|
ほんとうのプライベートな時間って、
もしかしたら部屋にいるときでもないんじゃないか、
仕事場から家に帰るまでの
例えば歩いてる時間とか電車に乗ってる時間とかが、
実は一番プライベートな時間かもなって思うんです。
|
|
あっ、そうかも知れない。
|
|
僕はベルリンに行った瞬間にほんとに孤独だったんですよ。
だれも知らないし、
耳から入って来るドイツ語も分かんないし。
俺ここで何してるんだろうと思った瞬間は、
当然最初のころはあったんですよ。
でも、徐々にいろんな知り合いができて、
よくケバブを買う店ができてね、顔見知りになったり。
そうやって、街に根付いていくわけじゃないですか。
で、東京って、あまりに広くてあまりに密度が高いから、
むしろあんまり‥‥。
僕、隣に住んでる人知らないし。
外にいる瞬間のほうが
プライベートだったりするっていうか、
なんか渋谷のざわついたところで、
知り合いは誰もいないわけじゃないですか。
なかなか会わないですよね、東京って街では、
不思議なことに。
僕、自転車で動く範囲がそれなりに大きいので、
そんなにおんなじところ何度も行ったり、
誰かに目撃されたりっていうのがないから、
むしろ外にいるときが、人はいっぱいいても、
プライベートな瞬間を感じるというか。
|
|
|
なるほど、なるほど。外のほうが、おうち化してる、と。
|
|
凱風館での内田先生もきっと同じで、
ちょっとフラフラっと
外に買い物に行っている瞬間のほうが
実はひとりだと思うんですよ。
|
|
糸井も言ってました、
逆転してるって。家と外が。
昔はおうちでしか音楽が聞けなかったけど、
ウォークマンをつけて外に出るようになって、
いまはiPodみたいなものがあって、
そういうふうな逆転がこの先も起きてくるって。
|
|
外で電話してるもんね。
むかしは電話は外でしなかった。
携帯電話ができたときも
会話を人に聞かれるのに妙な抵抗があった。
|
|
そうですよ。いまや歩きながら電話してる。
そのすごくプライベートな話を
いろんな人に聞こえてるようにしてるのに。
|
|
だんだん「聞かれること」を
気にしない人が増えてきましたよね。
僕はまだダメだけど。
|
|
ぼくも、光嶋さん的に、
外に出てるときがひとりの時間だったんですけど、
それこそ引っ越して変わったんですよ。
商店街がすぐそばにある
住宅地に引っ越したんですよ。
そしたら酒屋のおじさんと仲良くなり、
八百屋のおばちゃんと仲良くなり、
その延長で伊勢丹のデパ地下の人たちとも
仲良くなったり(笑)。
いま、そういうほうが楽しいなってちょっと‥‥。
|
|
それって、共同体なんですよ。
不思議な共同体。
|
|
そうなんだー。
|
|
|
そっか、作りたくなっちゃったのかも。
|
|
そうやってコミットしていく関係を。
|
|
そう。で、ちょっと買いに行くと誰かに会って、
こんにちはーとかやってるんです。
|
|
「おう、ちょっと太ったんじゃないのー」みたいな、
そういういろんなちょっとした話が楽しいでしょう。
|
|
そうです!
なじみのレストランに行くというのも
そういう行為に近いですね。
みんな、批評めいたことを好き勝手書くけれど、
そうじゃないつきあい方があるはずなんですよ。
前にレストランで「出てくるのが遅い!」って
激怒している人を見たんだけれど、
その人以外は、「この店は出てくるのが遅いけど、
とってもおいしいから、その待つ時間もふくめて
楽しみましょう」ということが
わかってる人たちだったんです。
だからテーブルにもう全然サービスが来てくれなくても。
|
|
「おーい、ちょっとさっきのワインどうなってる!」
|
|
って、理屈からしたら、怒ってもいいくらいなんだけど。
怒ってもしょうがないじゃない。
「いいよ、いいよ、いいよ。俺がやっとくよ」
ってワインクーラーから注いだほうが、
楽しい時間が過ごせる。
ああいうことも共同体っぽかったです。
|
|
いい店ってそうだと思いますよ。
そういうムードがある。
|
|
僕はそこの一員なんでしょうね。
だから平気なんですけど、
一緒に行った人はその仲間じゃないと、
イライラし始めちゃうこともある。
自分だって逆の立場になりえるし。
|
|
|
そう。それ、それそれ、それそれ。
|
|
「これ、ちょっとおかしくない?」とか言い出して。
|
|
凱風館でもおんなじことが言えるんですよ。
僕はこの共同体のメンバーですよ。
150人の合気道のメンバーでもあるし、
20人のマージャン連盟でもあるし。
ある意味ハードコアなメンバーです。
で、内田先生が言うのは、
「開くことは結構ラクだ」と。
誰でも来ていいよ、って言うのはラク。
けれども閉じるのが難しいんですよ。
閉じた瞬間に、「あ、俺排除された」みたいな、
すごくいやな毒が届くと。
そこで内田先生が言ってたのは、
意図的に閉じるのは難しいけれど、
150人ぐらいの母体になると、
その共同体があるオーラを発する、と。
俺らは俺。これが俺らの共同体だぜ、みたいな。
みんなで、タッグ組んでる感じが。
そうすると、それと異なる151人目が来ると、
「あれ、なんか、呼ばれてねぇな、俺」
みたいに、気まずくなる。
ある防御ラインみたいなのが自然と形成されると。
それが共同体の力なんだと。
|
|
自然にできる、と。
|
|
宮崎駿さんだったと思うんですけど、
絵がべらぼうに上手くても
異常に遅刻するとか、社会的に不適格な人間を
はずすみたいなことを、初期はしてたみたいなんですね。
|
|
それを、いま、逆にしたんですよね。
|
|
|
そう、排除してもしょうがないっていうことが分かったと。
50人の中には絶対ひとりかふたりはね、遅刻する奴もいる。
けれど社会的にダメでも、絵が異常に上手いとか、
なんかいろいろあるはずだと。
排除することよりもそれを受け入れたなかで、
その共同体を作ったほうがいいんだって。
健全な共同体っていうのはやっぱりデコボコしてるもの。
バラバラになってることはすごくいいことだと思うし。
家づくりの話にもどりますけれど、
「普遍解」はないはずなんです。
サステイナブルで環境的なっていう、
普遍的なところがあっても、
結局やえさん、武井さん、鈴木さんって、
全部個別解ですよ。
建築家は、その個別解のなかでも、
ある普遍性があるのではないか、
というふうに考え続けるしかない。
凱風館は完全に特殊解ですよ。
内田樹っていう人間が作ったひとつの特殊解。
でも、僕はそのなかにある普遍性はあると思うし、
それは僕は共同体の作り方であったり、
建築とその共同体の関係性にこそ
ある普遍性があるんじゃないかと睨んでるんですけど、
確信は持てないし、それがどう次の仕事とか、
これからの価値観、時代性において、
成り立つのかはちょっとまだ、明確には言語化できない。
それを探っていくためには、やっぱこういう対話をね、
重ねていくしかないんです。
そういう普遍性はあると信じたいんですよね。
変化していき続ける個別解のなかに。
|
|
結論は出ないままでしたが、
とても面白い対話でした。
いつか‥‥自邸を建てるようなことになったら
光嶋さんに相談します。
|
|
ぜひよろしく!
|
|
ありがとうございました。
|
|
ありがとうございました。
|
|
炭火が熾せるキッチンにしてくださいね。
|
|
うわあ、いきなり難しいことを(笑)! |
|
(おわります) |