第4回 @東京 「物資」から「雇用」へ。

糸井 ‥‥お集まりのかたで、
被災地に行ったことあるというかた‥‥。
西條 あ、けっこう多いですね。
糸井 夏の前に行ったかたは?
‥‥あぁ、なるほど。

じゃあ、
夏が終わってからいらっしゃったかた。
西條 ‥‥半々くらいですかね。
糸井 たぶん「ちがう風景」を見てますよね。
西條 そうですね。
被災地も、刻一刻と変わりますから。
糸井 たとえば、震災直後の
「ガレキの山で、水びたし」という
暴力的な風景が
夏になったら
「夏草や兵どもが夢の跡」みたいな、
一面の草原になってたり。
西條 ええ。
糸井 どこか、のどかな住宅予定地みたいに
見えるんだけど、
実際は、ガレキが片付けられて
雑草が伸びちゃっただけなんですよね。
西條 はい。
糸井 だから‥‥どういったらいいんだろう、
そういう光景の前に立つと
「被災地で
 笑える場所があるんだろうか?」
とか思うんだけど、
向こうにいると、被災された人たちが
「先に笑ってくれる」んです。
西條 うん、うん。
糸井 そうしてはじめて
「あ、笑っていいんだよな、ここでも」
と思えたりするんですよ。
西條 そうですね。
糸井 はんぶん泣きながら
支援活動をしている人もいれば、
冗談なんか言いながら
どんどん片づけていく人もいる。

そこは、人それぞれの個性ですけど、
全員が全員、
悲しみにくれて支援していく‥‥
みたいなムードになっちゃった場合には
やれることって
ものすごく少なくなりそうですよね。
西條 それ、本当にそう思います。

ぼく、はじめて被災地に入ったとき、
なんていうんでしょう、
「被災地やられ」みたいになってしまって。

東京に戻ってからも、わけもなく
「涙だけがぽろぽろ流れてくる」ことが
あったんです。
糸井 うん。
西條 現地では、津波にさらわれた話だとか、
身内がいまだに行方不明で‥‥
とか、そういうをたくさん聞くわけで。
糸井 うん。
西條 僕が知っているなかでも
断トツの臨床能力を持つかたがいて
現地に行ったときは、
一日に10人ぐらいの人の話を
朝から晩まで聞いているんですけど‥‥。
糸井 ええ。
西條 あるとき、
どんな風に話を聞かれているんですか、と
訊いたんですね。

そしたら
「愛」の話にフォーカスしています、と。
糸井 ほう。
西條 つまり「悲しみ」の話にフォーカスすると
プロの臨床家でも
「持って行かれちゃう」らしいんです。
糸井 そうでしょうね。

一般的に語られる話ではありますけど
コップの中に水が半分ある‥‥というとき、
「ああ、まだ水が半分ある」
と思う場合と
「もう、半分しかないんだ」
と思う場合とでは
マクロで見たら「復興する力」がちがってくると
思うんですよ。
西條 「同情するのではなく、
 共感的に理解することが大事」だとも、
おっしゃっていました。

同情してしまうと
いっしょに落ちていってしまうから。
糸井 ええ。
西條 「共感的に理解する」という言葉って、
よく考えると、すごい言葉だなあと思います。

「共感的に」「理解する」ですよ。

つねに「薄い膜」が一枚かませながらも、
相手の気持ちを理解する‥‥というか。
糸井 そうですね、うん。

今日、雨の中こんなにもたくさんの人が
集まってくださいましたが、
いま、西條さんに聞きたいことって
みなさん
それぞれに、おありだと思うんです。
西條 ええ。
糸井 でも、ひとつには
「自分に、何が手伝えるんだろう?」
「私は、何をしたらいいんだろう?」
ということが、あると思うんです。

ぼく自身もそうだったから。
西條 なるほど。
糸井 西條さんの場合、実家が仙台で
実のおじさんが亡くなられた‥‥という
強い動機があった。

でも、知人や親類もいなければ
東北に行ったこともない‥‥という人が
何ができるだろうと考えたとき、
正直言って
何からはじめたらいいかも、わからない。
西條 手がかりがない。
糸井 そうです。

ぼくのことでいうと、震災の3日後くらいかな、
相当な被害になるはずだから
まずは「お金が集まらないと」と思った。
西條 大きな規模のお金が必要‥‥と。
糸井 つまり「心の問題」はいったん置いといて、
「貧者の一灯」ではない、
「具体的な規模感のあるお金」が必要だと。

そんなことを
勇気を出して、ツイートしたりしてました。
西條 「自分を3日間、雇えるだけの金額を」
というツイートですね。
糸井 仮に、友だちが被災者だったとしたら、
東京の街頭の募金箱に
100円、チャリーンと入れただけで
「いいことをした」
と自分の気持ちを満足させるようなことは
絶対しないだろうな、と。

「彼らが直面してるものは
 オレの100円じゃない」
という気持ちになるだろうなと思ったから。
西條 ええ‥‥。
糸井 もちろん、気持ちだって大事なんだけれど、
溺れてる人がいて
手を伸ばさなきゃならないときに
敢えて言えば、
「気持ち」なんて、どうだっていいんです。
西條 「あったかストーブプロジェクト」を
やられていた平島武文さんが
初期のころに言っていて
すごく印象的だったのが
「行動の伴わない
 サイレントな善意というのは、
 被災者にとって
 実質的には何もないのといっしょだ」
というものでした。
糸井 あぁ‥‥。
西條 おそらく、
あえて強く表現したのだと思いますが、
たしかに、
被災されて今困っているかたがたからすると、
そうかもなあと、思いました。

どういった動機であれ、
不器用だったり
やりかたが多少まずかったりとかしても‥‥
「現地のために
 動いてくださるかたがたのことが
 ありがたかった」
という声は、やはりよく聞きますね。
糸井 いまの「あったかストーブプロジェクト」
というのは、
個人のかたが一生懸命ストーブを集めて、
被災地に届けているんですよね。
西條 はい。

ぼくらの冬物家電プロジェクトともまた別に、
行政や赤十字社の支援が届かない個人避難宅に
一軒一軒届けているんです。

もう、1600世帯以上には
配っているんじゃないでしょうか。
糸井 つまり、冬になって寒さが襲ってきたとき、
「あなたのことを心配してます」
という言葉より、
「あったまれるストーブ」こそが必要だと。
西條 はい。

平島さんは、ストーブといっしょに
「全国のみなさんも
 あなたのことを忘れていませんよ」
という「励まし」を届けているんだと
言っていますが、
ひとりひとりが行動することが大事なんだ
ということを示したい、
というのも、
もしかしたらあるのかもしれません。
糸井 なるほど。

もちろん、そういう「励まし」とか
「被災地を思う気持ち」に
すごく、勇気づけられたりするってことは
当然なんですが
一方でぼくは「サイレントな味方」がいる、
ということの大きさもあると思っていて。
西條 はい。
糸井 ベトナム戦争で、なぜ大国アメリカが
小国のベトナムに「勝てなかった」か。

理由は色いろあるんでしょうけれど、
ひとつには
農民の間にベトナムの兵士が紛れ込めた
というのが大きいと思うんです。

ベトナム戦争というのは、
ベトナムの国のなかで戦われていたから。
西條 なるほど。
糸井 農民たちは、
積極的に協力するわけじゃないんだけど、
心情的に応援している。

つまり、周囲に「サイレントな仲間」が
たくさんいるという状況が
アメリカを追いつめたんじゃないかと
思っているんです。
西條 それは、ほんと、そう思います。

ですから、ツイッターなどで
「ちょっと今、資金的に苦しいので
 寄付はできないんですが、応援してます」
みたいに言っていただくと、
ぼくら支援する側は、
すっごくパワーをもらえますし。

積極的に支援ができずとも、
ぼくのつぶやきを
リツイートしてくれる人たちがいたおかげで
「ふんばろう」は
これだけ機能したんだと思います。
糸井 なるほど。
西條 リツイートって
「可能性を生む、つなぐ、ひろげる」。

この発明って大きいなぁと思います。
糸井 ‥‥「ふんばろう」の「今後」については
どういうふうに考えてるんですか?
西條 やはり、震災から半年を過ぎたあたりで
僕をふくめ、
プロジェクト全体に「疲労」が出てきました。

「短期決戦から
 長距離走に変わりつつあるので、
 上手に休みながらやっていきましょう」
と言ったのも、
ちょうど、その時期だったと思います。
糸井 うん、うん。
西條 いま、アマゾン経由で送られる物資の量も、
ピーク時の「10分の1」なんです。

予想どおりと言えば予想どおりなんですが、
ステージも変わってきているので、
「雇用創出」に力を入れて行こうと。
糸井 雇用、ですか。
西條 さらには「学習支援」と「教育」です。

教育環境が整わないと、
小さいお子さんをお持ちの若い世代は
どんどん、
地域から出て行ってしまいますので。
糸井 なるほど。
西條 これまでの「物資」中心の支援から
「仕事」や「教育」「心」の3本柱のほうへ
方向性をシフトしていこうと‥‥。
糸井 いまはもう、その局面に入ってる?
西條 入ってます、完全に。
<つづきます>
2012-02-22-WED