このあとどうしちゃおう

糸井
ヨシタケさんの絵本に、おじいちゃんが
死後の世界を創造するものがあるじゃないですか。
ヨシタケ
『このあとどうしちゃおう』ですね。
おじいちゃんが死んだあと、
天国がどうあってほしいかを書いた
ノートが出てきた、っていう話。
糸井
さきほど抽象画が描けないという話がありましたけど、
この本も、ふんわりした天国のイメージが
出るかと思ったら、
まったく抽象じゃないですよね。
天国をぜんぶ具体物に小分けして、
神様もひとりずつ相談員になってて。
ヨシタケ
まさにそうで、ぼくに 
「極楽浄土!」みたいな絵は描けないんですよ。
そういうぼくが
「じゃあ、どういうことならできるんだ?」
とやってみた新しい逃げ道がこの本なんですね。
糸井
そうだ。そのとおりですね。
ヨシタケ
最終的に「ちょっとほかにない絵本だね」と
言っていただけてるのは、
王道を歩めてないからなんです。
糸井
ヨシタケさんの本のなかでは、
これがいちばんファンタジーっぽい気がするんです。
でもこれも結局は具体物ですよね。
ヨシタケ
これは主人公のおじいちゃんが
「天国に行ってさえお金がだいじだと思っている」
ところがミソなんです。
そして現世の価値観のまま、自分の天国を作る。
その
「おじいちゃんが現世で持っていた価値を、
そのまま天国にあてはめることができるんだよ」
という、
「何かとくべつな創作教育を受けてなくても、
自分の持ちものだけでユートピアを描けるんだよ」
ということが、
メッセージになると思ったんですよね。
それはまさに
「絵が描けないぼくが絵本作家になれてるよ」
ということでもあるんですけど。
糸井
本の最後あたりに
「おじいちゃんは
もしかしたら寂しかったんじゃないか」
というページがありますよね。
これはヨシタケさんの絵本のなかで、
いちばんの情景描写というか。
ヨシタケ
そうですね。
実は、この本のこのページだけが、いままでで唯一、
ぼくが塗り方を指定した場所なんです。
「絵のなかで、おじいちゃんだけがぽつんと浮いてて、
あとは落ちてるように色をつけてください」って。
糸井
ここ、ちょっとジーンとしたんです。
ヨシタケ
あぁ、よかったです。
この本はほんとに
このページを見せたいからという、
それだけなんです。
「ほんとうは怖かったんじゃないか、
誰よりも怖かったからこそ」という。
糸井
こんなにふざけているくせにね。
ヨシタケ
そうなんです。
「死ぬのが怖かったから、死にものぐるいで
ふざけるしかなかったんじゃないか」
というのは、まさにぼくがこのスケッチで
やってることなんです。

ぼくのスケッチは
「世の中が怖くて、人が信じられなくて、
仕方がないから、どうすればたのしめるのか? 
どうすれば人を信じることができるのか?」
って記録ですけど、
まさにこのおじいちゃんがやってることって、
それなんですよ。
糸井
‥‥そしたらオチがすごくて、
またこどもの具体物に戻すんです。
エンディング、ブランコで天国ムードを作る。
ヨシタケ
結局これは
「こどもに遺書を書かせる」という
本なんですね。
でもこどもって最初の1ページで飽きはじめる。
「だけどそういうものだよね」というか、
そこの身も蓋もないリアルという。
そういうことが言いたかったんです。
糸井
それが、ものすごくすがすがしいんです。
ヨシタケ
最後にメッセージをバーンと出して
「言ってやった」みたいに終わらせることも
できたんですけど、
ぼくはそれじゃ無責任だと思ってて。
どんな感銘を受けたとしても、
また日常に戻らなきゃいけない自分が
それぞれの本の前にひとりずついて、
なんとなく「そこまでが遠足だ」という気が
するんですね。
糸井
あとヨシタケさんの絵本って、
いままでの絵本での常套手段みたいな
「これ、ずるいなあ」ってところを、
入れないようにしてる気がするんです。
ヨシタケ
そこはそうですね。
ぼくは最初の絵本を描くときに、
ルールにしたことがふたつあるんです。
きっと一生に1冊しか作れないと思ったので、
いろいろ考えたんですね。

ひとつめが
「自分がこどもの頃好きだった絵本の要素を
ぜんぶ入れよう」ということ。

そしてもうひとつが
「自分がきらいだった絵本の要素は
ぜんぶ入れないようにしよう」ということ。
糸井
ああー。
ヨシタケ
こどものころ、数ページ読んで
「たぶんつまんないな」と思う絵本ってあったんです。
「きっとこれ後ろにいくに従って、
言葉が増えて、上から目線になってきて、最終的に
『じゃあ感想文書きましょう』みたいになるな」
とかって、こどもながらに思うんですよ。
そして実際そのとおりになる。

そういう本って、
読んでてぜんぜんたのしくなかったので。
自分の作る絵本がこどもたちに
そんなふうに思われるのは、ぜったい嫌だったんです。
糸井
なるほどね。
ヨシタケ
だからぼくは、
もしも本で意図しているメッセージやテーマが
途中で断ち切れたとしても、
こどもたちがちゃんと最後まで
めくりたくなる理由があってほしいと考えるんですね。
最後のページまで興奮できて、
おもしろがれるものであってほしい。

こどもって世界一飽きっぽい生き物なわけで
「あはは、くだらない!」と笑ったり、
「これ、おれみたい」と思ったり、
そういう手がかりがあってはじめて
最後まで読んでもらえる。
そこまでしてようやく
「こいつの話、聞いてあげてもいいかな」
となると思っているので。
糸井
それぞれの絵本のメッセージやテーマは、
どう決めているんでしょう?
ヨシタケ
最初のうちはやっぱり、
基本的にお題をもらっていましたね。
たとえばは、
『りんごかもしれない』の続編ということで
「『発想』をキーワードに
いろんなテーマをやりましょう」となって、
「何がいいですか?」と言われたわけです。

そのとき「友達」「感情」「自分とは」とか
候補はいろいろあったんですけど、
たとえば「友達」と言われても、
ぼくは友達がいなかったので、わかんないんですよ。
だから「友達」はむずかしいなとか、
そんなふうに絞っていったら、
「『自分ってなんだろう?』だったらわかるぞ」
と思ったんですね。
ぼくはずっと
「なんで自分はこんなに怒られるのが嫌なんだろう?」
とか、そんなことばかり考えていたので。
それで
「アイデンティティならできます」ということで
できたのが、これなんですね。
糸井
この難しい本が、よくみんなに届きましたよね。
ヨシタケ
やっぱりちょっと難しいテーマなんです。
ゴールは決まっていて、読んだ子が
「自分ってなんだろう?」と考えはじめるのが
ひとつの成功なんですね。
けど、小学生のこどもって
「自分とはなんなのか?」なんて興味ないんです。
そんなことより、早くテレビを見たいわけです。
糸井
そうですよね。
ヨシタケ
それで「どうすれば小学生が
『自分ってなんだろう?』を考える
きっかけを作れるだろうか」と
たどり着いたのが、この設定なんです。

要は、主人公の男の子が
「サボりたい」「宿題もしたくない」
「手伝いもしたくない」「掃除もしたくない」
「楽をしたい」という、
のび太のような子なんですね。

で、自分のコピーロボットを作って、
ぜんぶそいつにやらせようと考える。
でもそのロボットが
「だけど真似をするなら、
そっくりにならなきゃいけないから、
あなたのことを教えてもらわないと困る」
と言うんですね。
そう言われたら、小学生でも
自分のことを
喋らざるを得ないんじゃないか、っていう。
そういうことなら「たしかにな」とか
納得してもらえるんじゃないかと思って。
糸井
これはすごみがあったなあ。
実を言うと、ちょっと怖かったんです。
こども、これ読むんだあ、と思って。
ヨシタケ
やっぱりちょっと理屈っぽくなるんですよね。
だから、そこでどうエンターテイメントとして
成立させるかについては、
すごく考えながら作っていきました。

(つづきます)
2017-05-18-THU