岩佐十良(とおる)さん。
「経営にとってデザインとは何か」という
一連の特集において、
NewsPicksの佐々木紀彦編集長が
「話をうかがってみたい」と挙げた人です。
岩佐さんは、学生時代にデザイン会社をつくり、
その後、編集者に転身。
『東京ウォーカー』などの雑誌に
編集プロダクションとして携わったあと、
『自遊人』という雑誌を創刊しました。
その後、おいしいお米を探して販売するなかで、
新潟県南魚沼に移住。
現在は、新潟の古民家を改装した
「里山十帖」という宿泊施設も経営しています。
現役の雑誌編集長であり、
みずから古民家改装の設計を手掛けるなど
デザイナー的役割もこなす、経営者。
雑誌『自遊人』や里山十帖を運営するにあたり、
「デザイン」とは、
どんなところで、どんな役割を担っているのか。
まずは、NewsPicks佐々木編集長の動機を、
うかがってみました。
- ──
- 佐々木さんは、どうして今回、
岩佐さんを取材したいと思われたんですか?
というのも、経済メディアですし、
今っぽいSNS企業とか、
最近、好調の自動車会社とか来るかなあと、
何となく思っていたので。
- 佐々木
- 私は今、NewsPicksの編集長をやりながら、
会社の取締役でもあるので、
ビジネス的な面を見たりもしているんです。
そういう意味で、岩佐さんは、
今、私が直面している問題にとって
大きなヒントになることを、
すでに実践されてきた方だと思ってまして。
- ──
- 個人的な興味関心から発しているんですね。
問題というのは、たとえば?
- 佐々木
- 企業として当たり前の話ですが、
たとえば「コストの削減」みたいな話も、
しょっちゅう出てくるんです。
そういう経験を1年くらいしてみたら、
お金のことを考えすぎると、
クリエイティブが摩耗する感覚があって。
- ──
- 摩耗。
- 佐々木
- ようするに、経営者としての立場からすれば、
もっと経済効率的にやってほしいと
言わなければならない。
そこと、クリエイティブの豊かさとの間に、
ジレンマがあるということです。
- ──
- たしかに、この里山十帖で
岩佐さんがやってらっしゃることって、
効率性ばかり考えていたら
実現できないことも、ありそうですね。
- 佐々木
- それと、新しい時代の「編集」を
実践されてらっしゃる方だとも思います。
雑誌『自遊人』の編集長だけでなく、
店頭に立ってお米を販売したり、
こうして宿なんかも経営されていますから。
- ──
- 対象としている「ものごと」の範囲が、
すごく広いですよね。
- 佐々木
- 人、モノ、空間、どれかひとつじゃなくて、
それらを結びつけて
ビジネスとして成り立たせているところが、
すごいなあと思います。
岩佐さんの言葉を借りて言えば
「ソーシャルラインデザイン」ですけど、
つまり、
社会をデザインする、時代をデザインする、
そういうことが、
今、もっとも求められていることかなあと、
個人的には、思っているんです。
- ──
- それを実践されているのが岩佐さんで、
佐々木さん自身、
経営者としても、編集長としても、
いろいろと質問したいことがおあり、と。
- 佐々木
- はい。で、さっそくなんですが、
いま、岩佐さんにとって、
いちばん最大化したいものって何ですか?
つまり企業、とくに上場企業は、
やっぱり利益を最大化するということを
追求しますよね。そういう意味で、
今、岩佐さんがいちばん最大化したいもの、
もっとも優先してるものって、何ですか?
- 岩佐
- 何のためにやってるのと聞かれるのが、
ぼく、いちばん困っちゃうんです。
でも、少なくとも「お金がいちばん」じゃない。
お金は、ないと困るんですよ。
ないと困るんだけど「いちばん」じゃないです。
敢えて言うなら、
「たのしい、美味しい、快適」とか、
そういう感覚を増やしていけたらいいなあ、と。
- 佐々木
- 「たのしい、美味しい、快適」というのは、
ご自分のことですか、それとも、周囲も含めて?
- 岩佐
- まわりにいる人も含めて、ですね。
- ──
- 岩佐さんは、2004年から、
ここ新潟に移住されているそうですが、
「地方に貢献したい」という気持ちも、
あったのでしょうか?
- 岩佐
- 地方創成、地域貢献みたいな文脈では、
まず、里山十帖には「12室」しかないので、
貢献と言っても限りがあります。
じゃあ、もっと「地域貢献」するために
150室にしようというつもりも、ないです。
- ──
- あくまで「たのしい、美味しい、快適」を
増やしていきたい、と。
- 岩佐
- ええ、それに、次は新潟ではなく、
別の県で宿をやりたいという話をすると、
新潟で成功しているんだったら、
同じ新潟で、同じ銀行、同じスタッフ、
ぜんぶ「コピペ」で増やせるじゃないかって
おっしゃる人が、たくさんいるんです。
とくに「投資家」と呼ばれる人のなかに。
- 佐々木
- 言いそうですね(笑)。
- 岩佐
- 新潟県内で2軒目をやるんだったら
投資できるのに、
たとえば「長野」ではできません、と。
新潟で2軒目をやりたくないわけでは
ないんですけど、
佐賀とか、高知とか、
長野県でも群馬県でもいいんですが、
ぼくは、別の土地でやりたいんです。
横方向の広がり、面的な広がりをつくるのが、
やっぱり、楽しいんですよね。
「面を広げる、場を作る」ということ。
面的な広がりをつくりたいとおっしゃる
岩佐さんは、
雑誌づくりにしろ、食品の販売にしろ、
これまで一貫して
「場」をつくってきたという印象があります。
そんな岩佐さんが、旅館という
「ものすごくリアルで具体的な場」の経営を
はじめたということが、
なぜか、すごく「今っぽい」と感じました。
- ──
- 場を作るということを、どう思っていますか。
インターネットの時代になって、
リアルな場を持たなくて良くなったってことに、
一瞬、なったと思うんです。
でも、すぐにみんな飽きてしまったというか。
岩佐さんも、雑誌を創刊されたり、
旅館をつくったり、
ずっと「場」を整えてきたという印象ですが、
リアルな場を構えることの意味や、
そこから学んだことがあれば教えてください。
- 岩佐
- これまでに携わってきた雑誌は、
編集プロダクションとして
特集記事をつくっていた『東京ウォーカー』が
最盛期で50万部くらい、
読者層を絞り込んでつくった『自遊人』も、
10万部ちょっとあります。
でも、昔から、
そういう雑誌の表面的な「部数」よりも、
どこそこの宿へ足を運んで、
美味しいごはんを食べて感動してきた人の
発信力のほうが、
だんぜん大きいと感じていました。
- ──
- それは、情報誌をやられている時代から?
では、実際に里山十帖をはじめて‥‥。
- 岩佐
- この宿は、年間、多くても
8000から9000人くらいのお客さましか
受け入れられないのですが、
でも、その数のお客さまの伝えてくださる
パワーのほうが大きいということを、
今、体感しているところです。
- ──
- 数十万部の雑誌よりも。
- 岩佐
- はい。
- ──
- 今、この宿は、予約でいっぱいですが
2014年5月のオープン当初は‥‥。
- 岩佐
- ぜんぜん、いませんでしたよ(笑)。
でも、オープンから2か月くらいかな、
夏からはもう、
予約で埋まるようになりました。
- ──
- 理由は何だったんですか?
- 岩佐
- やっぱり大きかったのは、
いちど泊まってくださったお客さまが、
まわりに紹介してくださったり、
別のお客さまをお連れくださったり‥‥
ですね。
- ──
- ようするに「口コミ」ということですか。
- 岩佐
- はい。
「編集」と「デザイン」の境界線。
編集という言葉とデザインという言葉は
別もののようでいて、
重なる部分も多いと思います。
たとえば、何かと何かを組み合わせたり、
世界観を構築したりについては、
けっこう同じようなことをしていますし、
「空間を編集する」みたいに
代替的に使われていても、
ニュアンスを汲み取れることが多いです。
デザイナーから編集者となった岩佐さんは
そのあたり、どう感じているのでしょう。
- 岩佐
- 編集という言葉についていうと、
それの示す範囲が、すごく狭いと思っています。
ようするに、
編集というと雑誌のことばかりになって、
なんで雑誌の編集者が米を売ってるんですか、
なんで雑誌の編集者が宿をやってるんですか、
となり、ぼくの場合はややこしい(笑)。
本当は、それも含めて編集ですよね。
たぶん、編集より「デザイン」といったほうが、
一般的には、通じやすいんだと思います。
- 小田
- 岩佐さんご本人が
店頭に立って食品を販売されていたりとか、
この里山十帖だって、
岩佐さんが設計されていたりしますよね。
でも、岩佐さんの立場からすると、
完全にプロデューサーの位置に立つことも
できると思うんですが、
そうしていない理由を教えてください。
- 岩佐
- なんで‥‥なんでしょうかね‥‥(笑)。
単純に言えば
「現場が好きだから」だと思いますけど。
- 小田
- なるほど。
- 岩佐
- 現場の「肌感覚」と言いますか、
何事もやってみないとわからないなあって、
いつも思っているんです。
世の中で起きていることに対して
何か「評論する」のは簡単なんだけれども、
でも実際、自分がやったらどうなのか。
それって、
やってみた人にしかわからないですよね。
- 小田
- そうですね、ええ。
- 岩佐
- その「感覚」って、何かものをつくるときには、
すごく重要だと思っています。
ぼくの場合は「雑誌」をずっとやっているので、
その部分に関しては、
プロデューサーとしてやれると思います。
でも、米をはじめとした食品の販売、
さらには旅館の経営という話になった場合には、
自分で現場に立つしかなかった。
- ──
- そうする以外に「理解のしようがない」と。
- 岩佐
- そうなんだと思います。
- 小田
- 岩佐さんの経歴を拝見すると、
在学中にデザイン会社を設立されてますね。
でも、その後、
今度は編集の会社をつくっていますが‥‥。
- 岩佐
- たまたま、学生時代に、
グラフィックや空間の仕事をいただけたので、
デザイン会社を立ち上げました。
でも、武蔵美って
4000人くらい学生がいるんですけど、
本当にすごいやつが、学年で数人いるんです。
- 小田
- ぼく、多摩美卒なんですけど、わかります。
いますよね、たしかに。
- 岩佐
- そういう人に勝つためには、
「先行逃げ切り」じゃないですけれども、
早く会社をつくるしかない。
そう思って学生時代に起業したんですが、
「やっぱりダメだな、俺」
みたいなことは、ずっと思ってたんです。
- 小田
- そうなんですか。
- 岩佐
- そう思っていたところへ、
とある知り合いのリクルートの社員の人が、
当時、リクルートのG8ビルにあった
亀倉雄策さん
(1964年の東京五輪ポスターなどを手がけた
グラフィックデザイナー)の事務所へ
連れて行ってくださったんです。
で、君は亀倉雄策さんのようになれると
思っているのか‥‥と聞くんですよ。
- ──
- ええ。
- 岩佐
- 当時、亀倉さんは、
すでにけっこうな年齢だったんだけれども、
たくさんのスタッフを抱えて、
ずっといいものをつくり続けておられる。
それくらいじゃないと、
デザイナーとして人生を全うすることなんか
できないんだぞと、言われて。
- ──
- それって、どういう意味が‥‥。
- 岩佐
- つまり
「君はデザイナーというよりも、
編集者に向いていそうだから、
編集者になりなさい!」
と。
- ──
- え。じゃ、それで編集者に?
- 岩佐
- はい。当時リクルートが出そうとしていた
学生向けのPR誌があって、
「君に、それを1冊まるまる任せるから
やってみないか。
その代わり、
デザイナーは君じゃなくて別の人だぞ」
って(笑)。
- ──
- へええ。
- 岩佐
- それから、編集者になったんです。
佐々木さんは編集長/経営者として、
小田さんは
アートディレクター/デザイナーとして、
わたくし奥野も一人の編集者として
それぞれの立場から、
それぞれに聞きたいことを、矢継ぎ早に。
話題はコロコロ変わってしまいましたが
全体を通じて、岩佐さんの場合は
「編集」も「デザイン」も
「場を作ること=経営」と不可分なんだな、
という感想を持ちました。
後編では、二度の倒産の危機など
決して「順風満帆」ではなかった道程を
振り返りながら、
「効率性とコンテンツのおもしろさ」
についてなど、
経営者らしい話題へと広がって行きます。
<つづきます>
2015-12-07-MON