木内 |
ルヴォーさんは、今回、ハロルド・ピンターの
作品を演出なさるわけですが、
たぶん、多くの日本人は、
演劇ファンでなければ多くの日本人は、
たぶんピンターを知らないと思うんです。
でも、もし「ほぼ日」のこの記事で、
演劇というものを初めて観ようと思う人がいたら、
観初めがハロルド・ピンターになる。
|
ルヴォー |
観初めにピンター、ウォーッ!
|
木内 |
「演劇を観たことがない人」も結構いるんです。
目の前で生身の人間が演じているのが、
身につまされすぎるとか、
なんだか照れくさいと思う人もいて。
|
ルヴォー |
オモシロイネ。でも、それはわかる。完全にわかる。
映像など、もっと1対1のプライベートな関係のほうが、
居心地がいいんでしょう。
コンピューターとかバーチャルリアリティ的な
もののほうが、居心地がしっくり来るんでしょう。
すごくそれはわかりますよ。
|
木内 |
ルヴォーさんから、ピンターさんのことを
教えていただけますか。
|
ルヴォー |
ピンターはわかりやすい作家ではないです。
そのままでわかる作家ではない。
でも、こういうことを
他に言う人はいないかもしれないけれども、
ハロルド本人を生前よく知っていた者として、
すごくずば抜けた子どもが、子どものように世界を見、
劇作をした人じゃないかと思う。
|
|
木内 |
そうなんですか!
むしろ逆だと思っていました。
|
ルヴォー |
もちろん、その結果できる作品は、
ずば抜けた作品なんですよ。
そうなんだけど、洗練された化粧を施すような
表現者では、絶対になかった。
想像してみてください。
子どもがね、言葉の足りないことを言ってくるんだけど、
たった3言(みこと)でも、
それが大人にとって、ハッとすることだったりする。
子どもは、話題がポーンと飛んじゃうことに
なんのストレスも心配もない、平気で飛ぶ。
「なぜ?」の説明なんて要らないって、
子どもだから思ってるし。
「今怒ってます、そして、今は愛してます」みたいに、
瞬時に行けるでしょう?
たとえ一瞬にして怒りから愛に変わっても、
別に一貫性がないわけじゃないでしょう?
子どもにとっては、非常に理にかなってるわけです。
観念じゃない。
頭で考えてこねくり回していない。
で、聞いてる大人のほうが
ロジックを追っていかなきゃいけない。
ハロルドは、その子どもの法則を
大人の世界に当てはめた人なんです。
だから、子どものような目や子どものような考えで
世界と向き合ったことがある人だったら、
絶対ピンターを完全に理解できるはず。
|
木内 |
ああ、ピンターを理解しようとするときは、
もっと大人になろうとしてしまいますね‥‥。
逆のことを考えていました。
|
ルヴォー |
それもわかる。だから、むずかしい。
死ぬまで彼は、言葉であったりとか
物事と触れ合った時の反応みたいなものを、
子どものままでずっと行けた人だったんです。
だから、ぼくたちにとってもむずかしい。
ピンターという作家の作品に対して
今はすごくいろんな思いがあるけれども、
ちょっと驚きなのが、
学生当時はまったくこんなふうに
思っていなかったってことです。
|
▲『昔の日々』演出中のルヴォーさん (撮影:星野洋介) |
木内 |
ピンターを理解して演出するには、
やっぱり年月がかかるんですね。
|
ルヴォー |
15歳の時でしたよ、すごく優秀な先生から
「じゃあ、次はピンターをやります」
って言われて、読まされて、
「行と行の間が普通の本より広いなぁ」と思って。
|
木内 |
ピンターの作品って、日本でうかつに上演すると、
研究者や演劇に詳しい人から
「それはピンターじゃない」って
言われてしまいそうな作品なんですが。
|
ルヴォー |
(笑)「それはシェークスピアじゃない」
って言うのと同じ連中でしょ?
そういう人たちにはね、1個のルールしかないんです。
それは、「俺が退屈しないってことは、ピンターじゃない。
俺が退屈しているということは、本物のピンターである」。
「俺、なんか楽しめてるじゃん!
てことは、これはピンターのはずがない」。
同じですよ、
「俺が退屈してるっていうことは、
これは本物のシェークスピアである」と。
そういう人たちは無視するしかないんですよ。
|
木内 |
ううむ(笑)。
|
ルヴォー |
若い世代で初めて演劇を観るというお客さんに
言いたいことがあって。
演劇の良さっていうのは、
あなたと同じくらい変な人生を歩んでる人たちと
出会えること、
「あ、なんだ、自分だけじゃないんだ」
って思えることだよ、と。
「俺1人じゃないんだ」って思えるよ。
そういうことなんです。
|
木内 |
「それが私」みたいなことが!
|
ルヴォー |
そう、「それが私」。
人生というのは不思議なものだというのは
みんな知っていると思うんですけど、
そんな人生の中で、ピンターは、
とても純粋な演劇体験ができる作家だと思います。
彼と出会って、密接に一緒に仕事をするようになってから、
「自分は彼から、遠くないんだな」と思って、
ちょっとそれが驚きだったんですよ。
彼の劇作が、ぼくが自分の母国語である英語を覚えた手順と
同じ順番で書かれていることに気が付いて、
「あ、そういうことなのか」と思ったんですね。
|
木内 |
えっ、どういうことですか?
|
ルヴォー |
ぼくは言葉の遅い子どもで、
5歳になるまで喋れなかったんです。
7歳か8歳近くなるまで、字も読めなかった。
|
木内 |
えぇっ?
|
ルヴォー |
周りの大人からも子どもからも、
デヴィッドはいい子だけど、
頭は悪いと思われていた。
自分でもそう思ってました。
|
木内 |
他の子と違うなあと?
|
ルヴォー |
それを不幸せだとは思わなかったけど、
ぼくは頭がいいほうじゃないんだなって思ってました。
クラスの一番下で、こんなもんか、これでいいやって。
小学校に上がって、木曜の午後に読書の時間があって、
ひたすら与えられた本を読むんです。
ほかの子はもうみんな文字が読めるから
『ジャック&ジル』という、挿絵もあるけど、
字がたくさん書かれた本を与えられていました。
ぼくは遅れていたから、みんなが読んでる間、
色の付いたブロックみたいなものを与えられて、
木槌を渡されて、釘をトントン打っていた。
みんなが読んでる間に、飽きないようにとね。
でもね、ラッキーだったのは、
キャサリンっていう女の子の友達がいたんです。
本を読むのが上手で、同じ机に隣同士座ってた。
そんなぼくに、キャサリンが音読してくれた。
かわいい子だった。6歳くらいですよ。
6歳の割には非常に濃厚な関係でした。
|
木内 |
素敵ですね(笑)!
|
|
ルヴォー |
キャサリンが本を読んでくれてる間に
ぼくはブロックをトントン叩いていたでしょう?
だから、その言葉とブロックの音が、
自分の中で結びついたんです。
(つづきます!) |