イベント「活きる場所のつくりかた」より
今井紀明さん、朴基浩さんのおはなし

ひとりひとりの若者が
自分の未来に希望を持てる社会のために、今できること
未来の「はたらきかた」はいったい
どうなっていくんだろう?
いろんな生きかたをしている先輩に聞いてみよう。
そんなテーマで行ったイベント
「活きる場所のつくりかた」には、
7組の方々が登壇しました。
そのおはなしの内容を、
読みもののコンテンツにしてお届けいたします。
今日は認定NPO法人D×Pの
今井紀明さん、朴基浩(パク・キホ)さんの講演をお伝えします。
(おふたりのおはなしは全4回です)
今井紀明さん、朴基浩さんのプロフィール
第1回
一回落ちると二度と戻れない。
「なんだ、この予断を許さない社会は
今村
今井くんと朴くんを紹介します。
ふたりとも、
APU(立命館アジア太平洋大学)の卒業生です。
そして今井くんは、
じつは、2004年にイラクで人質となった
3人のうちのひとり。当時、高校生でした。
今井
人質の話が、最初に来るとは思いませんでした(笑)。
今村
あえて最初に紹介させてもらおうと思って。
イラク人質事件は2004年だから
すでにAPUが開校していて、あのとき、
すぐに彼にAPUに来てほしいなと思ったんですよ。
で、しばらくして、彼がAPUに入学してきて。
彼がそこで何をしたかというと、
しばらく茫然としたあとに、
たとえば別府温泉街の観光ウェブサイトを
立ち上げたりしていて。
「サウナ風呂に一度に
 何ヵ国の人間が同時に入れるか」
というギネス記録に友人たちと挑戦したり。
今井
57です、57人。
糸井
(笑)
今村
そういうことをやり倒した挙句、
APUを卒業しました。
そして、人質事件の後バッシングにあい
すごくショックを受けて
茫然としていた彼を叱咤激励したのが、
ここにいる在日コリアンの朴くんなんです。
今日は、このふたりが作った
NPOの話をしていただきます。
今井
よろしくおねがいします。
会場
(拍手)
私たちはNPO法人D×Pという
NPOをふたりで経営しています。
まずは簡単に事業のお話をさせていただきます。
※2015年6月8日より
 「認定NPO法人D×P」となりました。
こんな事務所で仕事をしています。
社員4人と、大学生インターンが7名、あと私たち。
それから、あとで説明しますが、
学校の現場でプログラムを実施する際に、
現場に入ってくださる「コンポーザー」という方々が、
今、80名から90名ほどいらっしゃって。
そういった方々と一緒に
お仕事をさせていただいています。

では、一体なにをしているか、という話ですが。
一番大事にしているのが、このビジョンです。

ひとりひとりの若者が
自分の未来に対して
希望を持てる社会。


この実現にむけて、活動しています。
「ひとりひとりの若者が希望を持つべきだ」
と思っているわけではありません。
「ひとりひとりの若者が希望を持てるような
 社会の仕組み、社会の構造を作っていきたい」
と考えています。
事業としてやっているのは、主にふたつです。
まず、通信制高校、定時制高校で、
キャリア教育をやっています。
もうひとつは、
大学や、専門学校をやめてしまう人たちを、
そうさせないための学校づくり、
というのをやっています。
通信制高校を卒業するのが、毎年約45,000人。
その半分、約23,000人ぐらい、
つまり、ふたりにひとりは、
進学も就職も決まらないまま、
卒業してしまうという現状があるんです。
要は、自分の社会的所属を持たないまま、
社会に放り出されてしまう。
これは、偶然のことなのか、
それとも彼らの責任なのか。
私たちはまず、ここからアプローチをしようと、
キャリア教育をいろんな学校でおこなっています。

で、ここから、私の話になって恐縮なんですが、
なんで私たちが、こういう活動をはじめたのか
というお話をさせていただきます。
今井とは、2007年にAPUで出会ってから、
友人として、仕事仲間として、8年来の付き合いです。
私たちはふたりとも、大学に入ったとき、
「腐って」いました。
社会を拒絶していたんです。
全部社会が悪いとか、
こんなところ来ても意味ない、って思ってました。
二人とも、それぞれ社会から孤立していたんです。

ぼくは、3歳のときに母から言われました。
「たくさんいいことをしなさい。
 でも、絶対に悪いことはしちゃだめだよ、
 この国では」と。
ぼくは子どもながらに聞いたんです。
「なんで? なんでだめなの?」と。
すると、母が
「あなたは在日だからね。
 いいことをしたら評価はされるけど、
 悪いことをしたら、あなたにはラベルがついて
 評価されてしまうから、
 絶対に悪いことはしちゃいけない」と。
そのときに、ぼくの頭がパッと切り替わって、
俺は人生で成功しないといけないんだ、
絶対に失敗しちゃいけないんだと思ったんです。
ものすごい脅迫概念です、3歳から。
それで、親は私に、熱心に教育投資をしてくれました。
5歳になるころには、習いごとが15個ぐらいあって、
今より忙しい、休みがない毎日を送っていました。

それから、がんばって、「お受験」をして、
私立の男子校、中高一貫高校に入りました。
でも、まったく学校がおもしろくないんですよ。
なぜおもしろくないのかというと、
進学校だったので、中学2年になると、
もう大学選びをしなくちゃいけなかったんです。
おかしな話です。
私、いろんな大学のパンフレットを見て、
大学の人とか、先輩に会って思ったんです。
「ああ、自分の未来、もう見えてしまったな」って。
たぶん、これから勉強して、中堅の大学に入って。
そのあとはたぶん、大学1、2年生は飲み回って、
3年生になったら就職活動して、
結婚して、子どもができて‥‥。
で、「つまんない」と思ったんです。

その瞬間に自分でステージ飛び降りて、
お金を貯めはじめました。
そこから高校2年生までお金を貯めて、学校を中退し
ひとりでアメリカに留学をしました。

日本を出た理由がもうひとつあって、
「日本には自分の居場所がない」と思っていたんです。
アメリカに、自分の場所があるかもしれない、と思って。

アメリカが日本と大きく違ったのは、
「否定をしない」ということです。
たとえば日本の学校で先生に楯突くと、
「お前、教室出て行け」って言われました。
でも、ぼくはアメリカの高校で、
アメリカ政治の授業が難しくて退屈だったから、
「先生、授業おもしろくない」と言ったんです。
そしたら
「そうか。じゃあ、来週までに代替案を持ってきてよ」
って言われました。
会場
(笑)
「え?」と思ったんですが、
その瞬間に、「あ、これはおもしろい」と思って。
ぼくが代替案を持っていったら、
全部やりたいようにさせてくれて。
否定しないことって、
人の可能性を伸ばすんだなと思って、
もう、人生にワクワクしたんです。

そうやってアメリカで高校生活を1年間送って、
運よく、高卒資格も取って、
16歳で日本に帰ってきました。

「ただいま」って帰ってきたら、
家がなくなっていました。
親が借金作って、自己破産。
その瞬間にぼくは、パート、アルバイターになりました。
親が今まで用意してくれていたエリートコースが、
一気に崩れ落ちたんです。

フリーターや派遣労働、
それから日雇労働をするなかで思ったのは、
「どうして、こんな扱いをうけるんだろう」
ということです。すごく悔しくて。
変な言い方をすると、ずっとエリートの道を
歩んできたぼくが、一気に落ちたわけです。
そうして身をもって感じたことが、
「日本では、一回落ちると二度と戻れない」
ということです。
「なんだ、この予断を許さない社会は」って。
で、自分自身で、絶対この構造を変えようと
メラメラ燃えはじめたのが20歳のときです。

そうして、ぼくはなにを間違ったか、
立命館アジア太平洋大学に入学しました。

APUでは、「国際学生との出会い」、
というのがすごく大きかったです。
彼らは、国を背負ってきているんですよ。
国のために自分は何をすべきかって、考えている。
じゃあ自分は、何かできるかな、と考えて。

なにかやりたい、なにか始めようと思ったときに、
まずは「若者を元気にしたい」と思いました。
このなんともいえない停滞感をどうにかしたい、
若者のせいになってしまう世の中を変えたい、
と思いました。

そうして、2010年、彼と手を組んで、
任意団体を立ち上げました。
2012年に法人格を取って、
今、NPOとして三期目に入りました。
(第2回につづきます)

2015-07-02-THU

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今井紀明さん、朴基浩さんのおはなし
ひとりひとりの若者が
自分の未来に希望を持てる
社会のために、今できること

第1回
一回落ちると二度と戻れない。
「なんだ、この予断を許さない社会は」
2015-07-02
第2回
通信制高校を卒業するふたりにひとりが、
進路が決まらないまま卒業している。

2015-07-03
第3回
あまりにも人と違いすぎて、
目立って、たたき潰されちゃった子とか。

2015-07-06
第4回
「なんで若者の芽をつぶすんだろう」
否定しないことに、価値がある。

2015-07-07