ほぼ日 |
当時の女給さんって、
お給料が高かったりしたんですか? |
小山 |
高いんですよ。
一流になると、大学教授よりも
高いぐらいだったみたいです。 |
ほぼ日 |
大学教授より高給!
すごい‥‥
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小山 |
でも、お店によっては、
やっぱりシビアで。
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ほぼ日 |
厳しい経営者もいたんだ。
こういうのって、宣伝したんですか?
たとえば新聞に載せるとか、
チラシをまくとか、
雑誌に広告を出すとか。
それとも口コミですかね。 |
小山 |
チラシがあったようですよ。
このカフェーは、
新宿のほうなんですけどね。 |
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ほぼ日 |
「ヱルテル」。
新宿武蔵野館前って書いてありますね。
いまもある店じゃないかなあ‥‥?
たしか、バーニーズの横に。
あ、「カフェー」ではなく
「喫茶店」って書いてます、ここは。
喫茶店とカフェーは違ったんですか? |
小山 |
いや、おんなじですね。
ただ、喫茶店って言葉が生まれたのも
この頃なんです。 |
ほぼ日 |
この頃、っていうのは? |
小山 |
昭和のはじめぐらいに、
カフェーっていう言葉が、
だんだんだんだんエッチなものに
なってくんですよ。
やっぱり、女給さんのサービスが
過剰になっていって。
それで、うちはそういうお店ではありません、
っていうところで
「喫茶店」っていう名前が出てくるんです。 |
ほぼ日 |
はっはー。ふーん。
カフェーっていう言葉が、
ちょっと色っぽいものになっちゃったんだ!
だからこの「ヱルテル」では
名曲の夕べとかをやって‥‥。 |
小山 |
うちはハイソですよ、と。
ほんとにフランス料理を出していますよね。 |
ほぼ日 |
かっこいいですよね、クリスマスミール。
スノーデンカクテル、七面鳥料理、
ほか5品、だって。
曲名が全部むこうの言葉で書いてあるし。 |
小山 |
そうなんですよね。 |
ほぼ日 |
インテリのものですよね。すごいな。
1円っていうのは、高いんですかね?
この昭和前期で1円っていうのは。 |
小山 |
10円ぐらいで安い着物が
買えたといいますから、
そうですね、1万円ぐらいでしょうか、
今の感覚で。 |
ほぼ日 |
わあ、高いですよね。
フルコースのクリスマスディナー、
音楽つきで1万円。ありそうですね。 |
小山 |
おしゃれですよね、
クリスマスにこんなことが。 |
ほぼ日 |
そうすると、「カフェー」はすべて
いかがわしいところになっちゃったんですか? |
小山 |
そんなこともありませんよ。
たとえば、カフェー・ライオンの女給さんは、
品行が良いことで評判でした。 |
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小山 |
でも、だんだんだんだん、
女給のサービスがエスカレートして、
営業停止処分になるところが
出てくるんですよ(笑)。 |
ほぼ日 |
わははははは!
公序良俗に反する、って? |
小山 |
織田一磨が描いた、
この「バッカス」というカフェーは、
営業停止処分を何度も受けてるんですね。
これは昭和4年の酒場バッカスの絵です。 |
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ほぼ日 |
ほんとだ、この、いかにも
サービスをしそうな女給さんがいます(笑)。
ちょっと密室っぽい、
ブースに区切られていて、
女給さんの肩に、男客が
手を回しています!
で、女性も、なんていうのかな、
しどけなく、ありながら
「ちょいと一杯頂戴ナ」
なんて言ってそうですね!
「アタクシも、飲んでよろしいかしら」
なんて!
これは女給のサービスを
売りにした店のひとつだって
わかりますね! |
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小山 |
え、まあ、そういう感じでしょうか(笑)。
で、ここはもう、
営業停止処分を何回も受けていて。
受けるたびに、張り紙をしてたんですって。
「次は何曜日からまた開店しますけど、
そのときには、もっとサービスを
格上げします」とか、そんなことを。
懲りない店だとかっていうふうに、
当時のエッセイストみたいな人が書いてます。 |
ほぼ日 |
なるほど。写真も、とても素敵なんだけど、
織田一磨の描く世界は、
主観がすごく強いだけに、
ムードがわかりますね。
それにしても酒場バッカスは、
ちょっと不思議なインテリアですよね。
巨大な木があって、
鳥カゴみたいなのがありますね。
あ、ちがう、これはランプでした。
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ほぼ日 |
あ、シャンパンの品書きもある。
こまかいなあ。
織田一磨という人は、
こういうものをたくさん描いたんですね。
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小山 |
そうですね。彼は銀座を
昔っから知ってますから。
この絵は「画集銀座」の一枚ですが、
新しい銀座を、とくに描いてるんですね。
フルーツパーラー、カフェ、映画館。 |
ほぼ日 |
こっちの絵も織田一磨ですか? |
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小山 |
「酒場フレデルマウス」。
そうですね。 |
ほぼ日 |
これ、ちょっとわかりにくいけど、
暗くて、低い丸テーブルがいくつもあって、
女給さんの膝くらいの高さだから、
そうとう低いテーブルですね。
観葉植物が右にありますね。
熱帯植物のあるカフェー。
けっこうここはまじめそう。
お客さんも、なんか、地味に
ひとりで飲んでいたりして。
ほんとにお酒を楽しむ
場だったんじゃないのかな。 |
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小山 |
ドイツ人が経営していたバーですね。
静かな雰囲気が、伝わってきますよね。
当時、店内に大きな木を飾るのって、
あったみたいなんです。
こちらの「カフェー・アメリカ」の
店内の写真にも、確かに木があるんですよ。 |
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ほぼ日 |
あ、右の方に木がある。
当時のインテリア、素敵ですねえ。
天井がすっごく高い。
こういう家具とか床材とか、
ランプとか、向こうのものっぽいんですけど、
輸入品なんですかね。 |
小山 |
たぶんそうなんじゃないですかね。
トーネットの曲げ木の椅子がありますね。 |
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ほぼ日 |
ウィーン風ですよね。
ユーゲントシュティール。
当時、洋行した人たちの知識とか、
入ってくる情報とかから、
つくったんでしょうね。
チェーン店とか、なかったんですか? |
小山 |
チェーン店は、えっと、ありましたよ。
「カフェー・パウリスタ」。
いまも銀座にありますよ。
ここも文化人が集ったんですね。
佐藤春夫、吉井勇、北原白秋。
「カフェー・ライオン」も、
今の銀座ライオンですし。 |
ほぼ日 |
あ、そっか。ビールの。
これ、この写真は、
仮装パーティーですか?
男の人が海賊めがねみたいのかけてて。 |
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小山 |
そうですね。どうもこれは、
通常営業じゃない、
パーティーっぽい雰囲気ですね。 |
ほぼ日 |
ってことは、カフェーは、
イベントスぺースでもあったってこと? |
小山 |
そうですね。ふだんはほんとに、
ひとりひとりがこう、
静かに飲んでるだけなんですけど、
クリスマスとかはお店全体で、
お祭り騒ぎみたいな。
そういうのもあったみたいですけどね。 |
ほぼ日 |
楽器演奏とかもあったんですかね。 |
小山 |
あったと思いますよ。 |
ほぼ日 |
よくいう「キャバレー」とは違うんですか?
「バー」とか「キャバレー」って言葉は、
出てきてないですよね。 |
小山 |
えっと、戦後になって
その言葉が出てくるんですけど。 |
ほぼ日 |
戦後なんだ! |
小山 |
でも、結局、バーやキャバレーの
いちばん最初は、カフェーだったんですね。 |
ほぼ日 |
マッチラベルもかわいいですね。 |
小山 |
この「サロン春」は、
超高級店だったらしいですよ。
菊池寛や西条八十が通い、
50人の女給さんがいたんです。
いくつかマッチラベルがあるんですが
この「サロン春」は、
すっごい紙がいいんですよ。
ほかのところは
ペラッペラなんですけど(笑)。 |
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ほぼ日 |
カフェに遊びに行くなんていうのは、
どういう感じだったんだろう?
今だったら喫茶店には
子どもも連れていきますよね。
やっぱり大人だけの場所だったんですか? |
小山 |
そうですね。
お酒がのめる年齢くらいから上。 |
ほぼ日 |
東京の中には、
どこらへんにあったんでしょう。
銀座のほかには? |
小山 |
新宿もやっぱり、
カフェとか喫茶店が多くて、
早稲田の学生さんとかが
よく行ってたみたいです。
「カフェー・アメリカ」は浅草雷門前。 |
ほぼ日 |
なんだか、かっこいいなぁ。
浅草にもあったんですね。 |
小山 |
浅草もやっぱり繁華街でしたからね。 |
ほぼ日 |
六区。 |
小山 |
ま、銀座がやっぱり洗練されてて、
ピカイチだったんですけど
新宿とか渋谷とか。 |
ほぼ日 |
渋谷もそうだったんだ! |
小山 |
渋谷には私鉄が、
今の東急ができてからですね。 |
ほぼ日 |
そっか、ターミナルとして
栄え始めてきた。 |
小山 |
あとはもう、神田とか、本屋さんのあたり。 |
ほぼ日 |
なるほど。
青山とか代官山なんて、
まったく出てきませんものね。
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