まずインタビューをしたのは、上司だったAさんです。
私が入社するときの、採用面接官でもありました。
現在Aさんは転職し、副社長という立場で会社を率いています。
Skypeを通して久しぶりにAさんと会った私は、「偉い人なんだなぁ」と少し緊張しました。
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今日はよろしくお願いします。
Aさんの仕事観について、お話を聞きたいです。
さっそくですが、Aさんは新卒で広告代理店へ入社したあと、
転職ごとにマネジメントの経験を重ねてきています。
- Aさん
- そうだね。
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部下の頃から思っていましたが、
Aさんはこうありたいという意志が強くて、
それを着実に叶えていくパワーを持っていますよね。
そのモチベーションはどこからくるのですか。
- Aさん
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自分というものは何なのかとゼロへ立ち戻ったときに、
生まれ育った環境があるんだよね。
親父はオイルショックのときに就職をした世代。
いい就職先というのは商社とか繊維の会社だった。
そんな中で、
親父は新興メディアであるテレビ局で働いていたんだ。
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その頃、みんなが接しているメディアといえば、
新聞やラジオですよね。
- Aさん
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当時のテレビ局は
今でいうところのベンチャー企業みたいなもので、
得体が知れなかったんだよね。
でも俺たちが就職する頃になると、
すごい力を持ったメディアに成長した。
つまり俺は子供のときから、
メディアマンと一緒に生活していたわけだ。
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- 生まれながらにして、メディアっ子だった。
- Aさん
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そういうやつ、なかなかいないでしょ?
とんでもないアドバンテージだと思ったの。
キワモノになるかもしれないけど、価値はあるというか。
それがオリジナリティの追求なんだけど、
これからの時代はそれが大事なんじゃないかな。
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インターネットのメディアに
興味を持ったきっかけはなんですか?
- Aさん
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親父の活躍をそばで見ていると、
俺の世代にとってこれから影響力を持ち始めるメディアって
なんだろうって考えるよね。
それが、インターネットだって思ったのよ。
テレビに比べて規模は小さかったけれど、
周りを見ていたらネットの普及を肌で感じたんだよ。
パソコンを使い、携帯を持ち始めている。
いつかネットの広告が主体になってくるだろうなって。
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広告代理店に勤めたままで、
インターネットの仕事をすることは考えなかったのですか?
- Aさん
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「英語を勉強するんだったら、留学しちゃえ」みたいな感覚で、
ネットのビジネスを学べるところに転職したんだよ。
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その大胆な決断、とてもAさんらしいです。
一緒に仕事をしていたときの、
楽しかったことを思い出します。
- Aさん
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人生観として、
実はそんなに働ける時間がないというのがあるんだよね。
定年を60才とすると、サラリーマンとしては40年しか働けない。
ウチの家系は短命らしくって。
みんな太く短く生きる、そういう感じなのよ。
ちょっと生き急いでいるみたいなのはある。
やれるんじゃないか、やってみたいという後悔を
残したくないんだよね。
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いま悩みがあって。
Aさんの部下だった頃の経験を、
仕事に生かせていない気がするんです。
- Aさん
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あなたの場合は、今の仕事と
これまでの仕事のつながりを考えてみてはどうかな。
一緒にいた職場のときは、
具体的に何かを得たというのではなくて、
基礎を築いたのかもしれないね。
外資流儀を学んだ、企画書の書き方を覚えた、
ビジネスを学んだとも言える。
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私の仕事って
インターネット業界という大きな軸は通っているのですが、
広告営業に制作進行、ディレクターやライターと
やってきたことがバラバラに見えますね。
- Aさん
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これから
「どうやっていきたいか」という目的があるといいと思う。
もちろん、そこへ向けてまっすぐ進むのではなくて、
その間に方向転換があっても構わないよ。
自分がどうありたいかということを、しっかり考えて実行する。
会社で仕事をしているとき、私は広い視野を持って
「こうなりたい」という目標がありませんでした。
しかし「これからどうしたいのか」というのも、
ハッキリと浮かびません。
なぜなら、
親として、働く人として、ひとりの人として
やりたいこと、やらなければならないことが
たくさんあるからです。
(悩みは続きます)