糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの
04月11日の「今日のダーリン」
・よく、大谷翔平選手の活躍を見てとか、
好きなアイドルの一所懸命な姿を見てとかに対して、
「勇気をもらっている」という表現を見かける。
それは、よくわかる、勇気をもらうというか、
励みになるというか、おれもがんばっちゃうぞとか、
「生きることを鼓舞される」ようなことはあるよね。
ぼくも、そういうことをよく経験している。
昨夜は、ジャルジャル単独ライブで、
「うあぁ、あんなやつらがいるんだよなぁ。
すっごいなぁ、おれもがんばりたいぞ」と思った。
いつも、彼らはすごいのだ。
表現の質と量と、稽古(どんなふうにやってるのか)と、
じぶんたちをダメにしない社会との付き合い方と、
いつまでも新鮮でいられるような生き方と、
見習いたいようなことがたくさんある。
今回もそうだけれど、公演のタイトルが、すでにいい!
「-200g」マイナス200グラムというのだ。
このタイトルの実質的な意味は、
ひとつのコントのなかで明かされてはいるのだけれど、
もう、この5文字のタイトルだけで感心してしまう。
まず、キミは思わないか?
マイナスの付く重量表記って、見たことあったか。
なにを計ったとしても、どれほど精密なハカリでも、
限りなく小さな数字は表記するだろうけれど、
重量がマイナスということはないのだ。
あらゆる物質が地球の引力のなかにいるのだから、
「マイナス」なんてものはない。
風船は浮かぶじゃないかと言われるかもしれないが、
それは風船のガスが空気より軽いというだけのことだ。
なのに、「マイナス200グラム」という題名を、
ぼくらはなんとなく「ありそう」だと感じてしまう。
でも「ありそうに見えるけど実際はないよ」なのが、
この5つの記号を並べたタイトルなのである。
…なんてことを、まるでジャルジャルのコントのなかの
登場人物のように、ぼくは考えさせられていた。
公演のタイトルだけでも、こんなに遊ばせてくれる。
スポーツのファインプレーや、素敵な音楽に感じるように、
コントのチームがやっている笑いに、ぼくはしびれている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
きっと「才能」ということばで解決しちゃいけないんだよね。
好きなアイドルの一所懸命な姿を見てとかに対して、
「勇気をもらっている」という表現を見かける。
それは、よくわかる、勇気をもらうというか、
励みになるというか、おれもがんばっちゃうぞとか、
「生きることを鼓舞される」ようなことはあるよね。
ぼくも、そういうことをよく経験している。
昨夜は、ジャルジャル単独ライブで、
「うあぁ、あんなやつらがいるんだよなぁ。
すっごいなぁ、おれもがんばりたいぞ」と思った。
いつも、彼らはすごいのだ。
表現の質と量と、稽古(どんなふうにやってるのか)と、
じぶんたちをダメにしない社会との付き合い方と、
いつまでも新鮮でいられるような生き方と、
見習いたいようなことがたくさんある。
今回もそうだけれど、公演のタイトルが、すでにいい!
「-200g」マイナス200グラムというのだ。
このタイトルの実質的な意味は、
ひとつのコントのなかで明かされてはいるのだけれど、
もう、この5文字のタイトルだけで感心してしまう。
まず、キミは思わないか?
マイナスの付く重量表記って、見たことあったか。
なにを計ったとしても、どれほど精密なハカリでも、
限りなく小さな数字は表記するだろうけれど、
重量がマイナスということはないのだ。
あらゆる物質が地球の引力のなかにいるのだから、
「マイナス」なんてものはない。
風船は浮かぶじゃないかと言われるかもしれないが、
それは風船のガスが空気より軽いというだけのことだ。
なのに、「マイナス200グラム」という題名を、
ぼくらはなんとなく「ありそう」だと感じてしまう。
でも「ありそうに見えるけど実際はないよ」なのが、
この5つの記号を並べたタイトルなのである。
…なんてことを、まるでジャルジャルのコントのなかの
登場人物のように、ぼくは考えさせられていた。
公演のタイトルだけでも、こんなに遊ばせてくれる。
スポーツのファインプレーや、素敵な音楽に感じるように、
コントのチームがやっている笑いに、ぼくはしびれている。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
きっと「才能」ということばで解決しちゃいけないんだよね。