おいしい店とのつきあい方。

008 おいしいものをちょっとだけ。その5
はしご酒の醍醐味は。

「はしご酒」って言葉があります。
漢字で書けば「梯子酒」。
はしごを一段、また一段とのぼっていくように
店を変えて飲み歩くというようなコトだ‥‥、
って言われます。

高度経済成長の頃。
サラリーマンは仕事が終わるとはしご酒、
っていうのが当たり前でした。
ひと晩で2軒、3軒。
懐具合がよくて機嫌のいいときなんて
ひと晩で5、6軒はしごするなんてこともあった。

上手で粋なはしご酒もあれば、
下手で見苦しいはしご酒もありました。
無計画に飲みすぎて、
ベロンベロンになってしまうと、
のぼっている梯子を踏み外してまっさかさま。
飲み屋街の地面にへばりつくように
のたうち回る酔っぱらいも結構いました。

粋にはしご酒をたのしむには計画性が必要なんだ‥‥、
っていわれたりする。
一軒であまりたくさん飲まぬよう。
飲むだけでなく、ほどよくお腹を満たしながら、
一軒、そしてまた一軒。
最後に〆でお茶漬けあたりをサラサラ食べて、
気持ちよく帰ることができれば粋なはしご酒。
そして、粋なはしご酒をするのに適した飲み屋街は
よい飲み屋街。

いい飲み屋街の町の景色は多彩で多様です。
小さなお店が軒を並べる。
大抵、カウンターにテーブル数個。
奥に小上がりと言った小体(こてい)な店。
夫婦、あるいは家族でやってるお店がほとんど。
カウンターの中にご主人、職人さんが立ってる店は
料理自慢のお店です。
カウンターに女将さんが立って、
目の前に酒燗器があったりする店は
おいしいお酒とおしゃべりをたのしむお店。
どちらもおいしい匂いがしてきます。

店の扉をあけておいしい匂いがしてこない店も中にはある。
代わりにムードのある照明と、
背筋の伸びたご主人が立っていて、
洋酒やビール、あるいは日本酒の瓶がズラリとならぶ。
つまり酒をたのしむバーや酒場です。

お店、お店で売り物のメニューがはっきりしています。
炭焼の店。
焼かれるものもお店によっては地鶏だったり、
豚モツだったり魚だったり。
おでんのおいしい店があったりもします。
あるいは刺し身。
揚げ物だったら他に絶対負けないからというお店もある。
当然、どのお店にいっても
そういうメインの料理以外に、
“とりあえず”的なおつまみはある。
時間がかからず、腹にたまらず、
酒がおいしくすすむ小料理。
しかも財布にやさしい肴が
適度なバリエーションで揃っていればそれでよし。
欲張ってあれもこれもといろんな料理を揃えてしまうと、
面倒な店‥‥、って敬遠される。
だってメニュー選びに悩み込んでしまうような店は
お酒をまずくする。
自信をもって出せるものだけ。
他のお店のことは気にせず、
自分らしさを守る勇気に満ちたお店が軒を並べる町を
飲んで歩くことって本当にたのしい。

はしご酒の醍醐味って一体何なんだろうと考えてみた。
そもそも酒はどこで飲んでも味そのものは同じです。
生ビールのような特別な機材を必要とするものは別として、
言ってしまえば酒屋で買って家で飲んでも
大きな違いはないものでもある。
にもかかわらず、お店でお酒を飲みたくなっちゃう。
理由はひとつ。
お店の人と、そこに集まる人に会うためお店にいって、
その人たちとたのしい時間を共有する。
それが酒を外でたのしむということ。
ならばひと晩で出会える人の数が多ければ多いほど
にぎやかでたのしい夜だった‥‥、
ということになって当然。

しかもお店の人に見守ってもらえるという
安心感もあります。
だからいいお店の人は「すすめすぎない」。
もう一杯。
もう一合。
あるいはもうひと瓶売ることができればお店は
得するってことがわかっていても、
次の1軒分、あるいは2軒、3軒分の
胃袋を残したままでお客様を送り出す。

「いってらっしゃい! またお待ちしています」って。

なんてステキな商売でしょう。

2020-05-07-THU

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