── | こちらが「野田琺瑯」さんの 事務所なんですね。 |
野田 | ええ、もう、ほんとうに手狭で。 15年ほど前までは、 この江東区の事務所に工場もあったんですよ。 |
── | そうだったんですか。 工場といえば、 現在の工場、見学させていただきました。 |
野田 | ご苦労様です、 ありがとうございました。 |
── | いえいえ、こちらこそ。 「ほぼ日」にも「野田琺瑯」さんの ファンが多くて。 いつも使っている製品が うまれてくる様子を見て、 みんな必要以上に騒いでしまいました。 |
野田 | そうでしたか(笑)。 |
── | ブイヨン・マグもちょっとありましたし、 あとは「ホワイトシリーズ」ですとか、 「月兎のスリムポット」ですとか。 驚いたのは、ほんとにぜんぶ手作業なんですね。 |
野田 | そうなんです、まるっきり手作り。 次から次にぽこぽこ作れると 思われる方も多いですが、ひとつずつなんです。 |
── | 「琺瑯」というものは、 製法としてはかなり古いものと聞きましたが。 |
野田 | そうですね、とても古いものです。 発祥についてはいろいろな説があるのですが、 よく言われておりますのは、 エジプトのツタンカーメンのお話です。 |
── | ツタンカーメン? |
野田 | 紀元前1300年頃の ツタンカーメン王の黄金のマスク。 あれは金や銀の上に、 ガラスを焼き付けたものなんです。 |
── | それは工場で見てきた、琺瑯の作り方と‥‥。 |
野田 | そう、同じなんです。 ですからほんとうに古い製法ですよね。 |
── | へええー。 |
野田 | ツタンカーメンの場合、 たとえば青い色は、 たぶんラピスラズリだと思うんです。 そういう鉱石を砕いて、 釉薬(ゆうやく)に溶かして 金や銀に焼き付けていたのではないかと。 それが要するに「七宝焼き」になるわけです。 |
── | 七宝焼き。 |
野田 | 5世紀以降、ビザンチンくらいになりますと、 たいへん七宝焼きが盛んになります。 宗教画的なものを銅板や金板の上に 釉薬をのせて焼き付けたようなものが 出回ってくるんですね。 私は見たことがないのですが、 日本には飛鳥時代に仏具として 渡ってきたと聞いております。 |
── | 飛鳥時代ですか。 |
野田 | それが正倉院にあると言われているのですが、 何しろ見たことがないので(笑)。 |
── | そうですか‥‥。 その、七宝焼きと、琺瑯と、 どういうところが違うのでしょう。 |
野田 | 琺瑯は下地が鉄ですが、 七宝はそれが銅や銀だったりいたします。 また、長い時代を経て、 「美術品としての七宝焼き」と、 「実用的な琺瑯」にわかれていった ということもございます。 |
── | 実用的なものが琺瑯に。 ‥‥そんなに歴史のあるものだったんですね。 |
野田 | ですが、お鍋や容器など、 琺瑯が日本の生活の実用品になってからは、 まだ130年くらいしか経ってないんです。 七宝焼きは、 日本の皇室や国をあげてのお土産として もっと古い時代から現在まで 盛んに贈られているんですよ。 桜が描いてあったり、取り皿とか花瓶ですとか。 その一方で、日常使いの琺瑯は‥‥‥‥。 あ、ごめんなさいね、 私は琺瑯の話になると(笑)。 |
── | いや、すごく興味深いです(笑)。 |
野田 | ついつい長話になっちゃって(笑)。 |
── | 「野田琺瑯」さんのご創業は、たしか‥‥。 |
野田 | 昭和9年です。 |
── | ええと、西暦ですと‥‥ 1934年ですか。 |
野田 | すみません、昭和で言ってしまって(笑)。 ええ、そうですね、1934年。 創業75年になります。 |
── | 善子さんは、こちらのお嬢さんではなく。 |
野田 | ええ、私は今から40年前に 嫁いでまいりました。 |
── | そうでしたか。 嫁いでこられる前は、何を? |
野田 | 川喜多長政・かしこのご夫妻は ご存じでしょうか。 |
── | ‥‥たしか、日本映画の功労者の。 |
野田 | はい。フランス映画を初めて日本に 輸入したりしまして、 昔の映画ファンでしたら、 もうご存じない方はいないというご夫婦で。 私はその川喜多さんの そばで働かせていただいておりました。 |
── | じゃあ、映画関係のお仕事から、 琺瑯の会社へ‥‥。 ご結婚される前から 琺瑯に興味がおありだったのですか? |
野田 | いや、特に(笑)。 ですから、本当に人生は どういうふうになるかわからなくて、 楽しいものですよね。 |
── | 嫁いでいらしたころは、 琺瑯業界がとても盛り上がっていたそうで。 |
野田 | そうですね。 でも創業してから75年の間には 戦争もあり、琺瑯産業の衰退もあり。 幾多の困難を乗り越えたといいますか(笑)。 |
── | ああ‥‥そうでしたか。 |
野田 | 最初はそちらにある ブルーのタンクを主力でやってまして。 |
── | これですね。 |
野田 | ええ。あとは病院で使っているような、 今もそこにありますが、 洗面器ですとか。 |
── | はい、なつかしいです。 |
野田 | ほかにも、いろいろありまして、 あらゆるものが琺瑯だったんです。 1971年ころがピークだったと思います。 ところがその後、 ステンレスやアルミニウム、 プラスチックなどへの需要が高まりまして、 琺瑯は徐々に使われなくなっていきます。 |
── | なるほど‥‥。 |
野田 | 一時は90数社あった琺瑯メーカーも、 どんどんなくなってしまいました。 |
── | でも、「野田琺瑯」さんはずっと続けてらした。 |
野田 | そうですね。 長かったです、不況の時期は。 |
── | どうして乗り越えられたんでしょう? |
野田 | ‥‥それは、やっぱり、 琺瑯が好きなんです。 |
── | ああ‥‥。 |
野田 | うちの者たちはみんなそうです。 琺瑯が好きなんですね(笑)。 |
(つづきます) |