その29 プラハの“黒”その29 プラハの“黒”

プラハの王宮の中にある建物に写った木漏れ日。この木漏れ日は、木漏れ日が二重になっている「木漏れ日の、木漏れ日」でもあるので、今まで見たことが無いやわらかさでした。
Leica M3 + Summicron50mm + Fomapan400

今回お話するプラハでのいろいろは
以前「“写真を観る”編 ヨセフ・スデク」
お話ししたことにもつながります。

ちょうど今、代官山の「B印YOSHIDA」にて
プラハで撮影した写真を展示しています。
その為に、新たにプリントをしたのですが、
暗室作業の中で、いくつかの発見がありました。

「プラハの光」を一言で言うと、
とても“透明度の高い光”という気がします。
街並みが整然としていることもあるのでしょうが、
そこには、明らかに日本よりも粒子の細かい光が
存在しているように感じます。
いざ、それをプリントで表そうとすると、
当然のことながら、“黒”の表現が大事になります。
なぜなら、写真の世界には“白”という色がありません。

これは、カラー写真においても同様で、
“白”色を表現する場合は、
紙の“白”、今ならば、モニターの“白”。
そこに生まれる陰としての“黒”は、
陰そのものの中にも、あたたかさを感じる
“温黒調”とよばれるような、
少し茶色い黒色での表現が適しているように思います。
今回「HULBOTISK」展で展示している
フォトグラビュール印刷にしても、
スデクを中心とした写真集にしても、
ほとんど、その中における“黒”の表現は、
“温黒調”としての“黒”で作られています。

暗室作業中、まだ定着液の中に揺らめいているバッドの中の写真。今回、印画紙も「FOMA」というチェコ製の印画紙を使用していますが、この印画紙は、同じ“温黒調”でも、少し緑がかった、独特の“黒”の表情を持っています。

微妙な“黒”の違いで
写真の印象は大きく変わります。
例えば、習字の時に使用する“墨”にしても、
自身で墨を擦って出来上がった“黒”と、
墨汁で作った“黒”は、
まったく違う“黒”でしたよね。
そんな違いが、写真の世界でもあるのです。

今回写してきた写真の中でプリントが最も難しかったのが、
最初の木漏れ日の写真でした。
これは、木漏れ日のまた木漏れ日ですので、
1枚の写真の中に、2種類の光があります。
個人的な印象としては、
今現在の光と、ずっと昔からここにある光、
その2種類にも感じたりして、
それを少しでも定着できたらと
暗室の中で試行錯誤してみました。

プリント作業を進めれば進めるほどに、
光と、その光が織りなす影は、
ぼくにとって、ますます特別なものとなりました。
というのもその中に、大好きな「スデクの光」と同じ光を
見つけることが出来たからです。

「photo=光の粒子、graph=絵」と考えると、
スデクの写真は
「写真」そのものと言っていいのかもしれません。

今回は、初めてのプラハでしたので、
どちらかというと、街を歩きながら、
デッサンのように光を追いかけてみましたが、
次回は、もう一歩進んで、
あらためて、プラハという街そのものと
向き合ってみたいと思った暗室作業でした。

これはプラハの“黒”に限ったことではありませんが、
あたたかい“黒”としての陰と
あたたかい“白”としての光、
この2つの軸で世界を見つめてみるというのも、
写真にとって、あるいはぼくたちにとって、
とても大切なことなのかもしれません。

これが、木漏れ日の木漏れ日、そのものの写真です。2種類の光が存在しています。

2016-10-13-THU