子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳2013」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。

ほろりとさせる話

父は海外で単身赴任だったので、
2歳と3ヵ月下の弟が生まれる際、
私は祖母の家に預けられていました。
家は近所だし、
普段から祖母になついていたのですが、
とうとう夜に母恋しさに泣きだしたそうです。
そんな私を祖母は
「そんなに泣いちゃいかんよ」となだめると、
3歳にもならない私は、
「ちゃんと泣き止むから、
 もうちょっとだけ泣かせて」
と祖母にまじめにお願いし、
ひとしきり泣いた後、
気が済んだと泣き止んで眠ったそうです。
いまだに祖母に
「何を言うかしらんと思って驚いたわー」
と言われます。
(さくらん)
夕飯のハンバーグの準備をしているところに
小2の娘が帰ってきました。
しばらく台所をウロウロしながら
「私の一番好きな匂いって知ってる?」
と聞いてきたので
「ハンバーグでしょ?」と答えたら
「お母さんの匂いだよ」と
ぎゅーっと抱きしめてくれました。
充電されちゃったね、こりゃ!
(ひでまる)
今、4歳の娘が2歳になってすぐの頃、
息子が生まれました。
弟の誕生を素直に喜べない娘、
イヤイヤ期と赤ちゃん返りの相乗効果で、
とにかくお母さんべったり、
抱っこ星人になっていました。
それも座ってちゃダメ、立って、立って、
を一日中だったので、産後の私はへとへと‥‥。
生まれたばかりの息子は
同居のじーじ、ばーばにまかせっきりで、
授乳のときだけ泣き叫ぶ娘を泣かせたまま、
やっと息子を抱っこできるような日々でした。
いつまで続くんだろう、と途方に暮れていた頃、
おっぱいをあげながら
息子を寝かしつけていたところに、
娘が来てあれこれ要求し、
大きな声で寝かかった息子が起きてしまう。
気を引きたいだけなんだ、とわかってはいても、
つい娘に言ってしまいました。
私「もう! いい加減にして!
  お母さん怒らせたいの!?」
娘「‥‥好きって言われたい」
頭の後ろを殴られたような感覚がしました。
すぐに娘を抱きしめて、ごめんねをしました。
下の子が2歳になる今となっては、
あの頃のお姉ちゃんは
こんなに小さかったんだな〜と思うと、
無理もない、と感じます。
終わりがないように感じたあの時期が、
今では懐かしいです。
(ゆうこ)
去年遅まきながら母ちゃんになりました。
不妊治療もしてホルモンの数値からは
奇跡的な妊娠。
つわりもまったく無く自然分娩で
予定日通りに産まれて来てくれた孝行娘。
43歳で母になった私は、
おっぱいを飲む娘の横顔を見ながら
43歳の彼女に会えるだろうか?
会いたいな。長生きするぞ。
と、ひそかに思いながらのおっぱいタイムです。
でも、娘の初めての言葉らしい言葉が
「おいちょ!」でした。ガックリ。
高齢母ちゃん、気付かぬうちに
相当「ヨイショ」と言ってるんやな‥‥
と知り軽くショックを受けつつ、
あっという間に過ぎる
赤ちゃんな日々を楽しんで育児中です。
(京都の道産子)
生まれも育ちも雪国の、
私と兄がまだ小さかった頃の話です。
妹の私が4歳の保育園児、
2歳上の兄が小学1年生の冬。
いつもは母が迎えにくる夕方、
その日は母に用があったのか、
めずらしく代わりに兄が
迎えにきてくれたことがありました。
保育園の玄関に立つ兄の手には
プラスチック製の赤い橇(そり)が。
保母さんたちにさようならを言い、
わが家に向かう道で、
兄は私を橇に乗せてひいて帰ると言うのです!
いつもは母と歩く道。
子供の足でも10分もかからない短い距離なのに!
「歩けるよ」多分兄にそう言った覚えが。
でも私の次の記憶は、橇に座って、
紐をひきながら前を歩く
兄の後ろ姿を見上げているシーン。
「自分で歩けるのに」
「重たくないかな」
うれしいというよりは
申し訳ない気持ちでいっぱいの、
いつもより長く感じる帰り道。
橇を伝わってお尻の下に感じる雪道のでこぼこや
滑らかにではなく、ぐっ、ぐっ、と
一歩一歩引っ張られる感覚が、
30歳を過ぎた今でもはっきりと思い出されます。
小さい頃の2歳差は体格差も
ずいぶんとあるだろうけれど、
きっと大変な思いをして
橇をひいてくれたに違いない。
なのに、当の兄はそんな日があったことすら
まったく覚えてないそうですが、
兄が私をとても可愛がってくれたという昔話を
誰かから聞く度に、
いちばんに思い出すエピソードです。
もちろん今でも仲良し兄妹です。
ありがとう。お兄ちゃん。
ちなみに母は兄に
「橇持って迎えに行って」とは
言ってないそうです‥‥。
(あんちゃ)
姉、わたし、弟の三人きょうだい。
姉と弟に挟まれていたからか、
きょうだいの中では一番気の強いわたしです。
母子家庭なので、母とはすれ違う毎日で、
いつしか大好きな母に対しても、
反抗的になっていたわたし。
そんなわたしも来月結婚するので、
先日、和装の前撮りに行きました。
帯や、総刺繍のお着物がとても重くて、
椅子に座ったとたんに
後ろに倒れそうになりました。
その時母は笑いながら、
「3歳の七五三の時、
 ちゃーちゃんおもたーいって
 今みたいに言って、
 あなたそのまま後ろにコテンって倒れたのよ」
その言葉に、わたしも周りにいた人も
みんな大爆笑でした。
その時の母の顔、とても優しくて、
仕事で忙しい中でもわたしたちの事を
しっかり見ていてくれたのだなと感じました。
心の中の氷が、すぅーっと溶けた気がしました。
(にゃー)
私の父は、着物の職人をしていて
私たち兄妹が小さい頃は
よく問屋さんに着物を納品する際、
車に乗せてつれて行ってくれていました。
その日は、きっと「すぐに戻ってくるから」と
車の中で幼い弟と待っているように
言われたんだと思います。
今でも覚えているのは、好奇心おう盛な弟が
車の運転席で遊んでいた際に、
ワイパーのスイッチを押してしまったようで、
急にワイパーが動き出したんです。
恐がりの私は、車が動きだすかもしれない
という恐怖と弟を連れて逃げないと!
という一心で車から出て、
大通りに弟の手を引いて飛び出しました。
道の真ん中で、大泣きする弟の手を握りながら、
ジッと前を睨んで私は立っていたそうです。
向こうから急いで走ってくる父の姿は
今でも覚えていますが、
その後、大泣きしたことは
大人になってから父から聞かされました。
(今は息子が車好き)
私の母は認知症を患っています。
結婚してからも、
実家から自転車で10分のところに住む私は、
いっぱいいっぱい心配をかけ続けました。
娘が生まれた折には産後うつになり、
主人と離れて暮らしていたので、
マンションに母が泊まりこんで、
娘と私の世話をしてくれました。
(合間に自宅に戻り、
 父や弟の世話ももちろんしてました)
数ヶ月前、実家から家に帰るのに、
「帰るわ〜」と言うと、まだ言葉が出ていた母は
「気ぃつけて帰りや〜」と言ってくれました。
その後、言葉が全然出てこなくなり、
会話ができなくなったなと思ってたのですが、
一月ほど前、こちらの言葉にも
あまり反応してくれないのに、
「帰るわ〜」と言うと、
私の顔を見て、何か言いたそうにしてました。
私が、「気ぃつけて帰りや〜、か?」と聞くと、
ちょっとうなずいたような‥‥。
こちらがお世話をしなくちゃいけなくなっても、
母にとっては私は小さな小さな子供のようです。
うまく文章にまとまらなくてごめんなさい。
(らあく)
現在1歳9ヵ月の娘が産まれた時、
新生児黄疸の治療で母親の私より
退院が2〜3日遅れることになりました。
はじめはびっくりしたものの、お医者さんから、
赤ちゃんはみんな黄疸が出ること、
治療を受ければ心配するものではないこと、
などのを説明を受け、納得。
普段から論理的な性格なので、
なるほどね、わかったよ、了解、
と冷静な自分のつもりでした。
ところがその後、手続き等の説明が続くうちに、
なぜか涙が止まらなくなってしまい、
お医者さんに
「違うんです、わかってるんです」
と言いながら号泣。
看護士さんに慰められながら
ティッシュを箱でいただく始末。
その後、私の退院を待っていた
夫と実母のもとへ泣きながら戻り、
二人にも「赤ちゃんになにか?!」と
いらぬ心配をかけてしまいました。
大丈夫と頭でわかってても、
感情がつらかったんですよね。
今振り返ると、あの時が本当に
自分より大切なものができたと実感した、
母親スイッチが入った瞬間だったかもな〜
と思います。
おかげさまで娘は今は何事もなく、
「バナナ!」「パン!」「ごはん!」と
炭水化物大好きな、ちょいちびでぶ街道を
元気に突き進んでおります。
(江戸のあまざけ)
今や70歳を迎えた母が、
3歳くらいの小さな女の子だった時の話です。
母から聞きました。
川崎市で生活していた母一家が、戦況により、
親戚を頼って新潟市へと疎開することに。
3歳の母にとってみれば、
突然引っ越さなければならなかった
理由がわからなかったようです。
新しい町で生活し始めましたが、
夕方になると、近所の小高い丘に登っては
「あの山を越えたら、
 ○○ちゃん(近所の優しいお姉ちゃん)の
 おうち、見えるかなあ」
と信じて、毎日のように
目を輝かせていたようですが、
それを毎日聞く祖母は、
つらくてたまらなかったそうです。
両親が戦争経験世代の為、話を聞く度に、
折に触れて戦争に振り回される
庶民の生活が垣間見えます。
3歳の女の子がこんな思いをしたなんて、
と思うと、切ないですね。
今母は、この年になっても会社勤めを続ける
元気なおばあちゃんです。
(アボカド満載)
長女2歳半の時です。
生後やっと半年の次女を寝かしつけていると、
なんだかんだと話しかけていたのに、
いざ次女が寝たら、どこにもいません。
ちょうど階段を上がったり下りたり
できるようになったから、2階に行ったかな、
と思ったら、玄関が開いていました。
主人の釣具入れや子ども用の乗り物などを足場に
手の届かない位置の鍵を
どうにかして回したようです。
慌てて次女を車に乗せ、近所を探すと、
閉店時間の過ぎたスーパーの前で、
わざわざ車を止めて下さった方に抱かれ、
泣きじゃくっておりました。
長女の手には古い財布、
中身はアメリカのコイン。
主人の友人から両替出来ないぶんを
いただいたものです。
事情を話して引き取り、帰宅してから聞いたら、
お腹が空いたからブルボンのプチを
買いに行きたかったそうで。
今4歳半ですが、
よくも事故に合わなかったものだと、
今もって思います。
(ティン)
夕刻、私が生まれたとき、父は大慌てで
路線電車に乗ろうと走ったそうです。
「その時ポケットの小銭が
 走るたびにポロポロ落ちたけど、
 かまっちゃいられなかったよ」
その話が大好きで
何回も何回もおねだりしました。
その後いじめられたり、
学業がうまくいかなかったり、
色々な曲がり角があったけど、
親に相談することもなかった。
でも本当につらいとき、
この話が映像つきで頭に浮かぶのです。
写真でしか見たことのない当時の美しい父が
キラキラと小銭を落としながら
私に会いに走っている姿‥‥。
こんな神話を自分の子供にも
残したいと思ってるけど
もしあっても決して語ってはくれない気がする。
(究極のファザコンですね)
息子が3歳の時、
初めて飛行機で沖縄旅行に行きました。
息子は最初飛行機を楽しみにしていて
ご機嫌でしたが、上昇しだして急に怖くなり、
気圧の変化で耳も痛くなったのか
「イヤ、イヤ、おりる、
 ○○ちゃん、おりたい!」と大泣き。
ずっと抱っこしてあやしながら
なんとか沖縄上空へ。
今度は徐々に下降する飛行機に
「イヤ〜! こわい、こわい!!!」を連発。
私は必死に「だいじょうぶだから」となだめたり
周りの乗客のみなさんに謝っていました。
何度か旋回しながら下降をくりかえし、
飛行機はガタンッ、ガタガタガタと無事に着陸。
そのとたんに息子は
ちいさな手を思いっきり広げて
「ばんざーい!」
すると、機内のあちこちから笑いと拍手が‥‥。
乗客のみなさんが通りがかりに息子の頭をなぜて
「よく頑張ったね!」「着いてよかったね」
と声をかけてくれました。
息子はにっこにっこでしたが、
ママはみなさんの優しさに泣きそうでした。
(ちゃっぴー)
sugano
はーーー、今日はたっぷりやったなぁ。
nagata
明日でいちおう最後ですから、
たくさん、載せました。
とはいえ、まだまだ載せきれない。
sugano
本日いっぱいまで投稿は受け付けますが、
ぜんぶはとても載せられません。
ただ、載る、載らないは別にして、
すべてうれしく読んでおりますので、
どうぞ遠慮なく、お送りください。
nagata
ふつうの感想なんかも待ってます。
さ! 明日でいったん、中締めですよー。
sugano
ふぇーーーん。
nagata
泣くな、泣くな。

応募の決まり

応募先のメールアドレスkodomo@1101.com
件名:ほぼ日&こども
ハンドルネームをお書き添えください。

テーマは自由ですが、
たとえばこういう話などをどうぞ。

●勝ち抜き、アホ自慢!
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●パパの立場
●ほろりとさせる話
●とりあい
●ママカット劇場(写真でどうぞ)
●つわものママ
●ねぼすけパパ
●子どもの秘密
●ふたごものがたり

「ほぼ日手帳2013」に新しいカバーが仲間入り。
「こども ビームス」さんと、
母子手帳ケースとしてもつかえる、
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2012-10-31-WED