1 村上春樹の文体

 今日は「物語について」ということで、何をお話ししようかと思って、僕自身の物語についての考え方というか考察があるので、それをお話しすればいいかなと思ったんですが、たまたま出たばかりの『新潮』という雑誌に村上春樹と心理学者の河合さんの対談が載っていて、その対談が「現代の物語とは何か」という内容になっています。ちょうどこの人の『ねじまき鳥クロニクル』がベストセラーになっていて、自作の解説みたいなこともしていますから、これは入り口にはちょうどいいんじゃないかと思うので、そこから入っていきたいと思います。
 村上春樹が話題に乗せているのはそれこそ「ねじまき鳥」なんですが、自分の文学的な好みということから言っています。自分は文学について憎む対象が二つある。一つは両親とも国語の先生で、子どものときに話をすると『源氏物語』はどうだとか、『枕草子』がどうだという話ばかりでちっともおもしろくなかった。それで両親に対するエディプスコンプレックスみたいなものがあって、教師が憎悪の対象になった。
 それが一つと、もう一つは日本文学の古典の話ばかりが子どものときから出てきたので、日本文学に対して決定的に憎しみの対象にして、日本の文学書はあまり読んだことがなくて、翻訳の小説ばかり読んでいた。二十代はその両方が嫌なものだから、文学的なこと、少なくとも書くということに携わることはしてこなかった。ほかの仕事をしていた。
 そのとおりに言いますと、「だけど、二十九歳のときに突然小説を書きたくなって書いた」と言っています。いま言ったことは、村上さんがそう言う理由は僕には思い当たることがあるわけです。
 この人の特にいい小説というか本筋の小説、『ノルウェイの森』でもいいし、『ダンス・ダンス・ダンス』でも『ねじまき鳥クロニクル』でも何でもいいんですけど、文体というか文章の書き方というか、ものすごく批評しにくい文体なんですね。全般的にそうですが、いい作品と言われるようになってから特にそうです。
 どういうことかといいますと、こういう文体で小説を書く人は独りよがりで、自分だけいいと思って、自信たっぷりで小説を書いている奴か、そうじゃなければ「この人の小説は少なくとも文学史上最たるものとして残るぞ」という作品を書く人で、「このどちらかしか、こんな文体で書いたらおかしいよ」というぐらい、つまり孤独ではないけれども閉じられている文体です。
 これは何なんだということで、こういうものは僕からするとすごく批評しにくいわけです。つまり批評家としての自分の存在をかけてというか、自分なりの筋道で村上さんの作品を本気になって批評しようかという気にはちょっとならないところがあります。
 だからといって批評は商売だから、もっとつまらない作品だってうんと批評することがありますし、しています。それなのにこの人の作品は批評しないというのは、ちょっと不公平になるから中腰でというか、中間のところの態度で批評するよりしょうがないなという感じを抱かせるんですが、それがどこから来るのかがよくわからなかったんです。
 こういうはずはないんだというふうに思う。つまり古今の名作を書く孤独な作家で、本格的に、それ以外ないという形で名作を書いたというものではなくて、ちっとも孤独じゃない。つまり風俗豊かな小説で、ご本人もちっとも孤独じゃないわけですけど、それでも文体のあり方はそうなんですね。
 それがどこから来るのかよくわからないから、この人の作品はいつでも中腰で批評するよりしょうがないという感じを伴ってきたんですが、日本文学に対してどう思っているかというと、あまり読んだことがなくて、つい最近アメリカへ行って日本文学の講義をしてくれと大学で言われて少し読み始めたみたいな感じです。つまり翻訳小説の筋道あるいは文体で日本語で小説を書いているという具合になっているから、この人の文体は独りよがりか、そうじゃなければ古今の名作かという文体になってしまっているんだけど、どちらでもないという作品を書くことになっているんだろうなと初めてわかりました。
 つまり日本文学はあまり好きではなくて、読んだこともないというところで書いているわけですから、「ああ」と何か納得いくところがありました。これは自分がそう言っているからそうです。

2 『ねじまき鳥クロニクル』と物語

 それからもう一つ言っていることは、物語というのは起承転結といいましょうか、初めにイントロダクション、入り口があって、展開していって、A、B、C、Dと行って、Dのところにクライマックスが来て、それから終末が来るというのが昔話からの物語の定型ですが、自分はその定型の順序を変えてというか、初めにBが来たり、次にDが来たりという変え方をしたらどうかと考えて書いているということを言っています。
 順序を変えるということと、もう一つは間を抜いてしまうということですね。つまり「流れがそう行かないように筋道を抜いてしまって物語を書いたらどうなるかということを自分はやってきた。断片的な告白みたいなもの、あるいは断片的な感想みたいなものをつなぎ合わせて、それを一つの長編に持っていってしまうという形に近いことをやろうとしてきた」と言っています。
 これは村上さんの考え方ですけど、どういうことを言っているかというと漱石が出てきて、「日本の近代文学をたとえば漱石に象徴させて読んでみると、Aから始まってB、C、Dというところで、ギリギリに登場人物なり物語の筋道を追い詰めていってクライマックス、終局へ行くというように定型的で、しかも自我と外界の出来事の間の葛藤をギリギリ追い詰めていくみたいな、そういう小説が日本の近代小説の主流である。自分はそれが主流だと思うと小説を書く気がしないし、書けなかった。順序を崩すことを自分ができるようになって、それから中を抜いてしまって物語にすることをやれるようになって、自分の小説が初めて成り立つようになった」という言い方をしています。
 このことはとても重要です。物語のときに重要なことは後で僕なりに申し上げますが、「自分の考えている物語は、漱石に典型的に象徴されるような物語の考え方とはちょっと違うやり方をしてきた」と言っています。
 これは自己弁護、自分の作品の弁護ということと、もう一つは対談の相手がユング派の心理療法家である河合さんだからそういう言い方をしたんだと思いますが、「自我というものの主たる戦場は日常生活のレベルにある。そこでいろいろな事件や葛藤があるというのが日本の近代文学の物語の本筋だとすれば、自分は日常生活の中に出てくる意識的なレベル、あるいは自己とか自我というものと外界、人間関係としての葛藤みたいなものには主流を置きたくない。もっと下のほう、つまり無意識のうちに自分がぶつかるもの、あるいは無意識のうちに受け入れているもの、無意識のうちに自分がふるまっているものにレベルを下降させてというか、意識と無意識というものがあるとすれば、無意識のほうに自我をぼんやりさせたうえで、しかし無意識としては非常に明瞭なレベルでということを心がけて書いてきた。そういうところに自分の小説作品の特徴があると思う」と言っています。
 もう少し経ったら僕の話に行きますが、『ねじまき鳥クロニクル』という作品はそういうふうにして書かれたと、ある程度自己弁護も含めて言っています。『ねじまき鳥クロニクル』でもいいし、『ダンス・ダンス・ダンス』でも『ノルウェイの森』でもいいんですが、村上さんの作品はどういうふうにできているのか、あるいは村上さんが漱石と言っているから漱石の文学と比較してどう見えるかというと、こういうふうに見えるわけです。
 つまり半分は漱石と同じように、近代的自我か西欧的自我か知りませんけれども、そういう自我と外界とか人間関係の葛藤という描き方と、それからもう一つは、村上さんは「無意識のほうにレベルを下げて」と言っていますが、無意識に受け入れている現代……というより現在の風俗に対する自分の反応、自我反応だけではなくて無意識反応も含めて、そういう反応との折衷として村上さんの文学が成り立っているように客観的に見ると見えるわけです。
 でも村上さんはそう思っていないということは、言っていることを見ると、とてもよくわかります。「自分は自我意識のレベル、つまり日常意識のレベルでの葛藤とか蔑視とかドラマとか、そういうふうに考えて作品を書いていない。それよりも、もっと無意識のほうに下がったところに主眼を置いて小説を書いている。そうすると自分の書いているような作品になるんだ」と言って、村上さん自身はそう思って書いているわけです。

3 『ねじまき鳥クロニクル』をどう読むか

 しかし、僕らがはたから野次馬として読むと、そうじゃなくてやっぱり漱石流の、つまり近代文学あるいは西欧近代が培ってきた自我意識の葛藤と現在の風俗を非常にうまく取り混ぜてというか、折衷しながら作品を書いているというふうに、えてして見えてしまうわけです。
 だから意地悪く言えば「漱石の作品は風俗小説とは言えないんだけど、村上さんの作品は風俗小説と言えば風俗小説だよな。おもしろい風俗、奇妙な風俗が村上さんの小説を非常に引き立てているな」というように見えますが、これは意地悪な解釈の仕方で、ご本人はそういうつもりでなく「意識的な自我よりも無意識のところでいろいろ起こってくる葛藤なり事件、出来事を描く。また、それを掘り下げることが自分の小説のモチーフだ」と言っています。
 僕は『ねじまき鳥クロニクル』はいい作品だと思います。いままでの成功したと思われる作品、『ノルウェイの森』でもいいし、『ダンス・ダンス・ダンス』でもいいんですが、そういう作品とどこが違うんだということになりますと、僕は大部分はその延長線で、同じようにおもしろく、同じように読めるんだというふうに、だれもがそうだと思います。
 少しだけ違っているところをつまらないことで言えば、「ねじまき鳥」ではオカルト的風俗に対して大変関心を寄せているということと、いままでの作品は三十代の初めぐらいの、いい年をしているんだけど独身で、なかなか優雅な暮らしをしているのが主人公の「僕」なんですが、この場合には一応結婚しています。
 奥さんも働いていて、自分は職場の関係があって失業していて、職を探しているんだけど奥さんが働いているから経済的にどうということはなくて、そういう意味ではかなり優雅に暮らしている。昼間は暇があって優雅で、奥さんの代わりに自分が夕食をつくって、それを整えておけばいい。あとは昼間の時間は自分の自由に使えるみたいな主人公の設定の仕方をしているというのが、つまらないところですけど、変わっていると言えば前の作品とは違うところです。
 もう一つ、大いに違っていると言っていいのは、物語とは直接関係ないんですが、物語に出てくる本田という老人がいて、若いときに軍隊に行っています。そのころちょうどソビエトと旧満州国、現在の中国東北地区の国境のところでノモンハン事件という国境紛争があって、それに出ていったんですけど、本田老人はちょっとオカルトで超能力みたいなものがあるんです。
 一人の情報将校がいて、戦友たちと二、三人で、その人が国境を越えてソ連の陣地へ入っていって情報を集めてくるのを護衛をする役で、国境を越えて、情報将校が情報を集めて帰ってきて、また護衛して国境を向こう側へ越えようとするんですけど、越える手前で捕まってしまって、ソ連将兵と外蒙古の兵隊が、けものの皮をはぐようにナイフで情報将校の手足の皮をはいでいくという目にあうわけです。
 そのことを非常に微細に、如実にというか、リアルに、迫力がある描き方で描いている。それはいままでにない場面です。あまりに迫力があるので、全体の物語の重さを少し偏らせているぐらいです。本田老人が死んだときに、戦友だった間宮中尉が「僕」に遺品を届けにきたついでに物語る昔の戦争談として長々と描かれていますが、それはすごく意図的なものだと思います。
 つまり作品全体の流れを歪ませるぐらい、非常に迫力ある描写でそれをやっているというのは、いままでの村上さんの作品にはなかった要素だと思いました。たぶんそこは村上さんの現在の日本社会に対する一種の苛立ちを非常に象徴する箇所だろうというふうに僕は読みました。作品としても非常にいい作品だと思っています。

4 村上春樹のおもしろさ

 ところで、これに対する非常に否定的な主張が一つあります。それは『リテレール』という雑誌の中条さんという人の批評で、ケチョンケチョンに『ねじまき鳥クロニクル』という作品に否定的な批判をしています。何を否定的に批判しているかというと、要するにつづまりがついていないことがいっぱいあるということを言っています。
 「第一に、一番初めになぞめかして女の人から電話がかかってきて、テレクラみたいな性的な電話を仕掛けてくるなぞの女がいるけど、後のほうを見ると別れたがっている自分の奥さんがかけているんだということがわかるように書かれている。しかし、そんなばかな話は成り立たないだろう。電話であろうと、自分の奥さんの声が聞き分けられないで、なぞの女だと思い込むことなんてあり得ないだろう」と言っています。
 その手のことを七つか八つ挙げて「ことごとく全部うそだ。いんちきで、登場人物がどうなったかというつづまりが一つもついていない。猫が失踪したときからいろいろな事件が始まるが、失踪した猫は一体どうなったのかも書いていない。その手のことのつづまりがつくように書いていないところがいっぱいある。こんなばかな小説はない」と、徹頭徹尾否定的な批評をしています。
 僕はあらかじめ村上さんは自己弁明していて、「漱石流の日常生活の意識的な自我と外界との葛藤とか事件を書こうとしていない」と言っているところがそれに該当すると思いますが、これは読み方いかんによってはそういうことになると思います。「登場人物あるいは登場するものの事件のつづまりが全部ついていないじゃないか。あるいは曖昧にしかついていない。これは小説としての倫理に反する」という言い方を中条さんという人はしていますが、そういう評価になってしまうと思います。
 でも村上さんの小説は主要な作品はみんなそうなんですけど、半分は意味論的に読んでも半分は一種の感覚の流れというか、流れのリズムというか、それの気持ち良さというふうにして読む。半分は筋書きとして読んで、主人公はどうなったかなとか、主人公が好きな女の子はどうなったかなという読み方する。
 半分はそういう読み方をしないで、一種の心地良いリズムの流れが全体にあって、それがこの人の作品の特徴であり価値なんだという読み方をすると、一つもつづまりがついていないじゃないかとか、わざとなぞめかしているけど本当を言うとちっともなぞにならないじゃないかという否定の仕方をかわすことができるような気がします。
 僕は半分かどうかは別として、なぜ村上さんの作品がおもしろいのか、いいのかといった場合、意味論的にといいましょうか。「こういう筋書きで、こうなって、この自我とこの自我がこういうふうに葛藤してこうなったんだよ」という意味合いでの良さは、あったとしても半分で、あとの半分は文体を流れている一種のリズムの気持ち良さというのがあります。
 それは何の意味もないというか、意味とはかかわりなく一種のリズムがあって、それが停滞せずに流れていく。だからいったんそこに入り込むと、終わりまでずっと流れに沿って、読み終わって気持ちがいいというか、心地良い感じで読み終わってしまう。そういう要素が村上さんの作品にはあって、「半分はそれの良さだろう」というふうに読めるんじゃないかと思います。
 そうじゃなくて本当に日常生活レベルで起こるリアルな、現実的な事柄に対して主人公の自我がどう葛藤していたかとか、どういうふうに女の人と別れてどうしたかという読み方をしてもいいんですが、「半分ぐらいそういうふうに読んだほうがいいんじゃないかな」という読み方になります。
 これで読めば、登場人物のつづまりがついていないじゃないかとか、こんなばかなことがあるかということはあまり気にならずに、リズムの流れとして気持ち良く読んでいけるところがありますから、それでいいんじゃないかと僕は思います。
 物語で言えば半分無意識の領域のところで書いているから、そんなに因果関係が明瞭にならなくても、そんなことは夢と同じで無意識の領域ではいっぱいありうるから、つづまりがついていなかったり矛盾があっても気にならないんじゃないかということを、村上さんはあらかじめ弁明していると思います。
 僕は村上さんの作品をどう読めばいいかとなると、半分は物語が展開する筋として読んだらいいし、半分は筋がどうであるというよりも「この人の文体が持っている一種のリズムがあるから、その心地良さと、一種のリズムの現実感が現在の風俗にかなっているところがあるので、この作品がおもしろく読めるんだ」と理解したほうがいいと思います。
 それは村上さん流に言えば、半分無意識のところに移ってくる出来事を描いているから、意識の物語としては矛盾が生じたり、つづまりがついていなかったりしても、流れとしてはそれでいいんだという弁明になりますし、そういう物語として自分は書いているということになっていくと思います。
 こういうところが村上さんの考え方の特徴でもありますが、「一般的に漱石の作品は、自我葛藤の物語としてギリギリ追い詰めるだけのことは追い詰めて、原因まで追い詰めている。一般的に言って物語をそういうものとして追い詰めていけば、漱石流の追い詰め方は非常に極限まで引っ張っていった追い詰め方だという理解になるけれども、自分はそういうのは納得がいかないし、そういう迫り方は心に引っかかってこない。つまり迫ってこないので、違う書き方で、無意識が描く物語というか、無意識がひとりでにつくり出す物語みたいなものを非常に重んじて書いたらどうなるかということを、いろいろな小説でやってきたし、これからもやっていきたい」という言い方をしています。
 僕は必ずしも村上さんが自分で言っているようには村上さんの作品はできていなくて、半分はやっぱり漱石流の近代小説的なやり方でできあがっていると思います。このへんを素材にしながら、僕自身の物語についての理論がありますから、それに入っていきますが、村上さんが漱石の小説とか自分の小説について触れている問題は、僕の物語についての考え方からすると形態論という概念の問題になると思います。

5 物語の形態とは何か――地形名と地名の分離

 形態とは何かということに入っていきます。形態論から言えば、「村上さんは形態を意識下にというか、無意識のほうに沈めて考えようとしたんだ」と言えば非常にいい弁護の仕方になると思います。物語の形態とは何なのかということを少し説明します。
 これはどういう説明の仕方をしてもいいんですが、一番わかりやすい形態の考え方はこうです。例を挙げますと、柳田國男という民俗学者がいますが、この人が対馬の『風土記』を読んで「自分は感心したことがある」と言うんですね。たとえば対馬の海岸べりを歩いていくと、極端なことを言うと一歩行くごとに地名がついているというので、これにものすごく感心しています。
 日本の地名の広がりの問題で言いますと、何々県何々郡とあって、その後に何々村というのが来て、その下に字何々という言い方をして、もっと言うと字の下に小字というのがあります。字がいくつか分かれて小字になって、それで終わりかというとそうじゃなくて、もっと言うと地形の名前と場所の名前が一致するようなものが小字の下にある。あるいは家屋敷の名前や田畑の名前と、その田畑のある場所の名前が一致する。
 そうなってくると、田畑が三つぐらい集まっていれば、もうそこに一つの地名があって、また田畑に対する名づけになっています。もっと極端に言うと、いまの壱岐対馬じゃないですけど「一歩歩くごとに地名が違うというぐらい空間が全部地名になっていて、漏れなくなされているということじゃないか」と書いています。
 日本、あるいは日本語でもいいんですけど、そういうところでは地名の一番最初は地形名と同じです。たとえばいまでも北海道では、幌内とか稚内とか「内」の字を当てた地名がいっぱいあるでしょう。「内」というのは何かというと、川っぺりとか水のほとりを意味します。そういう地形をまず「~内」と名づけたわけです。
 それが日本における地名の一番最初で、「地名と地形名は同じだ」という一種の空間認識の仕方があったわけです。これは次の瞬間に「地名と地形とは別のものだよ」と分離する最初がありますが、そのときに形態という概念が生まれてきます。
 初めは空間的な場所と地形とは同じで、これが日本における地名の起こりですが、同時に地形名の起こり、あるいは場所名の起こり、空間認識の一番最初の仕方です。いまで言えば、もちろん本州でも残っていますが、一番多く残っているのは東北とか北海道です。

6 「さねさし」と「さがみ」――枕詞のはじまり

 しかし、いずれにしろ古い時代からの日本語で行けば、地形名と地名というのは、形の認識として「そのものがそのものである。それがそれである」ということで一致するというのが空間認識の一番初めの起こりです。これが最初に分離したときに、地形名と地名が分離するわけです。それで「地名は地名だ」となりますし、もっと言うと、一体どこから起こったのかわからなくなってしまいます。
 たとえば何でもいいんですが、大岡昇平の『武蔵野夫人』にはよく出てきます。巻頭にはよく「ハケ」という地名・字名があります。それは、傍に谷間と言いますか、低い地点を控えたすぐ傍の場所ということです。もっと前で言ったら「タケ」です。「ハ」は「タ」なんです。これは古い日本語で、今だったらアイヌ語や東北の地名にしか残っていませんけれども、その場合には引っ込んだ土地、そばにひかえた場所という地形を直ちに表してしまいます。そして、それが地名でもあるというふうになるわけです。一番初めの日本語の言葉は、そういうふうに形態感覚と「ここがここなんだ」と空間を指定する感覚が同じで、それが分離し始めたときに形態という認識が出てきます。
 ところで形態という認識ですが、たとえば『古事記』に日本武尊が関東地方に遠征してきたら、土地の住民に囲まれて、周りから全部火をつけられてしまって、持っていた剣で草を切り払って難を逃れたという説話が出てきます。これは僕の本を読めば書いてありますが、その場合に「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」という歌が出てきます。それは日本武尊のおきさきが詠んだ歌だという、そういう説話があるんですが、たとえば「さねさし相模」という場合、相模湾というのがあるように、相模はいまでも残っている地名です。
 どういうことかといいますと、昔はそのあたりをさねさしと呼んだんですが、それは「岬が地形として出っ張ったところ」という意味になります。これは地形を表します。これは古い日本人と新しい日本人というのはおかしいですけど、古い日本人がいたところに新しい日本人が入ってきて、昔さねさしあるいはたねさしと呼んでいたのを新しく入ってきた日本人が相模という読み方の地名にして、どちらでも通用するという場合に、いま言ったみたいに「さねさし相模の」と、二つの地名を重ねて言っていた時代があります。
 これは後になって枕詞と言うんですが、それは両方の地名です。元からそこに住んでいる半分の人はさねさしと言ったけど、新しくきた半分の人たちは相模と呼ぶようになって、両方とも通用するという場合には「さねさし相模」と二つ並べるというやり方があります。
 これが二つの地名が分離する一番初めですが、その場合、さねさしという言葉は本当は地形を表す地名ですけど、相模という呼び方が入ってきてしまったものですから、半分しか地名としては通用しない。ただ地形名としてはちゃんと通用するという形になっているのが枕詞の一番初めです。
 こういう形での地名、つまり地形と空間的な認識、「こういう地形になっているぞ。山あり、谷あり、こうなっているぞ」という地形の認識と形態の認識が初めて分離していくわけです。

7 『今昔物語』の形態認識

 一足飛びに行きますが、物語の中で形態認識がどういうふうに展開していくかということになると、物語の中では非常に重要な意味を持ちます。「さねさし相模」よりもう少し後になると、何でもいいんですけど平安朝には『今昔物語』みたいな、芥川が自分の小説の材料にしたような物語があります。
 『今昔物語』になるとどういうものが出てくるかというと、小さい物語をいっぱい集めてあるだけですが、その物語の一番初めに「今は昔」と言うんです。「今は昔、一人の男がどこどこに住みてありき」みたいなことを言って物語が始まって、一番典型的なのは終わりに「何々であるとかや」と言って、「あるそうだ」というのが一番後にくっつきます。
 これは文学作品に表れた一つの形態認識です。つまり文学作品の物語を形づくっている一番ポイントになるものとして、「今は昔、何とかという男ありけり」というものから必ず物語が始まって、一番最後は必ず「何々であるとかや」と、「何々であったそうだ」ということで物語が終わります。『今昔物語』は典型的にそうですけど、平安朝の物語にはそういう典型的な形態認識があるわけです。
 この典型的な形態認識は、物語としてはそんなに高度なものではないんですが、昔々こういうことがあって、だれそれがいて、こういうことが起こって、おしまいにこうなったという物語を延々と語り継ぐというところから物語が始まったとすれば、たとえば『今昔物語』は形態認識として、「今は昔」から始まって「何々であるとかや」という非常にはっきりした形態を持っていた。
 あまりに典型的すぎて、水戸黄門で言えば「もうすぐ印籠が出てくるぞ」というと出てくるのと同じで、もうわかったというように必ず定型で、そういう意味では通俗的ですけど、強力なパターンなんですね。通俗的であると同時に非常に強力なパターン認識です。これは物語にとって一番重要な形態です。
 これを大昔のことと強いて関連をつけようと思うと、つけることはできるわけです。つまり「今は昔何々であるとかや」という形態認識で物語が物語られた、あるいは書かれた時代の地名と関連する形態認識とは一体何だということになります。その場合にはこうです。
 日本列島の地勢はあまり種類はなくて、極端なことを言うと海岸っぺりに低い山があって、海岸っぺりの割に狭いところに平地があって、そこに田畑や村がつくられて、真ん中あたりに川が流れて前のほうは海であるというのが日本列島における典型的な地形です。
 もう一つあえて典型的な地形を挙げますと、これは東北とか北海道に多いんですが、割合に高い高原で、つまり海抜が高くて、周りを低い山や丘に囲まれている一種の盆地があります。この盆地の村には四方の低い山から川は流れてきますが、海はないわけです。四方を全部山に囲まれて、海抜はかなり高くて、盆地になっていて、村ができているというのが、もう一つの典型的な日本の地形です。
 細かく言えば、まだいろいろあります。その盆地の山と山の間を水が流れていて、そこをたどって奥のほうに行くと山里というか、山奥の山の裾野にちょっと村があるというのももちろんありますが、主な典型的な地形というのはいま言ったように、前に海を控えていて、周りは山に囲まれて、そこに追い詰められたように平地があって、田畑があって、村があって、川が流れているというものです。
 それから山に囲まれて、真ん中に盆地があって、そこに田畑があって、四方の山から川が流れていて、そこに村があって住んでいる。これがもう一つの典型です。つまり日本の地形は、極端なことを言うとその二つしかないわけです。
 ですから「今は昔何々という人があって、こういうことをやって、こうなったそうだ」という定型は、強いて地名ないし地形と関連づけるとその二つの地形認識になります。つまり前に海を控えているという地形か、山に囲まれた盆地の地形か、その二つの地形認識あるいは形態認識が「今は昔」という『今昔物語』みたいなものにおける物語の形態認識と対応します。
 これが平安朝時代の物語の定型、定まった形です。これをさまざまにひねって「今は昔何々であるとかや」というのが、この定型がよほど注意しないと見えないようにつくられた最も優れた作品と言えば『源氏物語』です。これはそういう定型を完全に破ったように見える物語をつくっています。通俗的なところを全部抜いてしまってというか、よくよく見ないと定型認識とか、あるいは日本列島の地形と関係あるような地形認識と物語の形態認識を対応させることができないぐらい、うまくつくられています。
 でも『源氏物語』もよくよく読みますと、やっぱりこれは同一パターンの繰り返しだなというふうになってしまうわけです。つまり主として光源氏という男がいて、里の女に通ったり、貴族の女のところに忍んでいったり、そういうことから起こる物語が繰り返し、繰り返しなされています。四十何帖か、四十二帖か知りませんけど、このパターンの繰り返しは物語の一種の形態です。
 よく考えればこれも、「今は昔」というほどはっきりしていないけれども、あるいは通俗的ではないけれども、やっぱり一種の日本の地形認識としては非常にありふれたというか、「典型的には二つの地形しか日本列島にはないと言っていいぐらい、そういうところにしか人は住んでいない」というふうになっている地理的な形態認識と物語の形態認識を対応させることができます。

8 夏目漱石『道草』の立体的な形態認識

 日本の明治以降の近代小説は、それこそ漱石なんか典型的に、最も遠くまで形態認識を展開させた人ですが、それをどれだけ近代化するかというと、近代的に独立した一個の自我というものの日常意識があって、自分以外のものを全部外界あるいは他者と考えて、それとの葛藤が物語になっていく。実際にある形態、日常生活で当面する形態よりも物語の形態認識をもっと鋭く際立たせる。あるいは自我意識をもっと鋭く際立たせるということを、たとえば漱石がとことんまでやったことになります。
 つまり漱石の小説の中における想像力はそういうところにあると言っていいと思います。それが一番わかりやすく言える漱石の作品は『道草』です。『道草』という作品は自分たちの夫婦の自伝小説だと読めば読めるような、あるいは私小説と読めば読めるようなもので、夫婦の葛藤とか出来事、漱石が子どものときに養子に行っていて、養父だった人が落ちぶれて自分に金をせびりに来るとか、主として家庭内外で起こる日常生活のことを書いています。
 川崎長太郎でも安岡章太郎でもだれでもいいんですけど、典型的な私小説作家が自分の家庭内外のいろいろな出来事を書いたりすると、ちょっと読んじゃいられないよというように、ゴチャゴチャしたことをグタグタ書いてちっともおもしろくないというふうに読めば読める。つまりルソーの『告白』みたいに「告白なんだけど哲学書として読めるよ」というものは、日本の私小説にはないわけです。
 日常あった出来事をグタグタまんべんなく書いて、初めも尻尾もわからないみたいに書いているのが日本の私小説で、それなりの良さや特長もありますけど、漱石がそういう私小説的な素材、つまり家庭の内と外で起こった出来事を書くと日常意識の形態認識にならないんですね。『道草』という作品を読んだ方はすぐわかるでしょうし、読まれていない方は読んだほうがいいと思いますが、日常意識で働く自我の葛藤とか、そういうものの描写にはならないわけです。
 一種存在論的なと言ったらおかしいんですが、実存的な領域まで、主人公もひとりでにそうなってしまうし、奥さんもそうなってしまうという形です。人間の存在感というのはかかるものかという、存在感との間の葛藤みたいに読めるぐらい、『道草』を読むと立体的になるわけです。
 漱石が書くと立体的だ。しかし日本のほかの私小説作家がこういう素材を扱っても、平面的な描写がダラダラ続くことになってしまう。これはどうしてかというと、形態認識が違うからです。要するに現実の日常認識がまるで違う。あるいはそれを近代と言うならば、近代というものに対する身の置き方がまるで違うということになると思います。
 漱石の作品は必ずしも成功したものばかりではないですし、ある作品になると小説とは言わないで哲学的といいましょうか。主人公の告白みたいなものであると思ってしまったほうがいいような、小説としては成功していないと思えるものもありますけど、『道草』みたいに成功した作品を読めば典型的にわかるように、日常の自分の身辺の素材を扱いながら、人の身辺をのぞいてみているという感じがちっともしないような小説にしてしまっています。
 つまり『道草』なら『道草』の物語としての形態認識は、同時代のほかの人、たとえば田山花袋みたいな当時の自然主義作家と比べるとお話にならないぐらい違います。田山花袋の小説は、いいものもたくさんありますが、どういうふうにできているかというと自然描写と、そんなに際立った自我ではなくて、日常ありふれて発揮される自我というものの日常的な葛藤を描いています。
 それが田山花袋の小説で、評判になった『蒲団』という小説だって、自分のうちに置いていた女弟子が自分の言うことを聞かないで、また文学の修業をするといいながらちっともしないで、好きな男と仲良くなって、うちを飛び出してしまって、まったくおもしろくないというふうになって、おもしろくないんだけどその女弟子に対する嫉妬心も同時に噴き出している。それを嫉妬心だと言えばいいんだけど、そうじゃなくて先生めかした顔をして、その嫉妬心を解消しているみたいに、日常の次元でそういうふうに思っている嫉妬心みたいなものを丸々隠さずに描いてしまったというのが評判になった理由ですし、また特徴だと言えるわけです。
 出てくる主人公も登場人物も、存在感というところまでは到底出てこない。日常の感情の働かせ方とか、日常感情の行き違いとか、そういう次元のことをうまく描写してありますが、それだけのことで形態認識として日常的な自我意識の次元はちっとも出ていないという形です。そういう言い方をすれば、自然主義の特に田山花袋の文学はそういうふうに成り立っています。だから作品として価値がないとは必ずしも一口には言えないんですが、漱石と比べたら物語あるいは文学に対する形態認識がまるで違います。
 そういう意味合いで言えば田山花袋の小説は自然描写と同じです。田山花袋という人は旅行家でもありましたし、樹木とか花について非常に博識で知識があるから、自然描写とかそういうことはたくさん出てきます。「そこに咲いていてきれいだった」という次元で出てきますけど、それと同じ次元で日常の主人公たちの自我の表れ方が出てくるという形で小説が書かれていますから、平面的な小説だということになります。
 ただ一口に「だから価値がない」とはなかなか言えないところがありますが、物語として一番重要な形態認識は、そういうところでまるで違ってしまうということになるわけです。

9 漱石の物語と現代作家の物語

 村上春樹さんの小説は、現在の日本の文学の非常に上等ないい作品だと見た場合、村上さん自身「漱石的自我、あるいは存在論的自我の葛藤ということを小説の本筋だとは自分は考えたくない。そうじゃなくて人間の無意識がどんな事件を引き起こし、どんなことを考えるかということを描く。いまの時代なら、なおさらそういうものを掘り起こすことが自分の文学のモチーフだ」と言って、そう位置づけているわけですが、僕が客観的に見たら、そういうふうにはできていないよ、できているといっても半分ぐらいだよというふうにしか言えないと思います。
 要するに漱石的な自我を近代小説の本筋とすれば、とことんやってしまっているから、「自分が小説を書くとすれば、こういう書き方をしたらそれ以上には出られないことはわかりきっている。形態的にちょっと違うようにしよう」と考えたことは確かだけど、それがうまく行っているとは僕には思えません。
 現在の物語の形態は、無意識の表現がうまく行っていれば形態認識として漱石が典型的に考えたような、つまり近代小説の形態を超えるとか、それ以外のものを一種の形態認識とするというものが当然出てきてもいいはずの状態になっているか、あるいは現実的な状況としてそうなっていると思いますが、いまのところきちんと「そうだ」と言える作品はないと思います。
 村上さんの作品はいいですけど、僕はそう思いますし、村上龍さんの作品も、『親指Pの修行時代』を書いた松浦さんの作品もそうだと思います。途中まで見ていると、やるかな、形態認識として自我認識を存在論的に削っていくということをするかなという期待を初めは抱かせるんですが、途中からもう何か……。
 つまり異常性器を持った人間のポルノ小説というか、フラワーショーみたいに性交行為をショーにして見せるのに、どういう性交行為をしたらいいかみたいな工夫が作品をつくっていて、これは形態認識として全然だめだよ。物語認識としてだめだよというふうにならざるを得なくなっていると思います。素材の特異さとか、もっと違う好奇心とか、そういうもので読ませるという要素が非常に大きくなって、これもうまく書けていますけど、そうなってしまっているというふうに僕には思えます。
 僕らの年代に近い人では丸谷才一とか遠藤周作もいい作品だと言われて、よく読まれているし、映画にもなっていますが、『女ざかり』とか『深い河』という作品を読むとやっぱりそう感じます。
 どう言ったらいいんでしょうか。漱石的な形態の認識をどこかで壊しながら、それを超えてというふうに当然行っていいはずなんだけど、何かそういうふうには行けなくて、形態認識としては日常的な自我認識みたいなものからそんなに出ていけない。
 つまり漱石流の自我認識に比べたらはるかに通俗的な自我意識のところで、ただ素材だけは現在だから違う風俗の素材だとか違う宗教の素材を持ってくるけど、そういう素材の新規さというか珍しさと、割合に通俗的な自我認識みたいなものがいわば合体してできあがっている作品が、いまいい作品だと言われているものの正直なあり方じゃないかと僕には思えます。

10 明治知識人と社会

 それぐらい物語の形態認識というのは、どういうふうに取れるかということが難しくなっていると言えると思います。どうして難しいかということになると、そういう解釈をすると一番わかりやすいからそう言うんですが、かつてだったら、これだけ作品を見事に描けたらひとりでに、物語の形態認識としてもはるかに近代小説の認識を超えているというふうになるはずです。
 だけど、作家に対してそうはさせないよと足を引っ張っているのが現在の大部分の読み手というか、読者を想定するとかつての漱石時代だったらそういう読者はほんの小部分しかいなかったわけです。
 漱石の作品に、よく高等遊民という言葉が出てきます。うちにあるとか自分にあるとかお金がどこかにあって、学歴だけはいっぱいあって、大学は出たけれどもブラブラしている。漱石の小説の主人公はたいていそういうふうに設定されています。漱石自身はそれを高等遊民と名づけていますが、要するにこれは日本近代が初めて生んだ知識人なんですね。フラフラして考えることをしているんですが、外から見たら何もやっていないでぼんやりしているのとちっとも変わらないわけです。
 「でも、たとえ外見から見たら何をしているかわけがわからなくて一日フラッとしているだけで、あいつは高等遊民なだけじゃないかといっても、内面で何か考えることをしているということ自体が価値あることなんだ」ということが初めて日本の近代社会に導入されたのが明治です。
 明治二十年代から四十年代で、つまり漱石が盛んに活動する時代がそうですけど、外から見れば高等遊民でも、内面から見れば考えることをしている。それが価値あることかどうかは外からはまったくわからない。ただ遊んでいるだけにしか見えないけれども、西欧の近代社会も、ロシアの近代社会も、日本の明治以降の近代社会も、必然的にそういう男たちを生み出してしまった。知識人というのはそういうものだ。それに価値がないと言うならば、そう言うより仕方がないけれど、実業をやっている人、あるいは職業をやっている人から見れば価値がなくてフラフラしているだけじゃないかとなるけれども、その内面性というか精神性を考えれば、初めて考えることをしているということが存在の根拠である。
 そういう人を初めて社会が生み出した。自分が生んだというよりも、社会が生み出した一番初めです。
 その時代の形態認識では、漱石的作品は非常に意味を持ちます。存在論的意味を持つ以外に、知識人というのは考えることだけしかしない、あるいは考えることをしている人間に価値を与えることはできないというときに、漱石は自分の小説の主人公である高等遊民が何もしないでフラフラしている奴で、うちに金があるからよくもやっているよというような人間なんだけど、その内面は一種の存在論的あるいは実存的価値がなくはないんだよということを何としても作品の中で示したいということがあって、それが漱石の物語の形態を際立たせていると言えると思います。

11 9割の人が「考えることをしている」社会

 ところが現在は、考えることをしているというのはものめずらしくも何ともないわけです。極端なことを言うと、日本の国民の九割は考えることをしているというふうになってしまっています。
 日本の青年の六割は男女含めて大学卒業者になってしまって、本当ならば考えることをしている奴は六割もいる。階層として言えば九割ぐらいそうだ。経済的にも食いっぱぐれている奴はあまりいない。漱石時代の食いっぱぐれている奴は、明日食う米がないということだし、失業して困ってしまうということを意味するんでしょうが、いまはそういうことはない。
 極端なことを言いますと、はたからどう見えようと俺は考えることをしているんだと言える奴が九割ぐらいになって、六割は大学まで出てそういうふうになってしまっているという状態です。
 だから「考えることをしている人間だ」ということだけに根拠を与えることはできないので、もしかすると非常に巧みにというか、非常にうまく、そういう意味合いでできあがった物語や近代小説の形態を壊すということが、本当は現在の小説あるいは文学作品の課題であるかもしれないんですが、なかなかそういうふうには行きません。
 それはだれかが足を引っ張っているからで、だれが引っ張っているかは非常に明瞭であって、九割の自分は考えることをしているんだという人が無意識に足を引っ張っています。つまり考えることをしている人が民衆の多数派になってしまっているということです。本音を言ってしまえば考えることをしているんだという多数派の九割の人に対して、小説家が「俺はお前らと同じように考えることをしているだけではないぞ」と示す孤独さと言ったらいいんでしょうか。それを保つのはものすごく難しくなっていると思います。
 明治四十年代の漱石時代は、「いいんだ、どうせインテリは少ないんだし、大部分は農民であって、日本は農業社会で、少し工業が出てきたんだ」という時代です。それだったら考えることをしているということに存在的な意味を与えるのは、漱石くらい徹底的にやるのは難しいことですが、課題としてはそんなに難しいことではありません。
 でも、いまの社会で九割の人に対して、この点はお前らと同じだ。俺も考えることをしていて、フラフラしているのは同じだけど、でもお前らとは全然違うんだぞと、僕の好きな言葉で言えば、俺は帰り道でちゃんとそれを壊して組み替えようとしているんだ。そういう課題を持っているんだ。それぐらい俺は孤独なんだと言うのはものすごく難しいことです。
 作家といえども九割の中の一人で、九割がお前は頭がおかしくなっていると言っているんだよと、自分で孤独になりそうな自分の足を引っ張ることになって、孤独になりきれないで、どこかで九割の人と自分がつながっているという意識を持ちたいわけです。そうしたら表現した物語の形態ははるかに通俗的になります。それは免れないと思います。
 つまり九割の人と同じ基盤でおもしろおかしくというのを持たざるを得ないというのはものすごく当然なことですし、そういう意味では漱石時代の文学者より、本格的な文学というのははるかに難しくなっていると思います。
 でも別の意味で言えば、非常に易しくなっています。なぜなら自分と同じ人が九割もいるからです。明治二十~四十年ぐらいの間は、俺と同じ考え方をしているのはだれもいないんだという孤独感で漱石も小説を書いていますし、主人公もそうなっています。
 二葉亭四迷は漱石よりも、もっとお金も正規の学歴もといいましょうか。漱石ほど輝かしい学歴がないですから、食べるにも困って、二葉亭四迷の小説では自我意識の確立をしながらも、嫌だ、嫌だと思いながらもどこかに就職したいと思って、でも内面に孤独を持っているから、役所に就職しても非常に要領良くやっている奴には到底かなわないで、だんだん実社会から破れていきます。
 そうすると女の人も寄ってこなくて、下宿の娘さんですけど、女の人にも失恋するというのが二葉亭四迷の小説です。つまりそうなってしまって、お金がなくて存在論的な根拠を持つまでの近代的自我を心得た二葉亭みたいな作家は、孤独だけど実社会の役所に勤めて生活の資を得たいという人を主人公にする。そういうふうにしたいんだけど役所の同僚とはギクシャクして、かなわなくて、だんだん重んじられなくなっていって悩むという主人公を描いています。

12 孤独になることのむずかしさ

 いまはまったくそれと反対で、九割九分の人と一緒にしていれば孤独ではないし、作品を書くのもそれでいいから書けるわけですが、「そうじゃないぞ。俺は違う。確かに生活的、日常的根底は九割の人と同じで、格別食うのにも困ってはいない。明日の米には困っていない。だけど俺は、本当は自我を考えるのは当然なんだというところで安んじている九割の人とは違う。俺はそこから元へ戻って、根底的にそうなっているものをもう一回壊したいという課題をいつでも持っているんだ」というところで小説を書くのがいかに難しいかと言えば、また言えてしまうというのが現在の状態だと思います。
 村上さんというのは鋭敏な人で、春樹という人も龍という人も鋭敏だから、言葉で言えるかどうかは別として、たぶんそういうことに感覚的に気がついていると思います。自分はそれをやったんだよと言いたいし、そう思っているかもしれませんが、主観的にそう思っていることが客観的にそうかというと違って、僕はそれはうまくできていないと思います。
 ですから折衷になってしまっています。九割一分の人と根底が同じところで孤独になろうと思ってもなりようがないんだよというところで、ちょっと気を許してしまっているみたいなところがあって、それは何かというと、近代的自我の確立で考えることをしているという一種の協業になってしまう。その二つがミックスしているというのが、骨組みだけ、形態論だけ言えば村上龍さんなり春樹さんの小説の本筋だと思います。
 それは当然です。九割一分の人が思っている考えることをしているなんていうのは自慢にも何にもならないぞ。それをどう壊せるかということこそ課題なんだということで孤独にならなくてはならないし、自我の確立が存在論的にできているなんていうのも自慢にならないんだ、そんなものは壊してしまえというところへ行くことが課題なんですが、それはものすごく難しいから、知識で言えば一種の知識主義になってしまうし、どこかで九割一分の、あるいは九割の人と同じなんだということが自分の安心感になってしまいます。
 無意識のうちにそれが安心感になったら、作品の中でどんなふうに深刻めかしても、必ずそれは表れてきますから、そうなってしまっているのが事実じゃないでしょうか。
 つまり課題は何かといったら、まず第一に日本の社会では九割一分の人が、あるいは九割の人が考えることをしていて、極端に言えば「俺は考えることをしている。親父だって何だって、お前はフラフラして怪しからんということは言ってもらいたくない」というふうになってしまっているから、そうであるということはちっとも自慢にならない。つまり、そういう自分をどうやって壊すかが問題で、これを壊すことこそが課題なんだよというところに行くことがとても重要じゃないでしょうか。

13 意識の上に無意識をつくるという課題

 僕が欲張りを言うと、近代的自我の確立とか、それの高度化というか実存化は自慢にも課題にもならないけど、依然としてそれが課題になってしまっていたり、安堵感になっているというのが、いまの小説、物語の筋じゃないでしょうか。つまり、そこのところが問題ではないかと思いますし、それくらい難しいと思います。
 それは明治時代といまの社会の大変な違いで、その違いは感覚的にはわかるんだけど、これをどうしたらいいかは非常に難しい探求のしどころだし、無意識にそこに行かなくてはならないという課題になっていると思いますが、その課題に当面することはとても難しくなっているんじゃないでしょうか。
 そういうふうにできあがっている無意識というのは、何と呼んでいいかわからないんですが、一種のつくられる無意識といいましょうか。河合さんのユング心理学とかフロイト心理学は、「意識の下に無意識がある」ということですが、そうじゃなくて意識の上に無意識がある。つまりつくられる無意識というか、無意識のうちに無意識をつくらなくてはならない。
 その無意識は、意識の下に引っ込めてあってときどきそれが出てきて爆発するという無意識じゃなくて、自分が意識の極限まで行く。つまり「考えることをしている」ということを意味づけるとすれば、意味づけたもののもっと先のところに無意識みたいなものがあって、それがどうつくられたかは半分ぐらいわかってもあとはわからない。そういう無意識をつくるのが、たぶんいまの課題だと僕は思います。
 それはどういうものなのかとなると、手がかりがあるように思えると、またそれが遠ざかってしまうという形で、社会的にも個人の内面的にも、考えることをしているということでも、なかなかうまくそれを捕まえることができない。
 しかし漠然と、ちょっとこれじゃおかしいよと。極端に言うと九割の人が考えることをしていると言ってしまって、「親の言うことも俺は知らない。そんなのは関係ない。お前はフラフラしていると言われても、関係ない。不況だと言われても、そんなことは関係ない」と言いだしてもちっとも不思議じゃない。現在の日本の社会はそこまで行っていると思いますが、そういうふうになっているわけです。
 食うことにあまりあくせくしていなくて、親父に「お前、何をフラフラしているんだ。就職しろ」と言われても、親父のほうも息子の給料をいくらか家に入れさせないと食えないという人は非常に少なくなって一割ぐらいしかいなくなってしまっているから切実さがなくて、「就職しろ。フラフラしているな。目障りだ」と言っても、あまり深刻に切実には言えない。
 言われるほうも「何を言っているんだ。考えることをしている。親父はこの価値を知っているか」と言えてしまうところがある。少なかったら言えないんですが、いまは九割の人がそうだと思ったほうがいいので、友だちと同じようなことを言っているんだということになってしまう。要するに、いまの日本の社会をむき出しにするとそういうことになってしまっているわけです。
 だから「そうじゃないんだ。そんなんじゃだめだ」というところへどう行くかが問題になります。僕が思うには一つの失敗があります。四、五年前までマルクス主義は、ロシアマルクス主義の系統の人たちはしきりに、インテリは中産階級でフラフラしているんだから、労働者は造反して何かしなければいけない、労働者のところに入っていかなければいけないという言い方をしていました。インテリは怪しからん奴だ。フラフラしているだけでろくなことを考えていない。労働者は解放されなければならない。そこへ行け。造反して行けという思想で、そういうふうに振舞えと言う人がつい四、五年前までいて、大失敗したというふうになっているわけです。
 そうは言っても言わなくても自分の宿命は、つまり知識は知識であるということは、そんなに簡単にどこかへ行って手足を動かしたから解消するなんていうものではなくて、そんな安直なやり方はだめだということは数年前に実証されて出てきています。
 つまり外から見たら考えることをしているという延長線ですが、それと同じように外からは見えないかもしれないという形でそれを超える方法があるのか、そうじゃないんだという課題に突入する方法はあるのかということを追求していくという課題は、僕はあるように思います。
 これは物語としてもあると思います。それをどう読むかということは別ですが、僕は物語としてもあるように思います。これは物語における形態論の大昔からいままでの大ざっぱな変化ということになりますが、物語を理解していく場合にものすごく重要なことです。

14 想像力の問題――『銀河鉄道の夜』のパラ・イメージ

 いまほど重要ではないので駆け足で行きますが、もう二つぐらいあります。一つは僕がパラ・イメージと言っていることです。つまり真上から見たイメージで、自分が自分として、興奮したりしている自分を上のほうから同時に見ている目です。いま何かをしながら見ているとか、何かを考えながら瞳を凝らしているという見え方、感覚の使い方に対して、もう一つ真上から見ている、しかも無限遠点から見ている視線を一緒にできる視点ということが、イメージの問題、想像力の問題として物語では非常に重要だと思います。
 これはメタ・イメージみたいなところまでは人は言うわけですが、パラ・イメージというのは真上からのイメージです。そうするとどういうことが起こるかというと、映像でも画像でも文学で言えば想像力でも何でもいいんですが、視覚的にリアルに見える形態とかものの感覚とパラ・イメージを融合したイメージをしばしばつくり得ます。イメージのほうが現実であり、現実のほうがイメージなんだよという錯覚というか、転換というか、それがしばしば起こりうるだろうと思います。
 それが起こりうる形というのは、想像力とか映像の形を分析的に見ると、たぶんわれわれがやっている想像力の発揮の仕方とか目の見え方に対して、同時に上からの視線が入って融合しています。そういう視線をもし想像できるならば、あるいは表現したり実現できるならば、それはパラ・イメージを加えた想像力の問題ということに物語としてなると思います。
 そのことがたとえば現在の物語論として大変重要な問題になるだろうと、僕はそういうふうに理解しています。そういうイメージをちゃんと行使した小説作品はあるかということになるわけですが、僕は無意識ならばあると思います。
 だれでもいいんですが、当たり障りのない人を言いますと、たとえば宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です。この作品を物語の筋だけではなくて、想像力の発揮の仕方を交えて読むと、不安定ですけれども、何か現実の次元とちょっと違う次元のことを読んでいるみたいなものが与えられます。
 その理由は何かというと、たとえばだれかが銀河鉄道の途中で降りて、友だちのカムパネルラと一緒に「自分たちも降りてみよう」と言って、銀河の列車から降りると天の川が輝いて流れている。そばへ寄っていって「カムパネルラ、これは何だ。宝石が流れているんじゃないか」というような会話があって、ジョバンニという主人公が輝いている川の流れに手を浸すと、手のところだけ宝石みたいにキラキラと光って、よどむというか、うずを巻くみたいに見えるわけです。
 それを会話で、手を浸しながらカムパネルラと話をしているというイメージで言うと、手を浸している主人公ジョバンニの視線でもないし、カムパネルラの視線でもないし、またナレーションとしての物語を語っている作者の視線でもなくて、列車のほうにもう一つ別の視線があります。手を浸して「ほら、キラキラしている」と言っているのを見ているもう一つの視線があって、これはナレーターの視線ではないし、もちろん作者の視線でもなくて独特の視線です。
 この視線がたぶんそうです。つまり定型的に言えば、真上からの視線が入り込んだ視線だと僕は思います。しばしば無意識のうちにそれを実現している作品に遭遇することがありますが、「これはまさしく現在の小説の課題なんだよ」という形でそれが入ってきているものはないと思います。そういうものは実現されていません。
 誤解されるといけないから言いますが、主題がそうなっているということではないんです。たとえば科学のほうのバーチャルリアリティーとか、装置を使って、自分がその中に入り込んでしまっているイメージをつくることはできます。ものが動いたり語ったりしながら、自分もイメージの中に入ってしまっているということは科学的にできるわけです。また宗教家みたいに修練すればできるし、やっている人もいると思います。それが宗教的な修練になっているという人もいます。
 だからもちろんあるわけですが、素材は単純な物語でも何でもいいけど、要するに素材じゃなくて本格的な作品のモチーフとしてそういうことが意図的にできている作品、あるいは相当自覚的にできてしまっている作品に出会うことはいまのところなくて、大抵は近代的な自我意識と「大勢だよ、九割の人がそうなんだよ」という折衷のところで作品が書かれていると思います。

15 反復と通俗性

 もう一つは反復ということです。これは童話みたいなものが一番簡単です。たとえば主人公のきょうだいがいて、両親が飢えてしまって「このままじゃみんな飢えてしまうから、子どもたちをだまして森の中に放ってきてしまおう。わからないようにしようじゃないか」と相談していたら、それを寝ながら聞いていて、きょうだいの兄貴のほうが石を拾ってポケットに入れておいた。親が連れて森の中に入って、もうここまで来たら帰れないだろうと思っていると、ポケットから石を少しずつわからないように垂らして、それをたどってうちへ帰ってきてしまう。
 また同じパターンの繰り返しがあって、またあいつらが帰ってきた……
【テープ反転】
……何とかしなければといって、翌日の朝、「昼飯」だといってパンをくれたので、知らん振りをしてパンを屑にして垂らしながら森の中に入っていって、親たちは捨てたつもりなのにまた帰ってきてしまう。そういうふうに同じ形の物語が反復するのが童話みたいなものとか昔物語みたいなものの典型です。
 反復というのは物語の大きな柱です。それは目に見える反復もあるし、目に見えないけれども反復があるものもあります。たとえば物語の筋道を、自分の自我意識のフィルターを通すわけですが、そのフィルターが非常に細かくて震えるように動いていると、そこを通過してくる反復というのは、ほとんど反復と気づかれない反復の仕方をします。
 それはさっき言った「『今昔物語』には「今は昔何々とかや」という定型がある。『源氏物語』にも、なかなか見つけるのは難しいけれども定型がある」というのと同じで、反復はあっても、同じようにそれが反復しているようには見えない反復の仕方があるわけです。
 自我意識の持っているフィルターというか、網の目というか、それが非常によく、絶えず動揺して、どんな微細な動きもできるというふうに自我意識のフィルターがいつでも動いていると、反復がそこを通るときに通俗的な反復はそこの網の目を通れなくて、セレクトされてしまうということがあります。そういう小説は、反復なんかちっともないように見えますが、よく分析するともちろん反復があるわけです。
 つまり反復というのは昔物語とか童話に典型的なように、おもしろさということと対応します。物語をおもしろくするという形を、もっと通俗的にすると反復になってしまう。通俗的にして、子どもにもわかりやすくすると童話みたいな形での反復や昔話みたいな反復になってしまいます。これを高度にしてやろうと、反復する物語性を高度に震える自我意識というか、繊細な自我意識のフィルターを通そうとすると、わかりやすい反復だけフィルターから除外されて、それを通りうる反復、目に見えない反復に近いものしか通れない。ですから、これは高度な小説と言われるものになってしまうわけです。
 それは言ってみれば、通俗的な言葉で言うと、物語をおもしろくなくさせる要素になります。つまり村上さんの小説は、まだおもしろい要素がある。だけど漱石の小説はおもしろいというわけにはいかない。こういうのは深刻すぎて嫌だ、小説はおもしろおかしくなくちゃ嫌だという人はちょっと飛びつけない。うまいから飛びつけるということはありますが、飛びつけないということになりますし、まして近代的自我というか「自我の震えは繊細にして、かつ非常に存在論的に確立しているものだから、俺が書いた小説はものすごく高度なんだ」と自分で思っている人の小説も、やっぱりおもしろくないというだけのものです。

16 「おもしろくないの反対」は可能か

 僕が言いたいことは、そうじゃなくて現在の小説は「おもしろくない」の反対ということが可能であるかどうかです。どう言ったらいいでしょうか。反対のおもしろいというのか、知りませんけれども、そういうことが可能であるかどうかが物語としての課題になると僕は思っています。
 近代的自我の延長線上で高度なものはいろいろありますが、たとえばカフカの小説は高度な震えの中を通過していきます。ですから反復なんて見当たらない。欠如しか見当たらないということになりますが、この高度さは、僕はおもしろくないという高度さだと思います。
 「おもしろくないの反対だ」という高度さではないと思います。おもしろいの反対は、子どもにはわからないというふうになるかもしれませんが、これは子どもがわからない高度な文学鑑賞だよとか、これを書くのは高度な人なんだよと思っているようなおもしろくなさというのは、僕は終わりだと思いますし、終わっていると思います。
 「反おもしろくない」というのはどういうことだ。ちょっと言いようがないなということになるんですが、それが現代の物語の課題であると思います。そういう意味のおもしろくないということを少し言っているんじゃないかなと思えるエピソードが一つあります。
 僕は反復ということから思いついて読んだわけですが、キルケゴールの『反復』という、エッセイとも哲学とも小説ともつかないものがあります。その中でキルケゴールが「男はおもしろいことにひかれ始めたら、もう終わりだ。娘さんという人の存在の唯一の根拠は、そういうときにおもしろくないというあり方を保てるように男を支えることだ。それが娘さんの本当のあり方で、娘さんの役割なんだ」と言っているところがあります。
 たとえば北村透谷という人は、実社会から破れて敗退して文学の世界に来たような人間ですが、最後の牙城は女の人だ、つまり恋愛なんだということを言っていますが、それと同じで「男がおもしろいことにひかれて、女の人がおもしろくしてやったりしたら終わりなんだ。男がおもしろいことにひかれだしたら、女の人はおもしろくないように男を引き止める役割がある。それが恋愛だ」という言い方をしています。
 キルケゴールは別に道徳的におもしろい、おもしろくないと言っているんじゃなくて、「反おもしろくないとはどういうことか」というのを言っていると思います。おもしろいほうがいいんだということが前提なんだけど、反おもしろくないということが男と女の恋愛のあり方だと言っています。これは反おもしろさということを言おうとしていると思いますが、つまらないところもあります。
 『反復』は私小説的に書かれた哲学書だと思いますが、実例を挙げてあります。私はコペンハーゲンから十キロか二十キロ離れたところの宿屋に泊まっていた。そうしたら宿屋の中庭をかわいい娘さんが通っていくのが見えた。思わず後をくっついていった。娘さんが中庭を通過して、入ってきたかと思うと、全然知らない人なのに自分の部屋をノックして「私はコペンハーゲンまで行く用事があるんですが、あそこの馬車はあなたのものですか」と言った。「そうだ」と言ったら「あなたはコペンハーゲンまで行くんですか」と言うので「そうだ」と言うと「私を乗せていってくれないでしょうか」と言った。
 それで乗せていってやって、十キロか二十キロ馬車が走っている間に、自分から娘さんに声をかけたり、口を出したり、最初に聞いたりということは何もしなかった。受け答えはしても、しなかった。「何もなしに娘さんをコペンハーゲンまで届けて帰ってきた」と言っているんですが、「そのときに馬車に乗って、十キロも二十キロも同じ馬車の同じ部屋に乗っていたんだから、自分のほうから先に口をきいたりして誘惑しようと思えばいくらでもできたんだけど自分はしなかった」と言っているんだと思います。でも、それは通俗的な解釈で、わかりやすいからそう言いますけれども、そうじゃなくて「自分は反おもしろくないことをしたんだ」と言いたいんだと思います。
 これは日本人の男女観とまるで違いますし、別に自分からは口をきかなかったとか、手を出さなかったというのは、何も自慢することじゃないかと言えばそれまでですが、たぶんそこで言っているのはそういうことじゃなくて、自分は反おもしろくないことをしたというか、あるいは反おもしろいことをしたというか、そういうことをしたと言いたいんだと思います。
 反ということの言われ方は、すごく言いにくい。つまり形があるように言うのはすごく難しいし、僕には形あるようにそれを言うだけのものはないけれども追究していくということを、「ハイ・イメージ論」でやっています。
 反おもしろくないことというのは何なのか。形態というのは何なのか。形態の最も現代的課題は何なのか。パラ・イメージというか上からの視点を導入する、想像力に上からの視線を入れるということはどういう意味を持つか。つまり「反」というものに対してどういう役割をするか。そういうことにとにかくいろいろなところから手をつけて、そこに取り掛かりたいわけです。それが完全にできているとか、うまくできているとは必ずしも言えないんですが、僕自身が批評的課題として持っていることを言えば、そういうところです。そこが批評として自分が一番重きを置いている課題じゃないかと思っています。
 全部できたとは言いませんし、どこまでできているかということは自分の主観と読む人の主観は違いますから、それはどうでもいいんですが、現在の物語の課題であり、社会的な課題であり、政治的な課題であると僕自身が思っていて、そこに何かの手がかりが少しでもたくさん得られないかという探索が、僕の批評的な課題になっています。
 そこのところが僕が精一杯打ち出している問題意識です。その問題意識の主たるテーマは、もっと時間があれば具体的に言うとわかりやすいんでしょうが、主な筋道と主なポイントはどこだろうかということについては、だいたいお話しできたような気がしておりますので、一応これで終わらせていただきたいと思います。(拍手)