もくじ
第1回ヒロ君から、田中泰延へ。 2017-03-28-Tue
第2回読み手と、書き手と、コピーライター。 2017-03-28-Tue
第3回糸井さんの本業ってなんでしょう。 2017-03-28-Tue
第4回「ご近所の人気者」でありたい。 2017-03-28-Tue
第5回はじめて言葉にできた、もうひとつのこと。 2017-03-28-Tue

自転車と山歩きが好きなコピーライターです。40歳を前にフリーになりました!どうしましょう。

電通をやめた田中さん、</br>広告をやめた糸井さん。

電通をやめた田中さん、
広告をやめた糸井さん。

高校時代に聞いたザ・ブルーハーツの衝撃がよみがえり、
つい先日、47歳で電通を退職した田中泰延さん。

圧倒的な読書量と知識量をもとに、
文才ほとばしる映画評や
ウィットとユーモアに富んだコラムなど、
大阪のノリも持ち合わせた独自の表現で、
ヒット記事を生み出し続けています。

そんな田中さんが、
会社を辞めてどんな道を歩めばいいのか、
これからの書き手としてのあり方を、
コピーライターの先輩である糸井重里に問いかけます。

たくさんのことを語り合う中で、
糸井重里が、今まで言葉にできなかったことが、
初めて言葉になった瞬間も。

予定時間を大幅にオーバーして語り合った
濃密な120分間を、たっぷりとお届けします。

プロフィール
田中泰延(ひろのぶ)さんのプロフィール

第1回 ヒロ君から、田中泰延へ。

ザ・ブルーハーツの『リンダ リンダ』をかけながら
田中さんの登場を待つ糸井…

(どぶねーずみ みたいに 美しくなりーたい)
糸井
‥‥あれ?来ないね(笑)。
(写真には 写らない 美しさがあーるーかーらー)
糸井
間が悪いなぁ‥‥。
(リンダ リンダー!!)

田中
(踊りながら部屋に入ってくる)

一同
(爆笑)
糸井
あぁ、よかった(笑)。
田中
よろしくおねがいします。
あの、これ、
モンドセレクションを2年連続で受賞した
「大阪キャラメルプリンケーキ」です。
糸井
いつもありがとうございます。

糸井
ミスター手土産。
僕は「手土産研究家の田中さん」と認識しています。
田中
いつ、そんなことになったんでしょうか(笑)。
僕が持って行くのは、
だいたいつまらないものなんですけど。
糸井
田中さんは、「つまらない」のハードルを
ものすごく下げて選んできますよね。
駅で買えそうな、
でも、駅とも限らないみたいな。
田中
そうですね(笑)。
大阪のお土産のいいところは、
だいたいネーミングからしてくだらないから、
おいしさとかまったく問われずに、
コミュニケーションツールになれるところです。
糸井
そうかと思えば、この間いただいた
揚げ煎餅と揚げ饅頭のセット。
田中
あれは本気です。おいしいから。
糸井
あれが混じったことで、
僕の田中さん像がちょっとずれちゃって。
「これはなんだ?」っていう、また田中さんへの興味が。
田中
やっぱり、1回は
ああいう球を投げないとだめですね(笑)。
糸井
手土産といえば、僕らの間には
今だから言える秘密がひとつあって。
お花見問題。
あれ、言っていいですかね。
田中
ええ、どうぞ。
糸井
この話は、客席のみなさんに向かってお話しますね。
 
それは、電通関西支社の
田中さんがおられた部署のお花見で、
その部署は、なんというか、
よく言えば梁山泊みたいなところなんです。
田中
40年ほど前に、堀井(博次)さんという親玉が現れて、
東京の、秋山晶さんや土屋耕一さんとかが作っている
かっこいい広告に対して、
関西のノリでとにかくカウンターパンチを食らわせようと。
そこにいろんなおかしな人がいっぱい集まったんです。
 
その堀井さんが30年くらい前に
「糸井さん、一緒に仕事をしよう」ということで、
なぜか糸井さんとつながって、
で、久しぶりの再会がそのお花見だったんですよね。
糸井
田中さんはそこで、いまだに「若手」として存在していて、
僕の案内役ということで、京都駅で待ち合わせしたんです。
田中さんとはそれが初対面なんだけど、
その時も手土産の紙袋を下げているわけです。
しかも、複数の(笑)。
田中
(笑)
糸井
ひとつは、大きなつづらみたいになっていて、
軽くて大きいんです。
「つまらないものですが、
これは糸井さんにお渡しするものです。
でも、荷物になるので、僕が帰りまで持っています」と。
渡さないっていうのにも、ちょっと知恵を使ってる。
 
で、もうひとつ重いものを持っていて、
それは一升瓶なんですね。
田中
はい。
糸井
「これは勝手に用意させていただいたんですけど、
うちの人たちはとにかく酒さえあれば機嫌がいいので、
申し訳ないんですけど、
糸井さんからの差し入れだということで、
これを渡していただけませんか」って。
田中
その包み紙を開けると、のしに大きい筆文字で、
「糸井」って書いてあるっていう小賢しさ。
糸井
あまりの念の入り方にもう笑うしかなくて。
言われた通り「これ」とだけ言って渡したら、
案の定、湧くんですよ。
田中
「わぁ、糸井さんが来た!」ってなったところに、
糸井さんが後ろめたそうにすごく小さな声で
「あのぅ、これ、僕から」って(笑)。
 
そうしたらまたみんなが「ワーッ!」ってなって。
包みの紙をぐしゃぐしゃーって取ったら
「糸井」って書いてあるお酒が出てくるから、
「ウワァーーッ!」って(笑)。
糸井
すごいんだよ。
ガソリンを、焚火に投入したみたいに。
田中
瞬時に開けて、
一斉に注いで、一気に飲んでましたね。
糸井
これだったら、持ってきたほうがいいんだなぁって。
いやぁ、芝居のようでしたね、あの場所はね。
田中
なんでしょうね、あの人たちは。
糸井
なんでしょう?
田中泰延っていう人が、
あのチームの中でどういう存在なのか、
まったくわからないんですよ。
田中
なんでしょうね。
とりあえず、入って以来、
呼び方はずっと「ヒロ君」なんですよ。

糸井
つまり、27歳くらいの呼ばれ方。
そこで育ったヒロ君ですが、
嫌ではなかったんですよね。
田中
それはもう居心地がよすぎて、24年。
糸井
相当長いですよね。
実際に仕事もたくさんして。
田中
はい。
糸井
僕が田中さんを最初に知ったのは、
東京コピーライターズクラブのリレーコラムで。
たまたま読み始めたらおもしろくて、
「誰これ?」って思ったのが、せいぜい2年くらい前。
田中
そうですね、2015年の4月頃に書きました。
糸井
おもしろかったんですよ。
800字くらいのうち600字くらいは、
どうでもいいことだけが書いてある文章。
田中
今でも全然変わらないですね。
糸井
27、8歳の若い人が書いたと思って、
こういう子が出てくるんだなぁって(笑)。
もっと書かないかな、この子がって思って。
田中
じつは46、7のオッサンだったという(笑)。
23歳であの組織に入って、
そのままずっとヒロ君のままで
保存されているからですね。
糸井
それまで「田中泰延」名義で、
個人の何かを書くことはなかったんですか?
田中
一切なかったです。一切。
糸井
(笑)
田中
コピーライターが書くのって、
キャッチコピーが20文字程度、
ボディコピーで200文字とかで、
それ以上長いものを書いたことないですから…
一同
(笑)
糸井
みんな笑ってます(笑)。
田中
なにか書くといえば、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
ツイッターができた時には、
なにか文字を打った瞬間に活字みたいなものになって、
人にばらまかれるっていうことに関しては、
「俺は飢えてた」っていう感覚はありました。
糸井
何かがすごく溜まっていたみたい。
 
じゃあ、リレーコラムの後は、
あの映画評みたいなものが次ですか?
田中
はい。
糸井
西島(知宏)さんという、
田中さんの電通の後輩ですか?
ご自分のクリエイティブ会社を立ち上げて、
街角のクリエイティブ」というWebメディアを始めて。
そこで田中さんが映画評を。
田中
彼は電通の7、8年後輩なんですが、
なんの付き合いもなかったんですよ。
 
僕はツイッターで時々、
「昨日見た映画、ここがおもしろかった」って、
2、3行書いていたんですが、
そのツイートと先ほどのリレーコラムを見た彼が
突然大阪を訪ねて来て、「うちで連載してください」と。
「ツイッターでも2、3行だから、2、3行でいいです」
と言われて。
糸井
(笑)
田中
「いいの?2、3行で?」って言いながら、
映画を観て、次の週にとりあえず7,000字書いて送りました。

糸井
溜まっていたものが(笑)。
田中
書いていて初めて、
無駄話が止まらないっていう経験をしたんです。
キーボードに向かって、
「俺は何をやっているんだ、眠いのに」っていう。
糸井
うれしさ?
田中
なんでしょう?
「これを明日ネットで流せば、絶対笑う人がいるだろう」
って想像すると、
ちょっと取り憑かれたようになったんですよね。
糸井
あぁ。一種の大道芸人の喜びみたいな感じですねぇ。
もし雑誌とかだったら、そんな急に7,000字って、
まずはないですよね。
頼んだほうも頼んだほうだし、
メディアもインターネットだったし、
本当にそこの幸運はすごいですねぇ。
田中
雑誌に頼まれて書いたこともあったんですけど、
雑誌は、僕に直接反響が来ないので、
なんかピンと来ないんですよね。
糸井
あぁ、インターネットネイティブの発想ですね。
若くないのに(笑)
田中
45にして(笑)。
糸井
はぁ、おもしろい。すごいことですね。
それって、25歳の人とかが感じることですよ。
40いくつなんだし、
酸いも甘いも、知らないわけじゃないのに。
田中
すごいシャイな少年みたいに、
ネットの世界に入った感じですね。
「あ、なんか自由に文字書いて、
必ず明日には誰かが見るんだ」と思うと、
うれしくなったんですよね。
糸井
新鮮ですねぇ。いやぁ、それはうれしいなぁ。
田中
糸井さんはそれを、
18年ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
糸井
ふふふ。
でも、それはまぁ、たとえば、
ダウンタウンの松本さんが
ずっとお笑いやっているのと同じことだから。
野球の選手は野球やってるし、
おにぎり屋さんはおにぎり握ってるしね。
 
「大変ですね」って言われても、
「いや、うん、みんな大変なんじゃない?」って(笑)。
田中
なるほど。
糸井
たぶん田中さんは、今、そうだと思うんですよね。

(つづきます)

第2回 読み手と、書き手と、コピーライター。