全国のオリンピックファンのみなさま、こんにちは。
これからオリンピックファンになるという方も、
にわかオリンピックファンの方も、こんにちは。

平昌オリンピックがはじまります。
「観たぞ、平昌オリンピック!」もはじまります。

前回、といっても2016年のことですが、
リオデジャネイロオリンピックのとき、
連載の終わりにぼくは、
「この形式での『観たぞ』シリーズは終わりにして、
なにか新しい取り組みを探していきます」と書きました。
東京オリンピックもあるし、
SNSとか、ネット配信とか、いろんな場所に
「観たぞ」的なたのしみ方が広がってきたし、
ちょっとあたらしいやり方を探します、と。

にもかかわらず、こうして、
「観たぞ」をまたやるよー、
と屈託なく宣言するにあたっては、
ひとことご説明をしておいたほうがいいかな、
と思い、書くことにしました。

あたらしくオリンピックをたのしむために
いろんなかたちを模索しました。

とてもうれしかったことは、
他のメディアにも「観たぞ」を好きな人たちがいて、
オリンピックが近づくにつれて、
いくつかの媒体の人たちから
「私たちと『観たぞ』で何かできませんか?」と
お声がけいただいたことです。

東京オリンピックがちかづいていて、
いろんなところでいろんな「オリンピック企画」が
進行しているということもあると思いますが、
たくさんの人が
「オリンピックといえば、ほぼ日のアレ」という感じで、
「観たぞ」シリーズのことを、
ちょっと変わった風物詩のように
覚えてくださっていたようです。
思えば、ほぼ日の「観たぞ」シリーズって、
2004年のアテネオリンピックから
14年も続いていますから、
いろんな人が知ってくださっているのだなあと
あらためてありがたく思います。

ともかく、ここ数ヵ月、いろんな媒体の人たちと
「観たぞ」のあたらしいかたちについて、
試してみたいオリンピックの企画について、
いろんな角度から、かなりたのしく
話し合ってきました。
(そのいくつかはいまも継続しています)
具体的には、たとえば、
平昌に行って観戦することとか、
記者会見やイベントを取材することとか、
放送する側と協力することとか、
組織委員会となにかすることとか‥‥。

結論からいうと、
ぼくらがまだやったことのない
「あたらしい取り組み」自体は考えられたのですが、
どれも在り方としては、ふつうの域を出ない気がしました。
なんというか、ぼくらはやったことがないけれど、
世間的には「ふつうの取り組み」になってしまうのですね。
ことばを変えると、
オリンピックという世界的な祭典を
みんなで一斉に自宅とかで観て、
発見や感動や応援や無駄話をテキストで送って、
それを並べてみんなでたのしむという、
「観たぞ」のたのしみかたは、
非常に特殊でユニークだということです。
それはもう、やっぱり、ちょっと変だといっていい。
だからこそ、10年以上も続いて、
待たれていたのだなあ、と、
あらためてぼくは実感することになりました。

どうやら、そういう感じの結論がではじめて、
それでもやっぱりどうしようかなと迷っていたら、
「ほぼ日のアースボール」が完成しました。
アースボールのチームから、
ぜひオリンピックでなにかやりましょう、
というふうに言われました。
実際、それはとてもいい組み合わせだと思いました。

あたらしい取り組みは、もちろん、
これからも、いろいろと追求していくつもりです。
今回の平昌オリンピックも、
「ほぼ日のアースボール」との組み合わせもあるし、
ぼくも当初は行こうかなと思っていた平昌に
勢い余って何日か行くことにした乗組員もいるし、
これまでの、ぼくがひとりで黙々とやっている
「観たぞ」の形とは、若干違うものになりそうです。

長々と書きましたが、平昌オリンピック、
基本的なかたちとしては、これまでと同様に、
みなさまのたくさんの投稿とともに
オリンピックをたのしんでいこうと思っています。

最後に、ひとつ、メールを引用しますね。
コンテンツのかたちをどうしようかと迷って、
いっそなにもしなくてもいいのかなとまで考えていたとき、
「観たぞ、リオデジャネイロオリンピック!」の
最終回を読み直して、この投稿に再会しました。
読んで、「やっぱりやんなきゃ」とこころを決めました。
ぼくのことを褒めているような内容なので、
ちょっと照れくさいのですが、
まだ「観たぞ」を知らない人には、
このコンテンツがどういうものか、
イントロダクションにもなると思うので。
ちょっと長いけど、読んでみてください。



「観たぞ、リオデジャネイロオリンピック!」
最終回に届いたメールより。

「人生に、スポーツ観戦を。」
このリオオリンピックで永田さんから
提示されたフレーズに、はっとしました。

今までの人生で、スポーツに興味を
持ったことは一度もありませんでした。
うまくできないからです。
いわゆる運動音痴というやつです。
幼少期から走っても飛んでも何しても最下位。
誇張でなく本当に最下位です。
自分ができない人間だと徹底的に思い知らされる。
それがスポーツでした。
好きになれる要素など、かけらもありませんでした。

文系一直線、世の中のスポーツというスポーツから
目を背けきって、いい大人になったころ、
出会ったのが「観たぞ」です。
文系の園に咲いた一輪のスポーツの花。
やたら素朴な感想に、永田さんの愛ある斜めな突っ込み。

スポーツってやるのも見るのも基礎知識いるんでしょ、
と見向きもしていなかった自分でも、
読んでみたら意外と楽しめて、おや?と思いました。
でもこれもどうせスポーツできる人たちの遊びでしょ。
まあ後から読む分には面白い読み物に
仕上がってるから読むけど‥‥とまだまだ斜めから、
エッセイを読むように読んでいたのが、
変わったのはソチの浅田選手のシングルからです。

ちょうどその日、
付き合っていた人とお別れをしました。
私から切り出した別れで、結婚を考えていた相手で、
これはものすごく落ち込むだろうけど、
明け方には浅田選手の演技があるっていうから、
きっとメダルとかとるんだろうから、
そこで癒してもらおう。
とお別れした電話を切ったあと、
そのまま初めて生でスポーツ観戦をしました。
結果は落ち込んだ私をさらに叩き落す結果でした。

でもあの極限の状況の中で、
コメントする浅田選手を見ていたら、
なんだか無性にしっかりしたものが食べたくなって、
朝ごはんに卵焼きを作りました。
それをそのまま、「観たぞ」に送ってみました。
ぼんやりと「観たぞ」を見ていたら、
そのコメントを採用していただいていて、
ものすごく驚きました。
そこで初めて、ああ私の生きている世界と
スポーツの人がスポーツしている世界は
つながっているんだ、と何故か実感しました。

そして今日、夜から体操を観戦して、
内村さんの演技に涙する私がいます。
メダルというよりも、
あの最後の演技の研ぎ澄まされた感じと、
金メダル後のコメントに、感動しました。
重圧の中、いつも通りにやろう、と思って、
やれるだけの練習量。
自分のやってきたことを信じるということ。
もっとずっとちっさい私の世界ですけど、
でも、私も同じだなと思います。
いざというときに、
自分を信じられるだけの生き方を、普段しておくこと。

運動なんかこの世で一番大嫌いだった私が、
スポーツ選手から何かを学べるようになりました。
今年からは筋トレなんかもはじめて、体重も落として、
筋肉がついて、そうすると電車のホームへの
階段を駆け上がるのがこんなに楽なのか、
と本当に今更ですけど驚いています。

長文になりましたが、
どうしても一言お礼が言いたくて、投稿しました。
永田さん、いつもおもしろおかしく初心者に優しく、
なのにどういうわけか底抜けに感動し、
読んだ後はスポーツ通になった感じがする、
素敵なコーナーをありがとうございます。
新しく出会った人が、ちょうどいいことに
スポーツ観戦しか趣味のない人なのです。
観たぞで培ったスポーツ観戦という楽しみを片手に、
彼と仲良くしていきたいと思います。
これからも、ほどほどに、でも長く、頑張ってくださいね!
人生に、スポーツ観戦を!

(感謝女子)

平昌オリンピック、開会式は
2月9日(金)の20時からの予定です。
ツイッターのハッシュタグは
いつもどおり「#mitazo」です。
あらためまして、どうぞよろしくお願いします!

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