「いただきます」を言うことは、家族にとっての日常だと思う。
ぼくの父は、福島県南相馬市の出身だ。
3人兄弟の次男だ。
実家は、福島第一原子力発電所から10kmを
少し外れたところにある。
海辺の町で農家をやっていた。
父は、東京の大学に進学した。
そのまま、東京に住み続け、結婚をした。
今、ぼくたちの家族は、神奈川県に住んでいる。
お盆休みや年末年始には、
南相馬市にある父の実家に家族揃って行っていた。
実家に到着すると、父の兄弟や親戚の方々が迎えてくれた。
家の前ではとても大きな田んぼが広がっていた。
秋には小麦色に輝いて、とてもキラキラとした景色だった。
実家から海まではまっすぐな道で繋がっていた。
太平洋から登る初日の出を眺めたこともあった。
夜は満天の星空が広がって、
近くの川にはホタルが飛んでいた。
自然に恵まれた、いい場所だった。
南相馬市と浪江町の県境には
「ナミエボウル」というボウリング場があった。
幼い頃のわたしはボウリングが好きで、
帰省中でのんびりしたい両親に「行きたい!行きたい!」と
駄々をこねて両親を困らせていたそうだ。
覚えてないや。
海沿いの街なので実家の近くには海水浴場があった。
幼いころのわたしは泳ぐのも好きで、
帰省中でのんびりしたい両親に「泳ぎたい!泳ぎたい!」と
駄々をこねて両親を困らせていたそうだ。
覚えてないや。
夕食の時間になると、父親の家族とわたしたちの家族、
親戚の方々が集まって食卓を囲んだ。
食卓には、父親の家族が育てたお米が並べられていた。
福島のお米は、甘くて、つやがあって、とってもおいしい。
炊きたてもおいしいのだが、
おにぎりにして冷めてしまったお米でも、おいしい。
とにかく、おいしかった。
そして、父の家族はもち米も育てていた。
ぼくはお餅がとっても好きだった。
まず、餅米をこねられているのを見るのが好きだった。
お餅作りマシンにもち米を入れると、
ぐるんぐるんともち米が回転をして、練られていく。
粒だったものが、大きな塊になっていく。
家族がわいわいと盛り上がっているときに、
ぼくはひたすらそれを眺めていたようだ。
そして、出来上がった餅をいろいろな種類で食べた。
あんこにつけたり、
砂糖醤油につけたり、
海苔に包んだり。
その中でも、ぼくは、きなこ餅が好きだった。
ぼくの目の前には、何も言わずとも、
おばあちゃんがきなこ餅を置くようになった。
きなこが何で作られているのか、
きなこがどういった食品なのか、
詳しくは未だに知らないけれど、
今でもきなこは好きだ。
父の家族は血筋なのか、とてもお酒が好きで、強い。
びっくりするほどガブガブと、飲む。
子どもの頃はよくわからかったが、今思えば異常なペースだった。
焼酎お湯割りを「それって水じゃないの?」と
思うぐらいのペースで、飲む。
そして、完全に酔っ払った人たちが囲む我が家の食卓は、
笑いが耐えない、たのしい空間になっていた。
こんな、よくありそうな家族での日常を
お盆休みや年末年始に過ごしていた。
そして、2011年を迎えることになった。
(つづきます)