときに、施設をどちら側にもっているかということが、大きな問題となるわけです。そうなると、ひとつが発展したらひとつが衰退するという構図もあるわけです。
 その場合に、発展というのが、人が集まるという構図を考えれば、北九州市がどんどん人が少なくなってきて、いま103万ぐらいになっていると思いますけど。都市として発展していくのは、ほんとうに人口が増えていったら、人が集まればその都市はいい、住みよい都市なのかという問題と、それとそこに実際に住んでいる方が、住みよいというのはなにも発展しなくても、さっきの上野のほうのお話でもありますけど、都市として外から見たときに、理想的な都市と、実際に住んで住みやすいというのとは、すこし違うような気がするわけです。
 そこらへんをどういう都市を作っていくかという時に、街として成長・膨張していくことを目的とするのか、それとも、そのなかで住む一人一人の福祉が上がっていくためにはどういう都市にするべきかということと、ちょっと分けて考える必要があるかと、そのときに、どういう都市が発展するのかというのを、福岡を例にとって考えていって、それを敷衍していくとなると、どの都市も似たような都市と申しますか、個性のない都市になればいいという結論が出てくる可能性があるわけです。
 しかし、これは一方では差異をつくりだしながら、都市のアイデンティティを強調していくことによって、そこに人が集まるという考え方もあるわけで、そしてまた一方にはどの都市をとっても基本構想はほぼ同じようなことですから、人が住みやすい街というのはやはり同じような街じゃないか、そこに都市の発展と住みやすさの鍵が隠されているように思うわけなんですけど、そこらへんについてご教授いただけたらと思います。

(吉本さん)
 お話を聞いてまして、やっぱりお話の尋ねられている場所が、100%ではないですけど、90%は為政者の場所だと、為政者として問題にすべき箇所というのを指摘しておられるというふうに、ぼくにはそういうふうに聞こえました。それがあまり気に食わないなというふうに思ったのです。つまり、気に食わないでも、あなたの場所だからそれはしょうがないとおもうのですけど。
 ぼくはあなたの場所と為政者の場所というのは、もうすこし厳密に分けられたほうがいいような気がするんです。つまり、あなたが北九州市なんとか課の代表としてどこかに行かれた時に発言されることと、それから、職場外で発現されることとは違うんだということを区別されたほうが、もうすこし微細に分けられたほうがいいという印象を第一に持ちました。
 それからもうひとつ、人が集まれば、その都市はいい都市かとおっしゃいました。つまり、福岡市はいま120万人ぐらいいるのでしょうか、多くなっているんだと、北九州より多くなっているんだと思いますけど。そうじゃなくて、今日お話しましたように、人が集まるのはなぜかということなわけです。
 簡単なことから言いますと、所得格差が上だということは、今日も最初に、原因のひとつにあげましたけど、つまり、より多い所得を求めて人は集まってくるものだよという常識的なことからいきましても、そういうことは言えるから、逆にいきますと、人が集まっているということは、所得が多くなっているということを意味しているというふうに、ぼくには、厳密にはちゃんとデータを調べなければいけませんけど、常識的にいえば、人がいっぱい集まってきたということは、北九州市よりも集まってきたということは、たぶん、北九州よりも福岡社会のほうが上がってきたんだというふうに僕にはおもいます。それは調べればすぐにわかるとおもいます。
 だから、所得が多くなるということ、しかも、それは大衆的な規模で所得が多くなるということは住みよいことの第一の条件だと思います、ぼくは。だから、ぼくは、住みよいことの様々な条件は、心理的なことから、それから教育、家庭環境、それから社会環境とか、様々なことからいえますけど、それからまた、為政者は様々な点からそれをいって指摘して、実行しなきゃいけないでしょうけど。大衆的規模から、基準からいいますと、まず、所得が多いところに人が集まる。また、所得が多いということは大衆にとって、まず第一にいいということ、住みよいということの第一義的な問題になってくる。つまり、消費社会でより多く選択消費ができるということは、大衆にとっては住みよいということの第一、何かしたいと思ったら、それに対して家計費をたくさん使えるということは、住みよいということの第一義的要素になると僕は思いますから、それひとつとってきても、ぼくは、やっぱり人が集まってくるということは所得格差が大きくなるということであり、それは、選択消費が非常に少ない所得よりもたくさんできるということだから、より住みよいという観点になるだろうとおもいます。それだけとってきても、ぼくはあなたのおっしゃることは違うとおもいます。
 それから、違わないんだけど、違わないんだけど違うというのはおかしいんだけど、あなたのおっしゃることは為政者的だとおもいます。つまり、ぼくはそうじゃないですから、ごく一般の人がどこで住みよいかといった場合に、やっぱり第一義的に所得が多いということです。かつ消費社会で、選択消費によりたくさんの予算が回せるということがより住みよいということの第一条件だということは、ほかの条件を全部同じとすれば、まず、第一に疑いのないことだというふうに、ぼくには思いますから、その上で、あなたのおっしゃる様々な要因を数えることができます。
 その人の好みの環境があるだろうかとか、景色がいいだろうかとか、悪いだろうかとか、様々な環境がありますけど、それは為政者がもって気をつけて、そういう環境をつくるという課題を持っていることであって、その都市が住みよいか住みよくないかの条件は、住むほうの側からいえば、そこでは問題にならないというふうに、ぼくには思います。
 だから、おっしゃることは、ぼくはちょっとニュアンスが違うので、もうすこし、勤めておられる場所というのと、それから、その場所にいる人、それはちょっと先ほどのことと関連するんだけど、インテリというのは何かの代表でなきゃならないみたいな発言に、たとえば、朝まで生テレビというと必ずそうなるんです。中東問題についてなんか、必ず為政者の発言になっちゃうんです。それは、ぼくは違うとおもっています。
 インテリはインテリ、一インテリは一インテリなのであって、一インテリの見解をそこで披瀝すればいいので、そうだったら、10人いたら10人違っていればいるはずなのに、そうじゃなくて、朝まで生テレビを聞いていると、だんだん進歩と保守、こういうふうに2つしかない、2色しかなくなってしまうという、あなたのおっしゃるのは、北九州市の何々課に勤めていたら、みんな同じになっちゃうという、そういう場所じゃなくて、やっぱり、そこを代表しておられる時と、それから、そうじゃなくて、役所勤めの一介の人間というふうなところで発言されたり、関心を持たれたりする場所、それから、何を第一義とするかという場所とは、違うんだ、違っていていいですから、違うんだということを、もう少し微細に僕は分けてほしいような気がします。
 ぼくは単一に大衆的な規模、大衆的って一般大衆というと曖昧だといわれる人がいるから申し上げますと、一般大衆というのは何かといったら、統計というかアンケートをとりますと、私の生活は中流だと言っている人は、日本人のうち79%です。つまり、80%近いのが中流だと言っています。それがようするに一般大衆の場所だとおもいます。
 その人たちにとって何が第一義的かということと、それから、その人たちがよりよくするためには、これとこれとこれと条件を為政者が考えているということとは、まるで違うことだというふうに、ぼくにはおもいます。だから、そこは区別していただきたいような気がします。
 いまここにおられるときは、たぶん、中流の上だとか、中流の下だとか、中流の中だとかいう、そのなかのお一人ということになると思いますから、そこのところで何がいちばん重要なのか、おれは何を生活で求めているかということを第一義に考えて発現されていて、それは様々な条件があるといっぺんに言われると、みんないっしょくたになっちゃっている気がします。
 為政者とあなたとがいっしょくたになっちゃっている気がして、そうじゃないとおもいます。為政者の元で働かなくてはならない職場の自分というのと、それから、そうじゃないときの自分、一般大衆、つまり、中流の人である生活人というのとはやっぱり違っていいとぼくは思いますけど、そうすると、日本の8割を占めている中流の人たちは何を第一義とするか、ぼくはやっぱり、所得が多いというのは、住み心地がいいということの、わりあいに第一義的な要因になるとぼくは信じていますけど。
 あと、様々な社会環境、自然環境、家族環境、様々ありましょうけど、職場環境もありましょうけど、ぼくは所得格差が大きいということ、それは第一義にあると、福岡市と北九州市の現状を比べたら、たぶん、こっちは減りつつあるわけですけど。たぶん、所得格差はそうとうあるとぼくは思っていますけど、それはそれでよろしいんじゃないでしょうか。

17 質疑応答6

(司会)
 いま吉本さんからご指摘のあった、自分の立場、そういうところから何か反論といいますか、ありましたらどうぞ。

(質問者)
 反論ということではございませんで、個人的なレベルで少し申し上げたいです。私が東京に学生時代におりました頃、たとえば、さっきのお話と通じるんですけど、千葉のほうの海岸を歩いていた時に、廃線とか、古い網を編んでいる人にちょっと話したことがあるんです。私がこういうのは絵になるし、残しておいたほうがよいということを、そのときに何もわからなかったので申し上げたら、やはりとんでもないことだと、もっと近代化したいということがひとつある、過疎からの脱却ですね。
 今度、東京に住んでました頃は、人が多すぎたり、情報が氾濫していたりということがありますけど、もっと静かな環境がいいと思っておりましたし、勤めておったのをこちらに帰ってきたわけです。だから、個人的なレベルでも住みよい所ということと、街としてどうかということが、私はちょっと違うという気がして、所得という問題がいちばん大きいというのはわかりますが、ただ1960年代から80年代にかけて大きく価値観とかが変わってきたののひとつは情報革命ですね、これから、高度情報化になってきますし、それがあるので、どういう情報が得られるかということが、人が集まる要因だと、東京がブラックホールになっているのも、そういう要因だと、私はそういう点を強調しなくては見えないかなという気もいたしておりますので、個人的な立場としてさっきから申し上げているのですが、そういうことで発言でしたので、よろしくお願いいたします。

(吉本さん)
 中枢管理、情報知識というものの量が多いということは、人が集まるひとつの条件ではあります。おっしゃることは、条件の中のひとつとしては、とても大切な柱になるだろうと思います。
 それから、もうひとつ申し上げたいことは、情報の高次化みたいになって、情報社会がきたという言い方を、やっぱりジャーナリズムも言いますし、それから、経済学者でも言ったりすることがあるんです、専門家でも。
 でも、情報社会という言い方というのは、経済学的にはというのか、経済的な範疇でいえば、消費社会の、あるいは第三次産業社会、あるいは、第三次産業が主体になってきた社会の一属性だというふうに理解するのが、ぼくはいいように思っております。
 それから、先ほども言いましたけど、情報社会とは何なのかという場合に、ぼくがいちばんいいと思っている定義は、ぼくはそういう定義をつくって、基本にしていますけど、必需消費が消費支出の中で50%以下になった社会が消費社会という定義がいちばんいいように思います。
 つまり、消費社会というのは様々な定義ができるんです。だけど、皆、枝葉がほんとうだと思っていたり、経済学者でもそうですけど、そういうのはたくさんあるんです。だけれども、おっしゃる情報化社会、情報社会という、そういう言い方は、ほんとうは、ぼくはよくないと思っています。それは消費社会の一属性、あるいは第三次産業社会の一属性というふうにお考えになったほうが、ウェイトが妥当だというふうに、ぼくは考えております。
 だから、たしかにおっしゃるように、都市成長のひとつの要因ではあります。情報量が多いとか、知識量が多いところに人が集まるということは、ひとつの柱ではありますけど、それが全然すべてでもなんでもないということです。つまり、所得格差と並ぶ一要因ぐらいな要因になりますけど、それくらいの意味しか僕はないとおもっています。
 つまり、何が重要かというと、経済学が言ってくれないことというのはあるんです。近代経済学も、マルクス経済学も、この段階にきたら通用せんよということはあるわけですけど。そのときに何が大切かというと、どこでその社会の特性をつかめば、いちばん間違いがないか、100%間違いがないかじゃなくて、いちばん重さが間違いないかということはあるので、これはやっぱりちゃんと追及して決めていかなければ、未知数の問題があまりに多いのです。
 だから、ぼくはそういうふうに、おっしゃることはひとつの条件ではありますけど、わずかにひとつの条件で、また、第三次産業社会の一属性だ、情報化社会というのは一属性だというふうに位置づけていますけど。そのことは、ぼくは今日の前半の話に関連しますので、ちょっと申し上げたいような気がします。あとは、おっしゃるとおりだとおもいます。そういうところに人は集まってくるということはおっしゃるとおりだと思います。ぼくは第三次産業社会の一属性だとおもいます。

18 質疑応答7

(質問者)
 私、鹿児島から来たナガヤマといいます。鹿児島にずっと住んでいまして、いつも怒りを感じていて、それは何かというと、日本のこういう皆が東京のほうばっかり向いていて、もちろん東京のほうはじぶんの足元ばかり見ていて、鹿児島はぜんぜん見ないと、今年の春に浪人が決定して福岡に来て、福岡に来てみると、今度は福岡の連中はやっぱり鹿児島のことは知らない。そういうことで非常に怒ってて来たら、吉本さんの話を、じぶんたちで都市論というか、イメージを戦わせて、つらいだろうけどおまえらもがんばれやとそういうふうに言われたんだという具合に解釈しているのですが、それでよろしいでしょうか。

(吉本さん)
 ぼくは、ほんとうをいうと、言われたことのモチーフというか、主意がどこにあるのか、ほんとうはよくわからないのですけど、ようするに、それの原則はたいへん簡単なので、ようするに、第一次産業を近代化して、就業要員を少なくする、つまり、第一次産業の人口構成のパーセンテージを少なくすれば、鹿児島は先進的な都市になるんじゃないでしょうか。
 そうすると、非常に不愉快と思われる方はたくさんおると思うのですけど。つまり、農場は大切だぞ、農村は大切だぞとか、緑は大切だぞとか言っている方は、たくさん不愉快に思われるかもしれないんだけど、それは公理というか、定理というか、大原則だから、結局、鹿児島に注目を集めたいというのだったら、第二次産業、第三次産業を発展させて、鹿児島の農業・漁業の構成パーセンテージを低くする、少なくするというふうにすれば、よろしいんじゃないでしょうか。それは、肝に銘じて知っておいたほうがいいと思います。
 そんなことは悪いことだ、つまり、農業があって、田園が豊かに開けている、それがいいんだとおっしゃるんだったら、それで農業のパーセンテージを多くすればいいんじゃないでしょうか。それはもう非常に原則であって、はっきりしていることだから、どちらでもいいわけです。
 どちらでもいいということは、鹿児島と福岡市というのは、やっぱり10年か、20年あればすぐに交換可能だとおもいます。つまり、福岡だってつい最近なんです。それまでは東北と並んで福岡、熊本、それから鹿児島というと、典型的な後進都市であって、九州は南にいくほど後進地域であって、典型的にそう言われてきたんです。だけど、ここ数年でもって、福岡というのは、日本の中では最も隆盛に向かいつつある都市というふうになっているんです。
 そういうことは、鹿児島というのもそうなんです。ここ1,2年でめちゃくちゃイメージが変わっているんです。いまに見ていてご覧なさい。数年のうちにやっぱり九州で先進的な都市になるんじゃないでしょうか、鹿児島というのは。もうすでにある部分からむちゃくちゃに変わりつつあると、ぼくは行ったことがないので、飛行場だけ行ったことがあるんですけど、ただようするにデータだけでイメージを思い浮かべますと、そうじゃないでしょうか。
 だから、あなたがどういう都市を理想にされているかわかりませんけど、いずれにせよ理想というのは、農業の比率と、製造業の比率と、それから、第三次産業の比率があるパーセンテージになっている都市がたぶん理想的な都市なんです。それはたぶん、専門家だったらはじき出すことができるとおもう、ぼくはおもいますけど。その都市、地域地域で多少の条件の変化はありますけど、はじき出すことができると思っていますけど、そういうのを作っちゃえば、いちばん住みいい都市ということになるんじゃないでしょうか。できるんじゃないでしょうか。
 それはあなたのイメージがどうあるのかということに関わるので、ただ、どうすればどうなるかということは、今日お話しましたとおり、たいへんはっきりしているので、これは感情論でもなければ、希望論でもなくて、非常にはっきりしています。都市が発達するというのは、ほんとうはいいことなのか、それは誰にもわからないんです。理想的に発達するのがいちばんいいのです。
 ところで、都市の発達というのは、ほかの要因と同じように、文明の発達と同じように、ある部分はどんなことをしても、自然の変化と同じくらい、自然的な変化だと言える部分と、都市の発達自体がです、文明の発達もそうです、と言える部分と、いや、やっぱりこれはやり方がうまかったんだとか、偶然の条件が色々うまく重なったんだという部分と両方あります。
 もし追及するなら、これはどうしても不可視的にこうなっていったんだという部分と、それから、これはやっぱりやり方がうまい、まずいの問題だという部分と、一生懸命、分析して分けてみるということがとても追及としては重要な気がするのですけど。それから、希望としてあなたが希望されるのはどうすればどうなるというのはたいへんはっきりして、それは、例外はないんです。全部はっきりしていることだと思います。はっきりわかっちゃっていることだから、ただ、そうするかしないかということの問題だけな気がするんですけど、そこの問題じゃないでしょうか。

19 質疑応答8

(質問者)
 大鈴です。今日の都市論としての話から、すこしずれるかもしれないのですけど、福岡にいると吉本さんに会う機会がほとんどないので聞かせてほしいことがあるのですけど。今日、話で、日本の都市のことを把握すれば、それは世界のことを把握することにもなるんだということを聞かせていただいて、ようするに、世界を認識するときには、日本の都市を考えることも助けになるんだということを教えていただいたんですけど。
 吉本さんがインタビューで、二次大戦の終戦の時に、じぶんはその時点で世界の認識の方法をもっていなかったと、それが非常にショックだったという話を聞かせていただいたんですけど。いま、個人的な話ですけど、ぼくとかが、じぶんが努力が足りない点もあるのですけど。いま世界中で起こっていることを認識するという点において、ぜんぜん力が足りないと思っているんです。
 吉本さんが終戦の時に認識の手段も持っていなかったし、認識しようという姿勢もなかったと聞かせていただいたんですけど。ぼくたちが世界を認識しようという姿勢をもっている時に、どのような努力とか、姿勢とか、そういうのをもったら、最近、吉本さんが、自分が世界を判断するにあたって、判断を誤ることはあまりないという発言をされていますけど、そういう吉本さんみたいなレベルに達するというか、そういう努力をしたいという者は、どのような努力とか、どのような姿勢をもったら、世界とか、そういうものを認識することができるのでしょうか。

(吉本さん)
 面倒な話し方をすれば、いかようにも面倒な話し方になるんですけど。そうじゃなくて、いちばん簡単なことで申しあげますと、たとえば、今日お話した程度の認識というか、分析というか、それは新聞を読んでいればできるんじゃないでしょうか。福岡日日新聞でもなんでもいいですけど。ぼくは毎日新聞というのをとっているです。毎日新聞を読んで、じぶんの頭にひっかかってきた記事があると、切り抜いてスクラップブックに貼ってありますけど、それでいいんじゃないでしょうか。つまり、それ以上のことは、ぼくはしていないですから、努力らしい努力はしていないですから。その関係の本を読むということは、時々やりますけど。
 そうじゃなくて、新聞というのは国際情勢から、それから、経済問題からなにから全部書いてありますから、三面記事から。それを福岡なら福岡の地域の新聞と全国紙とあったら、それを読んで、丹念に自分のここにひっかかってきたやつを切り抜いて貼っておけばいいんじゃないでしょうか。
 それであることが、じぶんは必要になってきたってなったら、その切り抜いたやつを繋ぎ合わせまして、じぶんの物語をつくればいいんだとおもいます。他人の物語なんかいらないのであるし、また、新聞記者の物語もいらないし、ただ、じぶんがひっかかって切り抜いておいた記事を、初めの頃から1年なり半年なり、それを丹念にめくって、そこから自分の物語を関連させてつくればいいんじゃないでしょうか。始まりあり、中ごろにクライマックスあり、そして、終わりがあるという物語を、じぶんの切り抜きからつくれば、それがあっている場合と、あっていない場合もあると思います。あってくるのはなかなか大変だということもあるかもしれないけど、いずれにせよ、それは誰のでもない自分の物語なのであって、あるいは、じぶんの見解なんだ、あるいは、じぶんのイメージなんだということになると思います。
 つまり、ぼくはそれ以外のことはしていないです。それ以外の特別な勉強はしていないし、そんなことは専門じゃないですから、そんな専門的な知識をどこか学校で習ったわけでもありませんから、それだけのことをしているだけで、ただ、そこから自分の物語をつくるということだけじゃないでしょうか、それからあとは、じぶんというのは何者なんだという、じぶんの場所というのは何なんだということだけじゃないでしょうか、それはいちばんやさしいやり方のように思います。もっと面倒なことをあれするならば、限りなくあるような気がしますけど、いちばん簡単なあれでいえば、それだけのことをされればよろしいんじゃないでしょうか。というのが、ぼくのやってきたこと、何のタネも仕掛けもないので、それだけのことです。

(司会)
 ちょっと何でも相談室みたいになっていますので、今日、せっかく吉本さんが福岡について統計データなんかを中心に調べられて、そのうえで都市の福岡、あるいは、それから都市論、都市の福岡、あるいは、それで世界都市論というかたちで、せっかく展開されたわけですから、もうすこし骨のある発言なり、議論を出してもらえたらと思います。

20 質疑応答9

(質問者)
 福岡の白石といいます。近くに住んでいますけど。骨があるかどうかわかりませんが、先ほど、お話がありましたなかで、福岡の可能性として、都市論の可能性として、人工都市をつくるについての消費型社会という要素と、アフリカ的要素ですか、ということがあるんだということ、お話があったわけですが、その場合のアフリカ的要素というふうに言われた内容というのをもう少し具体的にお聞きしたいと思うわけです。
 端的にいいまして、森とか林とかいうのが原始のままといいますか、アフリカのような格好で残っているという、そういう要素というのが、この人工都市をつくるということについて、どのような可能性なり、あるいは、役割というのを果たせるのか、あるいは、人工都市のなかでいわゆるアフリカ的要素というのが、どういうふうな要素、あるいは役割を果たすのか、そういうふうなところですけど、よろしくお願いします。

(吉本さん)
 先ほどもちょっと言いかけたのですけども、その人工都市の可能性というのは、オーソドックスにいえば2つしかないと思うんです。そのひとつは消費社会になって、製造業、農業主体から第三次産業主体になったところで、日本でいいますと、大阪にそういうところが二か所ぐらいありますけど、そういう人工都市といえるところが二か所ぐらいありますけど、それらは製造工業が第三次産業に移行した後の工場敷地及び工場地帯といいましょうか、工場に働いていた人の住居も含めて、そこを使いまして人工都市をつくっているというのがあります。これは、規模は規模で小さいのですけど、原則は同じで、製造業というものが第三次産業のほうに移行していった、その後といいましょうか、移行していったその後というのは、可能性として、人工の都市というのが作れる可能性があるわけです。あるというふうにおもいます。
 この人工の都市はどういうふうにやれば理想的なのかということになるわけです。いままである都市というのは、たいてい農村から分かれて自然発達していった都市というのが、都市というものの定義みたいなものなんです。
 それから、農村というのは何なのかということになるわけですけど。それは不毛の平野というものを開拓し、人工的に制御して、人工的に植物の種を植えて収穫するという、そういう人工的な場所にしたのが田んぼや畑、つまり、農地であるわけです。
 それから、農地から分かれたのが都市、つまり、工業都市であって、ここまでは、自然成長的に人類がやってきたわけですけど。第三次産業が主体になった地域では、すでに製造業の跡地に人工的に都市をつくって、都市をどうせ人口的につくるなら自然発生的にできた都市じゃなくて、人工的に初めから計算して、計算ずくで、こういう割り振りにしたほうがいいという計算ずくでつくったほうが、人工都市の意味にもかなうわけですから、そういうかたちで、理想的な割り振りの人工都市というのをつくる可能性がそこにあるとおもいます。
 それと同じように、もうひとつ可能性があるのは、アフリカ的な段階の場所、地域だということになるわけです。アフリカ的段階というのは、色んな所から定義することができるわけです。つまり、いままでは歴史の中で眠っていて、自然採集と自然生活を繰り返してきたんだけど、共同体は作れても国は作れないというような形できたんだけど、近年、ここ近々10年、20年の間に、歴史の中に初めて登場してきたのが、アフリカ的社会の特徴なんだというふうにいえばいえると思いますけど。
 だけど、そうじゃなくて、自然環境として、何が特徴かといえば、やっぱり、草原と森林がどれだけ他の地域、つまり、アジア的地域みたいな、農村にして森林とか、草原とか、そういうものを農村にしてしまった、つまり、農業地にしてしまったというようなところじゃない特徴というのは、草原地帯が多いということで、森林地帯が多いというのが、アフリカ的段階の地域の特徴であるわけです。
 これは先ほどもちょっと申しましたけど、黙って放っておけば、それは必ずといっていいくらい、それは農地にしてしまいます。草原は農地にしてしまいます。なぜかといいますと、人類はそうしてきましたから、過去においても、平地であれば開墾して農地にしてきましたから、それが、黙っておけば、たぶんアフリカ的地域の草原も、それから、森林地帯も伐採して、農地にしてしまうというふうになると思います。
 ところで、農地にしてしまうというのではなくて、そこのところで、もし人工的にきわめて理想的な割り振りの産業の割り振りというのをしながら、理想的な都市を人工設計しまして、そこにつくろうという発想をとるならば、そこでやっぱり、人類がかつて作ったことのない理想の都市というのを高次産業も含めまして、ちゃんと包括している、そういう都市が作れる可能性というのがあると思います。
 アジア的社会というのは、そんな可能性はないことはないのですけど、これはやっぱり黙っておけば、西欧的な社会に移っていってしまいます。それは福岡市がそうであるし、東京がそうであるし、先進地域における大都市というものがそうであるように、農業あるいは漁業、林業のような自然産業が減っていきまして、それで高次産業のほうに重点が移っていくというふうに、黙っていけば必ずそうなっていくので、アジア的都市というのは、それだけでは、人工都市を作る可能性というのは、なかなかなくて、それならば発達させて、西欧的な都市にしてしまったほうがいいみたいな感じになっています。
 ところが、アフリカ的な都市という、つまり、草原と森林、別な要因、オーソドックスな要因じゃないのをもってくるとすれば、それは砂漠とそれから海ということになるわけですけど。それが豊富に空いているところというのは、やっぱり人工都市をつくる可能性があるというふうに思います。
 そうすると、ぼくは福岡というのがその両端の可能性があるんじゃないのかなというふうに思います。だけれども、これはあくまでも可能性であって、これを為政者がやるかどうかとか、経済的な腕力といいますか、力を持っている人がそれをやるかどうかということは、まったく別問題です。だけれども、可能性としては、そういう可能性をもっているというのが、ぼくなんかの考え方なんです。
 つまり、都市についての人工性というのは、初めて、この第三次産業が主体になる社会までやってきて、人類は初めてその可能性を手に入れたというふうに、ぼくはそういうふうに考えています。だから、そこの問題が福岡だったら可能性としてはありうるんじゃないかというふうに、ぼくはそう思ってますけど。それでよろしいですかね。

21 司会

 ここは5時までに全部片づけて退出しなければいかんという条件でお借りしているので、これからという方もいらっしゃるかもしれませんけど、いちおうの質疑討論は以上で終わらせていただきまして、その後、もしよろしければ6時からのパーティーで、吉本さんも参加されますので、そこで話なりをしていただいて、今日は以上で終わりたいとおもいます。今日の講演の内容については、宣伝になりますけど、我々、予定しております第三弾の『パラダイスへの道’91』に吉本さんの許可を得て収録させていただくことにしています。それを付け加えて、今日の講演会及び討論会を終わりにしたいと思います。どうも遅くまでありがとうございました。(会場拍手)



テキスト化協力:ぱんつさま