「“好きなもの”はなんですか?」と問われると、
どうも食べもののことばかりが頭に浮かぶ。
“好きな食べもの”を聞かれているのではなく、
“好きなもの”を聞かれているのだから、
もっとほかにもいろいろあるはずなのに、
最初に浮かぶのはたいていが食べものである。
そのことがわかっているから、
“好きなもの”の話になると、
私はちょっと身構える。
お、来たな、と身構えて、
今度こそ食べもののことは考えないぞ、と
ふんばる。
けれど、少しでもそのふんばりが崩れようものなら、
頭に浮かぶのはやっぱり食べもののことなのだ。
だから、私の場合は、
「“好きなもの”はなんですか?」の答えは、
ウニということになる。
でも、「好きなもの」で言えば、
ゲームだって好きだし、
ゲームの中では『MOTHER』シリーズと
『ドラゴンクエスト』シリーズが好きだし、
猫のアクセサリーだって集めているし、
犬だって好きだ。
家事の中では洗濯が好きで、
好きな路線を聞かれたら井の頭線だと答える。
ふぅ。ふんばって思い浮かべたら、
“好きなもの”はこんなにいろいろあるのだ。
これだけある中で、
ウニが一番なのかと言われたら、ちょっとあやしい。
だからといって、
じゃあ井の頭線が一番なのかと言われたら、
それもやっぱりあやしい。
どれもこれも一番なのかもしれないし、
そうではないのかもしれない、くらいのあんばいである。
それなのに、ウニが一番のような顔をしているのは、
「好きなもの」の「もの」の部分が
原因なのではないかとにらんでいる。
「もの」が「食べもの」を連想させるせいで、
ウニに軍配があがりやすいのだ。
これがもしも、「ゲーム」が「ゲームもの」と
呼ばれていたとしたら、
ゲームソフトが頭に浮かんだのだろうし、
「動物」が「どうぶつ」と読まずに
「どうもの」と読むのだとしたら、
「好きなもの」は飼っていた犬です、
とでも言ったのだろう。
ウニが好きだ、といった、ある種じぶんの中での
決め事のようなものがあると、便利である。
“便利”というよりも、“気楽”のほうが
近いニュアンスかもしれない。
ウニが好きであれば、寿司屋に行って迷わない。
オープニングセレモニーとフィナーレを飾るのは、
ウニだとすぐに決まるからだ。
夕飯に何を食べたいか聞かれてどうしても困ったら、
ウニと答えておけば間違いはないし、
ウニの場合は旅行したい場所も決まりやすい。
ウニと言えば北海道と相場が決まっているからである。
私の中で、“好きなもの”が好きなものとして
“好きなものの席”に座るようになるには、
時間やきっかけが要る。
ウニについては、
父親が祖母や伯父などに
「この子はウニが好きでね」
とやたらと言うものだから、
おお、そうか、私はウニが好きなのか、
好きかもしれない、好きだなあ、
おいしいもんなあ、と幼い私は
じわじわと認識していった。
この頃はまだ、ウニといくらのどちらが好きなのかは、
じぶんでもいまいちよくわかっていなかった。
寿司屋に行くと、私はいつもウニといくらの両方を
食べたがり、どちらか片方だけを食べることはなかった。
ウニといくらはいつだって一緒に頼むものだったのだ。
それには、父親の
「この子はウニが好きでね」
のあとに、
「いくらも好きなんだよね」
が必ず続いていたのが作用しているようにも思う。
ウニといくらに差がつき始めたのは、
じぶんのお金でお寿司を食べるようになってからだ。
なにしろ、玉子やかっぱ巻きとはわけが違う。
おいそれと両方とも注文できるものではないと知ってから、
それぞれの味をきちんと吟味した結果、
明確にウニがトップに躍り出たのを覚えている。
こうして時間をかけて
“好きなものの席”に座るようになったあれこれが
増えるたびに、ぼんやりとして未完成だった
じぶんの輪郭が、はっきりとしていく気がした。
そうなるまでは、「“好きなもの”はなんですか?」
と聞かれるのが、私はどうも苦手だったのだ。
ただ、“好きなもの”を答えられるようになると、
今度は、それがほんとうに好きなのかどうかが
わからなくなることがある。
「ウニが好きだ」と気づき、
「ウニが好き」なことが私のアイデンティティーとなり、
「好きなものは?」と聞かれてすぐに「ウニが好き」と
答えられるどこに出しても恥ずかしくない私が作られ、
「ウニが好き」と言い続けているうちに、
もしも私が「ウニが好き」と言わなくなってしまったら、
みんなの知っている私ではなくなってしまうのではないか、
何があっても
「ウニが好き」であり続けなければならないのではないか、
それが義務なのではなかろうか、
と思い始めるのである。
そんなばかな、と思うかもしれないが、
「好き」を外に向けて言い続けると、
それはじぶんの中だけの嗜好の範囲を超えて、
ひとつのコミュニケーションツールになることがあるのだ。
事実、私は昨年、誕生日をサプライズで祝われたのだが、
そのときの会場の壁には所狭しと
「ウニの写真」を印刷した紙が貼ってあった。
“ウニが好きな人”を祝うために、
“私がウニを好きであること”が
コミュニケーションツールとして使われたのである。
私は、「ウニが好き」だから、「ウニが好き」
と言っているのだろうか。
それとも、「ウニが好きな人」だから、「ウニが好き」
と言っているのだろうか。
先日、夕飯にお寿司の出前を取ろうと思い立った。
“ウニが好きである私”は、お寿司を食べるからには、
ウニの入っている桶を頼みたい、と
ごく自然に思った。
一人前の桶にはウニは1貫しか入っていないところ、
単品を追加注文し、ウニを3貫、食べた。
味をきちんと吟味した結果、
私はやっぱり「ウニが好き」であった。
※誕生日を祝われた際、会場の壁に貼られたウニ写真