岸 | たしかに、自分が50になったときも、 60になったときも、 「うわぁっ」と、ある種のショックはありました。 |
糸井 | 一旦は思いますよね。 |
岸 | 一旦、思います。 けれどもいまは 「あぁ、60歳、70歳、 あんなにすばらしい時代があった。 もったいない。もっともっと いきいきと生きればよかった」 と思います。 だから、もしまかり間違って、 90まで生きちゃったとしますよね? そうしたら、そのときに、 いまの年を後悔しないように、 ちゃんと生きようって、思います。 |
糸井 | 「ちょっともったいないことしたな」 というその思いは、 1年ごとに深くなりますね。 |
岸 | ねぇ(笑)? 考えてみても、私はおそらく50代が、 いちばんいい仕事してるんです。 それは、映画ではないんですけど。 |
糸井 | それはわかる気がします。 30代、40代の元気なときって、 自分の力はついていても、 相手がそれを望んでくれないんですね。 |
岸 | あぁ、そうかもしれない。 |
糸井 | 50になると、 「あなたの望んでることをしますよ」 と言うこともできる。 |
岸 | そうね、自信がつくし、 人間としても満ち潮になってくるんですよね。 私はすごくコンプレックスの多い人間だったんです。 私が若い頃は、グラマラスな マリリン・モンローやジーナ・ロロブリジーダに 人気があった時代です。だからみんなから 「惠子ちゃんの体、割り箸みたい」とか言われて。 |
糸井 | 比べたら、そうなっちゃいますよね。 |
岸 | 池部良さんからは 「惠子ちゃんの手は、出汁にもならんよ」 と言われたものです(笑)。 彼は、そういうことを 非常に魅力的に言う方で、大好きな人でした。 まぁ、そういうコンプレックスがありましたけど、 50歳くらいになったら、 「私はこれでいいんだ」というような自信がついて 認識は変わっていきました。 私にとって50代、60代は、すばらしい時期でした。 |
糸井 | 「私の形」とか「私の文体」とか「私の声」とか‥‥ 「私の」ということを、 いちいち肯定できるようになるんでしょうね。 「ほかにやりようがないんだし」と 笑っていられるというか。 |
岸 | ええ、そのとおり。 50も末のほう、60になったら もっとよくなりました。 |
糸井 | 昨日の夕方、ぼくは会社で社員のみんなと 岸さんにお会いする話をしていました。 「女の人って、いつまでも 『かわいい』と言われる人がいるよね」 という話になりました。 ぼくは何人か、年上のかわいい人を 知ってるんですけど 「何が共通点なんだろう?」 という話をしていたんです。 |
岸 | そうなんですか。 |
糸井 | そのときにもちろん 岸さんのことを思い浮かべて ぼくはみんなにこう言いました。 「ひとつは、喜ばせた分量。 もうひとつは、愛された分量。 かわいさというのは、その足し算なんじゃないかな」 というふうに言ったんですよ。 喜ばせた分量は‥‥、岸さんは、 おありになりますよね。 |
岸 | うん、きっと、 自分ではあると思っています。 |
糸井 | ありますよね。 |
岸 | ヨレヨレに疲れるほど、あると思います(笑)。 |
糸井 | たぶん、そうですよね。 スクリーンにいただけでも、喜ばせた分量が そうとうあります。 いまお話ししてても、 そのことがよくわかるんですけど、 岸さんはぼくを喜ばせてくださってるんですよ。 |
岸 | いや、とんでもない、私も楽しんでいます。 |
糸井 | いや、きっとそうして 岸さんが自然にやっていて、 相手を喜ばせている性分のようなところが 全部積まれてるんだと思うんです。 そして、もうひとつの 「愛されてる分量」については、 端からうかがいしれないですけど‥‥ ぼくは、岸さんは自信を持って、 「愛された」と言える方なんじゃないかなぁと 思っています。 |
岸 | いやぁ、あんまりたくさんの方には愛されません。 愛と恋とか、そういうことは、あんまり なかったです。 |
糸井 | でも、岸さんを好きで ほんとうに大事だと思う人は たくさんいらっしゃったんじゃ‥‥ |
岸 | ううん、少ないの。 外国のほうが、ちょっとモテるかもしれないけど‥‥ 日本では少ないですよ。 |
糸井 | いや、日本でも国外でも、足し算ですから(笑)。 そうやって、岸さんは「愛されてる」ということで 安心したことがあるという気がします。 |
岸 | あぁ、それはいい言葉ね。 安心して愛されるのは、すてきです。 愛されても、びくびくしたりするのは嫌ね。 |
糸井 | そうそう、そうです。 |
岸 | いつ消えちゃうの? と思っていたり。 |
糸井 | 試してみようとか‥‥ |
岸 | そういうことの、ないことね。 うん、わかります。 |
糸井 | そうです。そういった、 「委ねることのできる愛され方」をしたということは、 その人にとっての「徳を積む」ような 行為じゃないかとぼくは思うんですよ。 ですから、人を喜ばせることと 愛されることのふたつは、 まるで徳を積んだように、 80歳くらいになると、 かわいげになって出ると思います。 でも、その機会を両方持てる人って、 やっぱり、そんなにはいないんじゃないでしょうか。 |
岸 | うーん、そうねぇ‥‥。 |
糸井 | 「愛してるよ」という言葉は いくらでも飛び交いますけど、 委ねることができるって、あまりないかもしれない。 それから、誰かを喜ばせようと思っても、 喜んでもらえる準備をしてないところでは‥‥ |
岸 | そうね、泡のように消えてしまいますよね。 |
糸井 | そうなんです。 そういったかわいげを持つ年上の女性を ぼくは何人か知っています。 (つづきます) |
2013-11-12-TUE