もくじ
第0回暴れん坊将軍への道 2016-06-02-Thu

外国にルーツを持つ中学生に、日本語を教えています。
ただでさえ難しい時期の中学生。友達が欲しかったり、受験を気にしたりと、
異国の地日本で、覚悟を決めて、懸命に生きている子供達です。
最近の趣味は、乗馬と、時々ジャズボーカルです。

馬には乗ってみよ人には添うてみよ
やさしい乗馬入門

担当・ねえさん

趣味を持つと人生が豊かになるとのアドバイス通り
転勤するたびに、色々な趣味を持つようになったねえさん。
今度は乗馬に挑戦。
指導員にお世話になりながら、
少しずつ馬との付き合い方も学びます。
そして、「馬は人を見る」と言われる本当の理由がわかりました。
はたして、さっそうと馬を操れるようになったのでしょうか。
乗馬用語の解説や馬に関することわざも出てきますよ。

暴れん坊将軍への道

とにかく乗に乗ってみる

「馬は人を見る」乗馬を始めて、聞いた言葉です。
一番最初のレッスンで指導員が言いました。
「鞭を持って、拍車を付けて、
きちんとした格好をして下さい。馬が見てますから」
最後の一言にしびれました。

新卒の時、先輩先生に言われたこと。
「教師という職業は世間が狭くなるから、
転勤するたびに新しい趣味を持つといいよ」
その言葉通り、短歌・ゴルフ・ファシリテーション
ワインエキスパート・ジャズヴォーカルなど、
心の赴くままに色々なことをするようになりました。
あんまり、統一性はありませんけど。

そして乗馬。
乗馬もいいかも、と思い始めたのは、
当時流行っていた韓国ドラマの主人公達が
みんな乗馬をしていたから。

乗馬クラブの体験コースに申し込み、ヘルメットと
チャップス(ふくらはぎに巻き付ける脚絆みたいなもの)
プロテクタを付けて、はじめての騎乗。
馬の上は思いのほか高くて、なんだか楽しい。
のんびり、馬を引いてもらうと、
背中の揺れも気持ちいい。
というわけで、帰りには会員になっていました。
それから、休日には2時間近くかけて
馬に乗りに行くようになりました。

写真や動画じゃわからないこと。
考えてみれば当たり前のことばかりなんだけど、
まず馬の体温。すごく温かいです。
冬の寒い朝、馬の首あたりに腕を回して体をくっつけると、
その温かさに、ほぉっとします。
次に、馬の皮膚の手触り。
馬を前から後ろに撫でると、
びっしり生えた毛並が掌に吸い付きます。
コーデュロイを撫でた時みたいです。
それから、馬は痒いところを掻いてくれる人が好きなんです。
首筋や頭絡(馬の頭に付ける用具)が皮膚に触れる部分を掻くと
文字通り、鼻を伸ばして喜びます。
最後に、これも当たり前ですが、
一頭ずつ性格が本当に違います。
後ろにつかれるのを嫌がる馬、走り出しで必ずぐずる馬、
のんびり歩く馬、怒られると反抗する馬、
そして初心者に優しい馬。

まずは常歩から

映画やドラマでは、鐙(あぶみ)に足をひっかけ
軽やかに馬にまたがりますが、
実際は指導員が置いてくれる風呂椅子のような台に乗り、
鐙に片足を乗せて、
たてがみとサドルホルダー(鞍の前についている紐)を
一緒に手に持ち、馬にまたがります。
そして、鐙の長さを調整し、
腹帯(はらおび。鞍が動かないように腹に巻く紐)
を締めて、手綱を持って完成です。

それから常歩(なみあし)での
騎乗姿勢と発進・停止の練習です。
お腹を踵の内側で軽く押すと歩き出します。
・・・歩き出すはずです。
歩き出さない馬もいます。
なんとか歩いたとしても、
2~3周歩かせている間に、馬は背にかかる乗り手の、
バランスが悪いと「たいしたことはないな」
と思われた後、馬のペースで練習が進んでいくのです。

馬は前の馬に付いて行くという特徴があります。
これを利用して、部班(ぶはん)と呼ばれる集団練習を行います。
丸い馬場を複数の馬でぐるぐる回るので、
表面上は、自由自在に乗っているように見えます。
ところが、指導員が見ていないと動かない時があります。

「鞭を当ててください」の声に、鞭でそろそろ叩きます。
強く叩くとかわいそうだと思ったり、
馬に嫌われたくないと思ったりするからです。
残念ながら、全く変化はありません。
「遠慮して叩いてもだめです。
何度も叩くことの方がかわいそうです。
一回で決めてください。はい、パチン」
思い切ってパチン。動き出します。
「安心しない。すかさず脚を使って、
馬のお腹を蹴ってください。ドン」
ドン。これがまた、一度くらいじゃ動かない。
何度も蹴って、やけくそになり始めたころ、
ようやく歩き出します。
指導員が別の人を指導していると、
また動かなくなるという繰り返しのまま、
常歩コースが毎度終わります。

馬ってのは、下手な人の合図では動かないんだな、
と思っていました。
そうしたら、常歩コースでは、
わざと合図に反応しにくい馬を選んであると言われました。
「初心者は合図がめちゃめちゃなので、
敏感な馬だと、どの合図が本当かわからず混乱します。
ここでは、はっきりした合図を送る練習をしましょう」
自分の力不足を馬のせいにしていました。ごめんなさい。

軽速歩で大忙し

発進が上手くできるようになると、大きな馬場に移って、
初心者最初の関門『軽速歩(けいはやあし)』の練習です。
これは、速歩で走る馬の背中の揺れに合わせ、
一歩おきにお尻を浮かす・座るを繰り返す乗り方です。
かっこよく立ったり座ったりしているつもりなのですが、
「前傾してますよ」「膝から下をバタバタしない」
「手綱に頼らない」「馬を見ないで前を見る」
「座るときドスンとならない」などなど、
どこを直せばいいのやら状態です。

そんな軽速歩にも慣れた頃、
突然言われた「手前を合わせましょうね」
てまえって何?お茶のおてまえ?
手前合わせとは、左回りの場合、
右前肢(みぎまえあし)が上がった時にお尻をあげて、
下りる時に座るように、立ち座りを調節することです。
どっちの肢が出ているか分からず、
馬の肩あたりを見おろすと、
「前を向いて~」と言われるので、
未だに勘で合わせている始末(これは内緒)です。

季節は廻り夏は来ぬの頃となっていました。
夏と言えばハエ。
馬のお腹と言わず足と言わずあちこちにたかります。
ハエを気にする度合いもそれぞれで、
楽しく歩かせているときも、
突然頭を大きく下げてハエを追い払おうとします。
そのたびに手綱を緩めていたら、
「馬に負けない。手綱はしっかり持って」
と注意されました。
手綱をゆずる人だとわかったら、
馬は、何度も頭を下げ続けるのです。
またしても馬に軽く見られていることを実感します。
手綱は拳を通しての扶助であり、
銜(はみ。馬に加えさせる金属等の棒)を通して、
乗り手の意思を伝えるものです。
『羽目を外す』は、この銜を外すが起源で、
銜をしっかり付けていないと、
馬が野放しになってしまうのですね。

正反動で、お尻がひりひり

軽速歩がなんとか恰好がつくようになると、
「じゃあ、座ったまま速足しましょう」と言われました。
これが『正反動(せいはんどう)』と呼ばれる第二の関門です。
大きく上下に揺れる馬の背中に乗りっぱなしなので、
お尻が跳ねること跳ねること。
揺れを随伴(ずいはん。馬の動きと腰の動きを合わせること)
で吸収するという高度テクニックが必要です。
何度も跳ね上げられ鞍に打ち付けられて、
お尻がすりむけそうなほど痛くなりました。
騎乗が終わると、
産まれたての小鹿みたいな歩き方になっています。

でも、上手く乗れる日もあるんです。
それは上達したというより、
上下の揺れの少ない馬に乗ったときです。
つまり、馬に左右される日々が続いているのです。
このころから長鞭(ちょうべん)を持つようになり、
またもや「鞭は懲罰じゃなくて、集中を高めるもの
だから叩いた後はすぐに脚の合図を送って」と言われます。
鞭は最高で最後の手段でもあります。

うちの乗馬クラブは広い敷地が三区画に分かれていて、
一番広い馬場が埒(らち。柵のこと。らちが開かないとは、
「柵が開かないと馬が出られず先に進めない」が語源です)
で普段は6つ位に仕切られています。

軽速歩や速歩練習用のサークルの隣には、
小さなサークルがあり、
指導員が真ん中に立って、
調馬索(ちょうばさく。馬に付ける綱)の端を持って
馬をぐるぐる回しています。
馬は結構なスピードで駆けているように見え、
上に乗っている人は落ちないように必死です。
これが、次の段階『駈歩(かけあし)』です。

さっそうと駈足したい

駈歩は、馬の4つの脚が空中に浮く瞬間のある
ダイナミックな走りです。
駈足が更に速くなった襲歩(しゅうほ)とは、
『暴れん坊将軍』で松平健が
波打ち際を駆け抜けるあれですよ。
どれだけの初心者が『暴れん坊将軍』をめざして
練習にはげんでいることか。
早く駈足をしたい、とはやる心とは裏腹に、
小鹿になって帰る日々が続きました。

ようやく、駈足に行っていいよと言われ、
ドキドキしつつ駈足馬場へ。
隣で見ていたのと自分が乗っているのでは大違い。
傍目で見るよりずっと速く感じ、
明らかに速歩とはリズムも速さも違い、
もう、振り落とされそうです。
必死でサドルホルダーにつかまって、
腕まで筋肉痛になりました。

駈足コースは4頭が一組で行われ、
指導員が一頭ずつ調馬索を使って回してくれます。
残りの三頭は、待機馬場と呼ばれる丸い馬場で
常歩をしながら順番を待ちます。
普段は、ここにも指導員がいるのですが、
時々誰もいないときがあります。
この時馬の本心が分かります。
全く歩かなくなるのです。
どんなに蹴っても鞭で叩いても一歩も進みません。
馬を交代させにインストラクターが来たときのみ、
連れて行かれまいと、あわてて動き出します。
そして、駈足レッスンを終えた馬は
再び待機馬場でのんびりします。
今から何をするのか、レッスンが終わったのか、
きちんと理解しているようです。

センスのいい人は数回で駈足ができるようになります。
言い訳の内容が思いつかないほど、下手の横好きな私は、
3拍子と言われる駈足のリズムが一向に掴めませんでした。
「いつかはできる日も来るさ」と、
自分のペースでのんびり通っていたはずなのですが、
心の底では、悔しかったのでしょう。
忙しいのを理由に乗馬クラブから足が遠のきました。
行かなくなるとどうでもよくなってくるものです。

数か月が立った頃、
魔法の言葉「せっかく続けたのにもったいない。
今までのことが無駄になる」が心に浮かびました。
これが株かなんかだったら損切りできなくて、
大損する人になるのでしょうが、
馬にも会いたくなり、久しぶりに出かけてみました。
本日のパートナーは、
数えきれないほど乗って、
お世話になっていた馬『あんず』でした。
するとどうでしょう。
あれだけこわばっていた手や体から力が抜け、
気持よく乗ることができました。
そういえば、テニスをやっていたとき、
しばらくぶりだと、新しい気持ちで集中でき、
ボールがよく見えることがありました。
これと同じなのかと、ちょっぴり浮かれました。

レッスンの最後に「馬をよく褒めてください」
といつも言われます。
馬が合図に従わず、あまり走ってくれなかったときなど
おざなりに、ポンポンと首筋を叩いたりしていました。
でも、よく考えたら、馬が悪いのではなく
きちんと支持が出せなかった自分が未熟なんです。
私が馬の善し悪しを図っているのと同じように、
馬も乗り手の力量を図っているのです。
曖昧ではない指示をはっきり与えなければなりません。
「走ってね」でもなく「走れよ」でもなく「走りなさい」
最初は、踵の内側で、
次に、拍車で。
それでも従わないなら、鞭で。
自分がリーダーだときちんと示すことが
馬から信頼を得られ、
安全に乗馬ができることに繋がるのだと気づきました。

首筋をポンポンと叩き、
ついでに首筋を掻いてあげると
「上達したね」とでも言うように目をつぶりました。
あんずとは馬が合いそうです。