岡本太郎(おかもと・たろう)

1911年(明治44年)、東京生まれ。岡本一平・かの子の長男。
東京美術学校に入学後、1930〜1940年までパリに住む。
数々の芸術運動に参加する一方、パリ大学で哲学・社会学・民族学を専攻、
ジョルジュ・バタイユらと親交を深める。
復員後、創作活動を再開、現代芸術の旗手として次々と話題作を発表した。
1952年、「縄文土器論」。
1953年にはパリ、ニューヨーク、ワシントンで個展を開催した。
1959年、国際建築絵画大賞。
1961年『忘れられた日本/沖縄文化論』毎日出版文化賞。
1970年の大阪万博テーマ館「太陽の塔」は国際的な話題となった。
1996年、没。文筆活動も多く、著書として
『岡本太郎の本』1〜5(みすず書房)、『今日の芸術』(光文社)等がある。

岡本太郎作品についてはこちら
岡本敏子(おかもと・としこ)

1926年(大正15年)、千葉県生まれ。東京女子大学卒。
在学中に当時新進の芸術家岡本太郎に出会い、
出版社勤務を経て、太郎の秘書となる。
以後、1996年の太郎の死去まで約50年、制作に立ち会い、取材に同行し、
口述をメモし、執筆を助けるなど、太郎と行動をともにする。
後年、太郎の養女となり、
太郎没後は「岡本太郎記念現代芸術振興財団」理事長に就任、
岡本太郎記念館館長としても幅広く活躍する。
著書に『岡本太郎に乾杯』『岡本太郎が、いる』『恋愛芸術家』
『いま、生きる力』『岡本太郎の遊ぶ心』『奇跡』など。
2005年4月20日逝去。
岡本太郎について、くわしくは
岡本太郎記念館
川崎市岡本太郎美術館
ほぼ日刊イトイ新聞「なんだ、これは!ー岡本太郎は、生きているー」
のページをごらんください。