先日、フィレンツェで、
死に至る難病に罹った元サッカー選手を迎えて、
あるイベントが開かれました。
ACミランやフィオレンティーナの
元選手であるステファノ・ボルゴノーヴォ。
彼はいま、イタリアでSLAと呼ばれる病と闘っています。
(註:日本では筋萎縮性側索硬化症、
学名 amyotrophic lateral sclerosis で
通称ALSと呼ばれています。
イタリア語では sclerosi laterale amiotrofica の
頭文字を取ってSLAと呼んでいます。)
人に、死と恐怖をもたらすこの恐ろしい病気は、
何名かの元サッカー選手たちを襲っています。
多くの元サッカー選手たちがSLAによって
死にまで至っていることから、
イタリアの司法府が調査し、
トリノのグアリネッロ判事は、何年もの調査ののち、
プロのレベルでサッカーをプレイした人が
SLAにかかる率は、
普通の人の25倍であることを確認したと言いました。
サッカーが、この恐ろしい病気の根であり、
シニョリーニやロンバルディといった
往年の有名選手たちを、
死に至らしめていると言うのです。
フィレンツェで企画されたイベントは、
この病気の研究のための基金を募るものであり、
かつてボルゴノーヴォが所属していた
ACミラン対フィオレンティーナの試合で、
最高潮に達しました。
やはり元選手だったロベルト・バッジョは、
もちろん参加し、大歓迎されました。
そして新旧合わせたACミランや
フィオレンティーナのカンピオーネたちが、
それぞれのチームのシャツを着て集まり、
満員のフランキ競技場は感動の時を迎えました。
ほら、これがB&B、
バッジョ(Baggio)と
ボルゴノーヴォ(Borgonovo)ですよ。
チームの、そして人生の仲間たちに
取り囲まれていますね。
ボルゴノーヴォは、この50年間で
イタリア人たちに最も愛された選手のひとりである
ロベルト・バッジョに付き添われて到着したのです。
ウルトラスのクルヴァに陣取るティフォーゾたちから、
そして競技場全てからの、喝采につぐ喝采。
車椅子に乗り、麻痺に苦しんでいるボルゴノーヴォが、
微笑んでいます。
紫色のシャツの彼が微笑み、バッジョが微笑み、
そして観客席からも微笑みがこぼれているように
見えました。
ティフォーゾたちは、彼を温かく抱きしめたい思いから、
「B&B、夢のカルチョ、頑張れステファノ、
分かりやすく善良な、偉大な青年」と
書かれた横断幕を掲げていました。
ACミランのグリやロナウジーニョ、
元ACミランの選手だったドナドーニも、
心を動かされて涙が止まらない様子です。
ボルゴノーヴォは、サッキ、リッピ、
そしてフィオレンティーナの現会長である
デッラ・ヴァッレらのそばで観戦し、
試合後にノートパソコンでメッセージを書き、
それは巨大なスクリーンに映し出されました。
そこには
「皆さんと一緒に、
この病を打ち破る何かを誕生させたと思います。
私は、私と同じ病気と共にある仲間たちに、
信じよう、
サッカーとサッカー選手たちを信じようと、
言いたかったのです。
サッカーのことは、この病気とは分けて下さい、
サッカーは関係ありませんから。」
と、書かれていました。
感動、感傷、思い出、郷愁、そして希望、
様々な思いが重なり合い、共鳴し合いました。
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この病気は、罹った人の世界を
ベッド上や車椅子上の生活に限定していきます。
筋力を失わせ、話すことすらできなくなるのです。
でもこれが、フィオレンティーナやACミランで
バッジョやグリとプレイし、ゴールを入れていた
ステファノ・ボルゴノーヴォの人生の現実。
悲しみに満ちた夕べになりそうでしたが、
さいごには微笑みと希望のうちに閉幕しました。
ステファノ・ボルゴノーヴォは
目に涙をためていました。
話をしたかったに違いないのですが、
もはや彼に、それはできません。
でも、試合後の喝采は、グリやロナウジーニョではなく、
彼に、彼のためだけに贈られたことを、
誰もが分かっています。
足早な死が彼を待ち受けているのを知りながらも、
人生の終わりの時を、
まるで喜びに満ちたサッカーのゲームに
立ち向かうかのように受け入れる勇気のある、
ひとりの男のために。
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