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本田 |
きょうは松村医院の松村真司先生に
かかりつけのお医者さんの
お仕事について教えていただくために、
世田谷の上野毛にある松村医院に
おじゃましました。
ちょうどこちらに実習にいらしていた
東京都立府中病院*の綿貫聡先生にも
加わっていただきながら、
お話をうかがっていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
(註*:現・東京都立多摩総合医療センター)
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松村 |
よろしくお願いします。
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綿貫 |
よろしくお願いします。
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本田 |
最初に、松村先生をご紹介するところから
はじめさせていただくと、
松村先生は、わたしが医者になって
はじめて勤めた病院の先輩で、
そのとき先生は総合診療科のレジデント、
わたしはその下で働く研修医のひとりでした。
もう、いろんなことを教えていただいて、
忘れがたいことがたくさんあるんですが、
そんな時代からお世話になっている大先輩です。
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松村 |
そんな時代もありましたね。
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本田 |
はい(笑)。
当時から先生は、
総合診療という、幅広くいろいろな病気をみる
かかりつけの医者として仕事をしようと、
目標を定めていらっしゃいましたね。
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松村 |
はい。
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本田 |
ゆくゆくはお父様の診療所をやっていこう、
「町医者になるのがぼくの夢なんだ」と
おっしゃっていて、
そういう先輩がいらっしゃるのは
とても心強いことだと思っていたんです。
先生はそこでのレジデントを終えたあと、
かかりつけのお医者さんになるために
さらに研究を深めようと東大に進まれて、
そこからアメリカの大学、UCLAに留学されました。
UCLAではどういうことをなさったんですか?
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松村 |
UCLAでも同じです。
クリニカル・リサーチですね。
あそこには、
家庭医学、総合診療医学を学び始めて
5年目ぐらいの臨床医が
自分のキャリアアップのために研究をする、
臨床医のためのトレーニングプログラムがあるんです。
そのプログラムに参加しながら、
UCLAの大学院で公衆衛生を学んで、
ということを同時にやってました。
ちょうど同じ時期だったんですよね、
本田さんがアメリカにいたのと。
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本田 |
ええ、そうなんですよね。
わたし、そのときのことで
とても印象に残っているのが、
「アメリカに行ってぼくは痩せた」って
先生がおっしゃっていたことなんです。
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松村 |
そう、痩せたんです(笑)。
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本田 |
アメリカで暮らしたら、
たいていのひとは太るんですよ、いっぱい食べて。
なのに、先生は、
「あまりに研究がたいへんで、
ごはんが食べれなかったんだ」
っておっしゃってて、
もう、なんて真面目なかたなんだろう、と
つくづく思ったんです。
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松村 |
ぼくの人生の中でいちばん勉強した時期です。
寝てるときと風呂に入ってるとき以外、
ずっと勉強してたかもしれない。
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本田 |
すごい。そうだったんですね。
そのときの研究のテーマは何を?
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松村 |
研究テーマは「終末期医療」ですね。
終末期に延命治療を希望するか、希望しないかということが、
日本人と日系アメリカ人、
日系アメリカ人の一世、二世、三世で
どういうふうに違うのか。
それから、お医者さんと患者さんの
コミュニケーションの取りかたが
日本とアメリカで、どう違うのか。
それがメインテーマでした。
日本に戻ってこれを博士論文にして
東大を卒業したんです。
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本田 |
日本に戻られたのが何年ですか?
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松村 |
1999年の秋ですね。
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本田 |
じゃあ翌年の春に卒業されて、
それからは‥‥?
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松村 |
僻地で働きたいとも思ったんですが、
ちょうどそのころ、東大の医学教育改革の動きがあって、
「医学教育センター**」という機関が
新しくできるということで、声がかかったんです。
(註**:東京大学医学教育国際協力研究センター)
各科の専門医だけで医学教育をしてしまうと
どこかに歪みがでてしまうというはなしがあって、
「おまえは何でもできるだろ? 総合診療だろ?」
「はい、何もできませんけど何でもがんばってやります」
という感じで、その仕事をすることになったんです。
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本田 |
じゃあ、いったんそちらにお勤めになって。
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松村 |
そうですね。
で、じつは卒業が決まってから、そこでの仕事が始まるまで、
1カ月の間があったんです。
それで、うちの親父が
「おまえ、ヒマそうだからこの医院をやってくれ、
その間におれは手術を受ける」と言い出したんです。
手術をしたら、親父がなかなか回復しなかったもので、
ぼくは、昼間は東大で働いて、
夜はここで診療をするというスタイルで
しばらくの間やってたんですよ。
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本田 |
そうだったんですか。
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松村 |
しばらくそのスタイルでやっていて、
1年ぐらい経ったあたりからかな、
患者さんに「大(おお)先生はいつごろ復帰‥‥?」
と聞かれるようになってきて。
まぁ、いつまでも両方ってわけにもいかないし
いずれやろうと思っていたことでしたから、
「すみません、じゃあそろそろわたくしが」
ということでスイッチしたわけです。
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本田 |
完全に医院を引き継がれたのが何年ですか?
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松村 |
2001年、34歳のときですね。
そこから3、4年ぐらいは
「大先生はいつごろ‥‥?」という声を
患者さんから聞くこともあったんですが、
2006年ころになって、
そう言われることもなくなりました。
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本田 |
みなさんもう、
「若先生におまかせします」と。
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松村 |
今は「大先生」といっても
知らない人もいますからね。
昔はよく、外来のドアをガチャっと開けるなり
「あなた、いつもの先生より若い」とか、
「前に来たときは、もうちょっと年だったような‥‥」
とか言われたりしてたんですけど(笑)。
「息子です、顔は同じですけど」って。
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本田 |
そうですか(笑)。
きっとお父様の代からの患者さんになると、
ずいぶん長くかかってらっしゃるんでしょうね。
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松村 |
そうですね、長い人で40年ぐらい。
だから、ご本人も子どものころから来ていて
今はそのお子さん、お孫さんも、
ってこともあります。
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本田 |
さきほど少し医院の中を
見せていただいていて、
なるほど! と思ったんですが、
こちらは患者さんのカルテを
家族ごとにまとめてるんですよね。
家族ぐるみでかかっているかたは
多くいらっしゃるんですか?
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松村 |
うちはご近所のかたがほとんどなので、
家族でかかってるかたも少なくないですね。
それでカルテも家族単位で管理してます。
だから、基本は電子カルテなんですが、
これまでの歴史が詰まっている
紙のカルテも併用しているんです。
家族ごとに、というのもあるし、
古くからの患者さんは、
昔のカルテに大事な記録がありますから。
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本田 |
ところで、松村医院のホームページを拝見すると、
診療時間は午前、午後、夜間と
曜日によって変則的になっていて、
クリニックが終日開いているのではないですよね。
先生は、こちらで患者さんを診察するほかにも
お仕事をなさっていらっしゃるんだなと
想像していたんですが。
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松村 |
基本的には研究をつづけていて、
そういった研究をしてることもありますし、
最近では、往診、訪問診療が増えてきたので
特に週の後半は往診に出ていることが多いですね。
ほかに、産業医として
この近くの職場の健康管理、
大学や都立高校の学校医もやってます。
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本田 |
地域のかたがたの健康管理ですね。
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松村 |
そう、職場で働く人の健康を守ったり、
学校単位での健康管理。
ようするに産業医や学校医というのは、
病気じゃない人の健康を守るという役割ですね。
(ルルルルル‥‥)
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松村 |
あ、ちょっとすみません。
(「はい、松村医院です。
ああ、◯◯さん、こんにちは。
どうしました? ああ、いえいえ‥‥‥‥」)
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本田 |
患者さんからのお電話のようですね。
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綿貫 |
いつも松村先生、電話は
ご自分でとられるんですよ。
ふつう、かかってきた電話に
ファーストで対応する
看護師さんとかいると思うんですけど、
こちらは松村先生なんです。
だから、診療時間の問い合わせとかにも
先生が「きょうは2時からやってます」とか
答えてて(笑)。
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本田 |
そうですか。
(「‥‥上が140。まだ高いけど、
前回に比べると‥‥‥‥」
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綿貫 |
いや、すごいなぁと思うんです。
ぼく、ここに実習にうかがって
勉強になることはいっぱいあるんですけど、
おもしろいなぁと思うのは、
こうしてここにいるだけで、
そういうところも全部見えるところなんです。
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本田 |
そうですね。
大きな病院では見えない病院全体の動きが、
ここに立っていればすべて見えますね。
(つづきます) |