── |
本日、コマ撮りの撮影風景を
1時間ほど、見学させていただきまして‥‥。
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峰岸 |
はい。
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── |
ここまで
緻密な作業の膨大な積み重ねだったとは
思ってもみませんでした。
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峰岸 |
そうでしょうね。
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![](images/01/01.jpg) |
── |
ねんのため、コマ撮りというのは、
何枚もの静止画を
スライドショーのように連続で再生して
動いているように見せる手法です。
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峰岸 |
ええ。
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── |
人形の手足や、顔の表情を少しづつ動かして
写真24カットで、ようやく1秒。
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峰岸 |
テレビ用の場合は30カットです。
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── |
つまり「10秒撮るのに、300カット」で
「100秒撮るのに、3000カット」‥‥。
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峰岸 |
はい。
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── |
そのこと自体は
単なる知識として知っていたんですが、
今日1日の成果が
8時間以上の作業でたった「4秒半」だと
お聞きして、
やはり「これは、おそろしい世界だ!」と。
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峰岸 |
まあ、これでも
「今日は、けっこう撮れたかな」
という感じですけど。
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これが「けっこう撮れた」この日の撮影分、4秒半。
作業時間は8時間以上。
なお、このあと色味を調整したり、
見えてはいけないものを消して本編に使用するそう。
©TYO/dwarf・こまねこフィルムパートナーズ |
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── |
‥‥じゃあ、もっと短いことも?
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峰岸 |
ありますよ。
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── |
それは、どういった理由ですか?
人形の動きが複雑だったりとか‥‥ですか?
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峰岸 |
それもあるんですけど、
単に、動かすのが「1体」だけじゃなくて
「3体」だったりとかすると、もう。
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── |
つまり、単純な「かけ算」の結果で。
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峰岸 |
ええ、すべてが「手作業」ですから
「詰める」ってことが、できないんです。
「1体につき1日」かかったとすると
「3体ならば3日」かかっちゃうんです。
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── |
当たり前ですけど、「コピペ」みたいなことが
いっさい、できないんですものね。
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峰岸 |
できませんねぇ、「コピペ」は(笑)。
まちがったら「撮り直し」ですし。
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── |
「コマンドZ」(やり直し)もできない、と。
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峰岸 |
当然ですけど、人形というのは
人間が動かさなければ、動きません。
パソコンが動かしてくれるわけでもないし
間違いを修正してくれるわけでもない。
人形アニメというのは
膨大な時間と人手が、かかる手法なんです。
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![](images/01/02.jpg) |
── |
あの、「人形アニメ」と聞くと
まず「ヒト型の人形の時代劇」みたいな作品を
思い浮かべるのですが‥‥。
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峰岸 |
むかし、テレビでよくやってましたものね。
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── |
それこそ、峰岸さんのお師匠である 川本喜八郎さんが
手がけてらっしゃったような
『NHK人形劇』の「人形三国志」とか‥‥。
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峰岸 |
ええ。
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── |
ああいう伝統芸的なイメージがある一方で、
「人形アニメ」には
いまや、かなりの表現の幅がありますよね。
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峰岸 |
有名なところで言えば
映画の『ウォレスとグルミット』なんかも
人形アニメです。
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── |
「クレイアニメ」というジャンルですよね。
『ひつじのショーン』とか
『ピングー』なんかも、おんなじくくりで。
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峰岸 |
いま挙がった作品は、今日の撮影みたいな
「関節のある
立体の人形を少しずつ動かす」のではなく、
粘土を用いたコマ撮りなんですが‥‥。
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── |
ペンギンのくちばしが伸びたり、縮んだり、
身体がつぶれたり、
ふくれたり、コミカルな動きが楽しいです。
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峰岸 |
あれって、ペンギンのからだをつぶしながら
撮ってるわけじゃなく、
「だんだん、つぶれていくからだ」を
たくさん用意しておいて
ひとコマひとコマ、置き換えてるんです。
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── |
うわー‥‥。
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峰岸 |
パペトゥーンと呼ばれる手法なんですけど、
机の引き出しを開けたら
撮影用のペンギンちゃんのからだが
1000とか2000とか、入ってるわけです。
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![](images/01/03.jpg) |
── |
あのかわいらしさの裏には、
そんな、おそろしいほどの手間ひまが。
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峰岸 |
だって、つぶしちゃったら
その都度、ペンギンをつくらなきゃならない。
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── |
‥‥そうですよね。
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峰岸 |
いまでは、人形制作のテクノロジーも
進歩していて、
コンピュータを使って
細かい顔の表情を削り出したりなど、
一見、CGと見紛うような人形アニメもあります。
おもに、アメリカの映画なんですが。
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── |
本日は、2013年に公開予定の人形アニメ作品
「こまねこ」の撮影でしたけど‥‥。
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峰岸 |
ええ、「コマ撮りが好きなネコちゃん」のお話。
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── |
たとえば「ヒト型の人形アニメ」とくらべると
何かちがいが、あるんでしょうか。
動かす人形の「かたちのちがい」によって。
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峰岸 |
うーん‥‥そうですね。
これは、わたしたちが手がけている
NHKの「どーもくん」にも
同じように言えることなんですけど
「こまねこ」には「指」がない。
お手ては、いつも、「グー」なんですね。
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![](images/01/04.jpg) |
── |
はい。グーです。
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峰岸 |
ですから、基本的には
その範囲でしか感情表現することができません。
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── |
‥‥というと?
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峰岸 |
指があると、感情表現しやすいんです。
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── |
あ、そうなんですか。
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峰岸 |
指先のかたちや使いかたひとつで、
女っぽさも、男の子らしさも、表すことができる。
ただ単に、手のひらを握って開いているだけでも
楽しそうな感じが出るじゃないですか。
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── |
グーパーグーパー、と。‥‥たしかに。
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峰岸 |
こまちゃんの場合は、グーしかない。
首も短い‥‥というか、ほとんど「ない」ので
「かしげ」たり
「すくめ」たり‥‥といった
首の動きによる感情表現も、難しいんです。
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![](images/01/05.jpg) |
![](images/01/10.jpg) |
── |
ようするに「制約」が多いんですね。
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峰岸 |
うん、脚も短いし。
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── |
つまり、人形に「動きの制約」が多いと
感情表現が難しくなる‥‥と。
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峰岸 |
そうですね。
ただ、人間みたいに動かしたかったら
はじめから
人間のかたちにしちゃえばいいんです。
つまり、わざわざこういうデザインにしたのは
動きの制約は多いんだけれども、
それでも、動ける範囲内で
せいいっぱい、動こうとしているところに
「こまちゃん」らしさが出て
かわいく見える‥‥ということがあるんですよ。
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── |
制約のあったほうが
やっていて、おもしろかったり‥‥とか?
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峰岸 |
それは、ありますね。
あまりにも動きに制約のない人形というのは、
リアルになっていくばかりで‥‥
うん、動かしていても、おもしろくないです。
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── |
そうですか。
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峰岸 |
人間みたいに動かなくたって、いいんですよ。
だって、人形なんだから。
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── |
藪から棒な質問で恐縮ですが
「動き」って‥‥何だと思われますか?
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峰岸 |
動き?
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── |
はい、「動き、とは」‥‥といいますか、
人形を動かすにあたって
方程式みたいなものがあるのか‥‥とか。
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峰岸 |
んーーーーー‥‥難しい質問ですけど、
「こうあるべき」というセオリーは
あんまり、ないんですよね。
たとえば、こまちゃんの場合なら、
かわいいかどうか、ということだけです。
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── |
単純明快に。
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峰岸 |
ええ。
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![](images/01/06.jpg) |
── |
コマ撮りって、
何か、ジェンガを積み重ねていくみたいに、
とても緻密で構築的なイメージがあったんですが、
で、実際そうなんでしょうけど、
でも、もっとも重要なのは
「見て、かわいいかどうか」であると。
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峰岸 |
それだけですよね、最終的には。
こまちゃんというのは
設定としては「おんなのこ」なんですけど
「おとこのこのクマ」だと
思っている人も、なかにはいるんです。
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── |
‥‥「ネコ」でもなくて。
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峰岸 |
その理由は、まずもって「裸」だからです。
つまり「スカート」や「リボン」なんかの
「おんなのこらしいもの」を
いっさい、身につけていないんですよ。
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── |
言われてみれば、たしかに。
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峰岸 |
ですから、こまちゃんの「動き」で、
「おんなのこらしく」見せる必要があるんです。
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── |
いろいろと「制約のある身体」を駆使しながら、
いかに「かわいらしく」と。
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峰岸 |
動きにメリハリをつけ過ぎないことや
スピードを出し過ぎない、
荒々しい、乱暴な動きをさせない‥‥など
ちょっとでも
柔らかく、おんなのこらしく見えるように。
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![](images/01/07.jpg) |
── |
先ほど、「動きにはセオリーなどない」と
おっしゃっていましたが、
それでも
「誰が見ても、美しい動き」というのは
あると思うんです。
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峰岸 |
ありますね。
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── |
それって、なぜなんでしょう?
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峰岸 |
うーーーん‥‥。
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── |
わかりにくい質問で、すみません。
先日、料理家の辰巳芳子さんの映画を観たら、
「手仕事の所作」が
とってもきれいだなあって、思ったんです。
しそをギュッと絞る手だとか、
ポタージュをへらでかき混ぜる手だとか‥‥。
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峰岸 |
ええ、ええ。
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── |
そのとき、この手の動きというのは
誰が見ても「美しい」と感じるのかなあって
ふと、思ったものですから。
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峰岸 |
そのかたの「手のかたち」自体の美しさも
あるでしょうし、
「動きの流麗さ」もあるんでしょうけど、
何よりも
「決まったとき」が「きれい」
だったんじゃないでしょうか。
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![](images/01/08.jpg) |
── |
決まったとき?
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峰岸 |
ようするに、しそを「絞り切った瞬間」って
一瞬、動きが止まりますよね。
そのときのかたちが、きれいだったんだと思う。
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── |
ああ‥‥そうかもしれないです!
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峰岸 |
それって、人形アニメと同じなんですよ。
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── |
詳しく聞かせてください。
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峰岸 |
「何かを握る」という動作にしても
途中の動きより
「握ったときのかたち」がきれいになるよう、
そこを目指して、コマ撮りを重ねていく。
なぜなら、見ている側には
「最終形の印象」が強く残るからです。
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── |
なるほど、きれいな印象を残したければ
最終形を美しく‥‥と。
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峰岸 |
ええ。
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── |
逆に、「暴力的な印象」を残したければ
最終形を荒々しく‥‥とか?
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峰岸 |
ええ、まさにそのとおりです。
ともかく、わたしたちは
「決め」のかたちに、重きを置いてやってます。
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── |
何か、歌舞伎で言うところの‥‥。
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峰岸 |
そう、見得を切るのと、似てるかもしれない。 |
![](images/01/09.jpg) |
<つづきます> |