- ふーみー
- 「何もしなければ」もうすぐなくなってしまう言語の復興
っていうプロジェクトは、どうやってはじめたの?
最初はことばそのもののことばっかり研究してたんだよね。 - まーさー
- ことばの研究は、
2005年に日本のICUっていう大学を卒業して、
アメリカの大学院で理論言語学を研究してたのが始まり。
人間はなんでしゃべれるのか、を説明する理論を作ってた。 - ゆりえー
- 理論を作ってた。
- まーさー
- 大学院を2010年に卒業して、
文科省のお金で3年間自由に研究できる
っていう身分になったときに、
何か新しいことを始めようと思った。
それで、フィールドに出て行って、
全然知らない言語を一から記述する
っていうのを始めたんだ。 - ふーみー
- それで与那国島に。
- まーさー
- いや、最初はお世話になってた先生についてって、
宮古島に行くはずだったんだけど、
同僚が与那国島に行くよって言うから、
あんまり何も考えずにほいほいついてった。 - ゆりえー
- ほいほいついてっちゃったんだ。
- まーさー
- そう、最初の2年くらいはその同僚と、
与那国のことばの文法書書こうぜって言って、
一緒に通ってたんだけどね。
その同僚がフランス人で、フランス帰っちゃって。 - ふーみー
- え、急に?
- まーさー
- いや、フランスで就職が決まって。
- ふーみー
- へー。
- まーさー
- それで、僕が一人でやることになったんだ。
最初そんなつもりなかったんだけど。
それからだんだん島の人と仲良くなって、
一緒に何かやろうかって、
それで消滅危機言語の復興っていうのを、
始めることになったんだ。 - ふーみー
- この辺はずっと与那国在住…。
- まーさー
- その頃はね、一か月与那国にいて、
三か月くらい内地帰ってきて、学会行ったりとかして。
あ、2011年はね、アメリカに住んでたわ。
理論言語学で、学生の頃にやり残したことを…。 - ふーみー
- え、そうなの?
- まーさー
- ニュージャージーに半年、シカゴに半年。
そのときもアメリカから与那国に通ってたよ。 - ふーみー
- またアメリカに住んでたんだ。
んー、私たちもそうだけど、すごい移動っぷりだね。 - まーさー
- で、文科省の研究者の身分が
3年で終わっちゃうときに、
その…焼き鳥屋で、広島大学の…。 - ふーみー
- 就職が。
たまたま隣に座った人が広島大学の先生だったの? - まーさー
- いや、研究会の懇親会みたいなところで、
「僕、来年無職なんです」「じゃ4月から来てください」
みたいな感じでお仕事作ってくださって。 - ふーみー
- ふんふんふん。
- まーさー
- その次の年、2014年に京大で就職が見つかって来たときに、
科研費の助成金に応募できるようになったから、
島の人たちと一緒にやる消滅危機言語のこと、
ちゃんと研究にしようって思ってね。
ちょっとやりはじめたくらいだったかな。 - ふーみー
- ふーん。
- まーさー
- ほとんど誰も何にもやってないことだったから、
けっこうやれることが多くてさ、考えながらだけど。 - ふーみー
- 難しいことだけどチャンス、みたいな。
- まーさー
- そうそう。100個やって、90個くらい失敗して、
1個くらいうまくいくっていうのを繰り返してる感じかな。 - ふーみー
- ふんふん。
- まーさー
- 今みたいなプロジェクトのかたちは、
GK京都でデザイナーやってるなぐなぐと話したことからだ。
一緒にごはん食べたときに、
最近こういうことやってんだっていう話をして、
なんとなく誘ったんだよね「与那国行かない?」って。 - ふーみー
- なんで与那国に誘ったの?
- まーさー
- 論文書いてもさ、そんなもんみんな読まないから。
ふつうの人でもおもしろいようなことをやりたいんだよね、
みたいなことを言ったんだな。
で、なぐなぐが考えてくれて、
GK京都に何回か相談しに行ったんだ。
それでいろんな人が、
入れかわり立ちかわり話を聞いてくれて。 - ふーみー
- うんうん。
- まーさー
- それで最終的に、なぐなぐとはまーが
一緒に与那国行くことになって、
とにかく島の人たちと話そう
って二人が提案してくれたんだよね。 - ゆりえー
- コミュニケーションは大切。
- まーさー
- 僕もデザインのこととかまったく知らなかったから、
ワークショップやってデザインの話してよって頼んだ。
で、そのあとに懇親会やって、
島の人と食べたり飲んだりしようって。 - ふーみー
- 飲んだり食べたり、それは楽しそう。
- まーさー
- 人がいっぱい来てくれるように…
じゃあ、来てくれた人と一緒にバッジ作ろうって、
なぐなぐとはまーが。 - ふーみー
- うんうんうん。
- まーさー
- 与那国のことばでバッジ作ったらおもしろいじゃんって。
で、ただバッジ作るだけだともったいないから、
じゃあそれに、ことばのこと書いたリーフレットみたいな
ふろくつけようって言って、僕がそれを作った。
あれが最初だな、ちょっとしたことばの解説と、
おもしろいものをセットにするっていうの。
- ふーみー
- ふんふんふんふん。
- まーさー
- ワークショップもことばの解説付きバッジも、
島の人たち楽しそうにしてたからさ、
あ、これいけるかもって思ったんだな。 - ふーみー
- ふんふんふんふん。
- まーさー
- そのあと2015年にハワイであった学会で、
とくちゃんも、島の人と一緒にやる言語の復興
やりたいわって言ってたんだ。 - ゆりえー
- そこでことばチームの仲間が。
- まーさー
- そうそう。具体的になんかやろうかっていうときに、
とくちゃんのフィールドの沖永良部島に、
島のことばで物語を書いてる人がいるから、
そのお話を絵本みたいな形にしようってことになったんだ。 - ふーみー
- ふんふんふんふん。
- ゆりえー
- その沖永良部の絵本のデザイナーで、あたしが入ったんだね。
- まーさー
- 僕らが始める前に、
僕が最初に京大に来た時のホストの先生が、
宮古島のことばで絵本をつくってたんだよね。 - ゆりえー
- そうそう。
あたしが働いてるコンテンツ作成室の共同研究で。 - まーさー
- 宮古島の幼稚園の先生の創作物語で、
僕らの沖永良部のケースと似てるから、
真似してみたら、
もっといいものがつくれるんじゃないかって。
それで僕らも共同研究に採択されて、
ゆりえーがデザイナーやることになったんだよね。 - ふーみー
- なるほどー。
- まーさー
- で、琉球の島の消滅危機言語の話なんかをしてたら、
山本史さんていう人が竹富島の「星砂の話」
っていう民話の絵を描いていると…。 - ふーみー
- あ、私ここで出てきた。
- まーさー
- おもしろい人らしいというのを…。
- ゆりえー
- ふーみーに会ったのは、安心のデザインっていう、
病院のデザインをしているプロジェクトがあってね。
私も同じようなことをやりたいって思ってたから、
そのプロジェクトのセミナーに参加したんだけど、
それで、からだの学校っていう、
福島でやってるプロジェクトの絵を
ふーみーが描いていててね。 - まーさー
- それはふーみーが仕事でやってたの?
- ふーみー
- そう、京大と京都芸大の共同のプロジェクトで。
- まーさー
- あー、なるほどー。
- ふーみー
- 京大の医療域学の先生とかスタッフの人が、
福島でアプリケーションとか、ノートとかをつくって、
それで健康管理ができるようなプロジェクト。 - まーさー
- 絵はなんで?あ、京都芸大で非常勤やってたから?
- ふーみー
- そう、ビジュアルのデザインの担当で、
私の先生と一緒にキャラクターデザインとか、
イラストをそこで描いてた。 - まーさー
- ふむふむ。
- ふーみー
- その先生から、
琉球の民話の絵本とか描いてるんだったら、
京大にこういう人たちがいるよ、
みたいな感じで紹介されて。 - まーさー
- あー、宮古の絵本のことを聞いてたわけね。
- ふーみー
- そう、それで会ってみたいなーって思ってたら、
その安心のデザインのセミナーで会えた。
それで、まーさーがシフォンケーキ焼くから
食べにおいでって言われて、会いに行って、
そこから「言語復興の港」が…。 - まーさー
- そう、桟橋と火を焚く灯台くらいはこの辺で。
- ふーみー
- (笑)いいよ、港っていい名前だね。
- ゆりえー
- いいよね。
- ふーみー
- どうやって決めたの?よし、どんどん逆インタビューしよう。
- ゆりえー
- なんで港にしたの?
- まーさー
- いやいや(笑)。
最初は助成金の申請書を書くときに、
「研究プラットフォーム」って言ってたんだよ。 - ふーみー
- ふんふん、駅のプラットフォーム。
- まーさー
- 人とか、ものとか、
やり方とか考え方とかが集まるところっていう意味で。
それをしばらく使ってたけど、
そういえば琉球の島をしばらくフィールドにするのに、
あそこ、今は鉄道って沖縄のゆいレールしか走ってないさ、
プラットフォームとかないさって。 - ふーみー
- だったら、港だろうって。
いいやんねー。 - ゆりえー
- いい、いい。
- まーさー
- で、しばらくいろいろ港のことを考えてさ、
人が集まって、同じ船に乗る仲間になって、
新しいところに出発してとか、
持ち帰ったものを他の船が利用するとか、
嵐のときは港の中で力をつけられる、とか、
このプロジェクトの姿にしっくりきたんだな。 - ふみゆり
- ぴったりだねー。