スーパーマーケットが好きだ。
なぜならば、まず、
ここにいれば餓死しないという、
原始的な安心感がある。
目的を持たずにふらりと入店しても、
なにやら新鮮な野菜や魚や、
食欲をそそる総菜などを見ていると、
体の底の方から、わくわくしてくる。
そして、
「あ、そういえば、あれ切らしていたなぁ」
とふと思い出し、
自分が意外ときちんと生活していることに
気付けることにも、不思議なうれしさがある。
また、ずらりと並ぶ商品の森の向こうに、
自分じゃない、たくさんの人の生活が
垣間見えるところも、面白い。
とはいえ、
新しいスーパーマーケットにいくたび
私が気にしてチェックしてしまうのは、
博物館のように陳列された、加工品の棚だ。
とくに海外のスーパーでは、
思いがけない色使いとデザインの
商品がたくさんあるので、
嬉しくなって、つい棚の前を
何往復もしてしまう。
下手な観光地に行くよりも
スーパーを巡る方がよほど娯楽的だ、
と真剣に思っている。
旧友を訪ねて、
ニューヨークを訪れたときには、
わたしが行く先々のスーパーで
興奮して写真を撮りまくったり、
小さな奇声をあげたりしているので、
友人とその母親が、
「珍しいところで喜ぶのねぇ」なんて言いながら
私に付き合って大型スーパーを巡ってくれた。
見たこともないピンク色の野菜や、
丸ごとのターキーを手に取り、
まるでその国の人になったような
気分を味わうのも楽しかった。
それは日本国内を旅行したときも同じだ。
店頭に並ぶ醤油や味噌や酒の種類を
確認しているだけでも、
意外と日本人の味覚の感性は幅広いのだ、
と気づく。
そして、
この街に住む人にとっては日常の場所なのに、
自分にとっては非日常である、
というアンバランスさに、ドラマ性を感じる。
なので、偶然の出会いを大切にしたい私は
あまり物産展や、
ご当地ショップには行かない。
スーパーマーケットとは、
毎日の生活を、その人の身体を構成するものを、
買う場所なのだから、
実は結構、プライベートな場所ではないだろうか。
人それぞれ、いつも買う商品があると思う。
たとえば、
ヨーグルトは無糖、納豆は小粒、
食パンは8枚切り、というような、
生活の中の小さなルール。
だからこそ、私は
自分が普段買わないその商品を手に取るその人の、
食卓の向こう側をよく想像する。
いま仕事帰りなのだろうか。
今日の献立はなににするのかしら。
家族構成は?
と、つい心の中で質問が積み重なっていく。
そうやって、
レジで隣の人のカゴの中をのぞいては、
想像力をたくましくしてしまうのを、
無礼だと思いながらやめることができない。
いつも街を歩くたびに、
自分は生涯で何千人何万人とすれ違うのだろうか。
と思う。
私にとってスーパーとは、
そんな、袖を触れ合わせるだけで
言葉を交わすこともない人々の
生活の断片を、ほんの少し知れる場所
でもある…。
(※写真紹介。
1、2枚目:ニューヨーク、ハワイ、イギリスのスーパーで撮影。
3枚目:せれぶでなっとうは山口のスーパーで発見。
4枚目:都内スーパーにて。”家庭の味”の豊富さについて想う。)
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楽しくて不思議なスーパーの魅力。
少しでも感じていただけるとうれしいです。
さて、次ページでは
スーパーの歴史など、より具体的に紹介しながら、
都内にある私のお気に入りのスーパーと、
その楽しみ方について紹介したいと思います!!