もくじ
第1回写真を翻訳するということ。 2016-06-28-Tue
第2回読み込むことで広がる物語。 2016-06-28-Tue
第3回写真集という地図の中で。 2016-06-28-Tue

写真雑誌「PHaT PHOTO」、フリーマガジン「Have a nice PHOTO!」編集部。日本最大級の参加型写真展「御苗場」や、2015年からはじまった「東京国際写真祭」など、写真のイベントにも関わっています。

写真の声を、聞く仕事。

東京・恵比寿駅から歩いて10分。
5000冊以上の写真集が見れる食堂があります。
この「写真集食堂 めぐたま」にある全ての写真集は、
写真評論家の飯沢耕太郎さんたったひとりの持ち物。
棚にびっしり並んだ写真集をながめていると、
「なぜそこまで写真にのめり込むのか?」
「写真集のどこに魅了されるのか?」という疑問が。
その疑問をそのまま、飯沢さんにぶつけてみました。
写真集から聞こえてくる写真家たちの
「メッセージ(=声)」に、30年以上、
ずっと耳を傾け続けてきた飯沢さんから教わる、
写真の見方、読み方、楽しみ方。
全3回、どうぞお付き合いください。

プロフィール
飯沢耕太郎(いいざわ・こうたろう)さんのプロフィール
写真集食堂 めぐたまさんのプロフィール

第1回 写真を翻訳するということ。

——
写真集の数、すごいですね。
すべて飯沢さんがあつめた写真集なんですよね。
飯沢
そうですね。
——
いま、写真集食堂 めぐたまには、
何冊ぐらい写真集があるんですか?

飯沢
何冊あるんでしょうね(笑)
2014年のオープンのときに
「4500冊」と言っていたのですが、
そのあと「5000冊」と言うようになって。
でも、いまもまだ増えているから
実際にはもっとあると思いますよ。
買ったり、送られたり、年に何百冊と増えていくから。
——
そんなに増えるんですね…。
飯沢
食堂の裏手に自宅と書庫があって、そこにもあります。
でもあと5年くらいできびしいんじゃないかな。
——
すごい(笑) 
飯沢
まあ、おおざっぱですが、
ここには全体の3分の2くらいはあるかな。

——
飯沢さんは、写真集をあつめながら、
もう30年以上も「写真評論家」として
活動されているわけですよね。
飯沢
ぼくがはじめて雑誌で論評の連載を持ったのが
1984年頃だから、そうですね。
——
あらためて、写真評論家ってどんな役割なんでしょう?
飯沢
ぼくがよく言うのは、「翻訳家」ですね。
——
翻訳家、ですか。
飯沢
アートとか写真って、見ただけじゃ
わからないことも多いですからね。
外国語みたいなもので。
——
ああ、なるほど。
飯沢
たとえば、J.D.サリンジャーの
「ライ麦畑でつかまえて」という小説も、
村上春樹が翻訳したものと、
それまでのものとは全然世界観がちがう。
——
ええ。
飯沢
ぼくが村上春樹の翻訳がすばらしいと感じたように、
写真家の仕事をいかに伝えるかで、その写真の
ひろがり方も変わるし、多くの人に伝えることができる。
——
写真の世界にも、翻訳家が必要なんですね。
飯沢
ぼくが大学を卒業したころ、
文学とか美術とか映画とかのジャンルには、
すでに「評論家」と呼ばれる人がいたんです。
アーティストの言葉を翻訳して、
広く伝える人がそれなりにいた。
でも写真の世界には、いなかったわけじゃないけど、
翻訳する人がとくに少なかったんです。
だから、写真の世界において
自分がそういう人になれたらいいなと。

——
それが、飯沢さんにとっての
写真との関わり方だったんですね。
飯沢
そうですね。
——
その、「写真の翻訳がしたい」と思われたということは、
写真の魅力を感じていたからこそですよね。
飯沢
ええ。
——
翻訳家が訳すのだって、
「この文章を日本語で伝えたい!」と思うからでしょうし。
飯沢
写真は、表現の媒体として
とてもおもしろいと思うんです。
「表現」って文学とか美術、演劇、
いろんな分野があると思うんだけど、
写真は独特の魅力がありますよね。
——
それって、たとえばどんなことですか?
飯沢
写真に写るものって、
単純に考えると「現実の世界」ですよね。
でも、写真に写されることで、
「現実そのもの」ではなくなってくる。

——
現実が写っているけど、現実そのものではない。
飯沢
現実が、写真によって「変換」されるんですよね。
たとえば、2人の写真家がおなじ女性を撮ったとする。
できあがりはきっと、ちがうイメージなりますよね。
——
はい。
飯沢
暗い写真もあれば、明るい写真もあるでしょう。
その写真家が「つくりたい世界」や
「伝えたいメッセージ」が入っている。
——
ああ、なるほど。
被写体が好きな子だったら、
かわいく撮りたい、とか。
うつくしく撮りたいと思う人も、
すこしクールに撮る人もいる。
飯沢
そうそう。
だから写真は作家の“メッセージ”が
ちゃんと伝わる媒体だと思っているんです。
そこに写真のおもしろさがある。
——
ただ、「アート」といわれる写真って、
「これっていったい何が写っているの?」と
思っちゃう写真もありますよね。
飯沢
そうですね。
ぱっと見て「きれいでうつくしい風景が写っている」
と理解できる部分と、
もう少し複雑な「変換のシステム」を
わかっていないと理解できない部分がある。

飯沢
写真のことをちゃんと理解するためには、
やっぱりある程度知識が必要なところもあります。
それは、一般的な歴史もふくめて。
——
一般的というのは、だれもが知っているような?
飯沢
わかりやすいたとえを挙げると、
なにげない熊本の景色が写った写真があったとして、
いまと1年前じゃ、見え方が変わる。とかね。
——
はい、はい。わかります。
飯沢
それとおなじように、
写っているものの歴史を知っていたりとか、
カメラやレンズのメカニズムを知っていたりとか。
それを知っているかいないかで、
写っているものの理解の幅が変わると思います。
——
その知識をふまえて、写真を見るんですね。

飯沢
いまだったら、デジタルカメラの仕組みを
知っているかどうかも大切かもしれません。
高精細に写るカメラを使うということは、
それだけ細部まで見せたいということ。
——
それを知っていれば、
「そこに写真家の視点があるかもしれない」と
想像をふくらませることができるんだ。
飯沢
だから、知識や情報を持っていれば、
写真家がどんなふうに世界を解釈して、
どう写そうとしているかを知る手がかりになる。
そうすれば、
作品とコミュニケーションがとれるんですよね。
——
それが評論家。
飯沢
はい。
ぼくらの仕事は、知識や経験をつかって、
写真家が何を伝えようとしているのかを
噛み砕いてわかりやすく伝えること。
表面に写っているものだけじゃなくて
もっといろんなことが込められた媒体なんですよ。
写真って。

<続きます>

第2回 読み込むことで広がる物語。