文字をもたぬ民族を見ますが、
ことばをもたぬ民族を考えることは、
不可能でしょう。
そのことが、人類にとって、ことばが、
根源的なものであることを証明します。
「音」は、その世界の当初において、
あらたなことばを生み、
そのことばのうちに響きを通わせながら、
しかも、その響きを、
神に伝えとどけてやまなかったのです。
「笑」は、神と人との交渉のうちに
起こりますから、
なりゆき、その字形にも、
人の、神に接する姿が、具象的に
描かれていなければならぬはずです。
もとより「うた」は、神を呼び、その神との
ひとときの融合のうちに起こりました。
神との共感が、
「うた」を呼び起こすのです。


続・神さまがくれた漢字たち
古代の音
山本史也

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漢字ということばの「かたち」を、
神さまへの恐れ、祈り、抗議などの行為の足跡として
明らかにしてくれた前作に続き、
本書は、そのことばの「音」に迫ります。

私たちがいままで習ってきた、
「漢字」の成り立ちのなかに、
はなはだしく欠落してきた白川静先生の考えかたが、
この2冊の本のなかには込められています。
世界は、人間たちにとって
都合のいい理屈や都合ばかりでは成り立っておらず、
そのことを知っている者だけが
「知恵」を手にできるといいます。

そしてじつは、そもそもが、
そういう知恵からはじめて、ことばや、文字や、
「漢字」が生まれてきたというのです。
漢字の成り立ちは、世界の成り立ち。
そんな中国古代の人たちの知恵を
つまびらかにすることで、
私たちが捨ててきてしまったものを明らかにし、
さらにはもう一度取り戻そうとするのが、
白川先生の文字学でもあります。

私たちが受けてきた「漢字の成り立ち」教育は、
そういったことを面倒なこととして、
さんざん切り捨ててきてしまいました。
そしてじつに、現代人向けに、
当たり障りのない説明がされてきました。
白川文字学は、そんな私たちには、
天と地がひっくり返るような驚愕をもたらします。

けれども、ここ最近では少しづつ、
小学校、中学校の国語の授業において、
白川文字学が採用されてきています。
この本の著者である山本史也さんをはじめとし、
白川先生の学問を、
広く子ともたちが受け取る必要性を感じ、
文部科学省に真摯に迫る
お弟子さんたちの熱意が伝わります。

この本と前作は、そんな白川文字学を、
ほかに類のないほどに易しく語り起こしたものです。
白川静先生の本を読もうとして挫折してしまったあなた。
この本は、天国の白川先生からの、
最後のプレゼントでもあります。

(編集担当・清水檀)

2010-05-18-TUE


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