開幕前の読売ジャイアンツを取材し、 今季の展望を監督に訊く、 というのがここ数年の糸井重里の恒例でした。 しかし、今年は、例年と大きく違うことがあります。 そう、糸井重里の前に座っているのは、 高橋由伸新監督です。 誰もが驚いた原前監督の辞任、 そして、高橋由伸選手の引退、 第18代巨人軍監督就任という急展開。 おそらく、ファンも、選手も、 まだどこか落ち着かない気持ちを抱えています。 オープン戦がはじまったばかりの2月20日、 高橋由伸監督に、さまざまなことを問いかけました。 返ってきたのは、真っ直ぐなことばばかりでした。
高橋由伸
(たかはし・よしのぶ)
1975年4月3日生まれ。千葉県出身。
桐蔭学園では甲子園に二度出場。
高校通算30本塁打を放つ。
複数のプロ球団から誘いを受けるも、慶應大学へ進学。
1年生からレギュラーを獲得する。
3年間の通算本塁打数23本は
現在も六大学野球の最多本塁打記録である。
1997年、ドラフト1位で巨人に入団。
翌年デビューし、いきなり打率3割を記録する。
以来18年間、チームの中軸を担い続ける。
2014年、原監督の辞任後、
チームからの監督要請を受けるかたちで引退。
2016年から、第18代巨人軍監督としてチームを率いる。
とじる
糸井
今日、オープン戦の初戦が
いよいよはじまったところですけど、
監督になったんだな、という
実感みたいなものは感じましたか?
それとも、いままでと、あまり変わらない?
高橋
実感できているかどうかはわからないですけど、
まぁ、でも、単純な話、
「選手交代を告げに行く」とか、
「つぎの展開をコーチと相談する」とか、
そういうことをしていると、
そうか、こういうことなんだな、
っていうのは感じます。
糸井
今日はまだ、選手に自由にやらせていて、
サインを出している感じではなかったですね。
最初は選手に任せて、ということも
おっしゃってましたが。
高橋
そうですね。
やっぱり、打ったり投げたりするのは
ひとりひとりの選手ですから、
基本的には、グラウンドに出してしまったら、
任せるしかありません。
ですから、選手たちには、
「個々に強くなってくれ」と
ずっと言ってはいるんですけど。
糸井
でも、なかなか度胸のいることですよね、
いちばん最初に「任せるよ」って選手に言うのは。
最初になめられちゃいけないから厳しく接する、
っていう方法だってあるじゃないですか。
高橋
でも、自分自身、まだ経験もないですし、
知識も多くないということで、
勉強しなくちゃいけないと思ってますから。
わからない、知らないというのはね、
無理するところではないのかなと思ってるので。
糸井
威厳を出すためにわざと自分を高く見せる、
みたいなことを、
由伸監督はまったくしてないですよね。
高橋
そうですね。そういうことをしても、
けっきょく、いつか苦しくなると思ってるので。
糸井
ああ、なるほど‥‥。
由伸監督は、とても冷静ですね。
高橋
冷静でいたいと思ってます、はい。
糸井
落ち着かないことだって、あるでしょう?
高橋
迷いだったり、不安だったり、
そういうことは、当然あります。
でも、私がそういうふうに感じたら、
観ているお客さんだとか、
あるいは選手たちはもっと近くにいますから、
やっぱりそれを感じちゃうと思うんです。
だから、なるべく選手に、
そういった迷いや心配を感じさせないように
努力しなくちゃいけないと、ぼくは思います。
糸井
たしかに、そういう姿勢というのは、
観ているぼくら観客も伝わると思います。
長かった原さんの時代から
久しぶりに空気が変わるわけですから、
そのあたりはたのしみにしています。
たぶん、選手の人たちにも、
いい意味での切り替えが必要なんでしょうね。
高橋
そうですね。
なにしろ、いまのチームって、
ベテランとか移籍してきた選手は別ですが、
原監督以外の監督を知らない選手が
ほとんどなんですよ。
糸井
あー、そうか。
高橋
はい、10年間やられましたので。
だから、たぶん、選手たちも、
監督が変わったという環境に
戸惑いは当然あると思うし、
ぼくはぼくで、ついこのあいだまで
一緒にプレイヤーとしてやってましたので、
その戸惑いもありますし。
糸井
そうですよね。
いちおう、由伸さんは、去年1年は
「兼任コーチ」という役割でしたけど、
実質的には‥‥。
高橋
去年はもう、コーチとしての役割は
ほとんど果たせていない
といっていいですね(笑)。
糸井
聞かれたら教える、くらいで。
高橋
そうですね。
私自身、試合に出たり、代打で準備したり、
戦力としてベンチに入っていましたから、
選手として結果を残すということに精一杯でした。
糸井
そう聞くとやっぱり、
プレイングマネージャー(選手兼監督)というのは、
とんでもないことですね。
高橋
そうですね。
最近では、谷繁さんがやられたり、
ちょっと前だと古田さんがやられてましたけど、
もう、すごいな、と思います。
とてもぼくはできないな、と。
糸井
「兼任コーチ」という肩書が
ひとつ増えただけでも、
かなりの重さだったわけでしょう?
高橋
そうですね、はい。
糸井
でも、こうして予想外に早く
監督になったということを思うと、
「兼任コーチ」の1年があったのは、
じつは、よかったんじゃないですか?
高橋
うーん、まぁ、そうですね。
コーチの集まるミーティングに出たり、
選手とは違う動きをするときもありましたから、
そういう経験ができたのは、
ちょっとはよかったかなと思います。
でも、ほんとうにコーチとしては
ほとんど経験を積んでませんから、
まぁ、してないときと比べると、
ちょっとはマシだったかなという感じ(笑)。
糸井
(笑)
<つづきます>
2016-03-24-THU
もちろん今年も企画中!
4月下旬ごろまでには、詳しくお伝えできる予定です。
おたのしみに!
昨年の様子は
こちら
をご覧ください。