パトリック |
日本に来て、これまでずいぶん
たくさんのことを教わってきたんですけど、
教わったことの中で、大きかったのが、
さきほどもお話しした「品」についてのことと、
あともう一つ、日本の人々の
「個人より集団で考える」という部分で。
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糸井 |
はい。
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パトリック |
アメリカの友達が、
「そろそろアメリカに戻ってきたらどうだ」とか
「帰ってこないの?」って言うんですけど、
私はもう、ずっと日本に暮らしているので、
みんなが「個人より集団で考える」日本のほうが、
居心地がよくなっているところがあって(笑)。
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糸井 |
ああー。
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パトリック |
アメリカの普通の人は日本のことを全然知らないので、
ずっと日本にいる私のことが理解できないんですね。
でも、「早くアメリカに戻って来いよ」って
いつも言ってる友達が日本に訪ねてくると、
みんなびっくりするんです。
「日本っていいところだね」って。
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糸井 |
(笑)
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パトリック |
で、「集団で考える」ということに通じるんですが、
最近、私が興味を持っているのが
「集合知」(collective intelligence、集合的知性)
という考え方についてのことなんです。
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糸井 |
集合知。
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パトリック |
ええ。
「たくさんの意見や情報の寄せ集めの中に
見いだされる知性」というようなことですね。
一般的にはインターネットを通して
体感されていることが多いでしょうか。
そして基本的には
「全体の知性をあげるには、
よりたくさんの人が知恵を出し合えばいい」
というように考えられています。
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糸井 |
はい。
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パトリック |
でも私はいま、その「集合知」の考え方を、
全体の数とは別の、新しい視点から考えると
いいんじゃないかと思っていて。
どういうことかというと、
全体の数を増やすのではなく、
「どんなふうにすれば、
一番クリエイティブな集合知がつくれるか」
という視点で考える。
知性をつくっていく、という発想から、
みんなが集合知のことを
考えていくといいんじゃないかと。
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糸井 |
ああ、なるほど。
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パトリック |
普通は「クリエイティブになる」とかって
個人の話であって、グループの話ではないんです。
だけど、日本には、さきほど言いましたように
「集団で考える」という特質がありますよね。
日本は、非常に、みんなが、
「個人より集団で考える」ような社会です。
だから日本の人たちは自分たちで工夫すれば、
「日本」という集合知を高められるかもしれない。
そして、「日本」というグループが、
さらにクリエイティブになれるんだったら、
絶対にいいですよね。
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糸井 |
ええ。
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パトリック |
どのようにグループ内の、
個人のクリエイティビティを最大化して、
どんなフレームワークがつくれるか。
最高にクリエイティブな集合知をつくるために、
どんな過程が必要なのか。
言葉でいえば「集合知のクリエイティブ」
(creative collective intelligence)でしょうか。
このごろ、そういったことを考えているんです。
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糸井 |
ああーー、すごくおもしろいですね。
あの、ちょっと違う話かもしれないんだけど、
話を聞きながら思い出したことがあって‥‥。
このあいだね‥‥ええと、ちょっと待って、
そうそう、これだ。
(犬の写真を見せる)
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パトリック |
犬?
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糸井 |
ええ、そうなんですけど、じつはこの子、
オオカミと犬のハーフの犬なんですね。
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パトリック |
あ、そうなんですね。
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糸井 |
そうなんです。
先日、ぼくはこの子を飼っている人のところに行って、
いろんな話をうかがったんですが、
そのときの話がおもしろくて。
オオカミって、もともと群れとして、
つまりグループで生きてますよね。
で、この子にも同じように
「群れ」という本能があるんです。
この家に犬はこの子しかいないんだけれど、
やっぱり家族との間に順位をちゃんとつけて、
同じ「群れ」なんだって認めさせないと生きていけない。
で、このオオカミ犬もちゃんと家族のことを認めて、
この家の家族の一員として生きていて。
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パトリック |
ああ、なるほど。
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糸井 |
それであるとき、飼い主の人がこの子と、
山の奥深くまで行ったとき、
この子が急に、バーーーッと走っていって、
いなくなっちゃったらしいんですね。
帰ってこないので飼い主の人は
いったん山から下りちゃったらしいんだけど、
しばらくしたらこの子が、
鹿といっしょに帰ってきたんだって。
つまり、その鹿は、「獲物」なんですよ。
その犬は狩りを続けて、「獲物の鹿」を、
群れのところへ追い込んできたわけです。
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パトリック |
ああー。
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糸井 |
で、鹿を追い込みながら
飼い主の人がいるところまで戻ってきて、
どうするかっていうと、
それ以上はどうしようもないんですよ。
犬は鹿が逃げないようににらみつけてる。
鹿も死にたくないから構えてる。
でも、飼い主は、べつに鹿を捕らえたくはない。
だから、オオカミ犬には、
群れで行動する本能だけがあるけど、
実際には、群れはないんですよ。
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パトリック |
はい。
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糸井 |
だから、飼い主も犬も
「‥‥どうする?」ってなっちゃった。
そのエピソードが
ぼくにはとってもおもしろくって。
「群れで生きる」というのは、
そういうことなんじゃないかと思ったんですね。
何が言いたいかというと、
素晴らしい知性を持った
「群れ」とか「グループ」というのは
一人のときに力を最大に発揮する人たちが
集まってできあがるのではなくて、
隣の仲間との「どうする?」の関係の中で、
その「群れ」の知性が一番高まる状態ができる、
ということなんじゃないかなと。
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パトリック |
うーーん、なるほど、なるほど。
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糸井 |
それはオオカミの本能的な知恵なんだろうけど、
もしかしたら人間でも
なんか似たところがあるんじゃないかな、
と思ったんですよね。
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パトリック |
ああ、はい。
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糸井 |
今までは、個人の力っていうものが
ずっと信じられてきたんだけど、
本当は、一人で考えられないことを考えるときって
そういう「群れ」の単位で考えたほうが
いいんじゃないかなと思って。
誰かに「どうする?」って聞いちゃうのも、
欠点どころか、ある意味、
長所なんじゃないか、とかも思うし。
なんか、うちの会社でも、そういう、
みんなで考えることでうまくいく、
みたいなことがよくあるなぁ、と思うんですよ。
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パトリック |
はい、はい。
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糸井 |
グループを、個人の集合じゃなくて、
「グループ」っていうひとつの個性として
考えるほうが正しいのかもしれないな、って。
だって、人間だって、普段は意識していないけれど、
自分たちがパラサイト(寄生)しているものもあるし、
お腹の中の菌のように、自分たちが寄生されていて、
しかもそれがないと生きていけない、ということもある。
実はみんな、そんなふうに普通に、
いくつものものがチームワークによってつながって
ひとつのかたまりとして生きている。
そういうふうにみんなが自然に分業しているようなことを、
もっと意識して大事にしていくことが、
この先のヒントになるかもな、と。 |
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(つづきます) |