ザ・ブルーハーツの『リンダ リンダ』をかけながら
田中さんの登場を待つ糸井…
- ♪
- (どぶねーずみ みたいに 美しくなりーたい)
- 糸井
- ‥‥あれ?来ないね(笑)。
- ♪
- (写真には 写らない 美しさがあーるーかーらー)
- 糸井
- 間が悪いなぁ‥‥。
- ♪
- (リンダ リンダー!!)
- 田中
- (踊りながら部屋に入ってくる)
- 一同
- (爆笑)
- 糸井
- あぁ、よかった(笑)。
- 田中
-
よろしくおねがいします。
あの、これ、
モンドセレクションを2年連続で受賞した
「大阪キャラメルプリンケーキ」です。
- 糸井
- いつもありがとうございます。
- 糸井
-
ミスター手土産。
僕は「手土産研究家の田中さん」と認識しています。
- 田中
-
いつ、そんなことになったんでしょうか(笑)。
僕が持って行くのは、
だいたいつまらないものなんですけど。
- 糸井
-
田中さんは、「つまらない」のハードルを
ものすごく下げて選んできますよね。
駅で買えそうな、
でも、駅とも限らないみたいな。
- 田中
-
そうですね(笑)。
大阪のお土産のいいところは、
だいたいネーミングからしてくだらないから、
おいしさとかまったく問われずに、
コミュニケーションツールになれるところです。
- 糸井
-
そうかと思えば、この間いただいた
揚げ煎餅と揚げ饅頭のセット。
- 田中
- あれは本気です。おいしいから。
- 糸井
-
あれが混じったことで、
僕の田中さん像がちょっとずれちゃって。
「これはなんだ?」っていう、また田中さんへの興味が。
- 田中
-
やっぱり、1回は
ああいう球を投げないとだめですね(笑)。
- 糸井
-
手土産といえば、僕らの間には
今だから言える秘密がひとつあって。
お花見問題。
あれ、言っていいですかね。
- 田中
- ええ、どうぞ。
- 糸井
-
この話は、客席のみなさんに向かってお話しますね。
それは、電通関西支社の
田中さんがおられた部署のお花見で、
その部署は、なんというか、
よく言えば梁山泊みたいなところなんです。
- 田中
-
40年ほど前に、堀井(博次)さんという親玉が現れて、
東京の、秋山晶さんや土屋耕一さんとかが作っている
かっこいい広告に対して、
関西のノリでとにかくカウンターパンチを食らわせようと。
そこにいろんなおかしな人がいっぱい集まったんです。
その堀井さんが30年くらい前に
「糸井さん、一緒に仕事をしよう」ということで、
なぜか糸井さんとつながって、
で、久しぶりの再会がそのお花見だったんですよね。
- 糸井
-
田中さんはそこで、いまだに「若手」として存在していて、
僕の案内役ということで、京都駅で待ち合わせしたんです。
田中さんとはそれが初対面なんだけど、
その時も手土産の紙袋を下げているわけです。
しかも、複数の(笑)。
- 田中
- (笑)
- 糸井
-
ひとつは、大きなつづらみたいになっていて、
軽くて大きいんです。
「つまらないものですが、
これは糸井さんにお渡しするものです。
でも、荷物になるので、僕が帰りまで持っています」と。
渡さないっていうのにも、ちょっと知恵を使ってる。
で、もうひとつ重いものを持っていて、
それは一升瓶なんですね。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
「これは勝手に用意させていただいたんですけど、
うちの人たちはとにかく酒さえあれば機嫌がいいので、
申し訳ないんですけど、
糸井さんからの差し入れだということで、
これを渡していただけませんか」って。
- 田中
-
その包み紙を開けると、のしに大きい筆文字で、
「糸井」って書いてあるっていう小賢しさ。
- 糸井
-
あまりの念の入り方にもう笑うしかなくて。
言われた通り「これ」とだけ言って渡したら、
案の定、湧くんですよ。
- 田中
-
「わぁ、糸井さんが来た!」ってなったところに、
糸井さんが後ろめたそうにすごく小さな声で
「あのぅ、これ、僕から」って(笑)。
そうしたらまたみんなが「ワーッ!」ってなって。
包みの紙をぐしゃぐしゃーって取ったら
「糸井」って書いてあるお酒が出てくるから、
「ウワァーーッ!」って(笑)。
- 糸井
-
すごいんだよ。
ガソリンを、焚火に投入したみたいに。
- 田中
-
瞬時に開けて、
一斉に注いで、一気に飲んでましたね。
- 糸井
-
これだったら、持ってきたほうがいいんだなぁって。
いやぁ、芝居のようでしたね、あの場所はね。
- 田中
- なんでしょうね、あの人たちは。
- 糸井
-
なんでしょう?
田中泰延っていう人が、
あのチームの中でどういう存在なのか、
まったくわからないんですよ。
- 田中
-
なんでしょうね。
とりあえず、入って以来、
呼び方はずっと「ヒロ君」なんですよ。
- 糸井
-
つまり、27歳くらいの呼ばれ方。
そこで育ったヒロ君ですが、
嫌ではなかったんですよね。
- 田中
- それはもう居心地がよすぎて、24年。
- 糸井
-
相当長いですよね。
実際に仕事もたくさんして。
- 田中
- はい。
- 糸井
-
僕が田中さんを最初に知ったのは、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムで。
たまたま読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」って思ったのが、せいぜい2年くらい前。
- 田中
- そうですね、2015年の4月頃に書きました。
- 糸井
-
おもしろかったんですよ。
800字くらいのうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてある文章。
- 田中
- 今でも全然変わらないですね。
- 糸井
-
27、8歳の若い人が書いたと思って、
こういう子が出てくるんだなぁって(笑)。
もっと書かないかな、この子がって思って。
- 田中
-
じつは46、7のオッサンだったという(笑)。
23歳であの組織に入って、
そのままずっとヒロ君のままで
保存されているからですね。
- 糸井
-
それまで「田中泰延」名義で、
個人の何かを書くことはなかったんですか?
- 田中
- 一切なかったです。一切。
- 糸井
- (笑)
- 田中
-
コピーライターが書くのって、
キャッチコピーが20文字程度、
ボディコピーで200文字とかで、
それ以上長いものを書いたことないですから…
- 一同
- (笑)
- 糸井
- みんな笑ってます(笑)。
- 田中
-
なにか書くといえば、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
ツイッターができた時には、
なにか文字を打った瞬間に活字みたいなものになって、
人にばらまかれるっていうことに関しては、
「俺は飢えてた」っていう感覚はありました。
- 糸井
-
何かがすごく溜まっていたみたい。
じゃあ、リレーコラムの後は、
あの映画評みたいなものが次ですか?
- 田中
- はい。
- 糸井
-
西島(知宏)さんという、
田中さんの電通の後輩ですか?
ご自分のクリエイティブ会社を立ち上げて、
「街角のクリエイティブ」というWebメディアを始めて。
そこで田中さんが映画評を。
- 田中
-
彼は電通の7、8年後輩なんですが、
なんの付き合いもなかったんですよ。
僕はツイッターで時々、
「昨日見た映画、ここがおもしろかった」って、
2、3行書いていたんですが、
そのツイートと先ほどのリレーコラムを見た彼が
突然大阪を訪ねて来て、「うちで連載してください」と。
「ツイッターでも2、3行だから、2、3行でいいです」
と言われて。
- 糸井
- (笑)
- 田中
-
「いいの?2、3行で?」って言いながら、
映画を観て、次の週にとりあえず7,000字書いて送りました。
- 糸井
- 溜まっていたものが(笑)。
- 田中
-
書いていて初めて、
無駄話が止まらないっていう経験をしたんです。
キーボードに向かって、
「俺は何をやっているんだ、眠いのに」っていう。
- 糸井
- うれしさ?
- 田中
-
なんでしょう?
「これを明日ネットで流せば、絶対笑う人がいるだろう」
って想像すると、
ちょっと取り憑かれたようになったんですよね。
- 糸井
-
あぁ。一種の大道芸人の喜びみたいな感じですねぇ。
もし雑誌とかだったら、そんな急に7,000字って、
まずはないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、
メディアもインターネットだったし、
本当にそこの幸運はすごいですねぇ。
- 田中
-
雑誌に頼まれて書いたこともあったんですけど、
雑誌は、僕に直接反響が来ないので、
なんかピンと来ないんですよね。
- 糸井
-
あぁ、インターネットネイティブの発想ですね。
若くないのに(笑)
- 田中
- 45にして(笑)。
- 糸井
-
はぁ、おもしろい。すごいことですね。
それって、25歳の人とかが感じることですよ。
40いくつなんだし、
酸いも甘いも、知らないわけじゃないのに。
- 田中
-
すごいシャイな少年みたいに、
ネットの世界に入った感じですね。
「あ、なんか自由に文字書いて、
必ず明日には誰かが見るんだ」と思うと、
うれしくなったんですよね。
- 糸井
- 新鮮ですねぇ。いやぁ、それはうれしいなぁ。
- 田中
-
糸井さんはそれを、
18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
- 糸井
-
ふふふ。
でも、それはまぁ、たとえば、
ダウンタウンの松本さんが
ずっとお笑いやっているのと同じことだから。
野球の選手は野球やってるし、
おにぎり屋さんはおにぎり握ってるしね。
「大変ですね」って言われても、
「いや、うん、みんな大変なんじゃない?」って(笑)。
- 田中
- なるほど。
- 糸井
- たぶん田中さんは、今、そうだと思うんですよね。
(つづきます)