HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 連続iPhone5ケース小説 いくつかの状況に応じた振る舞い。 ヒダマリ本郷 作 イリアヒム・カッソー 画 第七話 鉄橋

 貴史は外へ出た。まぶしくて目を開けていられない。室内との温度差に肌が戸惑う。思えば、明るいうちに外へ出るのは久しぶりのことだった。
 蒸し暑い午後の街。貴史はアスファルトを踏みしめたが、どうにも実感がともなわなかった。身体のあちこちがうまく噛み合わず、まるで自分が自分の身体をコクピットに座って操縦しているみたいだった。
 ぎくしゃくと歩く貴史の内面には正と負の相反する要素が混在し、それゆえ足もとがおぼつかなかった。負の面では身体的なコンディションが最悪だった。ここ数週間、慢性的に睡眠不足だったし、食事はひどく偏っていた。体温調節がうまくいかず、偏頭痛があった。
 その一方で、精神的には大きな高揚感を感じていた。貴史はとても気分がよかったのだ。
 ついさきほど、貴史は抱えていたさまざまなことをあきらめた。あきらめて、放り出した。放り出した瞬間、得も言われぬ快感が脳内にあふれだした。2センチくらい、地面から足が浮いているように感じた。視界の隅々で何か小さなものがきらきらと反射して見えた。貴史は現状を肯定し、現状は貴史を肯定した。
 そのような理由で貴史は街をふらふらと歩いたが、彼が精神的にも物理的にも安定していないとしたら、その最大の原因は彼がバッグの中に入れているもののせいだった。そこには、祖父からもらった銃弾と、その銃弾を撃ち出すことができるという急ごしらえの銃が入っていた。それを持っているというだけで、自分は咎められるだろうと貴史は思った。いや、咎められることはない、とも貴史は思った。
 なぜならそれは、銃ではないからだ。いや、違う、それは銃だからだ。そうじゃない、銃は、ただの工作だ。モデルガン以下だ。嗜好品だ。趣味のものです。子どものオモチャです。いや、本物だ。だからどうした。
 そもそも3Dプリンタで出力した樹脂を組み合わせただけじゃないか。罪になりようがない。罪になるとしたら、この銃弾だろう。いや、これだって、本物だかどうだかわかりゃしない。こんな、あやふやな銃弾と不格好な銃にどんな威力があるっていうんだ。お土産の銃弾と、プラスティックの銃。ぴかぴかした銃弾と、つるつるした銃。無理だ。ウソに決まってる。
 しかし、この、「桁違いのものを持っている」という確信に近い感覚はなんだろう?
 貴史はふらふらと歩きながら、考えを絞り込んでいった。目が冴えた。いろんなものが自分を導いているような気がした。目の前に具体的な階段が現れたようだった。
 この銃を、たしかめてみなければならない、と貴史は思った。
 撃ってみるのだ。実際に。どこか、撃っても平気な場所で。それはどこだろうと貴史は思った。イメージが浮かんだ。
 ずいぶん前に読んだ漫画で、リボルバー式の拳銃を手に入れた少年が鉄橋の下でそれを試し撃ちしていた。列車が轟音をたてて頭上の鉄橋を渡るとき、少年は音に紛れてそれを撃つのだった。
 それがいい、と貴史は思った。じゃあ、鉄橋はどこだ。貴史は知っている鉄橋を思い浮かべようとした。しかし、具体的な場所を特定できない。
 鉄橋、鉄橋はどこだ?
 順番に考えていこう。地下鉄には鉄橋はない。いや、そんなことはない。ないことはない、かもしれない。鉄橋は川を渡っているような気がする。じゃあ、川と線路が見える場所へ行けばいいのか。違う、鉄橋は、山じゃないか? 山間をゴトゴトと渡っていくのが鉄橋の代表的な風景じゃないか? 最寄りの鉄橋はどこだ? というか、路線を絞るべきじゃないか? あ、じゃあ、自分が電車に乗って、その電車が鉄橋を渡ったら、つぎの駅で降りたらいいんじゃないか? いや、まずは、検索か? なんと検索する? 「鉄橋 路線」? 「鉄橋 試し撃ち」? 「鉄橋 最寄り」? 「鉄橋 手軽 ラク」? 「鉄橋 まとめ」?
 貴史はiPhoneを取り出し、検索しようとして考えがまとまらず、しばしディスプレイを見つめていたが、ふとバッテリーが切れるかもしれないという恐怖感に駆られて慌てて画面をスリープさせた。
 バッテリーが切れたら困る。この先、長いかもしれない。よくわからないが、バッテリーが切れたら困る。とても困る。
 貴史はiPhoneをポケットに戻した。涼しげなペンギンがプリントされているそのiPhoneケースも3Dプリンタの商品サンプルとしてつくったものだ。
 考えよう。鉄橋のことだ。いや、鉄橋は一回忘れよう。そもそもどうして鉄橋なのだ。撃てる場所を考えればいい。音がごまかせる場所。人のいない場所。工事現場はどうだ。工事現場には人がいる。人がいない工事現場はどうだ。人のいない工事現場には音もしていないはずだ。じゃ、ダメじゃん。撃てないじゃん。
 だいたい、撃ったあと、どうする気だ。本当に実弾が撃てたらどうするというんだ。まぁ、撃てないに決まってるけどさ。いや、撃てる気がしてならない。撃てたらどうだというんだ。撃って、何をするんだ?
 世界中を旅してまわるのさ。プラスティックの銃を片手に。騒ぐな。動くな。ホールドアップ! 撃てる気がしてならない。
 だから、まずは鉄橋だ。世界中を旅するために、鉄橋だ。鉄橋はどこだ。鉄橋の下で、銃を構えて、頭の上の線路を列車が行くときに合わせて、トリガーをひくんだ。撃てたら世界へ飛び出すんだ。撃てなきゃ暗い部屋へ逆戻りだ。
 誘惑に抗いきれず、貴史はバッグの中へ手を忍び込ませた。突然、鼓動が速まるのがわかった。そういうものを、いま、俺は持ってる。
 ひょっとしたら、バッグの中には何もないのかもしれないと一瞬貴史は思った。けれどもそれは確かに実在し、貴史の右手の各部位は銃のグリップのしかるべき場所へと吸い寄せられてぴたっと馴染んだ。小さな空間の中で、貴史はそれを握った。
 鉄橋、必要ないんじゃないか? と貴史は思った。撃ってみればいい。撃てなきゃただの冗談だ。ただの挙動不審な人だ。撃てたらそのまま行けばいい。弾が出たら、道なりに進めばいい。
 気がつくと、がらんとした場所にいた。あちこち駐車場だらけだ。何台もの自販機。人通りはない。暑い。まぶしい。
 そして貴史は見つけた。駐車場と自販機ばかりが並ぶ場所に、ぽつんと古びた喫茶店がある。ぽつんと、古びた喫茶店が、自分を待っていたようにそこにある。
 貴史は、自分の足がそこへ向かうことを、自分を操縦しているパイロットみたいに客観的に認識した。さっきまでふわふわしていた足が、急に重力を感じはじめる。靴の底がしっかりと地面を踏みしめる。右、左、右、左。そこへ向かう。こめかみを血が走る。視界がぎゅうっと狭くなる。鼓動がうるさいくらいだ。ああ、足がそこへ向かう。
 木の扉についた真鍮の引き手を左手で引く。右手はバッグの中に入っている。
 カラァン、とドアベルが鳴る。
 中の人々が振り向く気配がある。何人かそこにいる。貴史は開いた扉の隙間に身体を滑り込ませる。後ろ手に扉を閉める。何人かそこにいる。何人かはわからない。
 いい気分だ。
 右手をバッグから引き抜く。「それ」が引っかからないようにしなければ、と思う。うまくいった。
 貴史は右腕を真上へ挙げる。少し不自然な感じだ。右手に、特異なものを持っている。力をこめる。指先に渾身の力をこめる。さあ。
 パァン!
 銃声。

(続く)



2013-07-15-MON
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