星野源さん、おめでとうございます!
第9回伊丹十三賞の贈呈式に
行ってまいりました。

こんにちは。です。
今年も、伊丹十三賞の贈呈式に
糸井重里以下数名の「ほぼ日」乗組員で参加しました。


わたしたち「ほぼ日」と伊丹十三賞のご縁は、
まずは第1回の受賞者が糸井重里であるということ。
それをきっかけのひとつとして
「ほぼ日の伊丹十三特集」
つくったことではじまりました。

その後もなにかと、宮本信子さん
宮本さんが館長を務めていらっしゃる伊丹十三記念館さん
お付き合いさせていただいていることなどがあり、
この賞の贈呈式のたびに、毎回、ちいさなお手伝いをしつつ、
参加させていただいているのでした。

そして今回、第9回の受賞者は、
最近のテレビや音楽、執筆で、
ご活躍ぶりは語るまでもない、星野源さんです。



「ほぼ日」が星野源さんにお世話になるのも
じつはけっこう長いのです。
たとえば、はじめてご本人にご登場いただいたのは、
「MOTHER3」のときでした。
そして「タムくん」などがあり。
さらに、当時話題騒然となった、「ほぼ日ハラマキ」の
「はらよわ男の座談会(ジュエリー仕様)」という‥‥、
たぶんタイトルだけ聞いても意味がわからないと思うので
ぜひページをご覧いただきたい読みもの、のときでした。

しかし、星野源さんのお名前が
初めて「ほぼ日」紙面に出たのは、
おそらく2005年の「タイガー&ドラゴン」の
イラスト
のなか、ではないかなと思います。
‥‥懐かしいですね。

そしていちばん最近では、「ほぼ日」でつくった
三國万里子さんの本『うれしいセーター』


写真:久家靖秀

かほどに長く、
星野さんにはお世話になっているのですから、
贈呈式の日を迎えるのを
わたしたちもとても楽しみにしていました。

前置きが長くなりましたが、
そのようすをご報告いたします。

今年も、ある春の宵。
気持ちのいい日本庭園を眺める場所で、
伊丹十三賞贈呈式が行われました。


▲左から、選考委員の周防正行さん、宮本信子伊丹十三記念館館長、
 星野源さんをはさんで、南伸坊さん、中村好文さん
 (この日もう一人の選考委員、平松洋子さんはご欠席でした)。

まずは
選考委員南伸坊さんによる、授賞理由のスピーチです
(一部抜粋です)。



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星野源さん、伊丹十三賞受賞おめでとうございます。
そして、ありがとうございます。
受賞してくださって、贈呈式にも出席してくださって。
私たちは伊丹十三さんが大好きで、
それは、伊丹さんのつくるものが
いつも新しくて、おもしろくて、
楽しませてくださったからなのですが、
その伊丹さんの仕事をいつまでも忘れてほしくないし、
楽しんでほしい、そして伊丹さんのことを
ずっとみなさんに覚えていてほしい、という気持ちで、
この賞はスタートしたのでした。

星野さんは、伊丹さんの『タンポポ』を大好きです、
と著書でふれられています。
「伊丹さんのエンターテインメントな作品が大好きです。
でもその内側には異常なこだわりと、
プラクティカルな心が
メラメラと燃えている感じがします。
カッコいいです。』
と書かれています。うれしいです。

さらにうれしいことには同じ本で
ハナ肇とクレイジーキャッツについて、
ふれておられます。

「クレイジーキャッツの曲や映画をもとにした
『オヨビでない奴!』という、
植木等さんもでていたドラマを、小学生の時、
ビデオにとって何度も何度も見ていました。
それがきっかけで中学生の時
クレイジーキャッツのCDを買い、それからどっぷり
そのドラマも、映画も、曲も、自分にとってアイドルです」

とあります。わたしと一緒です。
わたしも中学生の時、植木等さんに
めちゃくちゃ影響を受けました。
遠足のときバスの中で、まわってきたマイクで
「スーダラ節」と「無責任一代男」を歌って
大受けしたんですが、
一段落したところでバスガイドさんがマイクで、
『無責任は、いけませんね』と一言入れたのに、
猛烈に腹がたちました。なにもわかってない。
中学生が受け取っていたのは、植木さんの楽しさでした。
中学生が持っている真面目さや正義感と、
その楽しさはまったく矛盾していない。
そのことが一番、だいじな事なのに。

なぜ伊丹十三賞なのにこんなに植木さんのことばっかり
長々話したのかというと、
わたしはあまりにも植木さんが好きなので、
プロアマを問わず、
だれかが「スーダラ節」を歌っているのを聞くと、
必ず不平を言っていました。
「スーダラ節」は植木さんが歌わなくちゃあ
「スーダラ節」じゃないんだ、
とまで思っていました。
わたしは実は音楽については
まったく無教養なので、わたしが星野さんの音楽について
どのようなことを述べようとまったく無意味なのですが、
星野さんが「スーダラ節」を歌っている、というのを聞いて、
Youtubeで探してみました。驚きました。
あの「スーダラ節」を、星野さんはしんみり、歌っていました。

わたしは、この人はわかっているなあ、と思いました。
植木さんが、この曲を渡されたときに、
どれだけ悩んで、工夫をしたか。
それをわかっている、と思いました。

その後、星野源さんがタモリさんと
「スーダラ節」をコラボした、という噂を聞いて、
これもぜひ聞いてみたいと思って、やっとたどり着いて、
びっくりしました。すごく楽しい。

「タモリを引き込んだ星野源が偉い」と思いました。

楽しい贈りものをくれる人を、わたしは尊敬します。
芸術とは、たのしい記号である、と言ったのは、
哲学者の鶴見俊輔さんです。
伊丹さんのエンターテインメントな作品が大好きです、
と言ったのは、星野源さんです。

星野さんのおっしゃりたかったのは、
私の気持ちと一緒でしょう。
新刊の『いのちの車窓から』、すばらしいです。
星野源さん、おめでとう。おめでとうございます。
それから、ありがとうございます。
楽しい贈りものをくれる人に、
わたしは感謝します。楽しいから。
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そして、賞状の贈呈(周防さん)



副賞の贈呈(宮本信子館長)と続き、



星野源さんの、受賞の言葉がありました。
12分以上と長いスピーチですが、
ほぼすべてを掲載します。



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いまお水を持ってきていただいておりますので、
少々お待ちください。(会場 笑)
喉がからからでございます。

(お水を飲んで)
こんなにたくさんの方がいらしているとは
思いもしませんでした。
ほんとうにいま、お話を聞いていても、ものすごく、
心臓から、胸の内から感動させていただいておりますが、
すばらしい賞をいただきまして
ほんとうにありがとうございます。

僕が小さい頃からテレビで、
伊丹さんの映画がよく流れていました。
僕の一番ちっさいときの記憶としてはですね、
なぜか、たしか「オレたちひょうきん族」か、
「やまだかつてないテレビ」か
どっちかだったと思うんですが、
サックスプレイヤーのマルタさんが、
「マルサの女」のテーマ曲を吹いて、
「マルタの女」、っていうギャグをやってて、
何てくだらないんだろうと思ったのが、
さいしょの、伊丹さん関連の記憶です。

なぜかそれをことあるごとに思い出して、
「あれ、くだらなかったな」、と。
で、そのたびに「マルサの女」のテーマ曲が
頭のなかで流れて、
あ、また伊丹さんの映画みたいな、
とよく思っていました。

ちいさい頃にテレビで流れていたのは、
たしか「マルサの女」や「ミンボーの女」で、
よく見ていたんですが、あらためてもう一回、
全部見直してみたいなと思って、
ちょうどDVDボックスが出た時、
20代の半ばくらいだったのですが、見て、
その時がおとなになってからといいますか、
しっかりふれた伊丹さんの映画体験でした。

『タンポポ』を見て、なんておもしろいんだ、
こんなにおもしろいんだ、と痛感して、
そこから一気に伊丹さんブームが自分の中で訪れ、
エッセイを読んだり、映画を全部見たりしました。

そのちょっと後に、『伊丹十三の本』という本が出て、
それを読んだり、『13の顔を持つ男』というDVDを
買ってみたりしておりました。

で、こんなにすごい人なんだと。
てっきり、映画監督だけだと思っていたのですが、
ほんとうにいろんな活動をされていることを知って、
すごくおもしろいなと思ったし、
かっこいいなと思いました。



自分は中学1年生の頃から演劇と音楽をはじめて、
高校3年生の時から、文章を書ける人間になりたい、
と思い、それぞれ勝手に活動をはじめました。
音楽と演技は学校の中ではじめて、
それがだんだんと仕事になり、
そして文章はおとなになってから、
それも、だんだん仕事になりました。

その中で、芝居の現場に行くと
「音楽の人でしょ?」といわれて、
“うんうん、まちがってない”。
そして音楽の現場に行くと、
「芝居の人でしょ?」ていわれて‥‥。

どの現場に行っても、あぶれてしまう感覚というか、
自分の居場所がないなーというふうに
ずっと思っていました。
それに加えて文章まではじめてしまったので、
「ひとつに絞らないの?」とか、
「何が一番やりたいの?」と言っていただいたんですが、
個人的には、ちいさい頃から
それこそ植木等さんやいろんな人の活動を見ていて、
僕が憧れている人があんなにいろんことを
やっているのに、なぜこんなにみんな、
ひとつに絞った方がいいって言うんだろう。

もちろん、二足のわらじを、
適当にやってたんではダメだと思うんですが、
どの仕事もほんとうに大好きで、
もうこれしかできないなと思っていたら
段々と仕事になっていった、そういう感覚がありまして、
なんだかすごく寂しい思いをしていました。

どこかのグループに属することに
憧れてはいたんですけど、
だいたいいつもちょっとはみ出してしまうという。

で、そんななか、
伊丹さんのいろんな顔を知ることによって、
ほんとうに好きなら、おもしろいと思ったことなら
なにをやってもいいんだ、と思うようになりました。

受賞の時のコメントでも書きましたけれども、
ほんとに憧れのような、遠くに、
ずうっと灯台のように伊丹さんが、
明かりを照らしてくださっているんですけど、
どうやってもそこにはいけないようにできていて、
大きな海が、僕の島と伊丹さんの島には流れていて。

それを追いかけようとした時期もあったのですけど、
だんだんと、伊丹さんの活動を見ていて、
そうじゃなくて、自分の場所を作れと、
きみはきみの場所を作れ、
そう言われているような感覚がありました。

そして20代後半から、どこかに属する、というよりも、
とにかく好きなことをやろうと、やりたい、
一人前になりたい、そういう気持ちで
どの仕事もやっていたら、
こんなすばらしい賞をいただくことができました。

伊丹さんに、それがきみの場所だよ、
って言われているような気がして、
すごくうれしかったです。

僕は物心がつくころから、
伊丹さんが生でしゃべっているのは、
テレビでもあまり見た記憶がなくて、
おとなになってから、いろんなドキュメンタリーや
番組などでしゃべっているのを拝見したり、
エッセイを読んだり、することしか、
どんな人か知ることができなかったんですけど、
伊丹さんは、すごく自由な人だな、という印象です。

自分の好きなことと、おもしろいと思うことを
ほんとうに素直に追い求めて、つきつめて、
それをみんなに紹介したり実践したりすることによって
周りの人がすごく楽しくなったり、
日本という場所が、見ている人たちが、
みんなが心躍らされたり、楽しいなあと思ったり、
気持ちがちょっと変わったりする。
それってすごいことだなと思います。

そして、怒りや、憤りや、悲しみからも
自由だったと思います。
きっといろんなことがあったんだと思います。
なのに、その怒りさえも、おもしろいことに変えて、
みんなに見せて、
みんなが気分が悪くなるようなことではなくて、
すごくおもしろかったという思いで劇場をでたり、
テレビのスイッチを切ったりする。

そんな表現をする人は、
とてもとてもかっこいいと思います。
ぼくは、そういう人にいつかなりたいなと思います。
それこそ、先ほどの植木等さんのお話もそうですけれど、
ほんとうにまじめな人で、「スーダラ節」を歌うのが
本当は嫌だったというお話を聞きました。
でもあの歌詞は人間の真理だから、
堂々と歌っていいんだよとお父さんに言われて、
歌うのを決意したそうです。

そういうところも含め、自分はほんとうは
すごく明るい人間ではないけれど、
楽しいものとか、おもしろいものを届けてもいいんだと
思わされたというか、思っていいんだという風にしてくれた、
すばらしい人です。
伊丹さんにも、植木さんにも、
僕は直接お会い出来なかったんですけれども、
そういう自分が受け取ったものというのは、
絶対に何らかの形でつながっていくと思っています。
人は死んでも、それをみんなが話したり、
繋いでいったり、自分の栄養にして何か話したり
表現することによって、
遺伝子はつながっていく。そういう遺伝子を、
僕も伊丹さんからもらっているので、
何か自分の表現という形で、
ちゃんと自分のフィルターを通したかたちで、
その遺伝子をつなげていけたらと思っております。

そして、『タンポポ』のドキュメンタリー
(『伊丹十三の「タンポポ」撮影日記』)を見ていて
今日初めて玉置さん(現ITM伊丹記念財団理事長・
伊丹プロダクション社長の玉置泰さん)にお会いして、
『タンポポ』のドキュメンタリーで
玉置さんがお話されているのを見ていたのですが、
そのときはメガネをかけていて。
僕は最初、お会いしたときにどなたかわからなくて、
玉置ですと名刺をいただいて、あ、あの! 
あの時メガネかけてましたよね? と。
『タンポポ』で、ホームレスの方が歌を歌うシーンで、
そのシーンの、たぶんリハーサルだとおもうんですけど、
リハーサルやってるのに、メーキングのカメラの前で
ものすごい大きな声で話をされている玉置さんが
すごく印象に残っていたんです。すごくおもしろくて。

そしてさきほど宮本さんに、今度デート行きましょうね、
といっていただいて。
なんというか、違う大陸だと思っていたんですけれど、
僕と伊丹さんと、ほんとうに違う場所だと
思っていたんですけれど、
こういう場所へ来させていただいて、
お話をさせていただいて、
あ、玉置さんてほんとうにいるんだな、とか、
宮本さんとか、直接お話させていただいて、
大陸は海の中でつながっていたな、
というふうに、すごく、思います。

長々と、すみませんでした。
嬉しすぎて、今日はあまり眠れないと思います。
このたびはほんとうに、受賞、
ほんとうにうれしいです。
ありがとうございました。
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途中、「長くなってすみませんが」など、
気を遣いながら一生懸命お話される星野さんを見て、
受賞すること、憧れていた好きな人や
その人の住む世界から認められるというのは、
ほんとうに、嬉しいことなのだなと、感じました。



その後はいつものとおり、
あたたかい受賞パーティーがありました。

糸井重里も星野さんにお祝いを伝えて。



気持ちのいい時間を、過ごしました。


あらためまして、「ほぼ日」からも。
星野源さん、伊丹十三賞受賞おめでとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


※写真は「うれしいセーター」以外、池田晶紀(株式会社ゆかい)

2017-04-21-FRI