糸井 |
ぼくが組織論を知りたいのは、
動機だけで、純粋な興味として
「研究は面白いなあ」と集まったはずなのに、
どうしてうまくいかなくなるかを、
知りたいからなんですよね。
生産をするだけでは動機を維持できないし、
アメリカで事例が出てるサンタフェ研究所とかは、
経済構造として社長がいますというかたちで
研究機関が作られていて、本でだけ読むと
うまくいっていそうに見えてうらやましいけど、
実際は、そんなに甘いもんじゃないでしょうし。
だって、キチガイを集めようとすればするほど、
組織をどうしていくのかは、怖くなりますよ。
サンタフェみたいにノーベル賞の人たちが
何人もいるところで楽しくやってるなんて、
そんなの、実際は、あるわきゃないもん(笑)。
集団というのは、機械ですよね?
組織というその機械と、信頼や動機という
キーワードを、どう結ぶのかを知りたいんです。
利己的な人間でもある一方で、
研究という生産のために集まった人たちが、
どうなっているのかの仕組みは、
よろしかったら研究してほしいくらいですね。 |
山岸 |
その研究は、私にはとても難しいですね。
原理で考えられる部分が非常に少ないからです。
学問には、科学と芸能があると思うんですよ。
組織は、その芸能の部分だと思うんです。
アメリカの大学で言えば、
プロフェッショナルスクールでやっている部分は、
ほとんどが芸能なんですよ。つまり科学ではない。
例えば、医学や法解釈やビジネススクール・・・
そういったものはすべて、基本的には
スキルの集積であって、芸能だと思うんです。
そこには根本的な原理があるわけでもなく、
その根本的な原理を適応させるところで
解決する問題もないと感じるんですね。 |
糸井 |
歴史で言うと、原理ではわからない時には、
必ず、当面の解決法として宗教が入りますよね?
宗教以外で解決したものは、もうほとんど
基本的には見たことがないというか・・・。
宗教というものすごい分厚い衣装を選ぶのか、
何も選ばなくて済んで、やっていけるのか・・・
そんなようなことは、ぼくはすごく興味あります。
ですから、当面の計決法としての宗教を、
ぼくは、否定しきれないんですよね。
今、山岸さんが芸能とおっしゃったことと、
宗教とは、とても似たものだと思うのですが、
でも、今ある宗教は、嫌なものが多いわけで・・・
だったら、嫌じゃない宗教ならいいのではないか?
そう考えたりもしているんです。
でも、宗教が嫌じゃないって、何なんだろう?
不自由を体感しやすいぼくのような人間にとって、
嫌ではない宗教はどのようなものかを考えたら、
今のところ一つだけはっきりと考えられるのが、
「出入り自由」というキーワードなんです。
でも、これがまた、出入り自由にすると、
宗教ではなくなるんですけど。 |
山岸 |
なるほどー。そうだと思いますね。 |
糸井 |
組織論にしても、出入り自由としたときには、
今までの範疇では考えられなくなるのですが、
ほとんど言語矛盾とさえ見えるのですが、
「出入り自由な宗教」という言葉を使い続けて
何かを見つけるしかないのかもしれないなあ、
というのが、今のぼくの仮の考えだと思います。
山岸さんがおっしゃっていることにしても、
「信頼をしたほうが得だ」という仮の宗教を
身にまとわせているわけですよね?
つまり「正直は最大の戦略である」という
その「戦略」という言葉は、限りなく宗教に近い、
勝ち負けの論理の言葉なわけですから・・・。
いったん仮着を着せたほうがうまく回転するぞ、
というのと同じように考えていくことですよね。 |
山岸 |
それは、おもしろいですね。
みんながあることを信じている社会においては、
そのあることが、本当のものになってしまう・・・
宗教というのは、
そういうものかもしれないですね。 |
糸井 |
かつてあった宗教で、ぼくが一番
嫌じゃないなと思えるものは、親鸞なんです。
一番「勝手な宗教」です。
現世の状態を、ぜんぶ否定も肯定もしないで、
ただ、「ある」とみなすんです。
アリさんがいるのとおんなじように、「ある」。
で、余計なものはぜんぶ省いてしまって、
「南無阿弥陀仏」と一言言うだけでいいとしてて。
そう決めたことについては、そうとう、
思想家としての経験から来てもいるだろうし、
苦しみ抜いた結論だろうし・・・そう考えた
親鸞の脳には、ものすごい膨大な宇宙を見ますね。
南無阿弥陀仏の一言で、
すべてを救ってしまう「ことにした」人の、
心の大きさと痛み、これがかっこいい・・・。
今のところ、それが一番マシかなあ、と思います。 |
山岸 |
新しく実験のシリーズをはじめたんですけど、
それはその問題に近いと思います。
放っておくとだめになる状態があるので、
集団の中で何らかの制度を設定する必要があって、
でも「強制」の制度は絶対にみんな嫌がるんです。
そこで、強制でもなくて、
みんなが自分たちで情報を整理できる仕掛けには、
どういうシステムが考えられるのか?という。
そんなシステムを作れるかは、わからないですが、
それをうまく作ることについて、考えています。
誰もがそういうシステムを願っているだろうから。 |
糸井 |
たぶんぼくのやれることは、例えば
山岸さんが仮に提出された「正直」について、
それをしたら成功したという例を、
生めるかどうかが重要になるのでしょうね。
でも「仕事として例を見せる」となってしまうと
これは別次元の「キャンペーン」になるから、
そこが難しくなってきますけども。 |
山岸 |
そうですね。 |
糸井 |
だから、正直のまま放っておいてみて、
「何だか、失敗も含めて楽しそうだなあ」
と言われた日には「イケる」かな?・・・
そういうところで、ぼくは現在、
「ほぼ日刊イトイ新聞」をやっているような。
ぼくにとっては、「おもしろそうだな」と
言われるあたりにカギがあるという気がします。
・・・いやあ、このへん膨大な話ですね。
政治も経済も絡んできますから。
貨幣だけで動かせないものがあるというのは、
さっきの組織論が完成できないこととも絡むし、
つまり人間は、とても困ったモノであって・・・。
やっぱり、組織論にとても興味があります。
山岸さんの話、おもしろいなあ。
哲学であり宗教であり、ぜんぶあるから、
もう、社会学じゃあ、ないですもんね。 |
山岸 |
そうなんだと思います。
「何学?」といわれるとこまるんですよ。
私自身としては、今から生まれつつある
ほんとうの社会科学を、やりたいんですね。
今までの社会科学というのは、エセ科学なわけで。 |
糸井 |
そこで、サンタフェ的な学際的な組織があったら、
研究って、楽しいでしょうね。
・・・あとは、きちんとやるための
研究費が欲しくなってくるでしょう? |
山岸 |
はい。そして、それはじめちゃうと、
そっちに時間が取られてしまうんですね。
・・・そこは、すごいジレンマです。
予算がないとできないことがたくさんあるし、
かといって、予算を取ることを真剣にしていると
自分の研究がおろそかになってしまう・・・。 |
糸井 |
やっぱり、プロデューサーを、
日本が育ててこなかったんでしょうね。
理解して「お金、出しますよ」という
テクノクラートが、やはり研究には必要ですよ。 |
山岸 |
ただ、今は、新しい学問ができる場面に
何らかのかたちで直面できているので、
そこがすごくうれしくて続けています。
そういう、新しさに直面しているといった
幻想のようなものがあるから、
私も研究をしているんだとは思いますよ。 |
糸井 |
やっぱり、動機の源は幻想ですね(笑)。
ほんとに、ぜんぶのことを言い足りないままで
考えを進めたくなるところで対談が終わりますが、
ほんとにありがとうございました。
お話をしてて、わくわくしましたよ〜。
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