もくじ
第1回サブカル女子、江古田に立つ 2016-06-02-Thu
第2回愛すべき街、アゲイン 2016-06-02-Thu

とあるIT企業で企画職をしています。
お酒とプロレスと野球があれば、いつも幸せです。

サブカル女子と、江古田のこと

担当・合田 知佳

東京都の地図の、
おおよそ左上あたりに、
「江古田」という街があります。

読み方は「えこだ」です。

(練馬区側が「えこだ」で、
 中野区側が「えごた」と、読ませるそうです)

西武池袋線の沿線にある、
準急電車も急行電車も止まらない、ちいさな街です。

私がこの街に最初に来たのが17年前。
大学受験の朝でした。

東京にはステキな街がたくさんあります。
中目黒とか、吉祥寺みたいなスタイリッシュな街もあれば、
浅草や谷根千のような、情緒ある町並みもあります。

それほどとんがってはいないけれど、
なんだか素朴で、はなれがたい、江古田。

この不思議な街の魅力を紹介する前に、
まずは田舎から出てきた、
とあるサブカル娘の昔ばなしを。

第1回 サブカル女子、江古田に立つ

こんにちは。合田と申します。
普段はとある企業で企画の仕事をしています。

いま、東京の江古田という街で暮らしています。
もともとはこの街にある大学に通っていた学生でした。

在学していた2000年前後は、
現在でいう「サブカル女子」そのもの。
心をみたしていたのは、
音楽、演劇、漫画のサブカル三銃士。
花のような「女子大生ライフ」とは、
対極にある生活です。

雑誌は『CanCan』よりも、『Quick Japan』。
夜に行くのはクラブよりも、新宿LOFT。
合コンよりも、バンド練習からの居酒屋。

中学生が部活に没頭するような、
すがすがしいまっすぐさで選択していました。

茶色い髪でくるくるしたパーマをかけて、
「ROCK!」と書かれたバンドTを誇らしげに着た、
当時の写真をみると、過去を
永久凍土の底深くに封印したい気持ちがわきます。

もちろんモラトリアムな時間を謳歌するように、
日々、授業をエスケープしては、
視聴覚室で映画を一日みたり、古本屋を巡ったり。

ネットもそれほど普及していなかった時代です。
器用にアンテナをはれなかったり、
将来を俯瞰で想像できない
わたしのような不器用な子たちは、
胸に根拠のない自信だけを抱え、
ふわふわと甘美な日々を楽しんでいました。

そして、そんなふわふわしたサブカル女子に、
当時の江古田の街はとても居心地がよくて、
やさしかったのです。

ちょうどいいぐらいにカルチャーがあって、
スタイリッシュすぎない。
「肩ひじを張らなくても、そのままの君でいいんだよ」
そんな風に江古田は言ってくれている気がしました。

当時、「第三次少女漫画ブーム」だったわたしは、
萩尾望都先生に心酔しており、
『トーマの心臓』の、トーマの純粋な想いに想いを馳せて、
この気持ちを大人になったら忘れてしまうのか・・・
大人になんてなりたくない、と涙していたものでした。

とても幼くて、どこを切り取っても、
ひたすら怠惰で、楽しかった時間。

それでもこの時、
この街にそれほど愛着はなかったと思います。

あくまで人生の中で、
通り過ぎてゆくだけの場所だと思っていたのです。

(つづく)

第2回 愛すべき街、アゲイン