第1回 人々を巻き込んでいく力。

糸井 ぼくは美術家でも建築の専門家でもありません。
ひとりの「通行人」だと思ってください。
クリスト はい。
糸井 まず、ぼくが今やっている、
あるいは、これまでやってきた仕事に関しては
とても大きなヒントを、
クリストさんの芸術活動から得ているんです。
クリスト ‥‥。
糸井 ‥‥ということについて
ちょこっとだけ、お話しさせてください。

ぼくは
もともと広告の仕事をしていたんですね。
クリスト ええ。
糸井 クリストさんのやっている美術もそうですが、
広告の世界も
お金を出してくれる「パトロン」がいて
成り立つ世界でした。

つまり、美術や広告というのは
基本的に
彼らパトロンたちを「満足させるため」に
なされてきたものだと思うんです。
クリスト はい。
糸井 ところが「クリストとジャンヌ=クロード」の
アートを実現させてきたのは
パトロンではなく、卓越した「アイディア」と
大勢の人を「巻き込む力」だった。
クリスト お金は、必要ですけれどね。
糸井 ええ、それはそうですよね。
クリスト 私たちの仕事には、すごくお金がかかります。

エンジニアに支払うお金、
弁護士に支払うお金、建設会社に支払うお金。

実際に工事を始めるずっと前から
ずいぶん多くのお金が、かかっているのです。
糸井 でも、その「お金」って
政府や企業などの「パトロン」から得てるわけじゃ
ないじゃないですか。

ご自身の描いた作品を売って、
つまり、プロジェクトの完成形を予想して描いた
ドローイングやコラージュを売って
数億、数十億円という資金を工面していますね。
ゲート、ニューヨーク市、セントラルパークのプロジェクト
ドローイング 2005年 77.5 × 70.5cm
クリスト 私とジャンヌ=クロードは
お金持ちではありませんので、
それらの請求書を支払うためには
おっしゃるとおり、
自分で描いたドローイングやコラージュを売って
資金を捻出する必要があります。
糸井 おうかがいしたかったのは
そのように「自力で実現するリアリティ」を、
つまり、画家であるあなたが
どのようにして、そういった実行力を‥‥。
クリスト まず私は「画家」だったことは、ないんです。
糸井 あ‥‥そうでしたか。
クリスト 私は、第二次大戦後、
ブルガリアの美術アカデミーで学んでいました。
糸井 はい。
クリスト その学校は、19世紀的な美術教育を
そのまま踏襲したような
厳格な教育システムを持っていました。

つまり、ものすごく伝統的であり、
同時に、ものすごく規律正しい学校でした。
糸井 ええ。
クリスト そして、ものすごく「間口」が広かった。

画家もしくは彫刻家、デザイナー、
あるいは建築関係‥‥を目指す人たちがいました。

そのカリキュラムは、8年間に渡るものでした。
糸井 そんなに。
クリスト 最初の4年間で、学生たちは
その「すべて」を、学ばねばなりません。

絵画、彫刻、装飾美術、建築‥‥解剖学。
糸井 はい。
クリスト これは、典型的な19世紀西洋世界における
美術アカデミーの教育システムです。

最初の4年が終わった時点で
画家になるのか、建築家か、彫刻家になるのか、
あるいは
デコレイティブ・アーティストになるのかを
決めるんですけれど‥‥。
糸井 ええ。
クリスト 私はその前に、
ブルガリアから亡命してしまいました。
糸井 つまり‥‥。
クリスト いまだに、何をしていいのか決まっていないんです。
糸井 なるほど(笑)。
クリスト ですから私は、オブジェをつくることもあれば
建築家的な仕事もやりますし、
画家としての仕事も、やっているのです。
糸井 幅が400メートルくらいの谷に
高さ100メートル以上の大きなカーテンをかけた
「ヴァレー・カーテン」なんかは
まさしく「土木工事」そのものですものね。
ヴァレー・カーテン、コロラド州ライフル、1970-72
高さ56-111m、幅381m
12,780平方メートルの布地、49,895kgのスチールケーブル、
28時間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
クリスト はい。
糸井 クリストさんが「包む」のをはじめたのは‥‥。
クリスト 1958年だったと思います。
糸井 年齢で言うと?
クリスト 22、23歳くらい。
糸井 その‥‥包むという行為は、
何というか、
つまり‥‥どういうことなんでしょうか?
クリスト たとえば「白黒の絵を描く」ということは
一見、単純に見えるかもしれません。

しかし実際は、
それほどシンプルな行為ではありえない。
糸井 もちろん、そうだと思います。

建築物みたいに
巨大なものを「包む」ことなんか、とくに。
クリスト 1961年の時点で
美術館や刑務所、議事堂、高層ビルなどを
包もうと考えていました。

が、すぐに判ったのは、
公共性の高い建物でも、議事堂、ビルなどより
「美術館」のほうが
私たちのやりたいことを「理解」する可能性が
あるだろうということ。
糸井 なるほど、ええ。
クリスト かといって、決して簡単なわけじゃなくて。
糸井 前代未聞でしょうから。
クリスト まず、私たちが包もうとしたのは
1967年、ローマの現代美術館だったのですが
許可は下りませんでした。

それに続いてホイットニー美術館に、
翌年にはニューヨーク近代美術館にトライしました。

さまざまな関係者や評議委員の人に
働きかけたのですが
こちらも、許可が下りることはありませんでした。
糸井 ええ、ええ。
クリスト で、ようやく実現したのが
1968年、スイスのベルン市美術館だったんです。
包まれたベルン市美術館、1967-68
2,430平方メートルの布地、3,050mのロープ、7日間の展示
写真:バークハード・バルツ
糸井 実現できた理由は、何だったんでしょう?
クリスト 当時、ベルン市美術館の館長は
私たちの計画に賛同し、協力してくれた
ハロルド・ゼーマンでした。

彼が、
美術館の評議委員を説得してくれたのです。
糸井 クリストとジャンヌ=クロードの芸術を
理解してくれてたんですね。
クリスト どのプロジェクトにも共通するのですが、
いちばん大変なのは
常に「許可を得る」という仕事です。
糸井 ええ。
クリスト この世界中のすべての空間、すべての土地は
かならず、誰かの所有物です。

世界のどこを探しても、
ほんの1平方センチメートルでさえも
誰にも属さない場所は、基本的には、ない。
糸井 クリストさんのドキュメンタリーを観ても
関係者を巻き込んで
徐々に賛同者の数を増やしていくプロセスが
とても印象的でした。
クリスト 私たちのプロジェクトを
住民のみなさんにわかってもらうためには、
手紙を書いたりしてもダメです。

実際に会って、
私たちが直接に、プロジェクトのことについて
詳しく説明する必要があるのです。
糸井 熱意を持って。
クリスト 行政の公聴会や住民のみなさんへの説明会では、
基本的に
自分でプロジェクトのことを説明しています。

イバラキ(茨城)にたくさんの傘を立てたときは
地権者の同意を得るために
一軒一軒の家を訪ねたのですが、
そこで出された6000杯の緑茶を飲みました。
アンブレラ、日本=アメリカ合衆国、1984-91
総延長、茨城側19km、カリフォルニア側29km、
傘の高さ6m、直径8.66m
茨城側1,340本(青色)、カリフォルニア側1,760本(黄色)、
18日間の展示
写真:ウォルフガング・フォルツ
糸井 ほんとですか!(笑)

いやぁ、でも、それくらいのことをしなければ
人々に理解してもらい、
協力してもらうことはできない、と。
クリスト そうです。‥‥6000杯は誇張ですが。
<つづきます>

COLUMN クリスト&ジャンヌ=クロードを間近で見てきた 柳正彦さんに訊く  01 「理解してもらう」という芸術。

クリストとジャンヌ=クロードは
あるインタビューのなかで
「アイディアを出すということは
 さほど大変ではない。
 難しいのは、それを実現することなのだ」
と、語っています。

プロジェクト実現までのプロセスを追った
ドキュメンタリー映像を見ても
実際の「土木的な工事」の迫力もさることながら
「行政や住民を説得する」場面に
同じくらい、彼らの「すごみ」を感じます。

ドイツ政府から3度も拒否されながら
24年間をかけて実現した
「包まれたライヒスターク」、
はじめは反対だった牧場の人たちのなかに
徐々に支持者を増やしていき、
最後、大逆転した「ランニング・フェンス」。

1977年から取り組んでいる「マスタバ」は
いまだ「交渉中」です。

マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト
2枚組のコラージュ 2008年 30.5 × 77.5cm/66.7 × 77.5cm

「相手が政府の役人でも住民でも、
 人を説得するには
 自分で話をするしかないと思ってるのです。
 自分たちの芸術を理解してもらうためには
 交渉を代理人に任せるのではなく、
 実際に現地へ足を運び
 自分自身の言葉で説明するということが
 いちばん大事なんだ、と。
 そして、それも芸術の一部だと思っている」
(柳正彦さん、以下同じ)

自分たちの動機からしか作品は生まれないと話す
クリストとジャンヌ=クロードですから、
「プロジェクトのことを
 自分たちよりうまく伝えられる人はいない」と?

「ええ、そうなんだと思いますね。
 おもしろいのは
 政府のえらい役人に説明するときにも、
 日本の小学生に説明するときにも、
 彼ら、まったく同じ調子で説明するんです。
 私たちは、
 アメリカに住んでいるアーティストで
 これこれこういうことをやりたくて‥‥と。
 子どもに対しても、まったく端折らない。
 すごく丁寧に、
 情熱を持って説明をするんです」

とくに、北カリフォルニアの牧場や農場に
およそ40キロに渡って
高さ5.5メートルのナイロン製フェンスを建てた
「ランニング・フェンス」の交渉は圧巻でした。

当初、ほとんどの牧場主が反対をしていたのに
公聴会や住民説明会で
情熱を持ってスピーチを続けるうちに
だんだん
みんながサポートしてくれるようになって‥‥。

「プロジェクト終了後、
 『ランニング・フェンス』の集大成的な展覧会が
 ヨーロッパで開かれたんです。
 そうしたら、
 カリフォルニアの田舎‥‥といったら何ですけど、
 牧場の町から出たことのない人たちが、
 ツアーを組んで
 ヨーロッパの展覧会を観に来てくれたんですよね」

最後、仲良くなっちゃったんですか?

「ええ、そうなんです」

今回、クリストさんの藝大講演をお聞きして
真っ直ぐに、情熱的に
プロジェクトのことを説明する姿に、
「ああ、こうやって応援したくなっちゃうんだ」と
思ったことを記しておきます。

<ほぼ日・奥野>

柳正彦(やなぎ・まさひこ)

東京都出身。
ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ大学院
修士課程修了。
在学中より、日本およびヨーロッパの美術関連の執筆や
展覧会の企画、コーディネイトを行う。
1980年代中頃から
クリストとジャンヌ=クロードのスタッフとして
プロジェクトの準備、実現に関わる。
著書に、
クリストとジャンヌ=クロード各作品の解説はじめ
本コラムで紹介したエピソードなども掲載した
『クリストとジャンヌ=クロード
 ライフ=ワークス=プロジェクト』
がある。
2011年、上野・池之端に
現代美術と工芸の展示スペース+ブックショップ
『ストアフロント』をオープン。
クリストさんと糸井の対談では通訳もしてくださいました。

2011年9月27日 東京藝大での講演会のようすはこちら。
※公開期限は終了しました。
2011-12-20-TUE