- ――
- 今日は、どうぞよろしくお願いいたします。
- 村山
- はい、お願いいたします。
- ――
- まだオープンして間もないですが、とてもお忙しそうで・・・
- 村山
- そうですね、全く人手が足りてなくて。
こういうこと言うと怒られちゃいますけど(笑) - ――
- (笑)嬉しい悲鳴ですね。
今日も平日なのに、お客さんがたくさん来てました。 - 村山
- はい、お陰さまで。
この建物を設計されたのが、
藤森照信先生ということもあって。 - ――
- 実はわたしも建築が好きで、
藤森先生の新しい建築が気になって来てたんです。
もう見た目から興奮してしまいました。
中に入って、いろいろと展示を見せていただき、
展示と建物の調和が合っていて、
終始とても楽しませていただきました。 - 村山
- ありがとうございます。
- ――
- そこで一番気になったのは、
スタッフの方がすごく親身にタイルについて、
いろいろ教えてくださったことでした。
皆さんのタイル愛?が、スゴイというか・・・ - 村山
- はい(笑)
- ――
- 4階の展示室で、ボランティアで来ていらっしゃる
安藤さんという方に、
このミュージアムの前身のような施設のお話や、
20年以上も前から活動していた
全国のモザイクタイル収集のお話などたくさん
お聞きしました。 - 村山
- はい、はい。
- ――
- 他にも、事務局長の堀江さんや、館長の各務さん、
ショップや受付のスタッフの方もお話してくれました。
皆さん、ただのスタッフじゃないなって思って聞いてみたら、
モザイクタイルが縁で集まった団体だったんですね。で、皆さんのことやミュージアムの生い立ちが
すごく気になって調べてみたら、
設計者の藤森先生がある建築雑誌の中で、
皆さんと計画を進めていくことが面白かったと言っていて。
形や素材なんかも、みんな面白がって、
一生懸命やってくれるので上手くいったし、
違和感なくしっくりきたことで、
この建物の形が、ほほえましく思えると。 - 村山
- 藤森先生は、建物の中にこの地域の特徴を
入れていきたいっていう思いがすごくありました。
例えばこの山の形にしても、
採土場というタイルの原料の山がモチーフで。
正面の土壁風になっているところには、
地元の産業で作られている茶碗とかが埋め込まれています。 - ――
- 確かにそうでしたね。
- 村山
- 実はここは、タイルの町になる前は茶碗の町だったので、
先生が今でも茶碗を作っている町の業者さんのところに
直接行って、茶碗をもらってきたりとかして(笑) - ――
- あー、そうだったんですね(笑)
- 村山
- はい、地元の人たちにも関わらせるというか。
タイルにしてもそうで、4階にあるタイルのカーテンと
呼んでいる展示があるんですが、あれも町の人たちと一緒に
接着剤でタイルをつける作業をしました。
外にある公衆トイレも、元々あった建物ですが、
藤森先生がみんなで白いタイル貼りたいって言って(笑) - ――
- それで、人を集めて貼ったんですね(笑)
- 村山
- 藤森先生が楽しんでらっしゃるのが
すごく伝わってきましたね。
建物って、愛されるためには、
周りの人が関わるのがいいんだって、
先生がどこかの本に書いてたと思うんですけど・・・
使う人自身が関わるのがいいんだって。
実際に自分の住宅を建てる時にも、
ちょっと関われるとより大事にするとか、
そういうことなのかなと思いました(笑)
その辺は、私たちもすごく面白かったです。 - ――
- 村山さんをはじめ、皆さんが在籍している
「一般財団法人たじみ・笠原タイル館」は、
その時には既にあったんですか? - 村山
- はい。わたし自身は、この事業にちゃんと参加したのは、
2年半くらい前ですね。元々は、別の美術館の学芸員でした。 - ――
- そうなんですね。
どういう経緯で一緒にやることになったんですか? - 村山
- わたしが2009年に元いた美術館で、
笠原町の地元の有志たちが長年収集してきた
タイル資料を紹介するという、
タイルの展覧会をやらせてもらったんですね。
その時に今の館長たちにお世話になりまして。 - ――
- その時から?
- 村山
- いえ、そこからしばらくして、
いよいよミュージアムを建てるというのが決まった時に、
声をかけていただきました。
でも、当初は財団法人の運営も大変だったので、
まずは多治見市の臨時職員として、
オープンまでの2年間準備作業として、プレイベントや
事前の展示準備をしてきたという流れですね。 - ――
- そうなんですね。
プレイベントでは、これからできる建物や
モザイクタイルのことを展示したんですか? - 村山
- ええっとですね、プレイベントの展示は大きく分けて
3回やったんです。
一つは、藤森先生が赤瀬川原平さんや、
南伸坊さんたちとともに路上観察会という活動をされていて、昔、多治見市でも行われていたので、
その痕跡をアーティストの方とたどって、
町中のタイルを探すという企画をしたんです。 - ――
- それはとっても面白そうな企画ですね!
- 村山
- はい。
そのアーティストの方も、
タイルの研究をされていて論文も出されつつ、
創作活動の中でもタイルを作っているような方で、
路上のタイルにもとても詳しかったので、
その企画の展示は、非常に大きな成果のあるものになったと
思います。 - ――
- その展示には、タイルが好きで来られた方と、
藤森先生の企画だってことで来られた方と
いろいろいらっしゃったんですか? - 村山
- そうですね。
藤森先生ってことで来られた方もたくさんいました。このプレイベントは、ミュージアムの今後の活動の
道筋というか、方向性を作るためのイベントでもありました。
一つ目の展示は、藤森先生とタイルのこと。
次の展示では、モザイクタイルを美濃焼ミュージアムという
美術館施設の中の一室を借りてきちんと紹介しました。
3つ目は、東京の方を拠点にしているアーティストの方々と、
地元のタイルメーカーさんが一緒にものを作るという
企画をしました。
そのアーティストの方たちは、
たまに河原とか海とかに陶磁器のかけらが落ちてる事が
あるんですけど、それを拾って、
そこから模様を構成しなおして新たなパターンを作る
っていう活動をしていて、普段は布とか紙とかに印刷して、展示しています。
今回は、そのかけらのパターンをタイルに印刷して焼成し、
それを割るとまたかけらになって・・・
ということが永遠に続くみたいな、
そんな展示をやりたいということだったので、ぜひと。 - ――
- 万華鏡のような。走馬灯のような(笑)
- 村山
- そうですね(笑)
今、そのタイルが製品化されて、ショップにあります。
さっき言ったように、このミュージアムの方向性として、
藤森先生が作った建物があって、モザイクタイルがあって、
そしてこの地域のタイル業界がある。
学芸員として考えていた内容の、
この3つそれぞれにコミットするような展示を
順番にプレイベントでやりました。 - ――
- すごくいい流れで行われたのですね。
ちなみに、展示はどちらでされたんですか? - 村山
- 当時は、まだ箱がないというか、
ミュージアムとしての場がないので、
まなびパークたじみのオープンギャラリーや
多治見市美濃焼ミュージアムの小さい部屋を
使わせてもらいました。
市としてのPRも兼ねてってことで、
融通して貸してもらえたので。 - ――
- なるほど。地元周辺のPRも大切ですよね。
- 村山
- はい。まぁ、本音言うと、
いろんなところでPRをする必要もあるんですけど、
財源も限られていたので、他に街に出ていくまでの費用は
あまりなくて。
ちょうどその頃、ありがたいことに
モザイクタイルミュージアムができるというのを聞いて
ぜひ関わりたいという方が財団の事業として
各地でPRをされることになって。 - ――
- それでできたのが、この資料ですね。
- 村山
- はい。おかげで、わたしはまずは地元の方が
新しいミュージアムを愛してくださることが
一番大事だろうと思っていたので、
地元に向けてのPRをメインにさせていただきました。
市民に向けて、ミュージアムができるのを楽しみに
してもらえるような企画をやってきたいと。
その中で、インターネットで応援サイトというのを
作って、FBも開設したのですが、
比較的そういうのを見られて、県外から来られる方が
いらっしゃるっていうことがわかりまして。
最初に行った藤森先生とタイルの企画は、
アンケートを取った結果、
県外の方が半分以上を占めていたので。 - ――
- それは予想外だったんですね。
- 村山
- はい。
県外から相当数の方が来られてたのは、
まなびパークたじみの人も今までにないことだとおっしゃっていて。 - ――
- 思った以上の反響があったと。
それは何かが起こりそうな予感がしますね。
(つづきます)