最終回 詩の世界を 科学者は追いかけるべきだ。

糸井 昨日、ツイッターにちょっと書いたんです。
イチローはアメリカに
バットとグローブを持ってきたけれども、
石井さんという人は、
グランドの造成からはじめた、と。
石井 あ、それに近い内容で、
ぼくのツイートのなかで
競争についてのものがあるんです。
「100メートルトラックを
 人より速く走ること、
 それは真の競争ではない」


糸井 はい。
石井 「トラックも何もない、
 原野をひとり切り拓きながら、
 孤独に耐えて走る。
 それがほんとうの競争で、
 そこには観客も審判も
 ストップウォッチもない」

トラックがすでに引かれている場所を
速く走ることが競争だと思ってる。
そうじゃなくて、
まったく新しい道を作ることが大事だ
ということを言ったんです。

そうしたらある日、
高村光太郎を読んだら‥‥。
糸井 はははは。


石井 「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
はるかに短く、はるかに訴求力のある言葉で
同じことを言っていて
すごいな高村光太郎、ということに。
糸井 詩人が持っている
無意識の可能性みたいなもの、
というのはねぇ‥‥
石井 すごいですねぇ。
糸井 うん。
科学者が、絶対に追っかけるべき
と言いたいぐらいの道ですよね。
石井 そうですね、ほんとうに。
糸井さんが書かれたコピーも
ポエムであると同時に、
いろんなニュアンスが見えてきます。
糸井 うん。
ぼくは、言えないことがある、
という前提で書くんです。
石井 そうですね、そしてたぶん、
「言えないことを言う」んじゃなくって、
「想起させる」。
糸井 ええ。
石井 ぼくの作ったミュージックボトルに、よく
「何か中身を入れたらいいんじゃない?」と
言われるんです。
でもぼくはダメだと思ってる。
絶対にエンプティー(空っぽ)で
なくてはならない。



すてきなワインのボトル、
お気に入りのウイスキーのボトルだったら
憶えている味がある。
香水の瓶だったら、香りを憶えている。
ボトルというもののフォルムから
眠っている記憶を呼び出して、解釈させる。
すなわち、すみずみまで完成した作品を出さずに、
受け取る側の想像力で埋めさせて
それぞれの人のバージョンを
完結させるんです。

まさにそれが
糸井さんがやってきたコピーであり、
芭蕉のやってきた俳句であると思います。
非常に含蓄のあるメッセージです。

武道に「寸止め」ってありますよね。
殴っちゃおしまいだよ、
殴らずに止めておいて
「殴られてしまったんだなぁ」
「痛かったんだなぁ」
と思わせる。
そういうものを残した余韻というのが、
まさにコピーの文化であり、
俳句の文化であります。
糸井 そのなかに何があるかを、
その人の言葉で
適切に語られたときが「詩」ですよね。
その詩について、
何があったんですか、と訊けば
出てくるものは必ずあるわけです。
石井 そのあたりのことは、
学生時代のときには
ぜんぜんわからなかった。
いまやっと、高村光太郎だって、
その深さがわかります。

ぼくの作るものにはもちろん
卓球台のような具体的なものもありますけど、
そこには常に抽象的なメッセージがあって、
ものに負けない表現をしています。
誰かの作ったものから
そういったメッセージを読み解くのは
すごく大事だと思います。
糸井 抽象的なメッセージといえば、
石井先生のラケット、
すごいことになってますねぇ。

石井 ええ。こういうものには
大事なエピソードがありましてね。
青春時代の厳しい訓練のプロセスを経て、
卓球のラケット自体が、
リフォームされて、
形が変わってくるのです。
糸井 うん、うん。
石井 デジタルは硬くてなじまないけど
ものと身体の関係は
進化してフィットしていきます。
このラケットは
一緒に青春を過ごしたその間に、
コルクの形も変わってきました。
いまや、このラケットを持つと、
これが完璧に消えてしまいます。
もはやぼくの身体の一部です。
こういう「まるで消えてしまうようなもの」を
ぼくらはめざしています。
‥‥といったことを言いながら、
研究費を使ったことを、
ジャスティファイし続ける。
そういうものであるわけです。


糸井 ぼく、昨日先生の
フォロワーになりましたよ。
さかのぼってツイートを読んでいると、
石井先生、欲が深いと思いました。
一同 (笑)


石井 当たり前ですよ。
人生短いんで。
糸井 石井先生は
人生の短さについての話を
意識的になさってるように思えるんですが。
石井 ええ。残り時間が少ないということが、
ドライビングフォースになるからです。
やりたいことは山ほどあります。
糸井 だけど、ぼくとのあいだに
10年あるんですよ。
石井 あ、そんなお若いんですか。
糸井 お若いんじゃなくて、
ぼくが62なんです。
年下じゃなくて、年上なんです。
石井 ほんとですか!
知らなかった、ほとんど同世代だと‥‥。
糸井 いえいえ。
石井 じゃあ残り少ないですね、ぼくより。
糸井 そうなんです。
一同 (笑)


糸井 ぼくも、10年前くらいは
人生が短いことを言っていました。
だけどいまはあんまり言わなくなって、
「オレは1000年生きる」って
決めたんですよ。
石井 1000年生きる。
サイボーグ009みたいだ。
糸井 感覚として、ですよ。
100年や80年で
止める必要はまったくないと思ったんです。
オレは死にたくて死ぬわけじゃないから。
1000年生きると言ってれば、
先の急ぎ方がいらなくなるんですよ。
石井 明日があるさ、
150年後があるさ、ということで
やることを先に延ばせますね。
そうするとリラックスしてやっていける。
糸井 そう。
で、やることはおなじですから。
石井 達観されると、そうなるのかなぁ。
涅槃の境地。
糸井 というか、アイディアなんですよ。
100年と思ってたときより
ずっと解放されるんです。
石井 すごいですね。
糸井 うん。
石井 ぼくもちょっと近いかもしれません。
いつも、講演の最後に
「2200年のことを考えてください、
 みなさんごいっしょです」
ということを申し上げます。
「次の四半期にいい営業成績上げようとか、
 円満定年退職しようとか、
 お葬式で悲しんでもらいたいとか言いますが、
 そうじゃなくて、その先に広がる
 未来のことを考えましょう。
 そのうち自分は死んでしまうけど、
 残せるものはある。
 コンセプトとか、いろんなアイディアとか」


糸井 うん、そうですね。
旅の終わりは、旅のはじまりですから。
石井 永遠に続きます。
ピラミッドとか、建築物を残せる
王様もいますけど、
ぼくの場合はアイディアを残したい。
糸井 そうですね。
そういったことに理解のある
MITの先生がいらっしゃるっていうのは、
未来が明るくなりますねぇ。
石井 MITだったら当たり前ですよ、
当たり前です。
糸井 ものすごくうれしい。
石井 ぜひMIT来てください。
TOEFL630点、TOEIC900点あれば、
来れますよ。


糸井 そろばんは何級あればいいでしょう。
石井 そろばんは1級ぐらいあるといいですね。
そろばんをランドセルに挿して、
宮本武蔵みたいな
気持ちになった人に
ぜひ来てほしいです。
そんな日本人はもうほとんどいないですけども。
ジャって出して、パチパチパチ。
一同 (笑)
石井 カムイ外伝の変移抜刀霞斬り
(へんいばっとうかすみぎり)です。
ああいう気合ですね、
ああいう気合でもって。
糸井 ときどきマッチョなことも
おっしゃいますよね?


石井 あ、そうですね、北斗の拳とかね、
「お前はもう死んでいる」、
すごく好きです。
糸井 そのマッチョ要素は
アメリカに来てからですか、
前からですか。
石井 それは、やっぱり
コンプレックスからですよ。
ぼくはちっともマッチョじゃないのでね、
「ダイ・ハード」的なものに
あこがれがあります。
糸井 あこがれですか。
石井 研究の分野で、
「お前はもう死んでいる」とか
言ってみたい。
糸井 みたい(笑)。
石井 でも、殴られたら
すぐ死んでしまうので、
メタフォリカルに、マッチョ系です。
糸井 はははは。
今日はおもしろかったです
ほんとうにありがとうございました。
石井 ありがとうございました。



(おしまいです。
 ご愛読ありがとうございました。
 最終回の動画もぜひごらんください)


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2011-05-19-THU

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN