PHILADELPHIA
湖上のハスラーたち。

スポーツフィッシングというジャンルが、確かにある。
アメリカには伝説の人と言われるようなバス釣りのプロが
年間数億円もの賞金と勝利者の栄光を賭けて、
今日も戦略を練り、250馬力のボートを走らせ、
湖の上で見えない格闘技を戦っている。

湖上のハスラーたちの全身全霊を打ち込む戦いに魅せられた
知的で向こう見ずなライター雨貝健太郎が、
並木敏成を含むスーパーフィッシングプレイヤーたちの
戦略と行動を、凝視し、唸り、
その感動をここに伝えてくれる!

ちょっと大時代的な前ふりですが、
野球やサッカーと同じように
バスフィッシングは語れるものだということを、
読者の皆さんもきっとわかってくれることでしょう。
ぼく自身が、最初の読者になれることが、
なによりうれしい連載です。

第4回
「バス害魚論」僕なりの考え方(2)


前回からの続きです。

徹底した自然保護政策で知られる合衆国の、
ましてや野生動物保護局
(Department of Wildlife Conservation)が
どうして本来の生息域ではない地域に
バスを放流したのでしょう。
理由は2つあります。

まず第1の理由。
それは、アメリカ合州国
(だけでなく、欧米と言っていいでしょう)には、
建国の時代から釣りをレクリエーションのひとつとして
楽しむ習慣があったということです。

話はちょっと横道に反れますが、
いわゆる「スポーツフィッシング(sport fishing)」、
または「ゲームフィッシング(game fishing)」の
定義は、まさにコレなのです。
つまり、本来は漁の手段であるはずの
「釣り」という行為を、
レクリエーションとして楽しむ習慣
(あるいは、それがひとつの文化として形をなしたもの)。
それこそが「スポーツフィッシング」であり、
「ゲームフィッシング」です。
決して新しいものでもなければ、
気取ったものでもありません。

今回の「バス害魚論」報道の背景には、
「ゲームフィッシング」、「スポーツフィッシング」の
意味が誤って伝えられていることも
関係しているように思えます。
日本のクオリティーペーパーと言われる大新聞にまで、
「ゲームフィッシング」は
「ゲーム感覚に似た釣り」などと誤った定義が
平然と書かれていましたし、
「スポーツフィッシング」に至っては、
釣りは「スポーツ」ではないという声を
あちこちで耳にします
(釣りがいわゆる「スポーツ」でないのは当たり前)。

厄介なのは、実際に釣りをしている人々のなかにも、
「ゲームフィッシング」「スポーツフィッシング」の
本当の意味を理解していない人が多く、
釣り専門誌等でさえ
時に誤った使い方がされているということです。
いい機会なので、「ゲームフィッシング」
「スポーツフィッシング」とは何かについて
簡単に触れてみましょう。

まず最初に明らかにしなければならないのは、
誤解のもとになっている「ゲーム(game)」や
「スポーツ(sport)」の意味です。

たとえば、「ゲーム」という言葉。
この単語は現在、「遊技」あるいは
「コンピューターゲーム」の意として
使われることが多いと思います。
しかし、「ゲームフィッシング」の「ゲーム」は
決して「遊技」ではないですし、
ましてや「コンピューターゲームに似ているから」
でもありません。

「ゲームフィッシング」の「ゲーム」は、
この単語が本来備えていた、より古い意味、
すなわち「競技」という意味なのです。
もともと「競技」の意として使われていた
「ゲーム」という言葉が
「遊技」の意味を持つようになった背景には、
遊技性に富む様々な競技が
時代とともに登場してきたという事実があります。
その結果、現代では
「ゲーム」=「遊技」になってしまった。

でも、「ゲームフィッシング」でいうところの
「ゲーム」は今でも「競技」なんです。
言うなれば「ゲームフィッシング」は
「競技する釣り」です。
で、いったい誰と「競技する」のか。
その相手こそが「魚」であり「自然」なんです。
つまり、「魚対人の競技」。
それが「ゲームフィッシング」です。

そして、どんな競技にもルールがあるように、
ゲームフィッシングにもルールがあります。
ただ、「ゲームフィッシング」における
「ルール」というのは、明確な決まりではなくて、
むしろ「倫理」というべきものです。

たとえば、
水面近くを悠然と泳いでいる魚が見えたとします。
この魚を単に「捕獲する」ことが目的ならば
網を投げればいいのですが、
それはフェアではないですよね。
「捕獲」はできるけれど、「競技」にはならない。
それは「漁」であって、「ゲーム」ではないわけです。

そこで、釣りバリと糸を使ってみる。
でも、ただハリと糸を使っただけで、
見えている魚を故意にハリに引っ掛けて釣り上げても、
それは魚との「競技」に勝ったことにはならない。
なぜなら、魚を故意に釣りバリに引っ掛けるという手段が
「倫理」を欠いた非道な行為だからです。
つまり、魚と人との間に「ゲーム(競技)」を成立させる
唯一絶対のものが、「倫理」なんです。

そして、この「倫理」にあたる言葉が
実は「スポーツ(sport)」です。
「スポーツ」というのは、本来、
「ゲーム」において絶対に守らねばならない
「暗黙の倫理」を意味する言葉でした。
その名残は今でも
「スポーツマンシップ」という言葉に伺えます。

ですから、「スポーツフィッシング」という言葉を
強いて和訳するなら、「倫理を介した魚釣り」となり、
「ゲームフィッシング(魚と競技する釣り)」と
極めて近い意味になるわけです。

つまり、「ゲームフィッシング」と
「スポーツフィッシング」は
ひとつの事柄を別の側面から捉えた
同意語と言えるんですね。

ちなみに、「スポーツ」という言葉が、
現在、より一般的になっている
「(肉体的な)運動」という意味で使われ始めたのは
ずっと後のことです。
テニスやサッカーなど、「運動」という意味で
「スポーツ」と言うのであれば、
釣りはもちろん「スポーツ」ではありません。
釣りにおける「スポーツ性」とは、
肉体的な「運動」を言っているのではなく、
精神面での自主的な規律を指しているわけですから。

ゲームフィッシング、スポーツフィッシングの
代表とされるルアーフィッシングや
フライフィッシングが、日本の伝統的な釣り
(たとえばヘラブナ釣りとか)と比べて
「運動」的な要素を備えていることは
たしかに事実ですが、それは単なる偶然にすぎません。
ですから、
「ルアーのキャスティングは難しいし体力も必要。
 やっぱりバスフィッシングはスポーツだよな」
なんていうのはナンセンスなんです。

実際に釣りをしている人たちまでが
スポーツフィッシング(ゲームフィッシング)に対して
こうした誤った考え方を持ち続ければ、
この釣りが本来備えている輝きはやがて見過ごされ、
漁との違いがどこにあるのかさえ
曖昧になってしまうでしょう。

(次回へ続く)

フィッシングライター 雨貝健太郎

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2000-06-05-WED

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いままでのタイトル

1999-09-18  人はなぜバスフィッシングにはまるのか その1
1999-09-30  バスフィッシングで人と競い合う、ということ
2000-05-29  「バス害魚論」僕なりの考え方(1)