HOBONICHI BOOK GUIDE
『日本国憲法の論点』
『日本国憲法の論点』
(トランスビュー)
◆著:伊藤 真
◆定価:1,890円(税込)
◆ISBN:4901510339
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憲法にわくわく? 伊藤真さんの考え方は、目からウロコだった。
たとえば、司法試験を受けるための予備校で、
「憲法は国家の権力に対する歯止め」
「自分の生き方を自分で決められることが、
日本国憲法の考える幸福だ」
というような講義を受けたら‥‥?

伊藤真というカリスマ講師に、
本を書くことを依頼した編集者の小木田順子さんは、
自分も司法試験にチャレンジしたくなって、
会社までやめてしまいました。
(いまは編集の畑にもどってますけどね)

無味乾燥だと思いこまれている法律の条文も、
読み解けば生命が吹きこまれる。
食わず嫌いを直すのが「ほぼ日」の得意技。
さぁ、こんどは「憲法」にわくわくできるでしょうか?!
第5回 憲法9条は何を尊重しているか?
今日は第 III 部
〔自分の頭で考える「憲法改正」〕の話をします。

第5章は〔改正案を読むヒント〕。

これまでにいろいろな人・団体が
憲法改正案を発表していますが、
施行60年の来年を控えて
その動きが加速されるのは確実。

では、それらの改正案のどんな点に
着目すればよいのか。

第5章では自分なりに見きわめるための
モノサシを提案します。

第6章は〔「押しつけ論」と九条の問題〕

いわゆる「押しつけ論」で主張されるのは、
いまの憲法は敗戦後にアメリカから
押しつけられたものだから、
日本人が自分たちの手で新しい憲法を
制定すべきだ、ということ。

1950年代の改憲論の出発点であり、
もっとも古典的な改憲論といえます。

……が、やっぱり重要なのは、出発点の話よりも
「いま、ここにある」問題。
と思いますので、「押しつけ論」については
本で勉強していただくことにして、次に進みます。

9条です。

第1項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を
誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。

第2項
前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

憲法の基本原理の1つである「平和主義」は
この9条と前文で定められています。

日本の平和主義の特徴の1つは
「自衛のための戦争」をも放棄していること。
世界の中でも、
侵略戦争を放棄している憲法は多くありますが、
自衛戦争まで認めない憲法はとても少数です。

もう1つの特徴は、武力の「行使」だけでなく
武力による「威嚇」まで認めないということ。
すなわち、
行使はしないけれど軍事力を保持して
その力で戦争を抑止しよう、
という考え方もとらないことを意味します。

……と解釈するのが、オーソドックスな読み方
ですが、実は憲法学の世界でも、
9条は自衛のための戦争は放棄していない、
自衛のための戦力であれば、持てる
という解釈があります。

政治の場面でも

自衛戦争を放棄し、自衛のための戦力も
持たないことを明確に表明した
憲法制定直後の吉田首相の答弁

から、

憲法が禁じているのは「戦力」の保持であり
自衛隊は「戦力」ではなく「実力」だから合憲、
ゆえに戦時状態のイラクに派遣するのも合憲
という現在の政府解釈

まで

9条解釈の揺れには、
憲法60年の歴史が凝縮されています。

かくして9条をめぐっては、
護憲vs.改憲の激しいバトルが
繰り広げられてきました。
同じ改憲派のなかでも、
もっと大っぴらに、アメリカ軍と行動を共にできる
ように改憲すべき、というスタンスもあれば
自衛隊の無制限な拡大に歯止めをかけるために
改憲すべき、というスタンスもあり、
事態はかなり入り組んでいます。

9条をめぐる、この複雑な歴史と現在を、
伊藤さんは
「自衛隊の位置づけ」
「集団的自衛権」
「日本の国際貢献のあり方」
という3つの視点から整理して、説明します。
その鮮やかな解説ぶりは
まさに「司法試験界のカリスマ」です。

では、伊藤さん自身は、この問題について
どう考えているのか?

伊藤さんは日本の平和主義を
「積極的非暴力平和主義」と呼んで、
これを全面的に支持します。

そして、
「そんな考えは空想的、キレイゴトにすぎない」
という批判に対して
「世界最大の軍事力を誇るアメリカですら、
 同時多発テロを防げなかったのだから、
 軍事力によって
 日本を防衛できると考えるほうが、
 はるかに非現実的、空想的」
とキッパリ反論します。

「人類の歴史は戦争の歴史。
 戦うことは人間の本性だ」
という考え方に対しては、こう答えます。

「たしかに人間には戦争を好む性(さが)が
 あるのかもしれません。
 しかしそうだとしても、
 それを批判的に受け止めて
 文明を進化させることができるのも
 人間の能力の1つだと私は考えます」
 
「人間には残虐な側面があるからこそ、
 理性と知性によって戦争への欲求を抑え、
 互いに共存を図ろうとします」

さらにこう続けます。

「人類はそれを目指して進歩してきたのであり、
 日本国憲法はその象徴です。
 人類の進歩に逆行する
 改憲を行うべきではないと私は思います」

そして、本書は、
最終章〔もしも憲法が変わったら〕に入ります。

憲法が改められて
「個人の尊重」よりも「公共性の尊重」が
重視されるようになった社会、
正式な国防軍をもち、自衛戦争が正当化され
集団的自衛権が行使できるようになった社会
では、私たちの生活にどんな変化が起こるのかを
伊藤さんはとてもリアルに描きだします。

伊藤先生に
この章の講義をしていただいているとき
出版元であるトランスビューのナカジマさんが
「でも先生、多くの人は本音のところで、
 9条が変わっても徴兵制さえ敷かれなければ、
 自分には関係ないからいいやと
 思っていますよね?」と尋ねました。
(ナカジマさんは、この本のもう1人の担当編集者。
 一緒に激走してくださった熱血社長さんです)

イタいところをついているでしょう?

そうしたら伊藤さんは、
「正しい戦争」を認めるとは、「正しい暴力」が
あると認めること。
最後は暴力で解決することが正当化される社会とは、
弱い立場にある人、
少数派の立場にある人が生きにくい社会。
平和主義の理念が後退することで、
社会全体の価値観が大きく揺さぶられるのだと
話してくれました。

憲法においてもっとも重要な価値は、
「個人の尊重」です。
民主主義のもとでは、多数決原理によって
多数派の求めることが正義になります。
でも、人間には、
多数決によってもけっして奪ってはならない
自由と尊厳があります。
それを守る最後の砦が憲法です。

伊藤さんは、
「マイノリティであることの痛みを
自分のものとして感じることができなければ、
憲法の本当の価値はわからない」と言います。
そう語るに至るまでの伊藤さんの人生には、
けっして少なくない「痛み」の体験がありました。

私自身も、自分で選択したこととはいえ、
組織を離れ、仕事もしないという
社会的身分を一切手ばなす経験をしたことで
伊藤さんの憲法の話に
より深く共鳴したのかもしれません。

いま、健康で、経済的に豊かで、
人間関係に恵まれている人も、
どこかで、社会の理不尽さに
歯を食いしばる日がくるかもしれないし、
もしかしたら、すでに心の奥に
痛みを抱えているのかもしれません。

誰もが逃れることができない、
この、ままならない世界に生きることの
痛みに思いをはせるとき、
伊藤さんが描きだす
「憲法が変わったあとの社会」は
あなたの目にどんなふうに映るでしょうか?

……ということを最後に問いかけて、
この連載は今回で終了です。
読んでくださってありがとうございました。

ここでご紹介できたのは、ほんの一部。
ぜひ、本を手にとって、伊藤さんの考えに
直接ふれてほしい……。
最初から最後まで読みとおすことで、
「いままさに知るべきこと」を学ぶだけでなく、
深い感動を体験していただけるはずです。

そして、この本が出たことで、
私の「編集者復帰プログラム」も終了です。
これからもこの本に負けない熱い本を
出していきたいと思っています。
それらの本をとおしてお目にかかれる日まで、
どうぞみなさま、ごきげんよう!
2005-07-21-THU
 
いままでのタイトル
第1回 「法」の世界を見るという体験
第2回 受験必勝法から生まれた目次
第3回 憲法改正論はここまで来ている
第4回 憲法の条文が輝いてみえる瞬間
 
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