かつなりくんと会ってから
2週間ほど経った後、
ぼくは糸井さんのもとへ行きました。
糸井さんと一対一で
ゆっくり話すのは初めてだったので、
にこやかな表情の糸井さんに対し
ぼくはかなり緊張していました。
話す前に、何度か
深呼吸をしたのを覚えています。
糸井さんの正面に座って、
早口でこの企画の経緯を説明し、
質問を、はじめました。
このようにして、相槌を打つだけで
精一杯の時間が終わりました。
ぼくは、糸井さんの話に
ついていくのがやっとで、
話した直後は、それを受けて
自分でなにか考えるというより、
話したことをひとつひとつ
整理するのに時間を使いました。
整理できたからといって、
理解できたのかは、わかりません。
たぶん、ぼくは、
これからも悩むし、間違うと思います。
「自由」と「平等」という意味の「青春」は、
社会に出ると、なにかに抗わないと
なくなってしまうのかもしれません。
あるいは、なにかを失うことで、
トレードオフのように、
得ることができるかもしれません。
ただ、たぶん、ぼくの思っていた「青春」は、
「自由」と「平等」だけじゃないと思います。
時期のことなのか、気持ちのことなのか、
まだ、ぼくにはわかりません。
もっと、曖昧なもので、こんなに
はっきりと分解できるものじゃないかもしれません。
いまは「青春ってなんだろう?」と訊かれると、
うまく答えられないと思います。
いまは、それについて考え続けたいような気もするし、
頭の片隅に置いて、いつか気づくことを
待ちたいような気もします。
わからないまま進んでいくことも、ないとはいえません。
どちらにしろ、もう、
4月からは前に進まないといけません。
自分の足で立たないといけないし、
自分で食べていかないといけない。
いつかはそうしなければならないとはいえ、
自分で探して、自分で決めた仕事に就きます。
やっと「覚悟が決まった」ような気もしますし、
「ただ、勢いがよかっただけ」と、
あとで思うかもしれません。
かつなりくんと話した、
「不安も期待も両方です」という気持ちは、
やっぱり、尊敬する人の話を聞いても、
強がっても、完全には、消えません。
はっきりとしない気持ちは残ったままですが、
それでも、ぼくは、ちゃんと前を向いて、
社会に出たいと思います。
長くなりました。
読んでくださり、ありがとうございました。