ほぼ日刊イトイ新聞
高橋由伸 × 糸井重里
高橋由伸新監督の
真っ直ぐなことば。
photo: Tetsuya Ito
開幕前の読売ジャイアンツを取材し、 今季の展望を監督に訊く、 というのがここ数年の糸井重里の恒例でした。 しかし、今年は、例年と大きく違うことがあります。 そう、糸井重里の前に座っているのは、 高橋由伸新監督です。 誰もが驚いた原前監督の辞任、 そして、高橋由伸選手の引退、 第18代巨人軍監督就任という急展開。 おそらく、ファンも、選手も、 まだどこか落ち着かない気持ちを抱えています。 オープン戦がはじまったばかりの2月20日、 高橋由伸監督に、さまざまなことを問いかけました。 返ってきたのは、真っ直ぐなことばばかりでした。
2 もう一回、野球をやりたいとは思わない。
糸井
ご本人を前にして言うのはなんですけど、
由伸さんは、桐蔭学園、慶應大学、
そして巨人にドラフト1位で入団と、
野球選手としての「エリート街道」を
ずっと走ってるように、人は見ますよね。
高橋
うーん‥‥自分で、そうですとは(笑)。
糸井
言いにくい(笑)、もちろん。
高橋
なにをもってエリートなのかもわかりませんし。
我々の世界は、学歴なんかより、
もう、結果がすべてだと思います。
だとすると、現役選手でも、OBでも、
私より実績のある人はたくさんいますから。
糸井
というよりも、なんだろう、
あくまでイメージということでいうと、
「努力しなくてもできちゃう人」みたいに
とらえている人もいるんじゃないかなと。
もちろん、努力してるに決まってますけど。
高橋
ああ(笑)。
まぁ、そういうふうに見られることは、
決して悪いことではないかなと思ってます。
努力すること自体は、
別に人に見せるものではないですから。
糸井
ぼく個人の印象でいうと、
とにかく、高橋由伸という選手は、
思い切りのいい選手だな、
というイメージがあります。
高橋
ああ、そうですか。ありがとうございます。
ふだんはぜんぜん
思い切りよくないんですけど(笑)。
糸井
そうなんですか(笑)。
高橋
はい。
でも、野球になると、積極的になれる。
糸井
野球選手としては、かなり思い切りがいいですよね。
初球から積極的に打ったりとか、
バッターとしての思い切りのよさも
もちろんあるんですけど、
ぼくがおぼえているのは、やっぱり守備ですね。
ライト側の席で観ていると、
もう、ボールに向かって躊躇なく飛び込む。
高橋
ああ、はい。
糸井
あれは、怖くないんですか。
高橋
怖くはないですね。
痛い思いはたくさんしましたけど(笑)。
糸井
してますよねぇ‥‥。
高橋
はい(笑)。
糸井
ダイビングキャッチしてケガをして、
リハビリを重ねてようやく復帰したのに、
またすぐに、ぎりぎりの打球に飛び込んで
ケガをしたり‥‥。
高橋
そういうことも、多々ありましたね。
決してよかったことではないんですけども。
糸井
何度もケガをして、
もう一回、スタートラインに戻ってくる
というだけでも大変なことだと思うんですけど、
そういうときに「自分を支えるもの」って、
由伸さんの場合は、なんなんですか。
高橋
うーん、やっぱり、
なんとか、もう一度、あの舞台に立って、
好きな野球をしたい、という思いだけですね。
家族のためとか、
応援してくれる人のためというのも、
当然、ありますけども、でも、やっぱり、
一番は自分のためかなと思ってますね。
自分の好きな野球をまだできる
可能性があるのであれば、がんばりたい。
糸井
それほど、好きなんですね、野球が。
高橋
そうですね。
でも、不思議と、引退したあと、
「もう一回、野球をやりたい」とは、
ちっとも思わないんです(笑)。
糸井
へぇーー(笑)。
高橋
そこは不思議ですね(笑)。
糸井
やめる寸前までは、
つまり、監督の要請があるまでは、
現役を続けるつもりだったんですよね。
高橋
はい。就任の要請が来るまでは、
選手として、今季の準備を進めてました。
でもいざ、そういった要請を受けて、
監督を引き受ける決断したあとは、
もう、まったく、野球がやりたいとか、
練習やりたいとか、思わないですね。
糸井
ご自分では、その理由がわかりますか。
高橋
うーん‥‥野球は好きなんですけど、
苦しかったといえば、苦しかったので。
糸井
ああ、はい。
高橋
いままで言ったことと
矛盾するかもしれませんけど、
野球をやっている間というのは、
すごく苦しいことばかりでした。
ケガやリハビリのときはもちろん、
元気に試合に出てるときも、
やっぱり結果に対する苦しさであったり、
周囲からの期待に対する苦しさであったり‥‥。
それは、好きな野球をやるうえでのことですから、
ほかの人から見たら、
しあわせなことかもしれないんですけども。
糸井
うーん。
高橋
まぁ、苦しいことも、しあわせなことも、
人それぞれなんだと思います。
みんなが同じだとは思わないので。
糸井
そういう由伸さんの考えは、
いつ、どうやって身につけたんですかね。
だって、それって、
ずいぶん大人っぽいじゃないですか。
高橋
どうなんですかね。
わかんないですけども。
糸井
桐蔭学園から慶應大学という、
学生時代に所属したチームの
個性と伝統みたいなものは、
関係しているかもしれないですね。
高橋
そうかもしれないですね。
理由になるかどうかわからないんですけど、
桐蔭学園は全寮制だったので、
高校に入ってすぐに集団での生活を
経験することになるんです。
協調性であったり、上下関係であったり、
そういうことを早い段階で経験したというのは
なにか影響があったかもしれませんね。
糸井
そこで由伸さんは、
どういうふうに過ごしていたんですか。
高橋
とにかく仲間の足を引っ張っちゃいけないというか、
いろんなことを丸く収めるように
心がけていたような気がします。
あとは、寮ではすごく規則正しい生活を
送らなくてはいけないので、
それまで親に全部やってもらってたものを、
自分でやらなくちゃいけなかったんです。
洗濯なんてしたことなかったのに、
自分の分だけじゃなく、
先輩の分も洗濯しなくちゃいけない。
寮の掃除、食事の配膳、そういうことを
自分ですべてやらなくちゃいけないんで、
自立せざるを得なかったというか。
糸井
高校生のころに。
大学時代もそんな感じですか?
高橋
いえ、大学に入ったら、むしろ逆で、
もう、最初から大人の集団というか、
個人に任せられている感じだったんです。
当時の野球部の監督は、
ひとりひとりの部員を
大人として扱ってくれたんですね。
だから、高校時代とは違った意味での自立を
そこで経験したと思います。
糸井
じゃあ、十代から二十代にかけて、
2回の「自立」を経験したんですね。
高橋
そうですね。
高校時代は、管理されたなかで、
自分で生活するという自立を、
大学時代は、大人としての自立を。
まぁ、でも、どちらも、
「いま振り返れば」という感じですね。
糸井
あんまり意識はしてない。
高橋
してないですね。
<つづきます>
2016-03-25-FRI