たとえば出張や旅行で、
「新幹線に乗って移動」となったら、
心が少し湧き立つのは、
きっとぼくだけではないはずだ。
飛行機だって、
フェリーだって、
ヘリコプターだって、
そりゃあ普段乗る電車や車より特別感がある。
でも、新幹線にはなにか、
特別な旅情を掻き立てる不思議な作用がある。
売店で駅弁を選び、
みどりの窓口で切符を買い、
早足で改札を通り抜け、
ホームでいそいそと座席番号を確認する頃には、
普段より浮ついた気分になってしまう。
プシューとドアが開き車内に乗り込む。
さっそうと席に着いたら(もちろん窓側だ)、
後ろの人に一言断ってから、
少しだけリクライニングを倒す。
「トゥルルルルル」と発車のベルが鳴り響く。
ふう、無事に乗り込めたことだし、
ここらでひとつ、新幹線をより楽しむために、
ぼくが気をつけていることを紹介したいと思う。
新幹線が東京駅を出発するまでは、
駅弁に手をつけない。
「なんだそりゃ?」と思われるかもしれないが、
これは、新幹線と駅弁へのぼくなりの敬意の表れだ。
たとえば東海道新幹線。
東京が始発で、品川、新横浜、小田原と続いていくが、
東京駅を出発しないうちにぱくぱくと食べ進み、
品川に着く前にはすっかり食べ終えてしまう。
これでは、なんとも情緒がないではないか。
出発前に駅弁を食べる姿を見かけたり、
プシュッと缶ビールを開ける音が聞こえると、
「まったく、ムードがない人だなぁ」と、
「旅情の分かるオレ」といい気になったぼくは、
軽く哀れみながら出発を待っていた。
そう、あの日が来るまでは…
4月の晴天の土曜日、ライブコンサートにでかけた。
ニュー・アルバム発売記念の全国ツアーで、
彼を生で観るのは初めてだった。
ギター一本で弾き語るスタイルは、
まるでボブ・ディランのようだ。
オリジナル曲だけでなく、古いブルースも
織り交ぜながら、豊かに夜は更けていった。
第一部を終えて、彼はトークを始めた。
ツアー中ということもあり移動が多いそうで、
話題は新幹線についてだった。
「あのさ、東京から大阪に行くじゃない。
で、東京駅で駅弁を買うとするでしょ?」
うんうん、ぼくもそうしてる。
彼の話を聞きながら、ビールを一口飲んだ。
「いっつもあれやだなぁって思うのはさ、
弁当をすぐ食べちゃう人がいるじゃない。
あれさぁ、ホント旅情がないよねぇ」
ハハハハ、その通り!
ぼくは大きくうなずき、悦に浸っていた。
「旅情が分かるオレ」ここに極まれり!
ヤッホー!
彼は一口水を飲むと、続けてこう言った。
「東京駅を出発したらすぐに食べ始めてさ。
まだ見える景色はビルばっかりじゃない。
そんな中で食べたってねぇ。
俺は絶対、新横浜までは手をつけないよ。
だからそういう人見ると、
分かってないなーって思うよ。」
…なんということだ。
なんということだ!
「旅情が分かるオレ」は彼にとって、
「なにも分かってない野暮なヤツ」だった。
今までの優越感はなんだったのか。
ぼくはショックで頭がクラクラし、
脳内で様々なイメージが一瞬のうちに
駆け巡っていくのがわかった。
遠く太平洋の海で雷鳴が響いている。
メキシコの農村で子供が泣いている。
中国の湿地はとっくに干ばつしてしまった。
ボブ・ディランは今もぼそぼそと
「風に吹かれて」を歌っている。
彼には申し訳ないけれど、
そのあとの演奏はまったく聞いていなかった。
ぼくは、もう二度と戻れない。
今までの「旅情が分かるオレ」は、
もうどこにもいなくなってしまったのだ。
ライブが終わり、みじめな気持ちで、
とぼとぼと家に帰った。
新幹線が新横浜を出発するまでは、
駅弁に手をつけない。
これが、ぼくの新しいルールである。
新幹線と駅弁への敬意と、
あるミュージシャンへの意地が
もたらしたルールだ。
でも、本当はそんなことどうだっていいのだ。
みな、好きな時に好きなように駅弁を食べればいい。
頭でっかちになる必要はどこにもなかった。
そしてぼくは、新幹線が前より好きになっていた。
大阪へ向かう新幹線は少しずつ速度を落としていく。
「…まもなくしんよこはま〜、新横浜に到着します。
お忘れ物にご注意ください。新横浜です。」
車内にアナウンスが流れると、
ぼくはおもむろに駅弁に手を伸ばした。