糸井 |
スポーツマンは、上手に休むんですよ。
インターバルなしのトレーニングは、ないんです。
でも、精神の労働は、インターバルなしに
リニアに突き進んでしまいがちなんですよ。
今の自分のはっきりした欠点はそこなんです。 |
田坂 |
なるほど。 |
糸井 |
40歳くらいまで、休み過ぎたんです。
ぼくは本当に楽しくて、本当に楽だったんです。
毎日遊園地にいるようなものだった。
働こうと思ったのは、つい2〜3年前ですから。
もとを取るように走っているわけだけど、
休み過ぎも走り過ぎも、両方違っているよと。 |
田坂 |
それは、才能のあるひとのセリフだと思います。
仕事をしていて、負担ではなかったでしょう? |
糸井 |
今ぼくがインターネットでやっていることは
ゲームが複雑だから、おもしろ過ぎるんです。
誰も答えを持っていないし、
俺がわかるかもしれないし、
向こうに光が見えるんだよな、
というところで走っているときだと。
しかも、うしろを向くと、ひとがいる。
昔、学生運動をやっていて一番哀しいのが、
うしろを振り向いても、誰もいないとき。
みんなで「行けー!」とバーッと行っても、
うしろを振り向いたらはるかかなたに
みんながいるときに、
「ああ、やっぱり」って思わされた。
だけどインターネットをはじめたら、
誰もいないと思うところで、
「ぼく、いますよ」と岡山あたりから
メールで一声かけられる。泣いちゃいますね。
誰かがいるというこの感じ、
これがぼくを走らせてしまうんですよ。 |
田坂 |
わかりますね。
私も仕事が楽しくて、
ずっと走ってきた人間なんだけど、
大変なことも含めて、仕事を遊びにしちゃうから。
成功したからよかったとか、
失敗したからだめだったとかではなくて、
結果はどちらでもいいと思うんです。
私は、結構本気で、
「仕事の最高の報酬は、成長だ」と思うんです。
職業人として、もしくは人間として
成長していくのが最高の報酬だから、
失敗しようが何をしようが、
一生懸命取り組んでやっていると
確かに成長しているんですよね。
それそのものが楽しいみたいなところがあって。
「俺も少しは成長したじゃないか」って。 |
糸井 |
ひとつ何かわかっただけで、うれしいもんね。 |
田坂 |
時間があっという間に過ぎましたね。
非常におもしろかったです。
糸井さんとは、世代が近いせいか、
若い人に言うと豆鉄砲食らうような話ができる。
私が大学に入ったときは、
まだ学生運動もすさまじかったですから。
友人が鉄パイプで殴り殺されたとか。 |
糸井 |
俺はそこで「わあ!」と思ったのが、
原体験かもしれないな。
上手にだます力があるというのが嫌だった。
全部言葉の問題だと思った。
だから言葉の商売に入ったのでしょうね。
中内さんの友人の戦死に近いものは、
間接的にはありますよね。
こうだませばだませるというテクで
だまされる自分が悲しいなあと。 |
田坂 |
私の原体験も、同じですね。
あの頃言っていたことを、
30年間本当に「思い」として
持ち続けて生きている人は、必ずしも多くない。
だけど、あの頃、その「思い」に賭けて
命を失った仲間がいるのに、
何十年も経ったあとに、
「いやあ、あれは若気の至りで」
というのでは、申し訳ないと思います。
そして、昔はこうだった、懐かしいなあ、
というの思い出話でも、済ましたくないから。
糸井さんは何十年も前に
「言葉」だと直観されたけど、
今まさに言霊の時代でしょう?
これだけ情報化社会になって、
インターネットのようなメディアが出たら、
ますます言葉と言霊が最大の武器になる時代です。
これからは、いかに言葉を
アーティスティックに使うかということが問われる。 |
糸井 |
やはり、自分でメディアを持てたのがすごいです。
ポパイではポパイの文脈で、
編集会議では編集会議の文脈で、
ぼくは書かなければいけないですから。
今は別の媒体を持っているから、
対談をそのままのかたちで自分で出せますよね。
自分でも出せますというのは、
本当にありがたいと思います。
失敗も含めて出してしまえるから。
流通革命と言われるなかでは、
ダウンロードされうるといったような
読み手側や受け取り手側のことが語られますが
書く側が本気でやりたいことをできるんだ、
という部分に、ぼくは光をあてたいんです。
クリエイティブとサービスの貿易商をやりたい。
ランボーは、詩人だったおかげで
後年に貿易商になったんだろうなと思う。
天と地をつなぐのが、詩だったから。 |
田坂 |
なるほど。すごくおもしろいですね。
中沢新一さんとお話をしているときに、
「21世紀のピカソは、絵を描かない」
ということを言っていました。
それはその通りで、ランボーにしても、
当時の表現手段として詩を選んだだけで、
時代が変わり、メディアが変わり、
表現の手段が多様になると、
全然違うことに向かう可能性がある。
つまり、ピカソがもし今生まれ変わったら、
油絵を描くことはなかったんじゃないか。
スピルバーグみたいな世界に行ったのか、
何やったのかはわからないですけど。
もともと、「表現者」というものは
魂のありかたみたいなものが根本で、
たまたまいろいろな縁とか運とか出会いのなかで
「表現手段」を選んでいくわけでしょう?
糸井さんがコピーを選ばれたのは
ちょうどあの時代の糸井さんの
魂だとかいろいろなもののありかたが
それを選んだのだと思うんですよね。
私がシンクタンクを選んだのも、
あの頃の魂がそれを選んだのでしょう。 |
糸井 |
シンクタンクは、
理想的なガバメントになりたいという
願望があると思います。
つまり、徹底的な公僕になりたい民間企業。 |
田坂 |
それすごい、300%当たってますよ。
私がシンクタンクを辞めた
一番大きな理由はそれなんですよ。
非常にありがたい立場に
置いて頂いていましたから
特に不満はなかったんですけど、
不満がないから長くやる、
というものでもないですよね。
やりたいことをやるために、飛び出すんで。
私は、21世紀型の
シンクタンクをつくってみたいのです。
どんなものになるのかはまだわからないけど。
それを「シンクタンクの活動」と
呼ぶのかどうかもわからないけど、
知の流通革命とか、
知のパラダイム転換をやってみたいです。
知のありかたを
根本から変えるような動きを、
時代が求めていると感じます。
そして、「知の垂直統合」を
やるべきだと思っているんですよ。
深遠な哲学だとか高邁な理念を語りながら、
一方でものすごく具体的な戦略や戦術を語れる。
そうしたスタイルが必要だという
気がしてならないのです。
(おわり) |