糸井 |
いま鈴木さんと話していた
『ハウル』のコピーのむずかしさって、
たぶん、北極星が見えないこと、なんですよね。
時代の北極星、というか。
「北極星」って、明るさとしては
あんまり明るくない星なんですけど、
あれが見えてることで、
自分がどっちに行くかっていうのがある。
そういうような指標。
時代を示す「北極星」の位置っていうのは、
もちろん、映画とは関係ないんですよ?
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鈴木 |
はい。
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糸井 |
今の時代を示している、
その「北極星」が見えていれば、
『ハウル』という映画が、
どこにどう流れていくかが見えるんですけど、
今回いちばん困ってるのは、映画のこと以上に
その「北極星」が見えないということなんです。
ぼく自身にしても、
「北極星は見ないで走る」
っていう立場で、今、生きてるんですね。
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鈴木 |
あ、そうなんですか?
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糸井 |
はい。
北極星とは関係なく、
「オレは生きる」なんです。
ただ、自分はそうなんですけど、映画は違う。
時代を示す、その「北極星」との関係で、
見える角度があるんだと思うんですよ。
角度なり、長さなり、重さなり……。
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鈴木 |
はい。
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糸井 |
時代の「北極星」がどこにあるのかについてが、
「生きろ」のときの苦しさとぜんぜん違っていて。
簡単に希望を語るのも、
不潔な感じがするんです。
もちろん、絶望をかきたてるために
作ってる映画なんか、ひとつもないわけでしょう。
その意味では、宮崎さんも、
ものすごく楽観主義で暗い人ですから。
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鈴木 |
そうですねぇ。
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糸井 |
そこの「北極星」の加減のところで、
軸が見えないんですよね。
海外で評価を受けちゃってからは、
より普遍化して見ているから、どうも、
「外人は何でも説明しようとする」
という病気に、ぼくも
今は、かかってるのかもしれない、と。 |
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鈴木 |
まぁ確かに、宮さん(宮崎駿さん)の映画では、
絵コンテは映画を作りながらできていくものだし、
何しろ時代の影響を非常に受ける人なんで、
とにかく、長丁場なんですけどね。
今回も、映画作りはじめたときに、
ちょうどイラク戦争が勃発したりしまして。
今回は、原作を扱ってる作品で、
この原作の中でも戦争を扱ってたことがあって、
そこらへんも描きはじめたんです。
そうすると、主人公っていうのが、
戦争に対して、どうしていくのか。
これがまあ、今回のひとつの
ポイントにはなってるんですけどね。
で、まあ、これは、映画を理解するために
役に立つかどうかはわからないんですけど、
宮さんとしては、堀田善衛っていう人の本を、
このあいだ、読みまくっていました。
それで、戦争っていうものに対して、
自分がどういう態度をとるかを探している。
平安時代の終わりには、
平家と源氏が戦っていますよね。
藤原定家っていう、新古今集を編纂した人は
そのときに、日記を書き残していたんですよ。
「世上乱逆」
世の中がすごい乱れとる、と。
「追討耳ニ満ツト雖モ」。
要するに、むちゃくちゃになっちゃってる、と。
「之ヲ注セズ」。
それを俺は注目はしない、と。
その次に、
「紅旗征戎、吾事ニ非ラズ」ってあるんです。
これは何かな?と思ったら、
「紅旗」っていうのは、
朝廷が戦うときに立てる旗だったんですよね。
そういうことは、知ったことじゃないんだと。
堀田善衛は、かつて戦争中に
藤原定家のその言葉を見つけて、
自分の支えにしたわけなんですけどね。
まあ、宮さんなんかもその言葉が大好きで、
どうもこのあたりに、
大きな影響を受けてるんですよねぇ。
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糸井 |
なるほどなぁ。
……なんか、公開打ち合わせになっていますが(笑)。
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鈴木 |
じゃ、糸井さん、よろしくお願いします!(笑)
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糸井 |
(笑)……はい。
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(ふたりの対談は、ここでおわりです。
読んでくださり、ありがとうございました!) |