- 糸井
- ご本人を前にして言うのはなんですけど、
由伸さんは、桐蔭学園、慶應大学、
そして巨人にドラフト1位で入団と、
野球選手としての「エリート街道」を
ずっと走ってるように、人は見ますよね。
- 高橋
- うーん‥‥自分で、そうですとは(笑)。
- 糸井
- 言いにくい(笑)、もちろん。
- 高橋
- なにをもってエリートなのかもわかりませんし。
我々の世界は、学歴なんかより、
もう、結果がすべてだと思います。
だとすると、現役選手でも、OBでも、
私より実績のある人はたくさんいますから。
- 糸井
- というよりも、なんだろう、
あくまでイメージということでいうと、
「努力しなくてもできちゃう人」みたいに
とらえている人もいるんじゃないかなと。
もちろん、努力してるに決まってますけど。
- 高橋
- ああ(笑)。
まぁ、そういうふうに見られることは、
決して悪いことではないかなと思ってます。
努力すること自体は、
別に人に見せるものではないですから。
- 糸井
- ぼく個人の印象でいうと、
とにかく、高橋由伸という選手は、
思い切りのいい選手だな、
というイメージがあります。
- 高橋
- ああ、そうですか。ありがとうございます。
ふだんはぜんぜん
思い切りよくないんですけど(笑)。
- 糸井
- そうなんですか(笑)。
- 高橋
- はい。
でも、野球になると、積極的になれる。
- 糸井
- 野球選手としては、かなり思い切りがいいですよね。
初球から積極的に打ったりとか、
バッターとしての思い切りのよさも
もちろんあるんですけど、
ぼくがおぼえているのは、やっぱり守備ですね。
ライト側の席で観ていると、
もう、ボールに向かって躊躇なく飛び込む。
- 高橋
- ああ、はい。
- 糸井
- あれは、怖くないんですか。
- 高橋
- 怖くはないですね。
痛い思いはたくさんしましたけど(笑)。
- 糸井
- してますよねぇ‥‥。
- 高橋
- はい(笑)。
- 糸井
- ダイビングキャッチしてケガをして、
リハビリを重ねてようやく復帰したのに、
またすぐに、ぎりぎりの打球に飛び込んで
ケガをしたり‥‥。
- 高橋
- そういうことも、多々ありましたね。
決してよかったことではないんですけども。
- 糸井
- 何度もケガをして、
もう一回、スタートラインに戻ってくる
というだけでも大変なことだと思うんですけど、
そういうときに「自分を支えるもの」って、
由伸さんの場合は、なんなんですか。
- 高橋
- うーん、やっぱり、
なんとか、もう一度、あの舞台に立って、
好きな野球をしたい、という思いだけですね。
家族のためとか、
応援してくれる人のためというのも、
当然、ありますけども、でも、やっぱり、
一番は自分のためかなと思ってますね。
自分の好きな野球をまだできる
可能性があるのであれば、がんばりたい。
- 糸井
- それほど、好きなんですね、野球が。
- 高橋
- そうですね。
でも、不思議と、引退したあと、
「もう一回、野球をやりたい」とは、
ちっとも思わないんです(笑)。
- 糸井
- へぇーー(笑)。
- 高橋
- そこは不思議ですね(笑)。
- 糸井
- やめる寸前までは、
つまり、監督の要請があるまでは、
現役を続けるつもりだったんですよね。
- 高橋
- はい。就任の要請が来るまでは、
選手として、今季の準備を進めてました。
でもいざ、そういった要請を受けて、
監督を引き受ける決断したあとは、
もう、まったく、野球がやりたいとか、
練習やりたいとか、思わないですね。
- 糸井
- ご自分では、その理由がわかりますか。
- 高橋
- うーん‥‥野球は好きなんですけど、
苦しかったといえば、苦しかったので。
- 糸井
- ああ、はい。
- 高橋
- いままで言ったことと
矛盾するかもしれませんけど、
野球をやっている間というのは、
すごく苦しいことばかりでした。
ケガやリハビリのときはもちろん、
元気に試合に出てるときも、
やっぱり結果に対する苦しさであったり、
周囲からの期待に対する苦しさであったり‥‥。
それは、好きな野球をやるうえでのことですから、
ほかの人から見たら、
しあわせなことかもしれないんですけども。
- 糸井
- うーん。
- 高橋
- まぁ、苦しいことも、しあわせなことも、
人それぞれなんだと思います。
みんなが同じだとは思わないので。
- 糸井
- そういう由伸さんの考えは、
いつ、どうやって身につけたんですかね。
だって、それって、
ずいぶん大人っぽいじゃないですか。
- 高橋
- どうなんですかね。
わかんないですけども。
- 糸井
- 桐蔭学園から慶應大学という、
学生時代に所属したチームの
個性と伝統みたいなものは、
関係しているかもしれないですね。
- 高橋
- そうかもしれないですね。
理由になるかどうかわからないんですけど、
桐蔭学園は全寮制だったので、
高校に入ってすぐに集団での生活を
経験することになるんです。
協調性であったり、上下関係であったり、
そういうことを早い段階で経験したというのは
なにか影響があったかもしれませんね。
- 糸井
- そこで由伸さんは、
どういうふうに過ごしていたんですか。
- 高橋
- とにかく仲間の足を引っ張っちゃいけないというか、
いろんなことを丸く収めるように
心がけていたような気がします。
あとは、寮ではすごく規則正しい生活を
送らなくてはいけないので、
それまで親に全部やってもらってたものを、
自分でやらなくちゃいけなかったんです。
洗濯なんてしたことなかったのに、
自分の分だけじゃなく、
先輩の分も洗濯しなくちゃいけない。
寮の掃除、食事の配膳、そういうことを
自分ですべてやらなくちゃいけないんで、
自立せざるを得なかったというか。
- 糸井
- 高校生のころに。
大学時代もそんな感じですか?
- 高橋
- いえ、大学に入ったら、むしろ逆で、
もう、最初から大人の集団というか、
個人に任せられている感じだったんです。
当時の野球部の監督は、
ひとりひとりの部員を
大人として扱ってくれたんですね。
だから、高校時代とは違った意味での自立を
そこで経験したと思います。
- 糸井
- じゃあ、十代から二十代にかけて、
2回の「自立」を経験したんですね。
- 高橋
- そうですね。
高校時代は、管理されたなかで、
自分で生活するという自立を、
大学時代は、大人としての自立を。
まぁ、でも、どちらも、
「いま振り返れば」という感じですね。
- 糸井
- あんまり意識はしてない。
- 高橋
- してないですね。
<つづきます>
2016-03-25-FRI