2010年2月11日、
神戸女学院大学教授(当時)の
内田樹さんから
1通のメールが届きました。
タイトルは「土地を決めました」。
本文には、
神戸市内のJR住吉駅から徒歩3分の土地を買い、
そこに自宅兼道場兼能舞台を建てたいので
設計を頼みたい、と書かれていました。
まだ1軒も家を建てたことのない新米建築家に、
初めての設計依頼が来たのです。
しかも内田さんとはほんの2ヵ月前に、
ご自宅での麻雀大会で初めてお会いしたばかりです。
言葉にできない驚きと胸の高鳴り。

パソコンのモニターをにらみつけるように
くり返し何度も文面を読んでから、返信を送りました。

僕はベルリンの建築設計事務所で4年弱働いて、
2年前に帰国しました。
30歳までに独立しようと決めていたので、
帰国後まもなく自分の事務所を開きました。
まだ一級建築士の資格を取得したばかりで、
内装設計やコンペは経験しているものの、
更地から自分のデザインで建築を建てるのは
まったくの初めてです。
精一杯努力して
先生のために良い建築をつくりたいと思います。
なにぶん初めてのことばかりなので
時間はかかりますが、
ぜひともやらせてください。

翌朝、2通目のメールが届きました。

最初から一軒丸ごと設計するのははじめて、
というのはよかったですね。
いずれにせよ、
どこかで最初の仕事は経験するわけですけれど、
それがうちの道場/住宅であるならば、
ぼくもうれしいです。
若い人にチャンスを提供するというのは、
年上の人間のたいせつな仕事ですから。

嬉しさのあまり舞い上がってしまい、
こんなこともあるのかと、
ほっぺたをつねってみようかと思ったほどですが、
さすがにそれはしませんでした。

申し遅れました。
「ほぼ日」読者のみなさま、こんにちは。
「こうしまゆうすけ」といいます。
仕事は建築家です。
子どもの頃から絵を描くのが好きで、
自分もなにか作品を残す仕事に就きたい
と思ったことから、
高校の美術の先生に薦められて
建築を勉強するようになりました。

学生時代にはヨーロッパをたくさん旅して、
巨匠と呼ばれる建築家たちの仕事を実際に体験し、
スケッチして回りました。
ル・コルビュジェのラトゥーレット修道院、
ミースのトゥーゲンハット邸、
アアルトのマイレア邸、
ガウディのカサ・ミラに
スカルパのカステルヴェッキオ美術館など。
建築を志すなら
ぜったいに見ておきたい建物ばかりですが、
びりっとしびれるような
崇高な建築空間に身を置くことで、
自分もいつかそうした建築を設計したい
と強く思うようになりました。


▲最初のスケッチ(1999年)。
大学2年生の夏、初めての一人旅は、
ギリシャのアテネにあるパルテノン神殿から始めました。

建築学科の大学院を卒業したあと、
旅ではなくヨーロッパで仕事と生活がしたくて、
尊敬する5人の建築家に
「働かせてほしい」と手紙を出しました。
残念ながら最も尊敬する建築家、
スイスのピーター・ズントー氏には
雇ってもらえませんでしたが、
第2希望のドイツの設計事務所で
職を得ることができたのです。
3年10ヵ月、必死で働きました。
友達が一人もいない、
縁もゆかりもないベルリンでの生活は
孤独との戦いでもありました。
がしかし、住めば都とはよく言ったもの。
壁のなくなった都市には、
自由な空気が満ちあふれていました。
ドイツ語も少しずつしゃべれるようになり、
仕事も刺激的で、
コンサートや美術館巡りなど余暇も楽しむ毎日でした。

▲ベルリンで働いていた
ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツにて。
2005年頃。

▲当時住んでいた旧東ベルリンの中心、
テレビ塔のあるアレクサンダー・プラッツの界隈。

次回につづきます。

2011-07-28-THU
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