「青春って、もう終わっちゃうのかな?」

この春社会に出た
「ほぼ日」インターンのマツザキが、
「青春」について考えました。
「ほぼ日」でインターンをしていたマツザキは、
1年間、大学に通いながら
「ほぼ日」で働いていました。
3月に大学を卒業し、「ほぼ日」も卒業。
新たな1歩を踏み出し、社会人に。

学生と社会人の間のような日々を
過ごしていたマツザキは、卒業を前にして、
「青春」について考えるようになりました。

「学生生活が終わると、
 青春も終わってしまうのだろうか?」

人に話すにはちょっと恥ずかしい疑問について、
「ほぼ日の塾」1期生のかつなりくんと話し、
そして、糸井重里に訊きました。
いってみればマツザキの卒業記念コンテンツです。

かつなりくんと会ってから
2週間ほど経った後、
ぼくは糸井さんのもとへ行きました。

糸井さんと一対一で
ゆっくり話すのは初めてだったので、
にこやかな表情の糸井さんに対し
ぼくはかなり緊張していました。
話す前に、何度か
深呼吸をしたのを覚えています。

糸井さんの正面に座って、
早口でこの企画の経緯を説明し、
質問を、はじめました。

「青春が終わった」と思った経験。
マツザキ
あの、糸井さんには、
「青春が終わった」と思った
経験はありますか?
糸井
青春が終わった、と思った経験ですか。
マツザキ
はい。
糸井
それはねえ、
青春になる前に思いましたよ。
マツザキ
えっ。
糸井
小学生のとき。
小学生って、わがまま放題というか、
無責任じゃないですか。
マツザキ
そう、ですね。
糸井
まあ、学校には毎日通っていたわけだけど、
それは全然平気だったのね。
でも「いつか仕事を始めると会社に通うのかなあ」とか、
上司に「ああしろ、こうしろ」って
言われるんじゃないかとか、
そういうことを考えてたら怖くなっちゃって。
もう悲しくて悲しくてしょうがなくなっちゃって、
ひとりで、泣いたんですよ。
マツザキ
は、はい。
糸井
だから、青春になる前からすでに
大人になるのが怖かった。
その経験が原因で「はたらきたい展。」を
やったくらいですから(笑)。
マツザキ
へえ。
糸井
そのことがあってからは、
「いままでは自由で、
これからは自由じゃない」とか
「急にルールが変わって大変だ」とか、
そういうことは思わなかったです。
マツザキ
うーん、そうか‥‥。
糸井
もしかして、
思ったような答えじゃなかった?
残念だったね(笑)。
マツザキ
い、いえ、そんなことは(苦笑)。
糸井
なんだろう、だから、ここで
「青春」って言葉でしゃべっていることは、
自由と平等の話だと思うんだよ。
マツザキ
うーん、うん。
糸井
時間が自由に使えるかどうかって意味では、
学生時代だって自由じゃないんだけど、
社会人になって、自分が誰かのもとで
好きなように「使われる」かもしれない、
と思うと、それは、つらいよね。
マツザキ
そうですね。
糸井
だから、きみの社会人の先輩たちが
「社会人は大変だ」とか
「青春が終わる」って言うのは、
「自由が本当になくなって、
奴隷のようになってしまうよ」ということを、
青春の話に置き換えて、教えてくれているんだよ。
そして「きみもそうなってしまうんじゃない?」
ってことなんだと思うよ。
マツザキ
はー、そうなのか‥‥。
糸井
やっぱり、マツザキくんが
上下関係に縛られてるから、
苦しいんじゃないのかなあ。
もし「先輩の言うことは絶対だ」
っていう時期があったとしたら、
「その時期ってなんであるんだろう?」とか
「その時期に何を獲得してやろう?」って
前向きに考えて、前のめりで
得られることはたくさんあるんだよ。
だから「社会人は大変なんだ」って言う人って、
自分の失敗や不甲斐なさを、
自慢話のようにして愚痴ってるだけなんじゃない?
マツザキ
たしかに、ぼくは、
「大変だ」と言う人に、
なんか違和感を感じていて、
そういう人たちの話を
あんまり聞かないように
してきたような気がします。
糸井
それでいいんじゃない?
「大変なんだよ」と言う人を尊敬できなければ、
その人の話は最初から聞かなくていいよ。
マツザキ
うん、そうですね。
糸井
マツザキくんはさ、いま、
「オレがマツザキくんを見てる」ということを、
すごく、意識しているよね。
マツザキ
は、はい。
糸井
でもさ、君も、オレを見てるんだよ。
そこでは、「タメ」なんだよ。
いまのマツザキくんは、
きっとそれが分からないから、つらいのよ。
マツザキ
そうか、そう、なのか。
そんなこと、考えたことが
ありませんでしたけど、
たしかにそうかもしれない。
糸井
ねえ。うちの乗組員たちは、
そのあたりのことが、
まあ、少しは分かってるから。
「いましかない」って、ほんと?
マツザキ
ただ、逆に、その、学生の側からも、
「青春の終わりだ」って言って、
卒業旅行に行ったりしている人がいるんです。
そのことにも、うーん、
なんか納得できないというか、
違和感を感じるんです。
糸井
ああ、そうですか。
マツザキ
あの、旅行に行く事自体が悪いとか
そういうわけではないんですけど、
卒業旅行に行っている周りのみんなが、
自分から、「青春」に区切りをつけに
行っているように見えるときがあって。
ぼくは、あまり旅行には行かなかったので、
周りの人に「旅行行かないの?」とか
「最後なのに遊びに行かないの?」って
よく言われましたし。
糸井
なるほど。
それは、なんていうの、
「人並みの幸せを、
自分は手にしていない」って話かな。
「クリスマスの日に寂しいのはなぜか」ってことだな。
マツザキ
えっ、えっーと。
糸井
たとえば、クリスマスの日に、
ひとりで、コンビニのおでんを
冷めないようにして持ってね、
おつゆがこぼれないように
心配しながら外を歩いているときに、
男が、毛皮のストールとかを着けた女性を連れて、
ホテルの方に行くのが見えるんだよ。
しかも、どんどん行くんだよ、みんなが(笑)。
マツザキ
はあ、はい。
糸井
他のほうを見ると、幸せそうに
ケーキを買って帰る家族もいてさ。
そういう風景を見て、
「自分には、あの幸せが得られないんじゃないか」
と思うと、キュン、とするじゃない。
ていうのと、卒業旅行の話は一緒だね。
マツザキ
あ、ぼくが、
じぶんの寂しさに、
自分で浸っている、のか。
糸井
そりゃあ寂しいよ。
それでいいんじゃない?
オレも寂しいよ、だいたいは。
でも、その「寂しい」が、減るんだよ。
たいしたことないって分かるから。
マツザキ
たいしたことない、ですか。
糸井
たいしたことないよ。
例えばさ、海外のいろんな国を旅して、
日本では見れないものを
たくさん見てきたって人がいてもさ、
行くだけでは価値がないわけで。
「それが『あなた』
 じゃないでしょう」って、思うじゃない。
そんなに、立派ってほどのもんじゃない。
自分だって全然負けてないわけだし、
うらやましくもないわけで。
マツザキ
うーん、はい。
糸井
のちに自分も、無理して会社を休んででも、
強がって旅に行くかもしれないし、
ひょっとしたら、会社をやめてでも、
やんなきゃいけないことが出てくるかもしれない。
でもそういうことは
「自分で、決めることができる」わけで。
マツザキ
自分で。
糸井
うん、だから
「いましかないから、青春は」って
言う人ほど、うーん、どうかと思うね。
マツザキ
ああ‥‥。
糸井
ぼくにも青春時代っていうのが、
仮に、あったとしたら、
「そのときにやっておけばよかった」
ってこともあるかもしれないけれど、
「別にいいや」って気持ちのほうが大きいね。
「若いうちにナンパしたっけなあ」とか、
そういうのを羨ましがっても、
だいたいは、みんなうまくいってないから。
マツザキ
そうか、たしかにそうだ。
糸井
うまくいっている人は、きっと、
違う才気を呼び寄せてますよ。
マツザキ
それは、ぼくの周りの人を見ても
そうかもしれないです。
糸井
でしょう?
しかも、うまくいっているように見えて、
悪い方向に転ぶこともあるんだよ。
マツザキ
そう、ですか。
糸井
例えばさ、モテモテの先輩がいたとするじゃない。
で、そのモテモテの状態をキープする、
っていうのは、大変なことなのよ。
うそをつかなきゃなんないし、
金も使うし、体力も使うし。
そこまでくると、その先輩も
なにが楽しいのかわからなくなるんだよ。
マツザキ
ああ、そうか、そうですね。
糸井
もしその先輩が、付き合ってきた人の中で
一番かわいい子と結婚できたとしても、
他の女の子に恨まれたり、
悪口を言われたりするよね。
しかも、そのまま歳をとっていけば、
その一番かわいい子は、
一番かわいいおばさんになるだけなんだよ。
その先輩は、それを
求めてたかといえば、わからないよね。
マツザキ
うん、わからないです。
糸井
なおかつ、人を騙してきた
クセがついてたとしたら、
その後も、騙してきたメソッドが、
他の場面で出るじゃないですか。
そしたらそこで、信用を失うかもしれない。
だからさ、うまくいっているように見える人が、
実はそうでもないことは多いんだよ。
マツザキ
あの、その、これまでぼくは、
そういう「うまくいっているように見える人」に
どこか、憧れていたと思うので、
ちょっと、いま、混乱、混乱しています。
糸井
ははは、ちょっとほっといてみようか(笑)。
「何にでもなれる気がする」という感覚。
マツザキ
その、ぼくは前に、永田さんに
「枠のなかで頑張ることが得意に見える」
と言われたことがあって、それをぼくは、
なんか、そんなに、
「別に悪いことじゃないな」って、
そのまま、受け取っていたんです。
でもなんか、いま、うーん、
自分がその枠のなかで、こう、
持っていた憧れとかが崩れて、
「どうして頑張ってきたんだろう?」って、
ちょっと、ぽかーんと、してしまいました。
糸井
まあ、それはしょうがないよ。
決められたところ以外のものを見る目を、
まだ、持ってないんだから。
もっと言うと、他の人も
決められたところ以外のことを
自由にするのは、得意じゃないよ。
永田くんだってそうだし、オレもそう。
ただ、自分の枠の中で、
得意なことだけをどんどんやっていくと、
枠がどんどん磨かれていって
外に出たくなくなるから、
そこは、意識的に壊していかないと。
マツザキ
はい。
糸井
学生時代は、枠の中にいるのが当たり前。
オレも大学に行くときに、親に
「大学に行くか、100万円もらって
自分で何かやるか、どっちか選べ」って言われて、
考えもせずに、大学行くことを選んだよ。
マツザキ
へえ。
糸井
それはなぜかって、みんなが行くからだよ。
「みんなと大学で楽しくやる」って、
そのイメージしかなかった。
大学行くときにはバラバラに分かれるんだけど、
「いままでみんなで楽しくやってきた」ってことが、
その選択をさせたわけでね。
マツザキ
そうか。
糸井
もし、100万円もらって何かやってたら、
違う人生になってたと思うけれど、それはそれ。
そしたら、いまのオレにはなってないから。
マツザキ
うん、そうですね。
糸井
そういえば、「知ろうとすること。」を
一緒に書いた早野さんが、この前、
「若いときにこうしておけばよかった、
 ということはありますか?」と質問されて、
「ないことはないけれど、
 ぼくはこれまで、『昔こうだったらなあ』って
 思わないように暮らしてきたし、
 将来も、そうだと思います。
 だから、昔の自分にあえて言うとすれば、
 『昔こうしておけばよかった』って、
 思わないような人生を
 歩めるといいですね、って言いたい」
って、答えたんだよ。
マツザキ
はーっ!
糸井
これはもう、ほんっとうに名言だと思うし、
オレも、まったくそうだと思う。
こうしておけば、ということは
ないようにやってきたつもり。
だから、もしね、オレのことを
ものすごく恨んでいる人がいるとしても、
それを含めて、よかった、と思う。
そこまで含めて、いまの自分がいるわけで、
この立ち位置をどくわけにはいかない。
それが、生きてるってことだから。
マツザキ
ふー、はい。
糸井
変えられるのは未来だけなんで。
あとやっぱり、人それぞれ、
持ってる能力そのものには限りがあるからね。
無限じゃないから。
マツザキ
あの、ぼくは、ここに来る前に、
「ほぼ日の塾」のかつなりくんと、
「自分はまだ何にでもなれるような気がする」
という話をしたんですけど、
そんな、そうでもない、ですかね?
糸井
うん、いいんじゃない、それは。
とっても大事な感覚だと思うよ。
マツザキ
そう、ですか。
糸井
あのー、これはいま、初めて思ったことだけど、
オレはいまでも何にでもなれるような気がしてる。
笑われちゃうかもしれないけど(笑)。
マツザキ
いえ(笑)。
糸井
えっと、陸上選手とかは無理だよ。
でも、何にでもなれる気がするなあ。
だってさ、もんのすごく
一生懸命、しっかり3年間やったら、
だいたいのことはできるよ。
カメラマンでも、絵描きでも。
マツザキ
おお、できる‥‥できるか。
糸井
「どうすればいいだろう。
ああしようか、こうしようか。」って
いっぱい考えて、あらゆる方策を講じて、
一生懸命3年間やれば、できると思うよ。
そう、そうだ。ただ、そこでね、
どうやってやればうまくいくか、
あるいは、この方法は間違ってるんじゃないか、
ってことを見極める、それが大事なんだよね。
マツザキ
ああ、はい、そうですね。
糸井
あの、たとえ話だけど、スイカ割りって
「こっちこっち」とか「あっちあっち」って、
ちゃんと指示を出してくれる人がいれば、
ちゃんと、スイカを叩けるんだけど、
みんながでたらめなことを言うんだよ。
だから、スイカ叩けないんだよね。
でも「こっちこっち」っていう指示のなかに
ちゃんとした指示があって、
それを信じる判断さえ、できたら、
いくらでもスイカ叩けるんじゃないかな。
そういう意味で、けっこう、人生はスイカ割り。
マツザキ
はーっ、そうかあ。
糸井
(脇で聞いていた永田さんに向かって)
なんかオレ、ちょっと今日はいいんじゃない?(笑)
永田
うん、よすぎるかも(笑)。
糸井
バラバラに思ってたことが、つながったね。
きみ「たち」が、すっごく弱々しく見えたんで、
「それはもったいないよ」って気持ちから、
つながって出てきた言葉だと思う。
で、オレも若いときは、
そうだったんだな、って思うから。
だから、こうやって話してて、
にやにやしちゃうのよ。
マツザキ
は、はい。
糸井
その、向かいに座ってるきみが、
昔の自分なわけで、オレはこれに、
もうちょっとオレなりの
飾りを付けてたわけだよ。
何かを知ってるふりしてる、とか、
何かに関して覚悟ができてる、とか、
命知らずだとか、そういうもの。
でも、そんなものは、人から見たら
だいたいバレバレなんだよね。
みんな、通ってきてる道だからさ。
マツザキ
そうか、そうですよね。
糸井
だからいま、きみに、
「実はあれが分かんないんですよね」とか、
「これが疑問なんですよね」とか、
そんなこと言われても、
「いいよ、分かるとか分かんないとか
言ってんじゃねえよ」っていうのが、
本当の答えでさ、そこなんだよね。
マツザキ
ああ、そう、か。
糸井
あるいはさ、大人ってすぐに、
「何がしたいの?」って言うんだよ。
でも、わかんないよね。
マツザキ
はい、わからないです。
糸井
何がしたいかわかればもうね、勝ちだよ。
ただ、間違って「何がしたい」か
早く決めた人のことは、
ガツガツして見えるんだよね。
マツザキ
ああー、見えるかもしれないな、
見えてますね。
糸井
「えーっ、そんなに最短距離行けるの」って思うと、
ちょっと、見苦しいんだよね。
でも、早く決めないで、
ぐずぐずする人もいるし。
どっちも一長一短なんだよ。
早く失敗したほうがいいんだけど、
それが悪く作用しちゃうこともあるから。
マツザキ
うん、うん。
糸井
ただ、いつか子どもができたりしたら、
「これで食ってくぞ」というものを
決めないといけないわけで。
あの、批評家の小林秀雄さんがね、
「自分は女を食わせるために
文筆業をやってる」って
言ったことがあって、
そうだな、ってオレも思うよ。
食わせなきゃいけないから、
文章に芸当がいるわけで、
食わせなきゃいけないからこそ、
その芸当を見つけたわけだね。
「オレは書きたいことがある」、
というわけじゃないんだよ。
もうちょっと、怪しいものなんだよ。
大人と子どもの違い。
マツザキ
3年間一生懸命やる、という意味では、
ぼく、高校の部活は、3年間しっかりやったので、
それなりに、ちゃんと結果を出せました。
糸井
お、いいじゃない。
それを思い出しただけでよかったね。
マツザキ
はい。勉強はあんまりやらなかったので、
受験はしっかり落ちましたし。
糸井
あのー、どっか受かったからってさ、
それだけではたいした人になってないんだから。
「こうしたほうがいい」とか、
「こうしないほうがいい」とか、
そういうのはだいたい意味がないし、
役に立たないんだよ。
マツザキ
うーん、そうですか。
糸井
うちが上場するときも、
いろんな人がいろんなことを言ってきたけれど、
知ってても知らなくても同じだったんだよね。
マツザキ
へえ。
糸井
ただ、みんなの言うことを
無視しようと思っても、
自然に聞こえてくるし、
それで無数の情報に足を取られて、
ダメになっちゃう場合もあると思う。
マツザキ
そういえば、ぼくも、
就活でいろんな情報が耳に入って、
うまくいかなかったことがあったんですけど、
その、途中で開き直るというか、
「これじゃないな」って、気づいたことがありました。
糸井
あった?
本当は「こんなこと、やってもいいんですか?」
ってことを、やってもいいんだよね。
マツザキ
そうですよね。
ちゃんと、ちゃんと考えれば、
そうなんですよね。
糸井
いま、「ちゃんと考える」という言葉が出たけれど、
「ちゃんと考えて決める」というのが大事で、
結果が同じだったとしても、
考えてないこととは、ぜんぜん、違うんだよね。
マツザキ
はい、ぜんぜん違います。
糸井
そんな、考えたことの形跡なんて、
残らなくてもいいから。
考えたことはちゃんと、
自分のその先の人生につながる階段になってるから。
ただ、ちゃんと考えることができたとしても、
そこでぐずぐずになっちゃうのが「若さ」なんだよなあ。
ちゃんと考えたんだけど、ぐずぐずになっちゃう。
大人になると、ちゃんと考えた結果、ジャッジする。
1回息を止めるような瞬間があるんだよ。
マツザキ
うーん、はい。
糸井
ほら、息子役だと決めなくていいんだけど、
お父さん役だったら、ちゃんと、
決めないといけないじゃない。
マツザキ
ああ、そうか、そういえば、
ぼくは「決める」の部分を、
いつも大人の人に、
任せていたかもしれません。
糸井
その「決める」ってことが
あるか、ないか、で
仕事になるか、ならないか、が決まる。
役に立つ、ということ。
糸井
さっきの大学の話で言うと、
「大学に4年いた」って言っても、
2年は教養課程だし、
専門的なことを学んでいるのは、
サボりサボりで、2年ですよね。
マツザキ
そう、ですね。
糸井
一生懸命やってないわけだから、
やっぱり大学で学んだことは、
自分の得意技になるほどは、
わかっていないわけで、
じつは、どうでもいいんだよね。
マツザキ
でも、ぼくは、いままで、
なるべく効率的にというか、
その、自分がこれまでやってきたことが
「役に立つ」と思えるような道を、
選ぼうとしてきたかもしれません。
過去に学んだことを活かせるように、とか。
糸井
うーん、それはもったいないねえ。
「役に立つ」という言葉は、
ある時代に流行ってた、価値なのかもしれないね。
マツザキ
んん、流行ってた、のか。
糸井
そう、物事の価値において、
「役に立つか、立たないか」ということが、
すごく重要だった時代が長かったんでしょうね。
でもね、「役に立つ」ものは、もういま、
世の中の倉庫にいくらでも在庫がありますよ。
そこらじゅうで買えるしね。
マツザキ
ああー、そうか。
糸井
マツザキくんも、
1年間、ここにいたから
なんとなくわかると思うけど、
うちだったら、
「それはおもしろいか」とか、
「それは人が喜ぶことか」とか、
そういうことを意識しながら、
ものごとの判断をするじゃない?
それは「役に立つか、立たないか」って
判断の仕方に比べて、楽しくなるよね。
マツザキ
そうですね。
糸井
なおかつ、それで人が喜べば、仕事になるわけで。
うちの会社が、もし「役に立つ」ことだけを、
一生懸命にやってたら、まず、
ここまでは来れなかったと思う。
マツザキ
そうか。
糸井
人に関しても、昔は「役に立つこと」が
「そこにいていいよ」って言われる理由だった。
でもいまの時代は、
「おまえ、役に立つかもしれないけど、
その程度のことは誰にもできるから」って、
「そこにいていい」理由じゃなくなった。
マツザキ
うーん、わかるような、わからないような。
糸井
だからね、楽しい熱海旅行みたいなことを
想像すればいいんです。
「その旅行にあいつを連れて行きたい」
って思われることが、価値なんだよ。
そうなると、役に立つ人よりも、
もうちょっと面白そうな人を連れて行くわけでね。
マツザキ
ああ、そうですね。
糸井
で、「役に立つ」ってことばかり
考えている人は、いまの話を
「面白いって意味で役に立ってるでしょう」って
言うんだけど、それは、違うんだよ。
マツザキ
んー、ぼくはこれまで、
そういうことを、けっこう、
言ってしまっていたかもしれません。
糸井
あの、それはやっぱり、
過去の価値観に未練がありすぎるよ。
もっと、解き放たないと(笑)。
マツザキ
はあ、解き放つ(笑)。
糸井
「そういう意味で、役に立ってます」
という説明が、いまはけっこう、
必要になってるんですよね。
でも、それを言い過ぎると、
もともとやってきたこととか、
目指してきたこととかと、
ちょっと、ずれるんだよ。
マツザキ
うん、その、もともとは、
そんなつもりじゃないですからね。
糸井
そう、だから、
「役に立つか、立たないか」よりも、
「人が、どういうところに心が動くか」とか、
「喜ぶか」とか「悲しむか」とか、
そういうことがちゃんと見えている方が大事でさ。
そのためには、自分の心が動くことが、大事だよ。
「いいなあ」とか、「おもしろいなあ」とか。
マツザキ
そうか、うん、そうですね。

このようにして、相槌を打つだけで
精一杯の時間が終わりました。
ぼくは、糸井さんの話に
ついていくのがやっとで、
話した直後は、それを受けて
自分でなにか考えるというより、
話したことをひとつひとつ
整理するのに時間を使いました。

整理できたからといって、
理解できたのかは、わかりません。
たぶん、ぼくは、
これからも悩むし、間違うと思います。

「自由」と「平等」という意味の「青春」は、
社会に出ると、なにかに抗わないと
なくなってしまうのかもしれません。
あるいは、なにかを失うことで、
トレードオフのように、
得ることができるかもしれません。

ただ、たぶん、ぼくの思っていた「青春」は、
「自由」と「平等」だけじゃないと思います。
時期のことなのか、気持ちのことなのか、
まだ、ぼくにはわかりません。
もっと、曖昧なもので、こんなに
はっきりと分解できるものじゃないかもしれません。
いまは「青春ってなんだろう?」と訊かれると、
うまく答えられないと思います。

いまは、それについて考え続けたいような気もするし、
頭の片隅に置いて、いつか気づくことを
待ちたいような気もします。
わからないまま進んでいくことも、ないとはいえません。

どちらにしろ、もう、
4月からは前に進まないといけません。
自分の足で立たないといけないし、
自分で食べていかないといけない。
いつかはそうしなければならないとはいえ、
自分で探して、自分で決めた仕事に就きます。
やっと「覚悟が決まった」ような気もしますし、
「ただ、勢いがよかっただけ」と、
あとで思うかもしれません。

かつなりくんと話した、
「不安も期待も両方です」という気持ちは、
やっぱり、尊敬する人の話を聞いても、
強がっても、完全には、消えません。
はっきりとしない気持ちは残ったままですが、
それでも、ぼくは、ちゃんと前を向いて、
社会に出たいと思います。

長くなりました。
読んでくださり、ありがとうございました。

(おわります。)
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2017-05-02-TUE