雑誌『編集会議』の連載対談
まるごと版。

2.田坂広志さん篇。

一時、ぼくは『複雑系』関係の本を読みまくってた。
たくさんの人名が登場したのだけれど、
田坂広志さんのトータルな視点に興味を持っていて、
この方と会って話してみたいと、
『編集会議』の編集部にお願いしたわけです。
かーなり濃い数時間を、連載でお届けします。


雑誌『編集会議』のご厚意で、
こういう願ってもない新連載がはじまりました。
紙媒体の限られた面積からはみだしてしまった
対談のテープ起こしを、そのまま全文掲載です。

ちなみに、次の『編集会議』の対談は鳥越俊太郎さんです。
興味のある方は、雑誌『編集会議』をおたのしみに。

第1回 「届けたい」「伝えたい」のやるせなさ

第2回 操作主義という病

第3回 ローリスク・ミディアムリターン

第4回 痛くて気持ちのいいカオス

第5回 ビジネスの本質が、癒しになってきている

第6回 ちょっとした揺らぎで、大きな差が生まれる

第7回 発想が生み出されるとき

第8回 リスクを取るということ

第9回 魂でものを語る

第10回 ランボーは、詩人だったから貿易商になった


糸井 スポーツマンは、上手に休むんですよ。
インターバルなしのトレーニングは、ないんです。
でも、精神の労働は、インターバルなしに
リニアに突き進んでしまいがちなんですよ。
今の自分のはっきりした欠点はそこなんです。
田坂 なるほど。
糸井 40歳くらいまで、休み過ぎたんです。
ぼくは本当に楽しくて、本当に楽だったんです。
毎日遊園地にいるようなものだった。
働こうと思ったのは、つい2〜3年前ですから。
もとを取るように走っているわけだけど、
休み過ぎも走り過ぎも、両方違っているよと。
田坂 それは、才能のあるひとのセリフだと思います。
仕事をしていて、負担ではなかったでしょう?
糸井 今ぼくがインターネットでやっていることは
ゲームが複雑だから、おもしろ過ぎるんです。
誰も答えを持っていないし、
俺がわかるかもしれないし、
向こうに光が見えるんだよな、
というところで走っているときだと。
しかも、うしろを向くと、ひとがいる。

昔、学生運動をやっていて一番哀しいのが、
うしろを振り向いても、誰もいないとき。
みんなで「行けー!」とバーッと行っても、
うしろを振り向いたらはるかかなたに
みんながいるときに、
「ああ、やっぱり」って思わされた。

だけどインターネットをはじめたら、
誰もいないと思うところで、
「ぼく、いますよ」と岡山あたりから
メールで一声かけられる。泣いちゃいますね。
誰かがいるというこの感じ、
これがぼくを走らせてしまうんですよ。
田坂 わかりますね。
私も仕事が楽しくて、
ずっと走ってきた人間なんだけど、
大変なことも含めて、仕事を遊びにしちゃうから。
成功したからよかったとか、
失敗したからだめだったとかではなくて、
結果はどちらでもいいと思うんです。

私は、結構本気で、
「仕事の最高の報酬は、成長だ」と思うんです。
職業人として、もしくは人間として
成長していくのが最高の報酬だから、
失敗しようが何をしようが、
一生懸命取り組んでやっていると
確かに成長しているんですよね。
それそのものが楽しいみたいなところがあって。
「俺も少しは成長したじゃないか」って。
糸井 ひとつ何かわかっただけで、うれしいもんね。
田坂 時間があっという間に過ぎましたね。
非常におもしろかったです。
糸井さんとは、世代が近いせいか、
若い人に言うと豆鉄砲食らうような話ができる。
私が大学に入ったときは、
まだ学生運動もすさまじかったですから。
友人が鉄パイプで殴り殺されたとか。
糸井 俺はそこで「わあ!」と思ったのが、
原体験かもしれないな。
上手にだます力があるというのが嫌だった。
全部言葉の問題だと思った。
だから言葉の商売に入ったのでしょうね。

中内さんの友人の戦死に近いものは、
間接的にはありますよね。
こうだませばだませるというテクで
だまされる自分が悲しいなあと。
田坂 私の原体験も、同じですね。
あの頃言っていたことを、
30年間本当に「思い」として
持ち続けて生きている人は、必ずしも多くない。
だけど、あの頃、その「思い」に賭けて
命を失った仲間がいるのに、
何十年も経ったあとに、
「いやあ、あれは若気の至りで」
というのでは、申し訳ないと思います。
そして、昔はこうだった、懐かしいなあ、
というの思い出話でも、済ましたくないから。

糸井さんは何十年も前に
「言葉」だと直観されたけど、
今まさに言霊の時代でしょう?
これだけ情報化社会になって、
インターネットのようなメディアが出たら、
ますます言葉と言霊が最大の武器になる時代です。
これからは、いかに言葉を
アーティスティックに使うかということが問われる。
糸井 やはり、自分でメディアを持てたのがすごいです。
ポパイではポパイの文脈で、
編集会議では編集会議の文脈で、
ぼくは書かなければいけないですから。
今は別の媒体を持っているから、
対談をそのままのかたちで自分で出せますよね。
自分でも出せますというのは、
本当にありがたいと思います。
失敗も含めて出してしまえるから。

流通革命と言われるなかでは、
ダウンロードされうるといったような
読み手側や受け取り手側のことが語られますが
書く側が本気でやりたいことをできるんだ、
という部分に、ぼくは光をあてたいんです。

クリエイティブとサービスの貿易商をやりたい。
ランボーは、詩人だったおかげで
後年に貿易商になったんだろうなと思う。
天と地をつなぐのが、詩だったから。
田坂 なるほど。すごくおもしろいですね。
中沢新一さんとお話をしているときに、
「21世紀のピカソは、絵を描かない」
ということを言っていました。
それはその通りで、ランボーにしても、
当時の表現手段として詩を選んだだけで、
時代が変わり、メディアが変わり、
表現の手段が多様になると、
全然違うことに向かう可能性がある。
つまり、ピカソがもし今生まれ変わったら、
油絵を描くことはなかったんじゃないか。
スピルバーグみたいな世界に行ったのか、
何やったのかはわからないですけど。

もともと、「表現者」というものは
魂のありかたみたいなものが根本で、
たまたまいろいろな縁とか運とか出会いのなかで
「表現手段」を選んでいくわけでしょう?
糸井さんがコピーを選ばれたのは
ちょうどあの時代の糸井さんの
魂だとかいろいろなもののありかたが
それを選んだのだと思うんですよね。
私がシンクタンクを選んだのも、
あの頃の魂がそれを選んだのでしょう。
糸井 シンクタンクは、
理想的なガバメントになりたいという
願望があると思います。
つまり、徹底的な公僕になりたい民間企業。
田坂 それすごい、300%当たってますよ。
私がシンクタンクを辞めた
一番大きな理由はそれなんですよ。
非常にありがたい立場に
置いて頂いていましたから
特に不満はなかったんですけど、
不満がないから長くやる、
というものでもないですよね。
やりたいことをやるために、飛び出すんで。

私は、21世紀型の
シンクタンクをつくってみたいのです。
どんなものになるのかはまだわからないけど。
それを「シンクタンクの活動」と
呼ぶのかどうかもわからないけど、
知の流通革命とか、
知のパラダイム転換をやってみたいです。

知のありかたを
根本から変えるような動きを、
時代が求めていると感じます。
そして、「知の垂直統合」を
やるべきだと思っているんですよ。
深遠な哲学だとか高邁な理念を語りながら、
一方でものすごく具体的な戦略や戦術を語れる。
そうしたスタイルが必要だという
気がしてならないのです。

(おわり)

田坂広志さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「田坂広志さんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2000-06-26-MON

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