もくじ
第0回アフリカの日本語学校 2016-06-02-Thu

1979年6月22日生まれ。
富山県出身
20歳の時に、バスの隣席が偶然
ベナン共和国出身で、当時上智大学留学生の
ゾマホンさん(現:駐日ベナン共和国全権大使)
だった。
目的地までの数分間の会話がきっかけで、
大学卒業後、就職先をすべて断り、ゾマホンさんと共に
ベナンと日本のために活動することを決意。

2003年、現地に「たけし日本語学校」を
開校し、西アフリカでは初となる日本語と日本文化を学べる
拠点を作った。また今日までも継続的に学校運営を行う。

また、日本語学校以外に、留学生の招致、
小学校6校建設、井戸掘り20本等、
16年間、ゾマホンさんとともに活動を続ける。

ただ、この活動は収益が出る活動が生まれるまで
ボランティアで行っており、
現在は株式会社グラフィコの人事として
仕事をしながら活動を続けている。

NPO法人IFE(イフェ)代表理事
※IFEとはベナンの言葉で「愛、分かち合う」の意味

私の好きなもの
アフリカの日本語学校

担当・山道昌幸

「日本に行くより、天国に行きやすい。」
年収7万円程度の国の若者たちは
どんなに日本に行きたくても行けませんでした。
そこで13年前に、ぼくはゾマホンさんという人と2人で
アフリカの小さな国で日本語学校をつくり、
日本に行ける道づくりをはじめました。

アフリカの日本語学校

ここは西アフリカ、ベナン共和国という
アフリカ大陸の中でも小さな国です。
近隣諸国にはナイジェリアやガーナなどがあります。
日本から乗り継ぎも含め24時間程度かかる国で、
ギニア湾から吹き込む潮のかおりが
あたりをつつみます。

空港から車で走ること15分、
そこに日本語が学べる小さな学校があります。
その日本語学校の名前は「たけし日本語学校」といいます。

私の好きなもの、それはいまから13年前に自分が
つくったこの「たけし日本語学校」です。

学校を訪れる前に、ベナンの街をちょっと歩いてみます。
学校があるコトヌーという街は
車やバイクのクラクションの音、
そして大音量で流れくる
アフリカンミュージックと、
それにあわせた軽快なDJの声が街の活気をつくります。
若者たちは「ボンバ」とよばれる
それはカラフルな民族衣装を
身にまとい、軽い足取りで歩いています。

そんな街をキョロキョロ見渡すと
日本の「モノ」がいたるところでみられます。
30年くらい前の日本製の車やバイクはたくさんみます。

日本では環境にやさしいエコカーが流行っている
ようですが、そのために下取りに出された
車たちは、アフリカ大陸で排気ガスを大量に
出して存在感をアピールしています。
まるでその走りっぷりは
「まだまだ若いものには負けん」と言わんばかりです。
そして大音量を出しているスピーカーも
多くは日本製です。

街には日本の「モノ」はありますが
日本の「ヒト」はなかなか見かけません。
なのでベナンの人たちにとって日本は
摩訶不思議な国なのです。

世界地図の一番右端の小さな国が
自分たちの生活で使うモノの多くを作っています。
あんな小さな国で、なんでこんな沢山のモノを作れるんだろう。
しかもその国の「ヒト」は見たことがない。

一体、彼らは何者なんだろう。
一体、彼らはどんな姿で、どんな生活をし、
一体、どんなものを食べて生きているんだろう・・・・

「見てみたい、日本の人を」
「行ってみたい、日本という国へ」

「たけし日本語学校」はそんなベナンの人たちの
想いからつくったアフリカでは唯一、
誰もが無料で日本を味わえる学校です。

日本語学校をつくった当時、ぼくは23才でした。
お金などあるはずがありません。
一緒につくったベナン人のゾマホンさんも、
留学生だったので、お金がありませんでした。
なけなしのお金でつくった小さな学校です。
広さは大人が30人くらい入れるほどです。

学校といえば黒板は必需品です。
この学校の黒板はというと、鉄板に黒いペンキを塗っただけです。
ただこれだけで学校らしくなり、威風堂々です。

机は職人さんに作ってもらいましたが、コンクリートの床が
すこし凸凹なので、机もいい具合で揺れます。
電気は取り付けましたが、雨が降ると停電になるので、
点くと感動すら覚えます。

隣近所は長屋ですので、授業の途中に
時々長屋のお母さんが子どもを叱る声と、
子どもの泣き声が聞こえます。
きっといたずらでもしたのでしょう。
生徒たちも時々気にします。

スコールがくると大変です。
屋根がトタンですから、
あっという間に先生の声がかき消されます。
生徒たちは、先生の顔の前まで行って
耳を傾けます。
熱心な姿ですが、滑稽にも見えます。

夕方になります。
授業もいったん終了です。
周囲の長屋からは夕飯の匂いが漂ってきます。
トマトやオクラ、ピーナッツベースのソースを
芋やトウモロコシの粉をねった餅のようなものに
かけて食べるのが主流で、
「あっ、今日のお隣さんはピーナッツベースだな」
なんて、他愛もないことを考えて、夕涼みをします。

夜になると、仕事を終えた人たちが
日本語を勉強しにきます。
停電の時はロウソクの火だけで授業をします。

教える方も真剣、学ぶ方も真剣。
そのどこか張り詰めた「学ぶ空気」がぼくはとっても
好きです。

朝になります。
ベナン人の朝は早く、5時にもなると玄関をホウキで
掃く音で目覚めます。
朝、温かいお茶を飲み、
頬っぺたが落ちるような甘いパイナップルを頬張り、
教室にむかいます。

そして澄み渡る青空の中、
日本ではまだ夜の静寂に包まれている時間に
ベナンの若者たちの日本語が響きます。

けっして立派な教室ではありませんが、
そこに集まる若者たちのはずむ声と
日本人の先生を真剣に見る眼差しが
「学校っていいな」と純粋に思わせます。
つくってよかったな。そう思います。

13年経ったいま、つくった当初からは
だいぶかわりました。

「日本に行くより天国に行きやすい」と言われた
13年前。いまではこの学校から日本に50名以上が留学し、
6年前にはベナンに日本大使館もできました。

今後、彼らは日本とベナンの架け橋となって
両国が本当の意味での対等な関係に
なれるように頑張ってくれるでしょう。

まさにそれは、かつての日本が世界に留学生を
送り出したのと同じように...

ぼくは自分の手でつくったこの
アフリカの小さな日本語学校が本当に好きです。

最後までお読み下さりありがとうございました。
この夏、ぜひベナンの日本語学校を訪れてください。
お待ちしております。