── | まず「なぜ、サハリンに興味を持ったのか」 というところから聞かせてください。 |
後藤 | 偶然だったんです。 |
── | 偶然。 |
後藤 | はい。 まだ19歳で、カメラをやりはじめたころ、 「外国へ行きたい」と思ったんです。 |
── | 写真を撮りに。 |
後藤 | はい。 |
── | 19歳っていうと‥‥。 |
後藤 | いま27なんで、8年くらい前ですね。 みなさんそうだと思うんですけど、 あのころは 「なんかデッカイことしたい!」という(笑)、 そんな欲望が溢れ出ている状態で。 |
── | わかります。 |
後藤 | とにかく「どこかへ行きたい」って気持ちが ものすごく強かったんです。 で、当時は写真学校に通っていたので まわりのバックパッカーみたいな友だちから いろいろ「武勇伝」を聞かされていて‥‥。 |
── | どこどこ行ってきたぞ、みたいな? |
後藤 | そうです。 「こんなに遠いところまで行って こんな写真を撮ってきた」 みたいな話が、 ちょっとだけ自慢げに語られていたんです。 で、そのときにぼくは、 「まわりと同じところに行く」ってことが 考えられなくて。 |
── | 「そんなら俺は、誰も行ってないところへ 行ってやろう」‥‥と? |
後藤 | はい。 たぶん、 みんなが行くような国へ行ったら行ったで 楽しかったとは思うんです。 リュックを背負って、たったひとりで。 でもそれは、なんだかちがうなぁって そのときには、そう思って。 |
── | そこから「訪問国探し」をはじめた、と。 |
後藤 | 候補地をしぼるにあたって 条件のようなものを3つ、設定しました。 何かしら日本と関係あって、 なるべく情報が少なくて、北のほうにある国。 |
── | おお、「冒険」っぽい。 |
後藤 | まず、その3つの条件でふるいにかけてから 大きな世界地図を、ばさーっと広げたんです。 |
── | ああ、どこへ行こうかって考えるときには 「世界地図」を広げるんですね、実際に。 |
後藤 | はい、そうしたら、 北海道の上に伸びている「真っ白い島」が、 目に留まったんです。 「‥‥え、こんなところに こんなに大きな島、あったっけ?」って。 |
── | それが、サハリンだった? |
後藤 | そう。 |
── | 目に留まったというのは、 つまり「気になった」ということですか? |
後藤 | そうです。 |
── | それは、どうしてなんでしょうね? |
後藤 | たぶん‥‥でっかいなあと思ったんです、 ひとまずは。 面積は「北海道の1.1倍」ありますし。 |
── | あ、そんなに大きいんだ。 |
後藤 | それも、かなり近いところにあった。 実際、稚内からフェリーに乗れば 「5時間半」で着きます。 |
── | イメージより、ぜんぜん近いんですね。 |
後藤 | 日本の宗谷岬から 最短距離で43kmしか離れていません。 ぼくは、そんなに大きな島が そんなに日本の近くにあったってことを 19歳になるまで、知らなかった。 |
── | テレビの天気予報とかには‥‥? |
後藤 | ちょこっとだけ映ってますね。 でも、サハリン全体は入ってないですし、 国際法的にいうと 「どこの国にも属していない状態」なので 色がつけられていないんです。 |
── | たしか、第二次世界大戦が終わるまでは サハリンの南半分は 大日本帝国が領有していて‥‥。 |
後藤 | 1905年から1945年までが、日本統治時代。 北半分は、ソ連が領有していました。 |
── | そういった経緯もあって、 現在は、 国際法上では「帰属未定地域」というのが 日本政府の見解みたいですね。 |
後藤 | はい、そうです。 「ロシアの土地でも、日本の土地でもない」 という。 ただ、実質的にはロシアが治めています。 サハリン州都の「ユジノサハリンスク」には 日本の総領事館もありますし。 |
日本だった時代には「豊原」と呼ばれていた州都ユジノサハリンスク。 |
photo:後藤悠樹 |
── | でも、サハリンがこんなにタテに長かったとは ぜんぜん知らなかったです。 |
後藤 | さらには、そのサハリンに、いまでも 日本から渡った日本人が住み続けていることや 第二次大戦のときに地上戦があって たくさんの人が犠牲になったということとか‥‥。 |
── | 知りませんでした。 それだって、日本の歴史の一部なはずなのに。 |
後藤 | ぼくも、そういう歴史のことをはじめ、 サハリンのことを知るたび、どんどん気になって。 |
── | なるほど‥‥。 |
後藤 | でも、インターネットで情報を集めようとしても なかなか‥‥というか、 ほとんど、なにもわからなかったんです。 |
── | 旅行ガイドブックなんかにも、載ってない? |
後藤 | 日本語の『地球の歩き方』で3~4ページ、 英語の『Lonely Planet』には、1ページ。 でもそのうちに、1冊の本に出会ったんです。 吉武輝子さんという人が書いた、 『置き去り』という分厚い本なんですけど。 ※吉武輝子著 『置き去りーサハリン残留日本人女性たちの六十年』 |
── | その本には、何が書いてあったんですか? |
後藤 | 「サハリンには 何人もの日本人のおばあちゃんがいる」って。 ぼく、そのことを知って、 ものすごく、サハリンに行きたくなったんです。 |
── | おばあちゃんたちに、会いたくなった? |
後藤 | そうなんです。 |
── | へぇー‥‥。 地図上で「偶然、目についた」ってところから、 どんどん転がっていったんですね。 |
後藤 | 2005年から1年間バイトしてお金を貯めて、 2006年の4月に、はじめて行きました |
── | じゃあ、それからは何度も? |
後藤 | もう5、6回は行ってます。 |
── | カメラを持って。 |
後藤 | はい。 ‥‥ただ、はじめのうちは ほとんど写真を撮れなかったんですけど。 |
── | と言うと? |
後藤 | 撮らせてもらえなかったんです。 はじめて行く国で、知り合いもいないし 人間関係も何もなかったので。 はじめの2年間は せっかくお金を貯めてサハリンへ来たのに 写真も撮れず帰ってくる‥‥ みたいなことを繰り返していました。 |
── | じゃあ、行って何をしてたんですか? |
後藤 | 写真は撮らずに、ごはんを食べたりとか。 |
── | はー‥‥。カメラは脇においたまま? |
後藤 | はい。 おばあちゃんたちと仲良くなるってことを ただもう、ひたすらに(笑)。 |
── | 2年間。 |
後藤 | でも、いまから思うと その2年間でも ぜんぜん仲良くできてなかった気がします。 |
── | それは「写真の出来」的にも、ですか? |
後藤 | そうですね。 はじめは、ぜんぜん「もの」にならなくて。 自分が撮りたかったのは、 サハリンに住む 日本人のおばあちゃんの「日常」というか、 「暮らし」だったんです。 |
── | たしかに、その領域へ入り込もうとしたら 一朝一夕じゃ無理なんでしょうね。 |
後藤 | はい。そもそも、そのことに気づくまでに、 何年もかかってしまって(笑)。 |
── | 一朝一夕じゃ無理だって、気づくまでに。 |
後藤 | そして、「暮らし」を撮るためには どうしたらいいんだろうってわかるためには さらに、もう少し。 |
── | つまり「時間」だったんですね。 |
後藤 | はい、「時間」でした。 だって、うまくいかなくて悩んでいたときは 「この一眼レフがいけないんだ!」 とか思い込んで コンパクトカメラを持って行ったりとかして。 |
── | カメラが大げさに見えるから? |
後藤 | そう。 仰々しいから撮らせてもらえないんだって、 カメラのせいにして。 3万円くらいのコンパクトカメラを持って 行ったりもしてたんです。 |
── | で、撮れたんですか? |
後藤 | いえ、撮れませんでした。 やはり、そんなことじゃなかったんですね。 もう、ずっと「惨敗」続きでした。 |
── | 撮らせてもらえないというのは‥‥? |
後藤 | 拒否されるんです。 もう、面と向かって「イヤだ」とか言って。 「やめろ、撮るな!」みたいないきおいで 怒鳴られたりとかもしました。 |
親しくなってからも「なかなか撮らせてもらえなかった」という、友人のリカさん。 |
photo:後藤悠樹 |
── | 撮る撮られるのあいだには、 ある種の「信頼関係」が必要ってことですかね? |
後藤 | はい、そういうことを学びました。 とくに、ぼくが撮っているポートレイトの場合、 被写体とのあいだに信頼関係がなかったら、 言葉は悪いけど ただの「盗み撮り」って言われても仕方ない。 |
── | なるほど。 |
後藤 | そう考えたら、現地にあるていど長く滞在して 人間関係を築いていくこと、 そのことが 写真以前に必要なんだって、気づいたんです。 |
── | 何年もかかって。 |
後藤 | はい、やっと(笑)。 |
photo:後藤悠樹 |
<つづきます> |
2013-11-19-TUE |
撮影協力/日本写真芸術専門学校 |