長谷部浩の 「劇場で死にたい」 |
若い時は、芝居に行くのが億劫じゃなかった。 「かっこいい先輩」を訪ねる時のように、わくわくした。 やがて、若くない年になるにしたがって、 芝居を観なくなった。 これは、きっと誰でも通るような道だ。 でも芝居は、やっぱりおもしろい。 特に、いまの、いい芝居は、ほんとにおもしろい。 それをあらためてぼくに教えてくれたのが、 演劇評論の長谷部浩さんだった。 「ほぼ日」での長谷部さんは、 単行本とも、演劇系雑誌とも、日経新聞ともちがう、 演劇の世界への「水先案内人」をやってくれます。 |
高度3600mの都市(その8) さて、ノルブリンカ。 「慣例」とかで、公演の直前まで、離宮の庭園で、 政府要人とパーティー。 芝居に先立ち、中国語、チベット語で、 「天守物語」のあらすじが、現地の俳優によって語られ、 はい、時間ですと、私は観客席へ、 俳優たちは舞台裏に回り、芝居がはじまりました。 観客は150人くらいだったでしょうか。 入場料は、無料です。 なにしろ、外国の劇団が本格的な公演を行なうのは、 はじめてですから、お客さんは、日本の古典はもとより、 前衛劇などみたことがない。 まっさらな目で、天守にすむ夫人富姫と 若き鷹匠の恋を見つめていました。 もっとも泉鏡花の華麗な修辞は、 現代の日本人にもそうやすやすとは、 意味がとれないでしょうから、粗筋がわかれば同じこと。 ラブシーンになると、息をつめずに、どよめくところが、 日本とはちがっていましたが、観客の反応は上々でした。 私は冷静に冷静にと思ったのですが、 これまで彼らの高山病との闘いを見てきましたから、 どうしても肩入れしてしまう。 足をふらつかせるだけでもはらはらしてしまう。 厳しい条件を考えると、とてもよくやったと思います。 仮にまったく同じパフォーマンスを東京でやったとしても、 決してはずかしいものではありませんでした。 ラスト近く。富姫と図書之助は、 天守まで攻め上がってきた武士達に追いつめられます。 ふたりは既に盲目となっています。 自害を覚悟するくだり、せりふは高揚します。 人間世界の主従関係がいかに虚偽に満ち、 愚劣であることか。 武士に殺されるならばいっそ、 図書は姫君の手にかかりたいと願う。 姫も図書を人手には掛けたくないと思い、 じぶんも生きてはおられぬと告げる。 覚悟をした図書に、姫は、 「私は貴方に未練がある。否、助けたい未練がある」と。 美加理が舞台で決まり、阿部がこう絶叫したときには、 私、不覚にも涙をこらえるのに懸命でした。 9月1日。 山南地区ツェタンでの公演は、雨交じりの天気ながら、 なんと広場を1500人の観客がぎっしりと埋めました。 開演直前、地区全体が停電となりましたが、 映画館の自家発電を借り、なんとか公演にこぎつけました。 すべてが終わった。 そんな思いがこみあげてきたのは、 翌日、トランジットのために立ち寄った大連のホテルの ビアガーデンで乾杯したときだったのです。 この 1カ月の緊張が、ようやくほどけたのでしょう。 演出の宮城さん、酔ってましたね。 なんか難しい映画の話を、繰り返ししてました。 こんな幸福な時間は、生涯になんどもあるものではない。 ぼんやり彼をみながら、 柄にもなく、そんなことを思っていました。 長谷部 浩(演劇評論) ホームページ Theater Walk http://move.to/ikizaka |
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1999-10-27-WED
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